守るべきモノ

神崎

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秘密

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 お気に入りのラジオ番組は、ゆっくりした音楽と低めの声がいつも心地いい。そして布団に横になると読んでいた本を開く。今、読んでいるのは伊織から借りた歴史物の本だった。
 本気で世の中を変えようとした若者たちは、血気盛んに人を殺してのし上がっていく。だが泉はそれを読んでいても頭の中に入らなかった。
 確かに伊織は側に来て欲しいと隣に泉を座らせた。そのまま腕を捕まれ、キスの一つでもするのかと思ったのに伊織はそのまま手を離してしまったのだ。
 ホテルで伊織とキスをして以来、伊織は泉に手を出すことはなかった。それだけ自分に魅力がないのかと思ってしまう。
「女性の立場で殿方を誘うなんて破廉恥です。そういうことは結婚して、殿方に任せておけばいいのですから。」
 母はいつもそういって泉から男を遠ざけていた。
 泉は幼い頃からあらゆる事を強制されていた。着るもの一つ、髪型ですら自由に選べなかった。少し肩を越すくらいの長さで、前髪も眉毛の下と決められて、常に一つに結んでいた。ゴムの色すら、黒か紺と決められ、おそらく今では考えられないくらい地味な学生生活だったと思う。
 それを見かねて、クラスメイトが使わなくなったシュシュを泉にプレゼントされたことがあった。それだけで自分が変わったような気がしていたのに、次の日には母の手によって切り刻まれていたのを思い出す。
 なのに母ははまっていた新興宗教の教祖と不倫をしていて、挙げ句の果てに集団自殺した。大きなニュースになり、父も泉もその土地を離れた。
 だが程なくして父は、新しい妻と子供を連れてきたのだ。父もまた不倫をして、子供まで作っていた現実に泉は絶望したのだ。
 だから父の元を離れる名目で、大学をわざと遠くの大学に進学した。髪を切り、スカートからジーパンに履き替えた。活発な女の子を演じる事にしたのだ。
 そんな泉に声をかけたのは、すでに小説家デビューをしていた同じ文芸サークルの小泉倫子だった。同じサークルでも倫子は相当浮いていていつもアンニュイな雰囲気を漂わせていたし、周りの人たちも泉のようなちんちくりんではなく別世界のお洒落な人たちばかりだと思っていた。
 だから倫子の方から声をかけられて、泉が驚いたのを覚えている。
 倫子はあこがれだった。だから当初、伊織が倫子に気があったのも知っていた。しかし伊織が選んだのは泉だった。なのに伊織は泉に手を出そうともしない。それが不安になる。
「ただいま。」
 倫子の声がした。時計を見ると、どうやら終電で帰ってきたらしい。
「おじゃまします。」
 聞き慣れない声がした。泉は驚いて布団から体を起こす。そして廊下に出ると、倫子と春樹、そしてその後ろにはどこかで見たことのある男が居た。長い髪を一つにくくり、口元、耳にはピアスがある。破れたジーパンとボーダー柄のセーター、そして革のジャンパー。それはパンクロッカーのような容姿だった。
「泉。まだ起きてたの?」
 倫子は少し笑って、泉にいう。
「ちょっと寝れなくて……そちらは?」
「田島政近さん。漫画を書いている方よ。」
 どこかで見たことがあると思ったら、店に何度か来たことのある男だった。
「同居人があと二人っていってたけど、あともう一人も女?」
「違うわ。あと一人は男の人。」
「バランスいいじゃん。」
「そう?」
「田島先生は、今日帰られますか?」
 春樹がそう聞くと、政近は肩をすくませた。
「どうですかね。話の進み具合によると思いますけど。」
「浜田君も言ってましたけど、別に急いでする仕事ではないようですが。それに、小泉先生も他の仕事が……。」
「私はいいの。春樹さん。イメージがあるうちに形にしたいだけなんだから。田島さんは泊まりますか?」
「そっちの方が手間がかかんなくてすみますけどね。」
 確かにもやもやしたキャラクターを作り上げるのに、時間がたてばそのイメージは薄れていく。はっきり形にしたいと思う。
「居間に布団を敷くわ。そこで寝てくれる?打ち合わせもそこですればいいから。」
 倫子の家なのだから、倫子の好きにすればいい。泉はそう思って、放っておこうと思う。訳が分からない人が泊まりに来て、倫子の部屋にいたこともあるのだ。だが泉がその人達を見たことはない。早朝に泉に気づかれないように帰って行くからだ。
「泉さんは大丈夫?」
 春樹の方が気を使った。この家にあまり知らないような男が泊まるのは、泉も気が引けると思ったのだろう。そうでなくても泉は男性が苦手な節がある。
「何で?」
「だって……。」
 ちらりと政近を見る。すると政近もそれに気がついたのだろう。やはり時間を見て帰った方がいいだろうと思ったのだ。
 すると倫子は少し笑って言う。
「男と女でどうのってのは無いわよ。昔の大学時代のサークルの飲み会みたいに雑魚寝でもする?」
 その言葉に焦った泉は、あわてて倫子に抗議する。
「それとこれとは違うでしょ?駄目よ。駄目。」
 やはり泉は嫌なのだ。だが出来たイメージを形にしたい。倫子も引き下がらない。
「仕事の事じゃない。」
「でもさぁ。」
 倫子と泉が言い合いをしているところに、騒ぎを聞きつけた伊織もそこへやってきた。
「どうしたの?騒がしいね。」
 伊織はそういって、政近の方を見る。すると驚いたようにそちらを見た。
「……田島。」
「ん?富岡か。何だ。同居人ってお前のことだったのか。」
 それまであまり表情を変えることはなかった政近が、薄く笑う。それが少し怖かった。

 居間に布団を一組み敷いて、その上に政近が座る。そしてテーブルの上にスケッチブックを置いて書いていったキャラクターを元に、倫子がその特徴を付け加えていく。
「名前、どうする?」
 政近は鉛筆を走らせながら、倫子に聞いた。倫子も煙草を消すと、そのキャラクター達を見ていた。
「そうね。まだ名前までははっきり決めなくても良いかな。」
 今日、ゲイバーへ行った糧は、ここに現れた。キャラクターの一人に、トランス・ジェンダーのキャラクターを入れたのだ。背が高く、細身で、常にドレスを着た男というキャラクターだった。
「でもキャラクターが先に出来るのは助かるわ。どう動いて、トリックをどうするかってやりやすくなるわね。」
「浜田さんはシリーズ化できればいいって言っていたけど、だとしたら主役の探偵を作らないといけないかな。」
「……そうね。もっと強烈なキャラクターが良いわね。それから読んでいる人も好かれるような。」
 倫子はそういってある本を思い出した。そこには夢中になって読んだ昔のミステリー作家の作品が浮かぶ。それもまた探偵と犯人のキャラクターがファンを引きつけたのだ。
「それにしても……富岡も一緒に住んでたのか。」
 鉛筆を走らせて、ぽつりと政近は言った。
「伊織とは知り合いなの?」
「大学の同期。科は違ったけど、富岡は目立ってたしな。」
 しょっちゅう、女に言い寄られていた。気に入ればつきあうこともあったようだが長続きはしていなかったように思える。
「伊織はそのころからもててたのね。」
「あんたももててただろ?」
「私には変な男しか来なかったもの。こう……初めましてって挨拶したら、顔よりも先に胸に目が行くような。」
「ははっ。無理もねぇな。」
 細身なのに、割と胸はあるようだ。男ならそれに目がいかないわけがない。特にこんな薄着だったらなおさらだ。
 すると居間のドアの向こうで、声がした。
「倫子さん。お風呂入らせてもらったよ。」
「あぁ。あなた先に入ったら?」
 政近にそういうと、政近は少し笑う。
「いいの?男のあとにあんたが入って。」
「かまわないわ。慣れてるのよ。」
「わかった。じゃあ、風呂いただくよ。」
 そういって政近は居間を出る。するとまだ春樹がそこにいた。
「風呂場を案内しますから。」
「ありがとう。」
 春樹の心の中は穏やかではなかった。居間とはいえ、二人きりなのだから。
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