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秘密
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複雑な感情を抱えたまま、泉は家に帰ってきた。夜は自転車で帰るとそろそろ寒くなってきた。明日は少し厚めのジャンパーを着ようと思いながら、自転車を家の駐車場に停める。そして玄関を開けた。
「ただいま。」
廊下から見える倫子の部屋は電気がついていない。そして靴もない。そうだった。今日は倫子と春樹はゲイバーへ取材へ行くと言っていたのだ。ふとそう思い、昼間の栄輝を思い出した。あぁいう所に栄輝はいるのだろうか。
あの街にも繁華街の一本はずれたところには、ゲイのためのハッテン場がある。おそらくその通りに栄輝が勤めている店もあるのだろう。泉が行くことはないが、どんな世界なのか興味はあった。だが今日の話を聞いて、少し気後れしてしまう。
「お帰り。」
ふと声をかけられて泉は前を見る。そこには伊織の姿があった。
「どうしたの?ぼんやりして。忙しかった?」
「うん。まぁね。限定のスイーツが、人気あってさ。」
そういって泉は靴を脱ぐ。履きやすく脱ぎやすいスニーカーは、もうぼろぼろだ。そろそろ代えないといけない。
「今日はね、魚を煮つけたんだ。漁港の方で仕事の打ち合わせがあったから、ついでに買ってきたんだよ。」
「倫子も春樹さんも損してるわ。そういう魚が美味しいのに。」
「確かにね。」
伊織はそういって奥の居間に戻ろうとした。そのとき、泉がその伊織の袖を引く。その感触に伊織は振り返って泉を見た。
「どうしたの?」
「……何でもない。」
こういうときに抱きしめてほしいと思う。だが女の口からそんなことを言えない。泉はすっとその袖をつかんでいる手を離した。
「荷物、置いてくるね。」
泉はそういって自分の部屋に戻る。その様子に伊織は少し首を傾げた。何か言いたそうだったのに、泉はいつも何も言わない。困っていることや、迷っていることがあれば聞いてあげたいと思っているのに。
もし倫子なら無理矢理乗り込んでで聞くのだろうか。春樹なら言わせる雰囲気を作るのだろうか。どちらも自分には出来ない。泉の恋人なのに、そういうところが臆病だ。
「お風呂沸いてる?」
ご飯を居間に持ってくると、泉はテレビを見ている伊織に聞いた。
「うん。俺、さっき入ってきたよ。」
「そっか。何もかもさせちゃって悪いね。」
「良いよ。先に帰ってきてたんだし。」
テレビのチャンネルを伊織が変えると、そこにはトランスジェンダーの人が芸人を辛口で責めあげている映像が映った。世の中の何もかもを知っているのだろうか。そう思いながら、伊織はその言葉を聞いていた。だがその映像に、泉の表情が少し曇る。
「魚、味濃かった?」
「ううん。そうじゃないの。あのね……。」
「ん?」
「チャンネル変えてくれる?ニュースしてないかな。」
「時間的にどうだろうね。明日、晴れてくれるといいんだけど。」
「何かあるの?」
「明後日からスイーツのコンテストがあるみたいでね。その搬入を明日からするって言ってたから。」
その一店舗の店のロゴを、伊織が考えたのだ。目立ってくれればいいと思う。
「泉の所のデザート、反応良いみたいだね。」
「え?わかるの?」
「SNSで話題になってる。高柳鈴音のカップケーキっていって。」
「早いときは昼までで限定無くなるの。」
「へぇ。凄いね。」
ニュースにチャンネルを変えると、真剣な面もちをしたキャスターが外国の人種差別の話題を口にしていた。
「人種差別ねぇ。」
「やっぱあるのね。外国には。」
「俺、小さい頃はヨーロッパの先進国にいたんだ。そこも結構人種の坩堝だった。だけど、どうしても肌の色がどうの、言葉がどうのって、明らかに差別されることもあった。」
肌の色、言語の違いだけでこんな目に遭うのだ。もし性趣向が違えばもっと差別を受けるのだろうか。栄輝もそうなってしまうのだろうか。もしそれが倫子の耳に入ったら……。
「どうしたの?さっきからぼんやりしてる。」
「え……。」
「疲れてる?」
思い切って聞いてみよう。泉はそう思って、伊織に聞く。
「……ねぇ、聞きたいことがあるんだけど。」
「何?」
「ゲイの人たちって、どう思う?」
「ゲイ?俺、噂が立ったことがあるよ。」
明るく伊織はそういうと、泉は少し笑った。
「伊織が?」
「彼女がずっと居なかったし、続かなかったから。」
いい歳をしているのだ。恋人が居ないことを突っ込まれることもあるのだろう。
「それで何て言ったの?」
「別に。弁解する必要ないだろ?今は彼女がいるんだし、その噂すぐ消えたけどね。」
自分のことを言われて泉は少し恥ずかしくなったように頬を染めた。いざそういうことを言われると、もどかしくなる。
「ごちそうさま。」
そういって誤魔化すように泉は空の皿を持って台所へ向かう。皿を洗うと、米をといでおこうと炊飯器をあけた。するともう米も研いであったのだ。
「お米研いでくれたの?」
お茶を入れた泉が居間に戻ってくると、泉は少し笑った。
「うん。さっきね。あぁ、そうだ。もう米がそんなに無かったから、買ってきてもらおう。今度の休みにでも。」
「そうだね。」
伊織の側にお茶を置いて、泉も自分が普段座っている席に座ろうとした。そのときだった。
「ここ、座って。」
伊織がここと言ったのは、普段は春樹が座っているところだった。つまり伊織の隣だ。
「え……。」
「二人が居ないときくらい、近くにいようよ。」
伊織からそんなことを言われると思ってなかった。泉は少し戸惑いながらそこに座る。すると伊織は、テレビの画面から目を離して泉の方を見た。
「どうしたの?急に。」
すると伊織は、その泉の腕に手を伸ばす。普段は華奢に見える伊織の手だが、やはり男の手だと思う。大きくて、少し骨っぽい。
「……伊織も何かあった?」
しかし伊織はその手を引いた。その手はわずかに震えていたように思える。
「……ごめん。」
その手がテーブルの上のカップをつかむ。そして口に入れると、またテレビの画面を見た。
「明日は晴れか。良かった。」
伊織もまた言葉を誤魔化した。それが辛い。
「ただいま。」
廊下から見える倫子の部屋は電気がついていない。そして靴もない。そうだった。今日は倫子と春樹はゲイバーへ取材へ行くと言っていたのだ。ふとそう思い、昼間の栄輝を思い出した。あぁいう所に栄輝はいるのだろうか。
あの街にも繁華街の一本はずれたところには、ゲイのためのハッテン場がある。おそらくその通りに栄輝が勤めている店もあるのだろう。泉が行くことはないが、どんな世界なのか興味はあった。だが今日の話を聞いて、少し気後れしてしまう。
「お帰り。」
ふと声をかけられて泉は前を見る。そこには伊織の姿があった。
「どうしたの?ぼんやりして。忙しかった?」
「うん。まぁね。限定のスイーツが、人気あってさ。」
そういって泉は靴を脱ぐ。履きやすく脱ぎやすいスニーカーは、もうぼろぼろだ。そろそろ代えないといけない。
「今日はね、魚を煮つけたんだ。漁港の方で仕事の打ち合わせがあったから、ついでに買ってきたんだよ。」
「倫子も春樹さんも損してるわ。そういう魚が美味しいのに。」
「確かにね。」
伊織はそういって奥の居間に戻ろうとした。そのとき、泉がその伊織の袖を引く。その感触に伊織は振り返って泉を見た。
「どうしたの?」
「……何でもない。」
こういうときに抱きしめてほしいと思う。だが女の口からそんなことを言えない。泉はすっとその袖をつかんでいる手を離した。
「荷物、置いてくるね。」
泉はそういって自分の部屋に戻る。その様子に伊織は少し首を傾げた。何か言いたそうだったのに、泉はいつも何も言わない。困っていることや、迷っていることがあれば聞いてあげたいと思っているのに。
もし倫子なら無理矢理乗り込んでで聞くのだろうか。春樹なら言わせる雰囲気を作るのだろうか。どちらも自分には出来ない。泉の恋人なのに、そういうところが臆病だ。
「お風呂沸いてる?」
ご飯を居間に持ってくると、泉はテレビを見ている伊織に聞いた。
「うん。俺、さっき入ってきたよ。」
「そっか。何もかもさせちゃって悪いね。」
「良いよ。先に帰ってきてたんだし。」
テレビのチャンネルを伊織が変えると、そこにはトランスジェンダーの人が芸人を辛口で責めあげている映像が映った。世の中の何もかもを知っているのだろうか。そう思いながら、伊織はその言葉を聞いていた。だがその映像に、泉の表情が少し曇る。
「魚、味濃かった?」
「ううん。そうじゃないの。あのね……。」
「ん?」
「チャンネル変えてくれる?ニュースしてないかな。」
「時間的にどうだろうね。明日、晴れてくれるといいんだけど。」
「何かあるの?」
「明後日からスイーツのコンテストがあるみたいでね。その搬入を明日からするって言ってたから。」
その一店舗の店のロゴを、伊織が考えたのだ。目立ってくれればいいと思う。
「泉の所のデザート、反応良いみたいだね。」
「え?わかるの?」
「SNSで話題になってる。高柳鈴音のカップケーキっていって。」
「早いときは昼までで限定無くなるの。」
「へぇ。凄いね。」
ニュースにチャンネルを変えると、真剣な面もちをしたキャスターが外国の人種差別の話題を口にしていた。
「人種差別ねぇ。」
「やっぱあるのね。外国には。」
「俺、小さい頃はヨーロッパの先進国にいたんだ。そこも結構人種の坩堝だった。だけど、どうしても肌の色がどうの、言葉がどうのって、明らかに差別されることもあった。」
肌の色、言語の違いだけでこんな目に遭うのだ。もし性趣向が違えばもっと差別を受けるのだろうか。栄輝もそうなってしまうのだろうか。もしそれが倫子の耳に入ったら……。
「どうしたの?さっきからぼんやりしてる。」
「え……。」
「疲れてる?」
思い切って聞いてみよう。泉はそう思って、伊織に聞く。
「……ねぇ、聞きたいことがあるんだけど。」
「何?」
「ゲイの人たちって、どう思う?」
「ゲイ?俺、噂が立ったことがあるよ。」
明るく伊織はそういうと、泉は少し笑った。
「伊織が?」
「彼女がずっと居なかったし、続かなかったから。」
いい歳をしているのだ。恋人が居ないことを突っ込まれることもあるのだろう。
「それで何て言ったの?」
「別に。弁解する必要ないだろ?今は彼女がいるんだし、その噂すぐ消えたけどね。」
自分のことを言われて泉は少し恥ずかしくなったように頬を染めた。いざそういうことを言われると、もどかしくなる。
「ごちそうさま。」
そういって誤魔化すように泉は空の皿を持って台所へ向かう。皿を洗うと、米をといでおこうと炊飯器をあけた。するともう米も研いであったのだ。
「お米研いでくれたの?」
お茶を入れた泉が居間に戻ってくると、泉は少し笑った。
「うん。さっきね。あぁ、そうだ。もう米がそんなに無かったから、買ってきてもらおう。今度の休みにでも。」
「そうだね。」
伊織の側にお茶を置いて、泉も自分が普段座っている席に座ろうとした。そのときだった。
「ここ、座って。」
伊織がここと言ったのは、普段は春樹が座っているところだった。つまり伊織の隣だ。
「え……。」
「二人が居ないときくらい、近くにいようよ。」
伊織からそんなことを言われると思ってなかった。泉は少し戸惑いながらそこに座る。すると伊織は、テレビの画面から目を離して泉の方を見た。
「どうしたの?急に。」
すると伊織は、その泉の腕に手を伸ばす。普段は華奢に見える伊織の手だが、やはり男の手だと思う。大きくて、少し骨っぽい。
「……伊織も何かあった?」
しかし伊織はその手を引いた。その手はわずかに震えていたように思える。
「……ごめん。」
その手がテーブルの上のカップをつかむ。そして口に入れると、またテレビの画面を見た。
「明日は晴れか。良かった。」
伊織もまた言葉を誤魔化した。それが辛い。
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