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交差
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倫子は打ち上げを早々に切り上げるといっていた。多人数の飲み会はあまり得意ではない倫子らしいと思う。そう思いながら、春樹は少しの残業のあと未来の側へ来ていた。
誰かいい人がいれば一緒になってもいい。義理の母はそう言っていた真意は、おそらく本心ではない。このまま未来が死んだら、事故を起こした運送会社の保証は春樹の手元に渡るだろう。そして未来の家には何も入らない。おそらくそれが面白くないのだ。
どちらにしても死ぬことが前提で、あちらの家は起きることを想定していない。いつか未来が言っていた。
「私の家は裕福かもしれない。だけどその中は氷のように冷たいのよ。」
その意味がわかる。だからせめて起きたときに側にいてあげたかった。だが未来は起きたときも地獄かもしれない。倫子との関係を知ったら、未来は春樹を罵るだろうか。それとも義理の母が言ったとおり、放置していた自分が悪いと自分を責めるのだろうか。
「未来。また明日来るよ。」
未来にキスをすることはない。未来の口元には人工呼吸器のマスクがしてあるのだ。冷たい機械の音が響くその部屋で、未来はまた静かに眠りにつくのだ。
病院を出ると、春樹は携帯電話を取り出す。作家からのメッセージが届いているが、倫子からのメッセージはない。まだ終わっていないのだろうか。
一足先に家に帰っていようかと思ったときだった。着信があってまた携帯電話を取り出す。そこには浜田の名前があった。
「もしもし……いいえ。今病院から出てきてね。え……。」
浜田が興奮したように告げた言葉に、一瞬言葉を失った。
「小泉先生が田島先生と意気投合して、来年、うちで連載をする原案を書いてくださるようになったんですよ。」
あれだけ嫌がっていたのに、その田島という男にあって何か変わったのだろうか。いいや。それ以上にあの飲み会の場に二人がどうしていたのだろうか。それだけ倫子につきまとっていたのだろうか。
「そうですか。小泉先生がきつくなければそれで良いんですけど。」
言葉ではすらすらと言うが、その手は震えていた。そして電話を切ると、ウェブで田島政近を検索する。
あまり顔を出す作家ではないようだが、わずかに映っていたその写真は若くてひょろっとした男という印象だった。年頃は倫子と同じくらいの歳かもしれない。
だが田島の評価はさんざんたるものだった。「絵はうまいが、ストーリーが駄目」「女の子に色気がない」などであり、連載も短期で終わっている。それでも絵自体に力はあるので、漫画家と言うよりはイラストレーターの方が合っている気がするが、それでも漫画にこだわるのは何なのだろう。
そう思いながら、駅へ向かう。まだ電車はでている時間だ。駅の改札口へ向かい、パスをかざそうとした。そのときバッグに入れておいたパスが見つからない。
「あれ?」
バッグをいろいろと探すが、どうしても見つからない。しまった。まだチャージをしたばかりなのに、どこかに落としたか忘れてきたのだろうか。春樹は心の中で舌打ちをしながら、小銭入れを手にして券売機へ向かおうとしたときだった。
「落としてるわよ。」
声をかけられて振り向くと、そこには倫子が春樹のパスを持って微笑んでいた。
「何してんの。いい大人が。」
「倫子。もう終わったのか?」
「まだやってたけど、仕事をしたいからって抜けたの。」
パスを渡されて、倫子は自分のパスを取り出す。
「それだけ?」
「……。」
本心ではない。それはわかっているのに言わせたかった。
「ここ何日かで今日の分の仕事を終わらせてるの。だから今日はする必要はない。飲み会だって想定内だったんだから。」
改札口をくぐって、ホームへ向かう倫子の横顔が少し赤い。全ては春樹のために終わらせたと思われたくなかったからだ。それを見て、春樹は空いている手で倫子の手を握る。
「ちょっと……。」
「誰も見てないよ。」
繋がれた手が熱い。その熱さはお互いの熱さだった。
「年明けに仕事を受ける?」
「あぁ。田島さんの?そうね……面白い人だったわ。」
倫子が誉めるのを初めて聞いた。それだけ気に入ったのかもしれない。
「どんな人だった?」
「気になるの?」
電車に乗り込み、二人は並んでいすに座る。倫子はそのまま携帯電話を取り出して、メッセージを春樹に見せた。
「連絡先を交換したの。仕事をするのだったら必要だと思って。」
「……。」
「敬太郎とも知り合いだったわ。入れ墨とかピアスとかが好きみたい。パンクロッカーみたいな風貌だから、音楽も好きかと思ったの。だけど音楽は聴かないんですって。好きなのは人体改造と言っていたわ。」
「人体改造?」
「機械があればインプラントをしたいと言っていたし、この間、外国でボティ・サスペンションを見てきたと言っていたわ。興味があったから、いい話が出来た。」
普段の倫子では聞けないことを聞いたのだろう。いつもよりも饒舌だ。それに機嫌がいいのは酒のせいだけではないだろう。その田島という男が、倫子の目にかなったのだ。
「いい出会いが出来て良かった。」
口ではそう言うが、内心嫉妬している。他の男を誉めるようなことをされたくない。
「作品の原作を出してほしいといっていたけれど、どちらかというと共同製作の方が良いかもしれないわ。」
「共同?」
「ストーリーは考えるけれど、出てくるキャラクターは田島さんに考えてもらいたい。そのためには定期的に会わないといけないわね。」
嬉しそうだ。自分に合わない人とは全く会いたくないといっていたのに、田島には会いたいと思うのだろう。自分ではないのだ。
確かに倫子は「月刊ミステリー」の看板作家で、それを担当するのが春樹だ。だがその雑誌や書籍以外では、倫子は春樹の担当ではない。漫画雑誌の方であれば、浜田が担当になるのだろう。だから浜田は春樹に連絡を入れてきたのだ。
「倫子。」
メッセージを送り終わった倫子に、春樹は声をかける。
「何?」
「駅を降りたら、食事に付き合ってもらえないかな。」
「えぇ。そのつもりよ。私もあの場ではほとんど食べなかったし。」
「お酒は飲んだんだろう?」
「高いお酒みたいだったもの。ぐびぐび飲めるようなものじゃなければ、つまらないわ。味の違いなんかわからないもの。一、二杯くらいしか飲んでない。」
いいわけをした。あんな場で飲むお酒よりも、春樹や伊織、泉と食事をした方が楽しいのだといいたくなかった。
誰かいい人がいれば一緒になってもいい。義理の母はそう言っていた真意は、おそらく本心ではない。このまま未来が死んだら、事故を起こした運送会社の保証は春樹の手元に渡るだろう。そして未来の家には何も入らない。おそらくそれが面白くないのだ。
どちらにしても死ぬことが前提で、あちらの家は起きることを想定していない。いつか未来が言っていた。
「私の家は裕福かもしれない。だけどその中は氷のように冷たいのよ。」
その意味がわかる。だからせめて起きたときに側にいてあげたかった。だが未来は起きたときも地獄かもしれない。倫子との関係を知ったら、未来は春樹を罵るだろうか。それとも義理の母が言ったとおり、放置していた自分が悪いと自分を責めるのだろうか。
「未来。また明日来るよ。」
未来にキスをすることはない。未来の口元には人工呼吸器のマスクがしてあるのだ。冷たい機械の音が響くその部屋で、未来はまた静かに眠りにつくのだ。
病院を出ると、春樹は携帯電話を取り出す。作家からのメッセージが届いているが、倫子からのメッセージはない。まだ終わっていないのだろうか。
一足先に家に帰っていようかと思ったときだった。着信があってまた携帯電話を取り出す。そこには浜田の名前があった。
「もしもし……いいえ。今病院から出てきてね。え……。」
浜田が興奮したように告げた言葉に、一瞬言葉を失った。
「小泉先生が田島先生と意気投合して、来年、うちで連載をする原案を書いてくださるようになったんですよ。」
あれだけ嫌がっていたのに、その田島という男にあって何か変わったのだろうか。いいや。それ以上にあの飲み会の場に二人がどうしていたのだろうか。それだけ倫子につきまとっていたのだろうか。
「そうですか。小泉先生がきつくなければそれで良いんですけど。」
言葉ではすらすらと言うが、その手は震えていた。そして電話を切ると、ウェブで田島政近を検索する。
あまり顔を出す作家ではないようだが、わずかに映っていたその写真は若くてひょろっとした男という印象だった。年頃は倫子と同じくらいの歳かもしれない。
だが田島の評価はさんざんたるものだった。「絵はうまいが、ストーリーが駄目」「女の子に色気がない」などであり、連載も短期で終わっている。それでも絵自体に力はあるので、漫画家と言うよりはイラストレーターの方が合っている気がするが、それでも漫画にこだわるのは何なのだろう。
そう思いながら、駅へ向かう。まだ電車はでている時間だ。駅の改札口へ向かい、パスをかざそうとした。そのときバッグに入れておいたパスが見つからない。
「あれ?」
バッグをいろいろと探すが、どうしても見つからない。しまった。まだチャージをしたばかりなのに、どこかに落としたか忘れてきたのだろうか。春樹は心の中で舌打ちをしながら、小銭入れを手にして券売機へ向かおうとしたときだった。
「落としてるわよ。」
声をかけられて振り向くと、そこには倫子が春樹のパスを持って微笑んでいた。
「何してんの。いい大人が。」
「倫子。もう終わったのか?」
「まだやってたけど、仕事をしたいからって抜けたの。」
パスを渡されて、倫子は自分のパスを取り出す。
「それだけ?」
「……。」
本心ではない。それはわかっているのに言わせたかった。
「ここ何日かで今日の分の仕事を終わらせてるの。だから今日はする必要はない。飲み会だって想定内だったんだから。」
改札口をくぐって、ホームへ向かう倫子の横顔が少し赤い。全ては春樹のために終わらせたと思われたくなかったからだ。それを見て、春樹は空いている手で倫子の手を握る。
「ちょっと……。」
「誰も見てないよ。」
繋がれた手が熱い。その熱さはお互いの熱さだった。
「年明けに仕事を受ける?」
「あぁ。田島さんの?そうね……面白い人だったわ。」
倫子が誉めるのを初めて聞いた。それだけ気に入ったのかもしれない。
「どんな人だった?」
「気になるの?」
電車に乗り込み、二人は並んでいすに座る。倫子はそのまま携帯電話を取り出して、メッセージを春樹に見せた。
「連絡先を交換したの。仕事をするのだったら必要だと思って。」
「……。」
「敬太郎とも知り合いだったわ。入れ墨とかピアスとかが好きみたい。パンクロッカーみたいな風貌だから、音楽も好きかと思ったの。だけど音楽は聴かないんですって。好きなのは人体改造と言っていたわ。」
「人体改造?」
「機械があればインプラントをしたいと言っていたし、この間、外国でボティ・サスペンションを見てきたと言っていたわ。興味があったから、いい話が出来た。」
普段の倫子では聞けないことを聞いたのだろう。いつもよりも饒舌だ。それに機嫌がいいのは酒のせいだけではないだろう。その田島という男が、倫子の目にかなったのだ。
「いい出会いが出来て良かった。」
口ではそう言うが、内心嫉妬している。他の男を誉めるようなことをされたくない。
「作品の原作を出してほしいといっていたけれど、どちらかというと共同製作の方が良いかもしれないわ。」
「共同?」
「ストーリーは考えるけれど、出てくるキャラクターは田島さんに考えてもらいたい。そのためには定期的に会わないといけないわね。」
嬉しそうだ。自分に合わない人とは全く会いたくないといっていたのに、田島には会いたいと思うのだろう。自分ではないのだ。
確かに倫子は「月刊ミステリー」の看板作家で、それを担当するのが春樹だ。だがその雑誌や書籍以外では、倫子は春樹の担当ではない。漫画雑誌の方であれば、浜田が担当になるのだろう。だから浜田は春樹に連絡を入れてきたのだ。
「倫子。」
メッセージを送り終わった倫子に、春樹は声をかける。
「何?」
「駅を降りたら、食事に付き合ってもらえないかな。」
「えぇ。そのつもりよ。私もあの場ではほとんど食べなかったし。」
「お酒は飲んだんだろう?」
「高いお酒みたいだったもの。ぐびぐび飲めるようなものじゃなければ、つまらないわ。味の違いなんかわからないもの。一、二杯くらいしか飲んでない。」
いいわけをした。あんな場で飲むお酒よりも、春樹や伊織、泉と食事をした方が楽しいのだといいたくなかった。
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