守るべきモノ

神崎

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 明日菜が泉を無理矢理のようにつれてきたのは、駅からほど近くの所にある古着屋だった。と言ってもこの国のものではなく、海外からの輸入品が主で、ものによっては驚くほどの値が付いているジャンパーもある。その見事な刺繍に、伊織は感心したようにそれを手に取る。
「気に入った?お兄さん。」
 明日菜の姉だという純という女性は、至る所に入れ墨がありツーブロックに刈り上げた髪は、倫子以上にパンクロッカーに見えた。
「綺麗だけど高いですね。」
「ビンテージだもの。六十年代のものよ。」
 それにしては色あせなどはしていない。保存状態がよっぽどいいのだろう。
 そのとき奥の試着室から泉と明日菜が出てきた。泉の格好は、いつもと違い白い膝丈のスカートとふわっとした濃い緑のセーターを着ていた。そして足下もスニーカーではなくローヒールのパンプスで普段の泉とは違う。
「これにコートを羽織れば、良いでしょ?」
 明日菜は相変わらず不機嫌そうだ。だが内心、満足している。良い素材があるのに全くそれを磨こうとしない泉をこういう風に着飾るのは、とても面白かった。
 恥ずかしそうに泉はそのスカートがすーすーするのを気にしている様子だったが、本当は伊織に見られるのが恥ずかしいのだ。
「別人みたいだわ。明日菜の見立て、いつも以上に良いみたい。」
 その様子に伊織は何も言えなかった。気の利いた言葉が思い浮かばない。
「何?富岡。似合ってない?」
 すると伊織は激しく首を横に振った。
「いいや。なんか……そういう格好をしているの初めて見るから。」
「惚れ直した?」
 純はそう言って、伊織をからかう。
「あー……。うん。まぁ……。」
「煮え切らない男ね。」
 明日菜はそう言って切った値札を純に手渡す。
「まけてあげてよ。姉さん。兄さんがお世話になった人なんだから。」
 すると泉は明日菜に向かって言う。
「高柳さんがお世話をしてくれたんです。うちの店に……。」
「そんなこと聞いてないわ。あたしが聞いたのは、そっちの会社の開発を担当した女性が、ズバズバ言ってくれたから形になったって事。兄さん、天狗になってるからいい刺激になったでしょ?」
 おそらくズバズバ言ったのは倫子の方だろうが、そこはそういう風にしておいたらいいだろう。
「泉。言葉に甘えようよ。」
「うん……。」
 すると純は少し笑って値札を集めて計算する。
「タイツは良いわ。それはこっちからプレゼントする。」
 純もそう言って、計算機で数字をはじき出した。
「あの……高柳さん。」
 お金を払いながら、泉は純に伊織には聞こえないように聞いた。
「ん?」
「ここの店は何時までしてますか。」
「二十一時までよ。」
「……だったら今度の休みにまた寄ります。」
 クリスマス時期だろう。伊織のために何考えているのかもしれない。純は少しため息を付いて、明日菜の方をみる。明日菜は悪い子ではない。なのにどこか報われないと純は思っていたのだ。

 駅から少し離れた公園のそばにあるイタリアンレストランで、倫子や夕はサイン会の打ち上げをしていた。普段ならサイン会くらいでは打ち上げをしないが、倫子と夕がせっかくそろっているからと出版社が気を使ってくれたのだろう。出されたワインも安いものではないのでぐびぐび飲むものではない。
 倫子はそのグラスに口を付けると、ボトルを持った夕が隣に座ってきた。
「飲みます?」
 個室ではなく、ワンフロアの店内で机を繋げられただけ。週刊誌などに撮られるなんていうことは考えていないのだろうか。倫子はそう思いながら空のグラスを差し出した。
「どうも。」
「相変わらず酒ばっかり飲んでますよね。あまり食べてない。」
「酒で腹一杯。」
「水分ですよ。」
 サイン会の時は入れ墨が見えないようにと、上着を羽織らせた。だが今はその上着もない。広くあいた胸元には竜の入れ墨がある。
「さっき、浜田さんに会いましたよ。」
「浜田?」
「「戸崎出版」の月刊の漫画雑誌を担当している人です。」
「あぁ。」
 一度夏川や春樹と打ち合わせをしているときに乗り込んできた男だ。図々しくて、嫌気が指す。
「隣の人も知ってた人で、漫画家でしたね。イラストも描いてて、俺、あの人の画集持ってるんですよ。」
 そう言って夕は携帯電話を取り出す。そして倫子にその画面を見せた。そこにはこの間浜田に見せた画像よりも綺麗に色づけされた精密な絵がある。
「綺麗ですね。」
「えぇ。」
「この人に原作を書いてほしいという話もあったのですが。」
「断ったんですか。」
「仕事が詰まってて、年内は新しい仕事は受けられないだろうなと思ってました。」
 今日もこれが終わったら帰って仕事をしよう。
「本当、小泉先生は仕事しかしていないんですね。」
「飯の種でしょ。家のローンもあるし。」
「家を買ってるんですか?」
「古民家ですけどね。将来必要になるから。」
 一人を想定したとき、家というのは財産になる。いざ自分の体がいうことを聞かなかったとき、家を売って生活をすると言うのも選択肢の一つなのだ。
 その中に春樹の姿はない。春樹は奥さんが死んだらどうするのだろう。奥さんの意志を次いで倫子の担当になっているのだ。もし奥さんが死んだら、自分も他の担当になるのだろうか。それが不安だ。
 そのときだった。
「小泉先生。」
 倫子は声をかけられて、振り返った。そこには浜田高臣の姿がある。
「浜田さん。」
「サイン会だったんですか?」
「えぇ。ん……?」
 その後ろにいた人に倫子は目を移す。それは目立つ男だった。そうだ。この男に見覚えがあると思っていたら、サイン会の時に来ていた男だ。こういう人も本を読むのかと、少し意外に思ったので覚えている。
「あぁ、小泉先生。こっちの方がこの間ちらっと紹介しました、田島政近さんです。」
「田島です。」
 指輪だらけの指。耳と口にピアスがしてあり、革ジャンを羽織っている。パンクロッカーのようだが、浜田によるとこの男は漫画家らしい。
「小泉です。」
 差し出された手に手を握る。そのとき田島はふと笑った。
「何?」
「パンクな感じがしたけれど、違うんですね。」
「音楽は聴きません。」
 倫子はそう言って手を引っ込める。
「……俺もこの格好は趣味です。」
「そうですか。」
 妙な違和感を覚えた。どこか似ていると思ったからだ。
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