守るべきモノ

神崎

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 作家との打ち合わせを終えて、春樹はオフィスに帰る途中だった。足を進める途中で携帯電話がなり、それを開くと倫子からのメッセージが届いていた。
「サイン会の打ち上げがあるので、食事は用意できません。」
 そうか。倫子は今日、サイン会に呼ばれていたと聞いていた。どちらにしても仕事が終わって未来の所へ行けば遅い時間になる。それくらいに帰れないだろうか。一緒にも寄り駅に降りて、あの居酒屋で飲むのも悪くないのに。そう思いながら、春樹は携帯電話をしまった。
「お疲れさまです。」
 後ろから声をかけられたのは、荒田夕の担当の男だった。少し不機嫌そうに外から帰ってきたらしい。
「機嫌が悪そうだね。どうしたの?」
「今日、荒田先生のサイン会があったんですよねぇ。」
「あぁ。小泉先生と共同ですると言っていたね。」
「荒田先生はこっちで出した本は滅多にサイン会なんかしないのに、あっちではするんですよ。たぶん、ほら、小泉先生の担当してる女性の編集者がいるじゃないですか。」
 何度かすれ違ったことのある女性だ。あまり印象には残っていないが、妊娠中だと聞いている。
「それがどうしたの?」
「手を出したいってずっと言ってたから。」
 倫子にも手を出そうとしていたのに、編集者にも手を出そうとしていたのか。妊婦に何をしているのだろうと誉められた男ではないと春樹は少し呆れていた。しかしそういう男だから、脅すネタが出来たのだ。
「ただ単にスケジュールが合わなかっただけかもしれない。憶測でものを言うと、ゴシップ記者になってしまうよ。」
「んー。だけど……もやもやするんですよね。」
「だったらうちでもするかな。来年あたりに。」
「でも荒田先生ってだけで本も売れるし。小泉先生もそうでしょう?」
「まぁね。上層部は「必要ない」というお達しだし。」
 サイン会をする意味はない。それに何より倫子が人前にでるのを嫌がっている節があるのだ。
 オフィスに戻ってくると、今日は絵里子の姿がない。担当している作家の所へ行っているからだった。手が早い作家だが、女に手を出すのも早いので絵里子が嫌がっていたように思える。だが作家が指名してくれれば担当者が嫌がっても変えれない。
 うまくやってくれればいい。春樹はそう思いながら、デスクについてパソコンを開いた。
「ただいま戻りました。」
 絵里子がそう言ってホワイトボードに書かれている作家の名前を消した。そうすれば、席にいなくても会社の中にいるのは一目瞭然だからだ。
「お帰り。荻元先生はどうだった?」
「荻元先生は良いんですけどねぇ。途中の道が込んでて。」
「へぇ……。」
「サイン会やってたんでしょう?「柿本書店」で。」
 倫子たちが居たところか。そんなに人が集まっているのだろう。倫子が不機嫌そうにしているのが安易に想像できた。
「ミステリー界の王子と姫ですって。」
 その言葉に周りの人たちが笑った。
「そりゃ、ずいぶん尻の軽い王子と、気むずかしい姫だな。」
 春樹も同じ感想だった。夕はともかく、倫子は確かに人を選ぶところがあるので大変だろう。
「付き合ってしまえばいいのに。」
 絵里子がそう言うと、思わず春樹はコーヒーを噴きそうになった。
「珍しいね。加藤さんがそんなことを言うの。」
「だって、絵になってたんですから。」
 倫子は入れ墨だけであとは綺麗な顔立ちをしているし、夕も芸能人のようだ。並べば絵になるだろう。それは春樹も納得する。
 だがもやもやした感情が心を占める。倫子を渡したくない。

 仕事が終わって、急ぎ足で伊織はオフィスを出て行った。そして待ち合わせをしている駅の前の時計台へ向かっていく。買い物があったので、泉は少し前にここに来ているようなので待たせていると思ったのだ。
 薄暗い街の中、すぐに時計台の側にいて携帯をみている泉を見つけた。
「泉。」
 すると泉は少し笑って手を挙げた。
「急いで来たの?走らなくても映画は間に合うでしょう?」
「んーでも待たせてると思って。」
 自分のために走ってきてくれた。それが嬉しかった。思わずにやけてしまう。
「軽く食べていこうか。お腹空いてる?」
「映画のあとで良くない?時間気にしてたらゆっくり食べれないよ。」
 泉らしい言葉だ。そう思って、駅ビルに足を向けようとした。
 その様子をじっと明日菜が見ている。だがその幸せそうな二人に、ふっと視線を逸らす。
 前に見た明日菜を言い負かした小説家ではない。あの女性なら恨みがあったのに、伊織がつれていたのは兄から聞いていた真面目なバリスタの泉だった。
 悔しい。
 倫子なら文句の一つでも言えたのに、泉に関しては兄からも全くそんな噂を聞かない人だ。真面目で仕事に真剣で素直。だから伊織が惹かれたのだろう。そして自分を見ることはないのだ。諦めてもう駅の方へ向かおうとしたときだった。
「あのぉ。お二人ともどこかへ行くんですかぁ?」
 振り返ると二人に声をかけたのは女性の二人組だった。
「映画に。」
「わぁ。私たちも行こうって言ってたんです。一緒に行きませんか?」
 ナンパをする女性も珍しくはないが、どうして女連れの男に声をかけたのだろう。明日菜は不思議そうにそちらを見ていた。
「ごめん。二人で見たいから。」
 すると女性たちは顔を見合わせたあと、不思議そうに伊織に聞く。
「カップルって事ですか?」
「えぇ。」
 すると色めき立った女性が、泉を見て言う。
「ゲイカップルなんだ。」
「行こう。」
 その言葉に泉は唖然としていたが、伊織は我慢が出来ないように女性たちに詰め寄ろうとした。そのときだった。
「ちょっと。失礼じゃない?」
 声が聞こえて、二人が振り返る。そこには明日菜の姿があった。
「え……。」
「さっきから聞いてればナンパ目的だったんだろうに、ゲイだからって偏見の目で見すぎ。」
「だって。男同士なんて気持ち悪いじゃん。」
「ねぇ。」
 隠す事なく、悪びれも無い。その様子にはさすがに伊織と泉も顔を見合わせる。
 その様子に明日菜が詰め寄って言う。
「女の子に失礼だわ。」
「女の子?」
 そう言って女性たちは、泉をよく見る。そして気まずそうに謝ると行ってしまった。
「ったく……。何なのよ。」
 明日菜はそう言ってその女性たちを冷ややかな目で見ていた。
「高柳。ありがとう。」
 すると今度は明日菜は伊織に詰め寄る。
「あんたの為じゃないからね。富岡。あたしがいらだったからよ。」
 すると泉は少し笑って明日菜に言う。
「ありがとう。」
「……。」
 調子が狂う。嫌がらせをしようと思っていたのに、こんなに素直にお礼を言われると思ってなかった。
「デートなんでしょ?」
「うん。」
「だったらあなたももう少し格好に気を使ったら?」
 そう言って泉を指さす。確かに色あせたジーパンと黒いセーター、薄手のジャンパーは男に間違えられても仕方がない。
「でも何を着て良いかわからなくて……。」
 すると明日菜はため息を付いて、伊織の方をみる。
「映画、時間がまだある?」
「うん。」
「行こう。」
 明日菜はそう言って泉を引きずるように連れて行く。それを伊織が追いかけるようについて行った。
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