守るべきモノ

神崎

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 「book cafe」ではない少し大きめの本屋で、サイン会があるらしい。「book cafe」でもサイン会はあるが、どちらかというと出版社の繋がりも関係してくるので、繋がりが薄いところは他の本屋がサイン会をしたりするものだ。
 ポスターを泉は見て、少し驚いてしまった。そこには倫子の名前もあったから。そういえば今日の朝にサイン会があると言っていたような気がする。一緒にサインをする作家の中には荒田夕の名前もあり、人混みの中は若い女性が多い感じがする。芸能人のような容姿なのだから無理もない。
 荒田夕はそこの出版社が発刊する雑誌に連載を持っているが、倫子はこの出版社にはショートストーリーを載せている。おそらく、出版されたのは小作品集みたいなものだ。
 まぁ、本なら自分の店で買うしと、泉はそれよりも重要な用事を済ませようとしていた。男の欲しがるものを選びにきた。だが全く想像が付かない。どうしたものかと悩みながら、クリスマスムードになってきたショーウィンドウを眺める。
「あれ?泉さん?」
 呼ばれてふと振り返った。そこには背の高いひょろっとした男がいる。見覚えがあるが誰だっただろう。泉は少し思い出していたが、どうにも思いつかない。その様子に男は少し笑った。
「栄輝です。」
「あぁ、倫子の弟の。」
 思い出した。容姿が最後に会ったときよりも変わっていたので気が付かなかった。
 栄輝がここよりも離れているが薬学部のある大学に進学したとき、倫子の所に挨拶にきたのだ。そのときの栄輝は、今よりも背が低く紙も金色ではなかったので、印象ががらりと変わっていたのだ。
「今、泉さんは姉さんの所にいるとか。」
「えぇ。間借りさせてもらってる。」
 大学生の時に小説家デビューして、それからは倫子の人気は落ちることがない。サイン会があるというこの書店にも、倫子を目当てにやってくる人も多いのだろう。
「姉さんは元気ですか。」
「えぇ。お盆は、あなた帰らなかったんでしょう?」
「バイトが抜けられなくて。」
 いいわけだった。自分のやっていることを正直に言う勇気もない栄輝は、卑怯者だと思う。
「でも……大学は?」
「今就活してて。」
「だったら髪を染めたら?ホストみたいよ。その髪の色。」
 その言葉に栄輝は少し笑う。倫子よりも表情が豊かだ。それに兄である忍とは違って、柔らかい雰囲気を持っている。
「そうですね。今度染めようと思って。」
 そのとき、栄輝のそばに一人の男が近づいてきた。ジャンパーやシャツからでもがたいの良さがわかるような男で、泉は思わず一歩下がる。
「栄。そろそろ行こうぜ。」
「あぁ。もうそんな時間か。」
 タイプが全く違う男だ。泉はこういう男をゴリゴリに押したような男がまだ苦手だったので、思わず黙ってしまった。その様子に男が、少し笑う。
「客?」
「違うよ。」
 焦ったように栄輝が男に声をかける。
「客って?」
 泉が聞くと、男も泉が女だったことにやっと気が付いたらしく、ごまかすように言った。
「あー。俺らバイト仲間で、お姉さんは……栄輝の彼女?」
「違うわ。友達の弟。」
「あぁ。そうだったんだ。」
「栄輝君。またね。たまには家に顔を見せてよ。」
「うん。また。」
 泉の後ろ姿をみて、栄輝は少しほっとした。そして男に詰め寄る。
「昌ぁ。頼むよ。」
「悪い。悪い。女って気が付かなかったしさ。でも、あの子、月子ちゃんに似てるな。」
 栄輝には恋人がいる。月子は、栄輝よりも年下の後輩で、まるで犬のように栄輝に従順だった。だから栄輝が何をしているのかも月子は知らない。
 男を相手に、体を売っているなんて倫子以上に知られたくなかった。

 限定百冊のサイン本は、あっという間にはけた。夕のファンは確かに女性ばかりだったが、倫子のファンというのは女性に限っていなかった。中には熱狂的なファンもいるらしく、どこからか「淫靡小説」に番外編を載せるという噂を聞いている人もいる。どこから情報が流れるのかわからないな。
 バッグヤードで、倫子はコーヒーを飲みながらそう思っていた。そして本を手にしてまた表装をみる。この表装は伊織が作ったものではない。売れるかどうかわからないと思っていたが、案外手にとってもらえるものだなと思いながら、また本をテーブルに置く。
 すると、テレビのインタビューを終えた夕がバッグヤードに戻ってきた。
「お疲れさまです。」
「あっという間にはけましたね。本。」
 夕もそういって本を手にする。おそらく並べられたら、夕の方の本を手にするだろう。夕の本の表装はぱっと目に惹くくらい、派手なのだから。
「疲れましたね。これから仕事に戻りたいのに。」
「お茶でもしていきます?」
 泉は今日休みだと言っていた。「book cafe」へ行ってもつまらないだろう。
「帰ります。」
 今日は泉も伊織もいない。たまには食事くらい自分で作ろうと思っていたのだ。
「つれないな。」
「愛想笑いしすぎたし、本当に疲れてまして。」
 きっと夕はこういうことに慣れている。だからテレビでも愛想良くできるのだ。
「それにしても紹介されたときの文言覚えてます?」
「あぁ。恥ずかしくてどうにかなりそうでした。」
 ミステリー界の王子と姫というふれこみは、どうにかならないだろうかと思っていたのだ。そういう紹介をすれば、人はまた色眼鏡でみるのだろうから。
「俺は別に気にならなかったですけど。」
「慣れてますよね。そういうキャラづくり。」
「ははっ。小泉先生もその入れ墨がなければ、お嬢さんに見えますよ。」
 いらつく言い方だ。自分で気に入って入れた入れ墨なのだから、放っておいて欲しい。
「キャラを作るならSMの女王様みたいなキャラでしょうね。でも私サドにはなれないし。」
「入れ墨を入れるときは痛みに耐えるんでしょう。我慢強いことを考えれば十分マゾヒストでしょうね。」
「……。」
 またこの男は寝たいとか何とか言っているのだろうか。そんな手には乗らない。やはりさっさと帰ってしまおう。そう思っていたときだった。
「小泉先生。今日こそは打ち上げに行きますよ。」
 担当の女性が戻ってきて、倫子にそういう。
「えー?仕事をしたいんですけど。」
「いつもそう言っているじゃないですか。少し顔を出すくらいで良いから、来てください。ここが場所です。」
 そう言ってチラシを渡される。それをみて倫子は少しため息を付いた。
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