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交際
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春樹を押し切るような形で、やってきたのは背が低く痩せ形の男だった。まだ少年のようにあどけなさが残るが、年は二十六だという。童顔にもほどがあると倫子は思いながら名刺を見ていた。浜田高臣という名前と、月刊の青年マンガの雑誌名がかかれている。
「青年紙ですか。」
「えぇ。俺、大学が小泉先生と同じ大学で。」
「同期ですか?」
「文学部にいました。研究室が違ったから、話はしたこと無いけれど小泉先生の噂はずっと聞いてました。」
「はぁ……。」
大学生の時に小説家デビューをした倫子は、イヤでも目立つ存在だったらしい。だが人嫌いだった為、倫子はずっと図書館と研究室を往復していて他の人と関わりを持とうと思っていなかった。それがさらに目立たせていたのかもしれない。
その様子に春樹は不安を抱えていた。浜田がずっと倫子とつながりを持ちたいといっていたのは知っているし、仕事の依頼をしたいとずっといわれていた。だが倫子の仕事量を考えると、それは無理だと思う。今でもカツカツの状態だ。これ以上は倫子の体の負担が大きい。だからわざと会わせないようにしていたのに、無理矢理押し掛けた浜田の図々しさに嫌気が指す。
「田島政近という漫画家を知ってますか。」
「さぁ……漫画はほとんど読まないので。」
自分の作品を漫画にしたいという人のだけは、チェックの意味を込めて読んでいる。その程度だった。漫画というのは絵で情報量が多いように見えるが、小説のように想像力を膨らませるには足りないところがあるように思えた。漫画家をした作品も、絵を描く人の捉え方の一つだろうと思う。
「こういった感じの絵なんですけどね。」
携帯電話を差し出して、倫子にその絵を見せる。その絵は細かく、漫画というよりも絵画を見ている感じがした。
「イラストレーターのような絵に見えます。」
そうだ。この絵はどこか伊織のデザインした絵に見える。同じような人なのだろうか。
「それでも筆は早くてですね。遅れることもないし、いい作家ではあるんですよ。」
それは編集者の都合だろう。倫子はそう思いながら、携帯電話を閉じて浜田に返す。
「でも人気はいまいちなんですよ。」
「派手な絵に見えるけれど、上っ面だけなんでしょう。」
毒舌に倫子はそう言うと、遠巻きに見ていた夏川が少し笑った。こういう女なのだ。口に蓋が出来ず、思ったことをそのままいってしまうので敵は多い。
「西島書店」が盗聴器や盗撮器を仕掛けていたのが公になったのも、倫子が一役買っていると噂がある。だが「西島書店」だけが悪いとは夏川は思っていなかった。きっとこの性格で男を逆上させたのだろう。それを押さえていたのは春樹なのだ。まるで夫婦のようにカバーをしている。
しかしそれでは倫子が独り立ちを出来ない。自分の感情のコントロール位してもらわないといけない。大人なのだから。
「なので原作者を付けて絵を描いてもらおうかと。その原作を書いてもらえませんか。」
「……。」
やはりそうきたか。春樹はそう思いながら、倫子の反応を見ていた。倫子だったらきっと軽く良いというかもしれない。そう言うのだったら、止めようと思っていたのだ。
「連載ですか?」
夏川が聞くと、浜田はうなずいた。
「えぇ。今度連載が終わる作品があるんで、そのあとに……。」
「イヤです。」
きっぱりと倫子はそう言うのに、春樹は少しほっとしていた。だが浜田は引き下がらない。
「何で……。」
「小説と漫画の原案は違うから。それだけです。私も今、新しい仕事をしようとしていますし、結構詰まってるんですよ。それにミステリーは普通の漫画と違って終わりがはっきり決まってます。好評だからといって引っ張ることも出来ませんし。」
「だったらミステリーではなくても良いです。」
「ミステリー以外のジャンルにやっと手を着けようとしているのに?」
夏川はそれを聞いて笑う。
「使えるかどうかというのは、作品を見てからですね。」
「期待に添えるようにします。」
そのためにはまだ他のジャンルに手を出す余裕はない。
「だったら既存の……。」
「犯人が分かっているミステリーに誰が手を着けるんですか。」
きっと倫子はこの浜田という編集者も気に入っていないのだ。おそらく図々しくて、ずかずかと他の編集者と話しているところに乗り込んできた態度が気に入らない。
浜田はぐっと言葉に詰まり、倫子をみる。
「仕事が落ち着いたら……書いてくださいませんか。」
「そんなときがくればいいですね。」
退屈そうに倫子は時計をみた。もうお開きにしたいということだろう。全く、この浜田のせいでよけいに倫子を怒らせた。せっかく書いてもらえることになったのに、変にへそを曲げて書かないと言い出しかねないのだ。
休憩が終わる前に、泉はトイレへ行く。用を足して、手を洗っていると正面に鏡があった。そこには自分のぼんやりした顔が見える。
ショートカットが楽だからとずっとショートにして、そのままだと高校生に見えるからと少し茶色に染めた。それをキープするには二、三ヶ月に一度美容室へ行くことが必要になる。
なのに倫子は伸ばしっぱなしの髪で、黒髪のわずかに癖毛だ。それなのに色気を感じるのは、どうしてなのだろう。
「ちょっと髪でも伸ばすべき?」
そう思って前髪に触れた。そのとき本屋のスタッフがトイレに入ってきた。レジうちを主にしているその女性は、倫子や亜美よりも色気を感じる。まるで水商売の人のようだと思った。
実際その人がレジに立つと男がレジに並ぶ率が高く、お金と一緒に電話番号やIDを書いたメモを残すことがあるという。
「あら。阿川さん。」
「お疲れさまです。」
「髪を切りたいの?」
「これ以上切ったら坊主ですよ。」
そう言って泉は笑った。
「そうね。あまり短くてもね。」
そう言って女性は個室に入らないで、鏡の前でポーチから口紅を出す。濡れたような唇はグロスが塗ってあるからだろう。伊織もこういうのを塗っている女性の方がいいのかもしれない。そう思うと気持ちが落ち込みそうだ。
「何?」
あまりにもじっと見ていたからだろう。女性が不振そうに泉をみる。
「あ……ううん。今度結婚式に呼ばれたから、ついでに化粧品を見ておこうと思って。何使ってんのかなーって。」
「あぁ。グロス?これは夏の新色なの。」
「へぇ……。」
そう言って女性が泉にグロスを差し出した。チューブ式のグロスは、唇に直接塗るものだと思う。あまり縁がなかったので、泉はじっとそれを見ていた。
「小説も良いけどさ、ちょっとは女性誌でも見てみたら?」
「そうですね。」
泉はそう言ってグロスを女性に返すと、トイレを出ていった。その後ろ姿に、女性が首を傾げる。こんな化粧品のことなど、気にしていなかったようなのに、どうして今更気にするのだろうと。
「青年紙ですか。」
「えぇ。俺、大学が小泉先生と同じ大学で。」
「同期ですか?」
「文学部にいました。研究室が違ったから、話はしたこと無いけれど小泉先生の噂はずっと聞いてました。」
「はぁ……。」
大学生の時に小説家デビューをした倫子は、イヤでも目立つ存在だったらしい。だが人嫌いだった為、倫子はずっと図書館と研究室を往復していて他の人と関わりを持とうと思っていなかった。それがさらに目立たせていたのかもしれない。
その様子に春樹は不安を抱えていた。浜田がずっと倫子とつながりを持ちたいといっていたのは知っているし、仕事の依頼をしたいとずっといわれていた。だが倫子の仕事量を考えると、それは無理だと思う。今でもカツカツの状態だ。これ以上は倫子の体の負担が大きい。だからわざと会わせないようにしていたのに、無理矢理押し掛けた浜田の図々しさに嫌気が指す。
「田島政近という漫画家を知ってますか。」
「さぁ……漫画はほとんど読まないので。」
自分の作品を漫画にしたいという人のだけは、チェックの意味を込めて読んでいる。その程度だった。漫画というのは絵で情報量が多いように見えるが、小説のように想像力を膨らませるには足りないところがあるように思えた。漫画家をした作品も、絵を描く人の捉え方の一つだろうと思う。
「こういった感じの絵なんですけどね。」
携帯電話を差し出して、倫子にその絵を見せる。その絵は細かく、漫画というよりも絵画を見ている感じがした。
「イラストレーターのような絵に見えます。」
そうだ。この絵はどこか伊織のデザインした絵に見える。同じような人なのだろうか。
「それでも筆は早くてですね。遅れることもないし、いい作家ではあるんですよ。」
それは編集者の都合だろう。倫子はそう思いながら、携帯電話を閉じて浜田に返す。
「でも人気はいまいちなんですよ。」
「派手な絵に見えるけれど、上っ面だけなんでしょう。」
毒舌に倫子はそう言うと、遠巻きに見ていた夏川が少し笑った。こういう女なのだ。口に蓋が出来ず、思ったことをそのままいってしまうので敵は多い。
「西島書店」が盗聴器や盗撮器を仕掛けていたのが公になったのも、倫子が一役買っていると噂がある。だが「西島書店」だけが悪いとは夏川は思っていなかった。きっとこの性格で男を逆上させたのだろう。それを押さえていたのは春樹なのだ。まるで夫婦のようにカバーをしている。
しかしそれでは倫子が独り立ちを出来ない。自分の感情のコントロール位してもらわないといけない。大人なのだから。
「なので原作者を付けて絵を描いてもらおうかと。その原作を書いてもらえませんか。」
「……。」
やはりそうきたか。春樹はそう思いながら、倫子の反応を見ていた。倫子だったらきっと軽く良いというかもしれない。そう言うのだったら、止めようと思っていたのだ。
「連載ですか?」
夏川が聞くと、浜田はうなずいた。
「えぇ。今度連載が終わる作品があるんで、そのあとに……。」
「イヤです。」
きっぱりと倫子はそう言うのに、春樹は少しほっとしていた。だが浜田は引き下がらない。
「何で……。」
「小説と漫画の原案は違うから。それだけです。私も今、新しい仕事をしようとしていますし、結構詰まってるんですよ。それにミステリーは普通の漫画と違って終わりがはっきり決まってます。好評だからといって引っ張ることも出来ませんし。」
「だったらミステリーではなくても良いです。」
「ミステリー以外のジャンルにやっと手を着けようとしているのに?」
夏川はそれを聞いて笑う。
「使えるかどうかというのは、作品を見てからですね。」
「期待に添えるようにします。」
そのためにはまだ他のジャンルに手を出す余裕はない。
「だったら既存の……。」
「犯人が分かっているミステリーに誰が手を着けるんですか。」
きっと倫子はこの浜田という編集者も気に入っていないのだ。おそらく図々しくて、ずかずかと他の編集者と話しているところに乗り込んできた態度が気に入らない。
浜田はぐっと言葉に詰まり、倫子をみる。
「仕事が落ち着いたら……書いてくださいませんか。」
「そんなときがくればいいですね。」
退屈そうに倫子は時計をみた。もうお開きにしたいということだろう。全く、この浜田のせいでよけいに倫子を怒らせた。せっかく書いてもらえることになったのに、変にへそを曲げて書かないと言い出しかねないのだ。
休憩が終わる前に、泉はトイレへ行く。用を足して、手を洗っていると正面に鏡があった。そこには自分のぼんやりした顔が見える。
ショートカットが楽だからとずっとショートにして、そのままだと高校生に見えるからと少し茶色に染めた。それをキープするには二、三ヶ月に一度美容室へ行くことが必要になる。
なのに倫子は伸ばしっぱなしの髪で、黒髪のわずかに癖毛だ。それなのに色気を感じるのは、どうしてなのだろう。
「ちょっと髪でも伸ばすべき?」
そう思って前髪に触れた。そのとき本屋のスタッフがトイレに入ってきた。レジうちを主にしているその女性は、倫子や亜美よりも色気を感じる。まるで水商売の人のようだと思った。
実際その人がレジに立つと男がレジに並ぶ率が高く、お金と一緒に電話番号やIDを書いたメモを残すことがあるという。
「あら。阿川さん。」
「お疲れさまです。」
「髪を切りたいの?」
「これ以上切ったら坊主ですよ。」
そう言って泉は笑った。
「そうね。あまり短くてもね。」
そう言って女性は個室に入らないで、鏡の前でポーチから口紅を出す。濡れたような唇はグロスが塗ってあるからだろう。伊織もこういうのを塗っている女性の方がいいのかもしれない。そう思うと気持ちが落ち込みそうだ。
「何?」
あまりにもじっと見ていたからだろう。女性が不振そうに泉をみる。
「あ……ううん。今度結婚式に呼ばれたから、ついでに化粧品を見ておこうと思って。何使ってんのかなーって。」
「あぁ。グロス?これは夏の新色なの。」
「へぇ……。」
そう言って女性が泉にグロスを差し出した。チューブ式のグロスは、唇に直接塗るものだと思う。あまり縁がなかったので、泉はじっとそれを見ていた。
「小説も良いけどさ、ちょっとは女性誌でも見てみたら?」
「そうですね。」
泉はそう言ってグロスを女性に返すと、トイレを出ていった。その後ろ姿に、女性が首を傾げる。こんな化粧品のことなど、気にしていなかったようなのに、どうして今更気にするのだろうと。
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