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交際
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十時までに何とか仕事を済ませたい。そう思いながら春樹は集中して、編集長業務を終わらせた。何せ、昨日もごたごたしていてそんなにこの仕事が出来ていたわけではない。
やっとパソコンの画面から目を離して、一息ついた。そして置いてあった缶コーヒーがもうすでに冷たくなっていることに気がついて、その蓋を開ける。
「それ、いつ飲むのかなって思ってましたよ。」
通りかかった女子社員にそう言われて、春樹は少し笑う。
「忘れてたよ。」
「仕事溜まってますか?」
「ちょっとね。昨日もごたごたしていたし、今日は集中してしないと。」
すると向こうからペットボトルに入った紅茶を手にした加藤絵里子が、こちらを見て表情を変えずに言った。
「担当業務が難しくなったんじゃないんですか。」
その言葉に女子社員が言葉を発する。
「って言っても、藤枝編集長ではないといけないっていう作家先生もまだいますから。」
「池上先生も、佐藤先生も、別に編集長にこだわっているわけではないって言ってましたよ。こだわってるのは小泉先生くらいでしょう?」
こだわっているのは春樹の方だ。それがわかっていて絵里子はそんなことを言う。
「でも、あれですよね。小泉先生がほかのジャンルを書き出したら、別の担当者が付くでしょ?「隠微小説」の方の担当って、夏川編集長以外だったらいいんだろうし。」
「まだ連載をしているわけではないからね。」
「夏川編集長はすっかりその気ですよ。」
参ったな。変なことを言って倫子がまたへそを曲げたら困る。今日、夏川が変なことを言うつもりだったら止めないといけないだろう。そう思いながらぬるい缶コーヒーに口を付ける。
「でもまぁ……小泉先生がほかのジャンルでどれだけ書けるかってのは見物だね。」
「あ、そう言えば「西島書店」で書いた官能小説を読んだんですけど、あれ、官能って言うよりは少しミステリー寄りかなって思って。そう言うのを期待してた人には物足りないかも。」
「そう言うのって?」
春樹はそう聞くと、女性社員は少し笑って手を振った。そこまで言うのは恥ずかしいのだろう。
「編集長、セクハラ。」
「そんなことまでセクハラだって言われるのは辛いねぇ。」
笑いあっているが、絵里子にとっては気持ちのいい話ではない。官能のジャンルというのも、嫌悪感を感じてしまう。
だいたい、倫子の書いているものもぎりぎり官能にならないような話ばかりだ。濡れ場ばかりの時はさすがに春樹も修正をして欲しいといったようだが、気を抜くとそんな話ばかりになってしまう。その割には、情はない。
男と女がセックスをしながら愛の言葉を口にすることはないのだ。そんな不自然なことがあるだろうか。
「……あ、編集長。そろそろ時間かもしれませんけど、一つ確認があるんですが。」
資料をまとめようとしていた春樹に、絵里子が声をかける。
「何?」
「今度の新人賞なんですけど、募集は次号に載せるというので良いですか。」
「うん。かまわない。選考委員は、池上先生と、陽和先生、それから栗枝先生にお願いをしたから。」
「写真は載せますか。」
「許可は下りてる。プロフィール写真を使って欲しいそうだ。」
「了解です。」
絵里子はそう言って席を立つと、壁にある棚の方へ向かっていった。そう言えば絵里子は恋人の噂を聞いたことがない。未来とは同じ時期に入ってきたが新卒で入ってきた未来とは違い、出向でここに来た絵里子は一つか二つ上だったはずだ。
恋人の一人でもいてもおかしくないが、絵里子は頑なに仕事と旅行ばかり行っている。まぁ、それが楽しいのだったらそれでかまわないだろう。幸せなど人それぞれなのだから。
倫子が会社にやってきて、別室で夏川と春樹で打ち合わせをする。
お茶を前に置かれて、倫子は少しため息を付いた。相変わらずちゃらそうな男だと思う。いつか資料としてみたAVに出てくる男優のようだと思う。その内容はナンパもので、町で声をかけた女性とセックスをする内容だった。確かにこの男ならそれくらいしそうだと思う。
「新年一発目に発刊するヤツに載せたいと思ってましてね。」
夏川はそう言って資料を倫子の前に置いた。その雑誌に載せる作家の名前が載っているのだ。その名前の数々に、倫子は少し驚いた。
「……戸川先生も?」
「えぇ。ご存じでしたか。」
「SMの第一人者ですよね。」
内容が被ってしまうな。倫子はそう思いながら、少し考えていたようだ。すると春樹が声をかける。
「小泉先生。他の方のはあまり考えなくても良いですよ。こちらからは、今うちで連載している作品のスピンオフの内容でいいそうですから。」
「スピンオフはいいんですけど、SMにしようかと思ってたから。」
他の人、それもSMばかり書いていたような人と同じ舞台で書けば、あらが見えるのはこっちだ。それは避けたいと思う。
「ちなみにどんな内容で書こうと思ってたんですか。」
夏川がそう聞くと、倫子は相関図をメモした手帳を取り出す。それは今、「月刊ミステリー」で連載している作品のものだった。
「この話は遊郭が舞台です。そしてキーになるのは、このやり手婆がまだ遊女だった頃に同じ時期に入ってきた霧島という遊女とそこの男衆だった三郎という男です。だから……その話を書こうとと思ってたんです。」
遊女と男衆が恋仲になるのは御法度だ。だが、霧島は三郎から離れられなかったのには、霧島の特殊な性癖からだった。
「それがSMですか?」
「まぁ……そう言う感じで書こうと思ってたんですけどね。」
その言葉に春樹と夏川は思わず顔を見合わせた。
「ちなみにどちらがSですか?」
「霧島です。言ったでしょう?SMの女王様と話をしたんです。それに売り物なんだから、女性の方に傷があるのは不自然でしょう?」
倫子はそう言ってまた手帳をみる。もう違う方向で書いていこうか。そう思っていたのだが、春樹がそれを止める。
「SMを無しで、純粋にセックスだけを書くというのは無理ですか?」
「は?」
すると夏川が倫子に言う。
「文字数が限られているショートストーリー枠です。濡れ場は、一度か二度が限度でしょう。とすれば、この二人が初めてしたときのことを書けませんか。」
その言葉に倫子は口に手を置いて、考えているようだった。
「最初からSMをするバカはいませんよ。」
「そうですね……。そうすれば、不自然ではないでしょうね。」
人に言えない関係をするというのは、何よりも燃え上がる。それが春樹も倫子もよくわかっていることだった。
「わかりました。それで書いていきましょう。」
案外素直に受け入れたな。夏川はそう思いながら、倫子を見ていた。初めてあったときよりも、とげとげしさが無くなって女らしくなった。きっと男でも出来たのだろう。そう思いながら、夏川は少し笑っていた。
「失礼します。」
そのとき部屋の外から声が聞こえた。
「どうぞ。」
するとそこには小柄な男が入ってきた。その人を見て春樹は顔をひきつらせる。
「浜田さん。ここには来ないで欲しいといったはずです。」
「でもせっかく小泉先生が来ているのですし、直接頼みたくて。」
「駄目です。」
その言葉に倫子は不思議そうに春樹を見ていた。だが春樹はガンとして倫子から浜田を遠ざけようとしている。その理由はそばで見ていた夏川にもわかることだ。
当事者なのに、倫子一人がその理由を知ることはなかった。
やっとパソコンの画面から目を離して、一息ついた。そして置いてあった缶コーヒーがもうすでに冷たくなっていることに気がついて、その蓋を開ける。
「それ、いつ飲むのかなって思ってましたよ。」
通りかかった女子社員にそう言われて、春樹は少し笑う。
「忘れてたよ。」
「仕事溜まってますか?」
「ちょっとね。昨日もごたごたしていたし、今日は集中してしないと。」
すると向こうからペットボトルに入った紅茶を手にした加藤絵里子が、こちらを見て表情を変えずに言った。
「担当業務が難しくなったんじゃないんですか。」
その言葉に女子社員が言葉を発する。
「って言っても、藤枝編集長ではないといけないっていう作家先生もまだいますから。」
「池上先生も、佐藤先生も、別に編集長にこだわっているわけではないって言ってましたよ。こだわってるのは小泉先生くらいでしょう?」
こだわっているのは春樹の方だ。それがわかっていて絵里子はそんなことを言う。
「でも、あれですよね。小泉先生がほかのジャンルを書き出したら、別の担当者が付くでしょ?「隠微小説」の方の担当って、夏川編集長以外だったらいいんだろうし。」
「まだ連載をしているわけではないからね。」
「夏川編集長はすっかりその気ですよ。」
参ったな。変なことを言って倫子がまたへそを曲げたら困る。今日、夏川が変なことを言うつもりだったら止めないといけないだろう。そう思いながらぬるい缶コーヒーに口を付ける。
「でもまぁ……小泉先生がほかのジャンルでどれだけ書けるかってのは見物だね。」
「あ、そう言えば「西島書店」で書いた官能小説を読んだんですけど、あれ、官能って言うよりは少しミステリー寄りかなって思って。そう言うのを期待してた人には物足りないかも。」
「そう言うのって?」
春樹はそう聞くと、女性社員は少し笑って手を振った。そこまで言うのは恥ずかしいのだろう。
「編集長、セクハラ。」
「そんなことまでセクハラだって言われるのは辛いねぇ。」
笑いあっているが、絵里子にとっては気持ちのいい話ではない。官能のジャンルというのも、嫌悪感を感じてしまう。
だいたい、倫子の書いているものもぎりぎり官能にならないような話ばかりだ。濡れ場ばかりの時はさすがに春樹も修正をして欲しいといったようだが、気を抜くとそんな話ばかりになってしまう。その割には、情はない。
男と女がセックスをしながら愛の言葉を口にすることはないのだ。そんな不自然なことがあるだろうか。
「……あ、編集長。そろそろ時間かもしれませんけど、一つ確認があるんですが。」
資料をまとめようとしていた春樹に、絵里子が声をかける。
「何?」
「今度の新人賞なんですけど、募集は次号に載せるというので良いですか。」
「うん。かまわない。選考委員は、池上先生と、陽和先生、それから栗枝先生にお願いをしたから。」
「写真は載せますか。」
「許可は下りてる。プロフィール写真を使って欲しいそうだ。」
「了解です。」
絵里子はそう言って席を立つと、壁にある棚の方へ向かっていった。そう言えば絵里子は恋人の噂を聞いたことがない。未来とは同じ時期に入ってきたが新卒で入ってきた未来とは違い、出向でここに来た絵里子は一つか二つ上だったはずだ。
恋人の一人でもいてもおかしくないが、絵里子は頑なに仕事と旅行ばかり行っている。まぁ、それが楽しいのだったらそれでかまわないだろう。幸せなど人それぞれなのだから。
倫子が会社にやってきて、別室で夏川と春樹で打ち合わせをする。
お茶を前に置かれて、倫子は少しため息を付いた。相変わらずちゃらそうな男だと思う。いつか資料としてみたAVに出てくる男優のようだと思う。その内容はナンパもので、町で声をかけた女性とセックスをする内容だった。確かにこの男ならそれくらいしそうだと思う。
「新年一発目に発刊するヤツに載せたいと思ってましてね。」
夏川はそう言って資料を倫子の前に置いた。その雑誌に載せる作家の名前が載っているのだ。その名前の数々に、倫子は少し驚いた。
「……戸川先生も?」
「えぇ。ご存じでしたか。」
「SMの第一人者ですよね。」
内容が被ってしまうな。倫子はそう思いながら、少し考えていたようだ。すると春樹が声をかける。
「小泉先生。他の方のはあまり考えなくても良いですよ。こちらからは、今うちで連載している作品のスピンオフの内容でいいそうですから。」
「スピンオフはいいんですけど、SMにしようかと思ってたから。」
他の人、それもSMばかり書いていたような人と同じ舞台で書けば、あらが見えるのはこっちだ。それは避けたいと思う。
「ちなみにどんな内容で書こうと思ってたんですか。」
夏川がそう聞くと、倫子は相関図をメモした手帳を取り出す。それは今、「月刊ミステリー」で連載している作品のものだった。
「この話は遊郭が舞台です。そしてキーになるのは、このやり手婆がまだ遊女だった頃に同じ時期に入ってきた霧島という遊女とそこの男衆だった三郎という男です。だから……その話を書こうとと思ってたんです。」
遊女と男衆が恋仲になるのは御法度だ。だが、霧島は三郎から離れられなかったのには、霧島の特殊な性癖からだった。
「それがSMですか?」
「まぁ……そう言う感じで書こうと思ってたんですけどね。」
その言葉に春樹と夏川は思わず顔を見合わせた。
「ちなみにどちらがSですか?」
「霧島です。言ったでしょう?SMの女王様と話をしたんです。それに売り物なんだから、女性の方に傷があるのは不自然でしょう?」
倫子はそう言ってまた手帳をみる。もう違う方向で書いていこうか。そう思っていたのだが、春樹がそれを止める。
「SMを無しで、純粋にセックスだけを書くというのは無理ですか?」
「は?」
すると夏川が倫子に言う。
「文字数が限られているショートストーリー枠です。濡れ場は、一度か二度が限度でしょう。とすれば、この二人が初めてしたときのことを書けませんか。」
その言葉に倫子は口に手を置いて、考えているようだった。
「最初からSMをするバカはいませんよ。」
「そうですね……。そうすれば、不自然ではないでしょうね。」
人に言えない関係をするというのは、何よりも燃え上がる。それが春樹も倫子もよくわかっていることだった。
「わかりました。それで書いていきましょう。」
案外素直に受け入れたな。夏川はそう思いながら、倫子を見ていた。初めてあったときよりも、とげとげしさが無くなって女らしくなった。きっと男でも出来たのだろう。そう思いながら、夏川は少し笑っていた。
「失礼します。」
そのとき部屋の外から声が聞こえた。
「どうぞ。」
するとそこには小柄な男が入ってきた。その人を見て春樹は顔をひきつらせる。
「浜田さん。ここには来ないで欲しいといったはずです。」
「でもせっかく小泉先生が来ているのですし、直接頼みたくて。」
「駄目です。」
その言葉に倫子は不思議そうに春樹を見ていた。だが春樹はガンとして倫子から浜田を遠ざけようとしている。その理由はそばで見ていた夏川にもわかることだ。
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