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緊縛
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仕事が終わって泉が店を出ると、電話が鳴った。その相手は伊織で、駅で待っているのだという。その文字に、泉は急ぎ足で駅の方へ向かった。結構待たせてしまったかもしれない。
暗い駅前の待ち合わせによく利用されている時計台のそばに、伊織の姿があった。だがその伊織のそばには、茶色の髪をした短いスカートの女性がいる。知り合いだろうかと思って、泉は少し遠巻きにそれを見ていた。すると伊織の方が泉に気がついて、女性から離れて泉の方へ向かってくる。
「泉。来てるんだったら声をかけてくれないか。」
「だってさ……知り合いだったんじゃない?」
「ううん。さっき来てさ、待ってたらいきなり声をかけられたんだ。」
「ナンパ?」
「みたいな感じ。」
と言うかナンパなのだろう。二十八だと言うが、童顔で若々しい伊織がナンパをされるのは珍しくない。
「ホテル取った?」
「んー。平日だし、予約無くても泊まれるんじゃないのかって思って。」
「そういうと思って、ほら予約しておいた。」
伊織は携帯電話を見せると、ここからでも見えるビジネスホテルの予約画面があった。
「気が利くよね。」
「んーっていうか、倫子がそうしておいてくれって。」
「倫子が?」
「春樹さんも倫子も、警察の家宅捜査に立ち会っているみたいなんだ。だからこっちまで気が回らないから、ホテルだけでも取っておいてくれないかって。」
「そっか。」
「見られて嫌なものはなかったのかっていってたけど。」
「無いわ。」
「だよね。」
伊織はそういって少し笑った。だが今日は持ってきておいて良かったと思う。
いつかもらった温泉宿のチケット。倫子と行ければいいと思っていたのだが、その余裕は未だにない。読みかけの本に挟んでしおり代わりにしておいて良かった。
「ねぇ。伊織、ご飯行かない?そこの裏のラーメン屋さん知ってる?」
「あぁ。うちの会社の人がお気に入りでさ。俺まだ行ったことないんだけど。」
「じゃあ、行こうよ。ラーメンライス食べたい。」
相変わらずすごい食欲だな。そう思いながら伊織は泉の後を追うようについて行った。
やっと家宅捜査が終わり被害届まで出したとき、もう日付が変わろうとしていた。家の中はごたごたしていて、今日は帰って寝れそうにない。
「ホテル、予約してるよ。」
春樹はそういって携帯電話を見せる。ここから少し離れたところにあるビジネスホテルを予約してくれたらしい。
「チェックインの時間って大丈夫なの?」
「大丈夫。それに……ほら。」
シングルが二つではなく、ダブルの部屋が一つだ。その文字に倫子は驚いたように春樹を見上げる。
「春樹。」
「シングル二つよりもダブルの方が安いんだ。」
「そんな問題じゃないわ。」
「倫子。」
「他に部屋を選べないかしら。」
すると春樹は少し笑っていう。
「俺が過ごしたいんだ。」
「……。」
「朝まで過ごしたい。」
春樹はそういうと倫子の手を握る。だが倫子はその手をすぐに振り払った。
「ごめん。こんなところではちょっと……。」
「そうだった。悪い。」
盗撮をしていた中身には、春樹とキスをしていたところもあった。それは本当にしていたのだが、何とか誤魔化してその場は逃れることは出来たのだ。だがここで怪しまれるような行動をとってしまったら、今までのことは全部水の泡だ。
「簡単に食事をしたいわね。」
「そうだね。昼も食いっぱぐれたし、今から開いているところってあるかな。」
終電がもうそろそろでる時間だ。だがホテルがあるので、そこは気にしなくてもいい。それに泉や伊織たちもどこかのホテルにいるはずだ。派手には動けない。
「牛丼かな。」
「あ、ねぇ。そこを入ったところにある定食屋さん知ってる?」
それは駅よりも少しはずれたところにある、深夜でもしている定食屋だった。春樹たちのように校了の前になると、少しだけ時間をとって深夜に駆け込むこともあるのだ。
「知ってるよ。行ったこともある。」
「そうなの?私行ったことがなくて。」
「行ってみる?」
二人はそういってその裏通りへ行こうとした。そのときだった。
「編集長。」
声をかけられて、春樹は振り返った。そこには、春樹の部下である加藤絵里子がいたのだ。
「加藤さん。」
その言葉に倫子の顔が少しひきつる。敵意を示しているような絵里子が少し苦手だったのだ。
「小泉先生の件、大変でしたね。」
「あぁ。やっといろいろ終わってね。」
「週刊誌の方が、編集長や小泉先生にも話が聞きたいと言ってましたよ。」
すると二人は顔を見合わせ手首を横に振る。
「ごめんなさい。まだ被害届を出しただけなんで、受理されないと詳しいことも言えないんですよ。」
すると絵里子は首を横に振る。
「うちの編集部を使っているんですから、先に情報を流してくれないとメリットはありませんよ。あなたの小間使いで編集長が動いたんじゃないだし。」
その言葉に春樹が反論する。
「違うよ。加藤さん。」
「何が違うって言うんですか?」
「警察が絡んでいて、警察はまだ詳しいことを他人に漏らすなと言っている。それを無視して、小泉先生はこっちに情報を与えられないんだ。」
「……正式に受理されたら、今度は弁護士が話すなって言うんでしょう?それじゃ意味ない。」
「他人の不幸を記事にしかできないようなことは、しない方が良いよ。それでも記事にすると言うんだったら、俺の口から言う。」
「……どうしてそんなに守るようなことを言うんですか?編集長。未来の気持ちは考えてないんですか?」
ずっと我慢していたことだろう。絵里子の目には涙が溜まっていた。
「考えているよ。だけど、ずっと妻についているわけにはいかない。作家があって、俺たちが成り立っているんだ。大事にしたいと君は思わないのか?」
すると絵里子は涙をこぼして首を横に振った。
「自分の家族よりも大事なものなんかない。編集長はずれてる。未来が可愛そう。」
そういって絵里子は駅の方へ行ってしまった。それを不安そうに倫子は見ていた。
「いいんですか?」
「良いよ。加藤さんも言いたいことを言ってすっきりしただろうし。」
春樹はそういって少し笑った。その横顔を見て、倫子は少し不安になる。
暗い駅前の待ち合わせによく利用されている時計台のそばに、伊織の姿があった。だがその伊織のそばには、茶色の髪をした短いスカートの女性がいる。知り合いだろうかと思って、泉は少し遠巻きにそれを見ていた。すると伊織の方が泉に気がついて、女性から離れて泉の方へ向かってくる。
「泉。来てるんだったら声をかけてくれないか。」
「だってさ……知り合いだったんじゃない?」
「ううん。さっき来てさ、待ってたらいきなり声をかけられたんだ。」
「ナンパ?」
「みたいな感じ。」
と言うかナンパなのだろう。二十八だと言うが、童顔で若々しい伊織がナンパをされるのは珍しくない。
「ホテル取った?」
「んー。平日だし、予約無くても泊まれるんじゃないのかって思って。」
「そういうと思って、ほら予約しておいた。」
伊織は携帯電話を見せると、ここからでも見えるビジネスホテルの予約画面があった。
「気が利くよね。」
「んーっていうか、倫子がそうしておいてくれって。」
「倫子が?」
「春樹さんも倫子も、警察の家宅捜査に立ち会っているみたいなんだ。だからこっちまで気が回らないから、ホテルだけでも取っておいてくれないかって。」
「そっか。」
「見られて嫌なものはなかったのかっていってたけど。」
「無いわ。」
「だよね。」
伊織はそういって少し笑った。だが今日は持ってきておいて良かったと思う。
いつかもらった温泉宿のチケット。倫子と行ければいいと思っていたのだが、その余裕は未だにない。読みかけの本に挟んでしおり代わりにしておいて良かった。
「ねぇ。伊織、ご飯行かない?そこの裏のラーメン屋さん知ってる?」
「あぁ。うちの会社の人がお気に入りでさ。俺まだ行ったことないんだけど。」
「じゃあ、行こうよ。ラーメンライス食べたい。」
相変わらずすごい食欲だな。そう思いながら伊織は泉の後を追うようについて行った。
やっと家宅捜査が終わり被害届まで出したとき、もう日付が変わろうとしていた。家の中はごたごたしていて、今日は帰って寝れそうにない。
「ホテル、予約してるよ。」
春樹はそういって携帯電話を見せる。ここから少し離れたところにあるビジネスホテルを予約してくれたらしい。
「チェックインの時間って大丈夫なの?」
「大丈夫。それに……ほら。」
シングルが二つではなく、ダブルの部屋が一つだ。その文字に倫子は驚いたように春樹を見上げる。
「春樹。」
「シングル二つよりもダブルの方が安いんだ。」
「そんな問題じゃないわ。」
「倫子。」
「他に部屋を選べないかしら。」
すると春樹は少し笑っていう。
「俺が過ごしたいんだ。」
「……。」
「朝まで過ごしたい。」
春樹はそういうと倫子の手を握る。だが倫子はその手をすぐに振り払った。
「ごめん。こんなところではちょっと……。」
「そうだった。悪い。」
盗撮をしていた中身には、春樹とキスをしていたところもあった。それは本当にしていたのだが、何とか誤魔化してその場は逃れることは出来たのだ。だがここで怪しまれるような行動をとってしまったら、今までのことは全部水の泡だ。
「簡単に食事をしたいわね。」
「そうだね。昼も食いっぱぐれたし、今から開いているところってあるかな。」
終電がもうそろそろでる時間だ。だがホテルがあるので、そこは気にしなくてもいい。それに泉や伊織たちもどこかのホテルにいるはずだ。派手には動けない。
「牛丼かな。」
「あ、ねぇ。そこを入ったところにある定食屋さん知ってる?」
それは駅よりも少しはずれたところにある、深夜でもしている定食屋だった。春樹たちのように校了の前になると、少しだけ時間をとって深夜に駆け込むこともあるのだ。
「知ってるよ。行ったこともある。」
「そうなの?私行ったことがなくて。」
「行ってみる?」
二人はそういってその裏通りへ行こうとした。そのときだった。
「編集長。」
声をかけられて、春樹は振り返った。そこには、春樹の部下である加藤絵里子がいたのだ。
「加藤さん。」
その言葉に倫子の顔が少しひきつる。敵意を示しているような絵里子が少し苦手だったのだ。
「小泉先生の件、大変でしたね。」
「あぁ。やっといろいろ終わってね。」
「週刊誌の方が、編集長や小泉先生にも話が聞きたいと言ってましたよ。」
すると二人は顔を見合わせ手首を横に振る。
「ごめんなさい。まだ被害届を出しただけなんで、受理されないと詳しいことも言えないんですよ。」
すると絵里子は首を横に振る。
「うちの編集部を使っているんですから、先に情報を流してくれないとメリットはありませんよ。あなたの小間使いで編集長が動いたんじゃないだし。」
その言葉に春樹が反論する。
「違うよ。加藤さん。」
「何が違うって言うんですか?」
「警察が絡んでいて、警察はまだ詳しいことを他人に漏らすなと言っている。それを無視して、小泉先生はこっちに情報を与えられないんだ。」
「……正式に受理されたら、今度は弁護士が話すなって言うんでしょう?それじゃ意味ない。」
「他人の不幸を記事にしかできないようなことは、しない方が良いよ。それでも記事にすると言うんだったら、俺の口から言う。」
「……どうしてそんなに守るようなことを言うんですか?編集長。未来の気持ちは考えてないんですか?」
ずっと我慢していたことだろう。絵里子の目には涙が溜まっていた。
「考えているよ。だけど、ずっと妻についているわけにはいかない。作家があって、俺たちが成り立っているんだ。大事にしたいと君は思わないのか?」
すると絵里子は涙をこぼして首を横に振った。
「自分の家族よりも大事なものなんかない。編集長はずれてる。未来が可愛そう。」
そういって絵里子は駅の方へ行ってしまった。それを不安そうに倫子は見ていた。
「いいんですか?」
「良いよ。加藤さんも言いたいことを言ってすっきりしただろうし。」
春樹はそういって少し笑った。その横顔を見て、倫子は少し不安になる。
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