守るべきモノ

神崎

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家族

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 春樹の部屋で伊織は暗い表情をしていた。
 倫子が泉と二人っきりで話をしたいと申し出て、きっと伊織は泉からあのときの話をするに違いないと思った。だからその話に聞き耳を立て、そのまま春樹の部屋にやってきたのだ。春樹はその話を聞いて少し呆れたように伊織をみながら煙草を吹かしていた。
「さっきも聞いたけど、倫子さんが好きな割にどうして泉さんを抱きしめたりしたんだ。俺は別に泉さんの肩を持つわけではないけれど、どう考えても軽薄としか思えない。」
「そうだね。」
「わかっているならそう簡単にすることじゃない。」
 すると春樹は煙草を消すと、伊織の方をみる。
「ここを出る?」
「出たくはないよ。居心地は良いし……和室は忘れさせてくれるから。」
 ずっと逃げているような口調だ。春樹はため息を付いて伊織に聞く。
「君さ、何かあったんだろう。」
「え……。」
「前にも聞いたことがある、忘れたいことがあると。女に奥手だと思っていた君が、気持ちの確認をしないままスキンシップを取るとは思えない。」
「……尋問みたいだね。」
「ここに住むなら、話しておいた方がいい。倫子さんにはネタにしないように言っておくから。」
 何でもネタにする女性だ。だが伊織が本当に苦しいことを背負っているなら、それを作品にするほどバカではないだろう。
「……俺、レイプされたんだ。」
「レイプ?」
 驚いて春樹は伊織の方をみる。
「東南アジアの方では、女を知らなきゃ一人前の男じゃないって言うところがあってさ。精通してすぐに売春宿に連れて行かれたんだ。」
「土地が変わればそういう風習もあるだろうね。」
「出てきた人が、仲の良い女の子だった。」
 良く灼けた肌と、細い体。まぶしいくらいの笑顔だった。その笑顔に伊織も惹かれていたのに、こんなところで会いたくなかった。
「人を変えると金がかかるって、俺、そのこと部屋に入ってさ。でも何にも出来なかった。普段から知っている人だから、そんな気持ちにもなれなかったし。悪いけど金を捨てたみたいだった。」
「……。」
「でもその話を聞いたそのこのお母さんが、牛小屋で俺に襲ってきたんだ。それをその女の子がみてて、次の日女の子は……。」
 顔色が悪くなってきた。嫌なことを思い出させているのだろう。これ以上は無理かもしれない。そう思っていたのに、がらっとドアが開いた。そこには倫子と泉が居た。
「死んだの?その子。」
 倫子がそう聞くと、泉は顔色を青くさせながらぽろっと涙をこぼした。
「倫子さん。聞いていたのか。」
 春樹は驚いたように倫子と泉をみていた。
「泉にそんなことをするなんて、殴ってやろうと思ったのよ。でも……そんな気は失せた。」
「……。」
 暑い馬小屋の中だった。女の子は、首を吊っていた。
 それをみた伊織は、ただその女の子が降ろされるのを黙ってみているしかなかった。だがその周りはもっと非情だった。
「死体は川岸で燃やしてんだろ。そこに連れて行くか。」
「あーあ。今から稼ぎ時の女だったのになぁ。」
「大丈夫よ。この子の下のリェンがもうそろそろ売り時だもの。」
「ちげぇねぇ。」
 死んだことに全く残念だとか、情なんかはなかったように思える。ただ体を売って生活をしている人たちには、稼ぐ人材が居なくなったくらいしか思ってなかったのだろう。
 それを聞いた伊織は発狂寸前だった。綺麗な国で、遺跡があって、観光客がたくさん来ていて、笑顔が溢れる国というのは表向きだけだった。
 人の死に無頓着で、死ねば誰かがまた産むくらいしか思っていない国。それだけ苦しい生活を強いられているのかもしれないが、理解は出来なかった。
「女性は、命がけで子供を産むんだろうね。だけど……生まれたあとのことは本当に無頓着だ。」
 その言葉に倫子はため息を付いた。良いネタにはなると思う。だがあまりにも情がなさすぎる。これでは話にもならない。
「……一つ聞いて良いかな。」
 春樹はそういって泉の方をみる。泉もまた顔を青くさせていた。
「泉さんと似ていたの?その子。」
「似てたと思う。もう十年以上前のことだし……。」
「それに泉が重なってたってことかしら。」
 泉の手が震えている。それだけは言って欲しくなかったからだ。だが無情にも伊織は黙ってうなづいた。その様子を見て、倫子はため息を付いた。

 倫子は春樹と外に出る。家の中は二人にしておいた方がいいと思ったのだ。雨はすでに上がっている。
「二人で話し合うかしら。」
「そのために出たんだろう。どれくらいで終わるかな。」
 夜になれば風が冷たくなってきた。倫子はパーカーの前を上げる。
「飲みにでも行こうかな。」
「飲み?」
 時間があって二人きりなのだ。このままホテルにでも行けばいいと思っていたのに、倫子はそんな素振りを見せない。
「軽くつまみと酒。今日も頑張ったし。」
「俺は別のところが良いな。」
「……。」
 その言葉に倫子は少しため息を付く。
「あんな話を聞いたあとにセックスなんて出来ないわ。」
「倫子。」
「もう三十五なんでしょう?もう少し節度を持ったら?」
 すると春樹はその入れ墨の入っている手を握る。思わず足を止めて春樹を見上げた。
「持っているつもりだ。だけど……君が相手では我慢が出来ない。まるで十代だ。」
「……体の相性は確かにいいのかもしれないわ。でもそれとこれとは別でしょう。」
「倫子。俺……。本当に好きになったのかもしれない。」
 するとその言葉に倫子は首を横に振った。
「奥様しかみていなかったでしょう?」
「倫子。」
「不倫なんかしたくない。だって……泉にも悪いわ。」
「泉さん?」
「泉のお母さんは、宗教にはまったのは表向き。本当は、その教祖さんと不倫をしていたの。そして言われるままに集団自殺をしたのよ。それを思い出させたくない。」
 倫子はそういって手を離した。しかし本当はその手を離したくなかった。
「……飲みに行きましょう?駅前の居酒屋、二時までしているらしいわ。」
「……そうだね。仕事の話でもしようか。さっきも言ったけれど、「淫靡小説」から誘いが来ているんだ。」
 すると倫子は不機嫌そうに言った。
「あの編集長、夏川さんって言ってたかしら。」
「うん。」
「調子のいい男は嫌いだと言っておいて。」
 倫子と春樹はそういいあいながら、駅の方へ向かっていった。雲の切れ間からは、月が見え隠れしていた。少しだけ、その光のように伊織も泉も心が晴れればいい。そう思っていた。
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