守るべきモノ

神崎

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取材

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 「bell」を出る頃には、とっくに終電が終わっていた。春樹は顔を赤くしながらあくびをする。それを見て絵里子が少し笑った。
「大きなあくびですね。」
「飲み過ぎたよ。早く寝たい。」
 ずっと一緒にいた倫子と夕だったが、夕はいつの間にかどこかへ行っていた。倫子ではない違う女性と。うまくいったようだ。春樹は携帯電話を取り出して、メッセージをいれる。
「小泉先生はタクシーですか?」
「えぇ。」
「ホテル取ってないんですね。」
「家に帰って仕事をしたいので。」
「酒を飲んでても仕事できるんですか。」
 亜美が呆れるほど飲んでいたようなのに、倫子の顔色は全く変わらない。それを見て絵里子は「可愛くない女性」だと思った。どうして春樹はこんな女性といるのだろう。
「小泉先生。タクシーなら、俺らと一緒に帰りますか?」
 同じ方向の男たちが声をかける。だが倫子は首を横に振る。
「すいません。ちょっと買い物をして帰りたいので。」
 倫子も連絡をしていたところがある。電話の会話からおそらく上野敬太郎の店へ行きたいのだ。
「そうですか。ではここで解散ですね。」
 春樹はそう言うと、大通りにみんなが行ってしまうのを見ていた。倫子はそれとは逆の繁華街の方へ向かっている。それを見て春樹は倫子の背中に声をかけた。
「小泉先生。」
「どうしました?」
「「上野古書店」へ?」
「えぇ。頼んでいた本が見つかったとかで。」
「俺も行きます。」
「藤枝さん。こんな時に二人でいたらお互いに困りますよ。」
「いいえ。困りませんよ。」
 そう言って春樹は少し笑う。その笑みが少し怖い。
「何かしたんですか?」
「何を?」
「荒田先生に。」
 すると春樹は咳払いをすると、倫子の隣に来る。
「亜美さんって言ってましたかね。」
「バーの?」
「えぇ。取引を持ちかけられました。」
「取引?」
「荒田先生に泣かされている女性がいるので、一泡噴かせたいと。自分は女性を紹介するので、ホテルにでも入る写真を送って欲しいと。」
 そう言って春樹は携帯電話の写真を見せる。そこには近くにあるラブホテルへ入っていく夕と、さっき夕の隣にいた女性が写っていた。
「亜美さんはこれをネタに、ゆすり取ろうと思ってるみたいですね。もしそれを抵抗するようであれば、うちの出版社ではなく別の出版社のゴシップ紙に売ると。」
 亜美ならそれくらいしそうだ。倫子はうなづいて、また歩みを進める。
「で、藤枝さんの条件は何なんですか?」
「え?」
「さっき取引といいました。亜美と取引をしたのだったら、それを条件にあなたの条件がない。亜美に何を言われましたか。」
 すると春樹は頭をかいて倫子に言う。
「荒田先生に何を脅されていたのか聞いて欲しいと。」
「私が脅されていたと思っているんですか。」
「俺もそう思います。荒田先生に何を言われたんですか。」
 思わず倫子の足が止まった。そして眉をひそめる。
「脅されてなんか……。」
「嘘だ。君は二次会に来たくないと思っていた。こういう飲み会は苦手だし、波長の合わない人と会うのもイヤだと言っていた。なのにここへ来たのは何か理由があるはずだ。」
 探偵か。倫子はそう思いながら、ため息を付く。
「弟のことです。」
「弟?」
 そう言えば倫子には弟がいたはずだ。
「大学へ行っていて、バイトをしながら恋人もいる。充実した学生生活を送っていると思ってたんですけどね。」
 倫子は携帯電話を取り出すと、その画面を見せる。それはゲイのための風俗店のサイトだった。
「デリヘルみたいな感じですか?」
「知らないんですか?」
「ゲイ事情には疎くて。」
 興味がない人には興味がないことだろう。
「ようは……男同士のデリヘルです。本番もあります。コンドームが必須ですが。」
「……小泉先生の作品にはまだ出てきてませんよね。」
「えぇ。今度だそうとは思ってたんですけど。このサイトに移っているこの人ですね。」
 倫子は画面をタップすると、目だけに線をいれた半裸の若い男が写っている。
「誰ですか?」
「弟です。栄輝といいます。」
 ソープでもデリヘルでも、風俗関係はグレーゾーンなところがある。それはゲイの専門でも同じことだ。表立って風俗につとめていますとは言えないのだろう。
 ましてや倫子はすでに小説家としての地位を確立している。その身内に風俗関係やヤクザの関係がいるとなれば、ゴシップに繋がりかねない。ましてや独占契約をしているわけではない倫子は、その噂で仕事を失うことにもなりかねないだろう。
「それが脅した内容ですか?」
「えぇ。」
「それをそのまま亜美さんに言っても?」
「言うことが条件なんでしょう?どうぞ。でも……藤枝さん。一度言いましたよね。」
「え?」
 メッセージを送って、春樹は倫子を見下ろす。
「あまり亜美には関わらない方が良いって。亜美には関係がばれないようにしてください。」
 倫子はぽつりとそう言うと、繁華街に入らず駅の方へ足を進めた。
「「上野古書店」へ行くんじゃないんですか?」
「もう時間的に閉まってますよ。藤枝さん。どこのホテル取ったんですか?」
「駅の裏です。」
「駅裏?」
「来てもらえますか?」
 その言葉に倫子は頬を赤めた。そして春樹と並んで歩く。大通りからはずれたその道は、みんな伏せ目がちに先を急ぐ。中にはきっと倫子たちのように不倫関係の人もいるのだろう。だが倫子はあくまで不倫ではない。そこに気持ちはないのだから。
 ベッドの上で言う「愛している」は演技なのだ。
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