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今日は倫子も春樹も打ち上げがあって帰りは遅い。泉はそう思いながら家に帰っていた。伊織だけは家にいるはずだ。伊織に聞きたいことがある。というかアドバイスが欲しい。
自転車で家に帰り着くと、泉は玄関ドアを開ける。
「ただいま。」
玄関ドアを開けると、奥の居間の方に電気がついていた。伊織がいるのだろう。
自分の部屋に荷物をおいて居間の方へ向かい、台所をのぞくと伊織が険しい顔で電話をしていた。
「かけてこないで欲しいと言ったよね。……そんなことを言われても困るんだ。言えない。これ以上は着信拒否するから。」
そういって伊織は電話を切る。その剣幕は普段の伊織とは股違った感じで、泉は思わずのけぞってしまった。
「あ、お帰り。」
電話をおいた伊織はいつも通りの顔だった。
「……伊織。何かあった?」
「……やばいな。見てたんだ。」
「さっきね。」
「元カノ。」
その言葉に泉は意外な言葉だと思った。伊織の周りに女性の陰が少ない。だから恋人がいたということ自体も、意外だと思ったのだ。
「彼女いたことがあるんだ。」
動揺している。自分でもわかった。そうだ。伊織には彼女がいたこともあるし、自分のように経験がないわけではないのだ。
何か勘違いをしていたのかもしれない。
「連絡取ってるの?」
「取りたくて取ってる訳じゃないよ。」
イヤな別れ方だった。それを思い出すだけで気分が悪くなる。しかしいくら気分が悪くても腹は減る。
「俺も今帰ってきてさ。ご飯、今作るよ。」
「ねぇ。伊織。今日はさ倫子も春樹さんもいないじゃない?」
「打ち上げだって言ってたね。」
「だったら、外行かない?駅前のさ、居酒屋、ずっと気になってたの。」
その言葉に伊織は少し笑う。
「飲めないのに?」
「ノンアルで乾杯でしょ?」
「わかった。ご飯、明日焼きめしにでもしようか。」
「さんせー。荷物取ってこよう。」
泉の明るさが嬉しかった。それになにも聞かない優しさも嬉しい。
倫子だったら、ネタのために根ほり葉ほり聞くのだろうか。またはばっさりと、言い捨てるのだろうか。
春樹だったら遠回しにアドバイスはくれるかもしれないが、それ以上に本人が忙しそうだ。それに心情的に、今は春樹と話をしたくない。
「おまたせー。行こう。」
泉がいて良かった。泉が倫子に頼っているように見えて、実は倫子が泉に頼っているのは、泉が持っている明るさに惹かれているのだろう。
駅前にある居酒屋は、夜二時まで。泉と伊織が入ってもまだ余裕はある。どうやらこの店は炭火焼きを売りにしていて、焼き鳥やホイル焼きなどが人気らしい。
「焼おにぎり食べたい。」
「食べな。食べな。俺、ビール。」
「お腹出るよ。」
「春樹さんだって酒は飲むけど、お腹出てないじゃん。」
「春樹さんはねぇ、ちゃーんと運動してるよ?」
「マジ?」
「休みの時、奥さんのところへ行ってそのあと市がしてる体育館の屋内プール行ってるんですって。」
「へぇ……。」
泳ぐのが好きらしい。水の中は音がしない。無音の世界は何も考えなくてすむのだから。
「伊織も泳いだら?倫子みたいに金槌じゃないんでしょ?」
「倫子は泳げないの?」
「ほら、火傷の跡もあるでしょ?人前で水着になるのもイヤだったみたい。」
それで泳げなかったのだ。納得して、伊織はビールを受け取り泉はウーロン茶を受け取った。突き出しは、大学芋だ。
「美味しそう。ね?大学芋って、おやつみたいだけど酒に合うの?」
「そこそこね。あ、サンマの刺身が食べたいな。新鮮じゃないと刺身に出来ないし。」
「うん。頼もう。すいませーん。」
泉はさっきの女性の店員にサンマの刺身と、ちゃっかりポテトフライも注文していた。
「あ、ねぇ。酔っぱらう前に、伊織に聞きたいことがあったの。」
「俺、まだ酔っぱらってないけど。」
ビールがグラス半分になっているだけだ。これで酔っぱらうのは春樹くらいだろう。
「これさ。」
そういって泉はファイルに挟まっているチラシを伊織に見せた。
「クリスマススイーツ?」
「うん。完成してね。これ、チラシ案。目に惹くかなぁ。」
「そうだね……。」
ここで口を出していいのだろうか。自分がこういう仕事に就いているから、こうした方が良い、あぁしたほうが良いと口添えすることは出来る。だがこれはあくまで泉だからしていることで、それによって自分がひいきをしていることにならないのだろうか。
「ごめん。泉。これに関して俺は何も言えないよ。」
「え?」
伊織はファイルを返すと、ビールにまた口を付けた。
「俺がやってるの、こういうデザインをすることなんだけどさ……。ここであぁしたほうが良いとか、こうした方が良いとか、言うのは簡単だよ。でもそれは泉が個人でしていることならどんどん言う。」
「あ……そっか。対企業だもんね。」
「うん。依頼をするなら会社越しじゃないといけない。さっきさ、元カノにもそれを言われてたんだ。」
デザイン関係の仕事についていた元カノは、今は一般職についている。そこで販売をしているのに、そのチラシの相談を伊織はされていたのだ。
「無理矢理、データを送ったからって言われても、それに対して俺が何も言えないし、だったら謝礼を払うって言われてもそれって闇営業になるから。」
「それを理解してくれないんだ。」
「そう。」
「ごめんね。思い出させるようなことをしちゃった。」
「良いよ。でもちらっと見えたそのデザート美味しそうだったね。」
「高柳さんが超厳しかった。私たちは一時的に一緒に仕事をしていただけだけど、あの人の下につく助手は大変ね。」
明日菜の兄だと言っていた。明日菜もまた厳しいことばかりを言う。最近はまた風当たりが強い。女性は気分のムラが激しいので、そんなものかと思っていたがまた事情は違うのかもしれない。
「その高柳さんにたてついたんでしょ?倫子。」
「そう。目を丸くしてさ、エリアマネージャーが青い顔をしていた。」
いつも威張って「売り上げ」しか言わないエリアマネージャーは、きっとコーヒー一杯も淹れられない。内心良い気味だと思っていた。
自転車で家に帰り着くと、泉は玄関ドアを開ける。
「ただいま。」
玄関ドアを開けると、奥の居間の方に電気がついていた。伊織がいるのだろう。
自分の部屋に荷物をおいて居間の方へ向かい、台所をのぞくと伊織が険しい顔で電話をしていた。
「かけてこないで欲しいと言ったよね。……そんなことを言われても困るんだ。言えない。これ以上は着信拒否するから。」
そういって伊織は電話を切る。その剣幕は普段の伊織とは股違った感じで、泉は思わずのけぞってしまった。
「あ、お帰り。」
電話をおいた伊織はいつも通りの顔だった。
「……伊織。何かあった?」
「……やばいな。見てたんだ。」
「さっきね。」
「元カノ。」
その言葉に泉は意外な言葉だと思った。伊織の周りに女性の陰が少ない。だから恋人がいたということ自体も、意外だと思ったのだ。
「彼女いたことがあるんだ。」
動揺している。自分でもわかった。そうだ。伊織には彼女がいたこともあるし、自分のように経験がないわけではないのだ。
何か勘違いをしていたのかもしれない。
「連絡取ってるの?」
「取りたくて取ってる訳じゃないよ。」
イヤな別れ方だった。それを思い出すだけで気分が悪くなる。しかしいくら気分が悪くても腹は減る。
「俺も今帰ってきてさ。ご飯、今作るよ。」
「ねぇ。伊織。今日はさ倫子も春樹さんもいないじゃない?」
「打ち上げだって言ってたね。」
「だったら、外行かない?駅前のさ、居酒屋、ずっと気になってたの。」
その言葉に伊織は少し笑う。
「飲めないのに?」
「ノンアルで乾杯でしょ?」
「わかった。ご飯、明日焼きめしにでもしようか。」
「さんせー。荷物取ってこよう。」
泉の明るさが嬉しかった。それになにも聞かない優しさも嬉しい。
倫子だったら、ネタのために根ほり葉ほり聞くのだろうか。またはばっさりと、言い捨てるのだろうか。
春樹だったら遠回しにアドバイスはくれるかもしれないが、それ以上に本人が忙しそうだ。それに心情的に、今は春樹と話をしたくない。
「おまたせー。行こう。」
泉がいて良かった。泉が倫子に頼っているように見えて、実は倫子が泉に頼っているのは、泉が持っている明るさに惹かれているのだろう。
駅前にある居酒屋は、夜二時まで。泉と伊織が入ってもまだ余裕はある。どうやらこの店は炭火焼きを売りにしていて、焼き鳥やホイル焼きなどが人気らしい。
「焼おにぎり食べたい。」
「食べな。食べな。俺、ビール。」
「お腹出るよ。」
「春樹さんだって酒は飲むけど、お腹出てないじゃん。」
「春樹さんはねぇ、ちゃーんと運動してるよ?」
「マジ?」
「休みの時、奥さんのところへ行ってそのあと市がしてる体育館の屋内プール行ってるんですって。」
「へぇ……。」
泳ぐのが好きらしい。水の中は音がしない。無音の世界は何も考えなくてすむのだから。
「伊織も泳いだら?倫子みたいに金槌じゃないんでしょ?」
「倫子は泳げないの?」
「ほら、火傷の跡もあるでしょ?人前で水着になるのもイヤだったみたい。」
それで泳げなかったのだ。納得して、伊織はビールを受け取り泉はウーロン茶を受け取った。突き出しは、大学芋だ。
「美味しそう。ね?大学芋って、おやつみたいだけど酒に合うの?」
「そこそこね。あ、サンマの刺身が食べたいな。新鮮じゃないと刺身に出来ないし。」
「うん。頼もう。すいませーん。」
泉はさっきの女性の店員にサンマの刺身と、ちゃっかりポテトフライも注文していた。
「あ、ねぇ。酔っぱらう前に、伊織に聞きたいことがあったの。」
「俺、まだ酔っぱらってないけど。」
ビールがグラス半分になっているだけだ。これで酔っぱらうのは春樹くらいだろう。
「これさ。」
そういって泉はファイルに挟まっているチラシを伊織に見せた。
「クリスマススイーツ?」
「うん。完成してね。これ、チラシ案。目に惹くかなぁ。」
「そうだね……。」
ここで口を出していいのだろうか。自分がこういう仕事に就いているから、こうした方が良い、あぁしたほうが良いと口添えすることは出来る。だがこれはあくまで泉だからしていることで、それによって自分がひいきをしていることにならないのだろうか。
「ごめん。泉。これに関して俺は何も言えないよ。」
「え?」
伊織はファイルを返すと、ビールにまた口を付けた。
「俺がやってるの、こういうデザインをすることなんだけどさ……。ここであぁしたほうが良いとか、こうした方が良いとか、言うのは簡単だよ。でもそれは泉が個人でしていることならどんどん言う。」
「あ……そっか。対企業だもんね。」
「うん。依頼をするなら会社越しじゃないといけない。さっきさ、元カノにもそれを言われてたんだ。」
デザイン関係の仕事についていた元カノは、今は一般職についている。そこで販売をしているのに、そのチラシの相談を伊織はされていたのだ。
「無理矢理、データを送ったからって言われても、それに対して俺が何も言えないし、だったら謝礼を払うって言われてもそれって闇営業になるから。」
「それを理解してくれないんだ。」
「そう。」
「ごめんね。思い出させるようなことをしちゃった。」
「良いよ。でもちらっと見えたそのデザート美味しそうだったね。」
「高柳さんが超厳しかった。私たちは一時的に一緒に仕事をしていただけだけど、あの人の下につく助手は大変ね。」
明日菜の兄だと言っていた。明日菜もまた厳しいことばかりを言う。最近はまた風当たりが強い。女性は気分のムラが激しいので、そんなものかと思っていたがまた事情は違うのかもしれない。
「その高柳さんにたてついたんでしょ?倫子。」
「そう。目を丸くしてさ、エリアマネージャーが青い顔をしていた。」
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