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逢引
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打ち合わせが少し長くなってしまった。そう思いながら、伊織は駅へ向かっている。今日は、倫子が取材へ行くと言っていた。そして春樹は休みで、おそらく奥さんのところへ言っていたのだろう。二人が一緒にいることはない。そう思っていたが、それは口だけかもしれない。
作家のために何でもすると言っていたのだ。それは、体を重ねることも含まれるのだろうか。そう思うと、やるせない気分になる。自分だって倫子に出来ることがあればやりたい。だがキスが精一杯だ。どうしても昔のことを思い出してしまう。
そう思いながら、伊織は改札口を通ろうとしていた。そのとき後ろから声をかけられる。
「伊織。」
そこには泉の姿があった。泉の手には何かチラシのようなものが握られている。
「今帰り?」
「うん。珍しいね。伊織、今日遅かったの?」
「打ち合わせが長くなったんだ。」
ケーキ屋のホームページを更新したいと、そのうち合わせを泉はしていたのだ。泉が手がけたホームページは評判が良くて、ネット注文も多くなったとクライアントは言う。
「「book cafe」のページも、変わるって言ってたな。あの男が作った奴を全面に出したいんだって。」
口調が苦々しい。高柳鈴音のことだろう。まだ泉は根に持っているのだ。ずっと夜遅くまで頑張って開発していたのに、いきなり別の人にお株を取られたのだ。気持ちはわからないでもない。
「名前が売れている方がいいに決まってるけど、あまりにも露骨だよね。まぁ……いきなり仕事を受けた理由はわかるけど。」
「え?何で?」
電車のホームで二人は電車を待っていると、伊織は少しため息をついた。
「高柳鈴音って、うちの同期の兄らしいよ。」
「えぇっ?そんな有名人がお兄さんなの?」
明日菜の兄であるらしい。明日菜から、「book cafe」につとめている泉のことを聞いたのだろう。そしてその泉が倫子や伊織と同居していること。
おそらくそれがきっかけだ。
「逆恨みかなぁ。」
「かもしれない。俺も、倫子と同居していることを同期に知られて、ひいきだって言われたし。」
「でも、伊織って家で仕事しているの見たことないと思ってたけど。」
「そういわれるのがイヤだから。」
伊織にもプライドがある。そんなことで選ばれたくないと思っているのだろう。
「そっか……。偉いね。あたしなら、倫子にどんな話かって聞いちゃうな。」
泉はそういって少し笑った。少し気が晴れたのかもしれない。
「今日は、春樹さんと倫子が食事を作ってくれているらしい。」
「魚よ。島に行くって言ってたもん。」
倫子はあまり台所に立っているところを見たことがない。春樹も帰りが遅いことも多いのであまり見たことはないが、一人暮らしが長かった春樹はきっと何でも出来る。そしてその隣に倫子がいる。それだけで少しいらついてくるようだ。
「フライとかじゃなきゃいいんだけど。」
「確かに。この時間からは胃もたれするよね。」
電車がやってきて、二人はその電車に乗る。空いている車内には、カップルなんかもいるようだ。手を繋ぎ合って見つめている。きっとこのあと、部屋に戻るかホテルにでも行くのだ。どちらにしてもセックスをする。
泉たちもそう見えるのだろうか。そう思うと、泉の頬が少し赤くなる。
「あ、ねぇ。伊織。チョコレート食べない?」
「チョコ?」
「昼に食べようと思ったんだけど、食べそびれちゃって。」
夏でも溶けないタイプのチョコレートだ。かるっているリュックから、チョコレートを取り出して伊織に手渡す。するとその様子を見ていた女同士の団体が、耳打ちして少し笑う。
「何?」
「……。」
泉は男の子に見えないこともない。そして伊織も男らしさとは無縁だ。端から見るとゲイのカップルにでも見えたのだろう。それがわかって泉は少し暗い表情になる。
「気にしないで。」
伊織はそういって泉を元気づけた。
「俺、泉は誰よりも女らしいと思うよ。倫子の方が男勝りだ。」
「倫子の方がおっぱいも大きいじゃん。」
「胸の大きさなんか気になるの?」
「当たり前じゃん。」
口を尖らせて、泉はチョコレートを一粒口に入れた。
「無いよりはあった方がいいでしょ?」
「そうかな。俺はあまり気にしないけど。っていうか、泉が女らしいってのは外見の話じゃないよ。」
「え?」
「貞淑だと思う。そっちの方が俺にとっては重要だな。」
その言葉に泉は少しうつむいた。そして窓の向こうの流れる景色を見ながら言う。
「お母さんがね。」
「うん?」
「女の子は、結婚するまで簡単に手を出されるものじゃないって言っていたの。」
「……そうだね。そういう考えもある。」
食事のために体を売る人が多かった伊織にとっては、それは宗教上の制限だろうかということくらいしかわからない。
「でもお母さんは、不倫してたの。お母さんが言い出したことなのにね。」
「……許せない?」
「許せる、許せないってことじゃないの。もういないから。」
そのとき泉の携帯電話にメッセージが届いた。それを見て、泉は少し笑う。
「どうしたの?」
「倫子から。食事は用意してあるから、食べてって。」
「どこかへ行ってるの?」
「えぇ。またどっかふらって出掛けたんだと思うわ。」
すると今度は、泉の携帯電話にメッセージが入った。そこには春樹からのメッセージだった。
「こっちは春樹さんからだ。」
「どうしたの?」
「担当作家のところへ行ってくるから、帰っても誰もいないかもって。」
二人は別々に行動している。なのにそれが計算の上での行動と思えて仕方がない。
「二人とも忙しいね。春樹さんなんて、昨日までずっと寝てなかったみたいなのに。」
泉は何も感じていないのだろうか。または、こういうことがあっても見て見ぬ振りをしているのだろうか。
作家のために何でもすると言っていたのだ。それは、体を重ねることも含まれるのだろうか。そう思うと、やるせない気分になる。自分だって倫子に出来ることがあればやりたい。だがキスが精一杯だ。どうしても昔のことを思い出してしまう。
そう思いながら、伊織は改札口を通ろうとしていた。そのとき後ろから声をかけられる。
「伊織。」
そこには泉の姿があった。泉の手には何かチラシのようなものが握られている。
「今帰り?」
「うん。珍しいね。伊織、今日遅かったの?」
「打ち合わせが長くなったんだ。」
ケーキ屋のホームページを更新したいと、そのうち合わせを泉はしていたのだ。泉が手がけたホームページは評判が良くて、ネット注文も多くなったとクライアントは言う。
「「book cafe」のページも、変わるって言ってたな。あの男が作った奴を全面に出したいんだって。」
口調が苦々しい。高柳鈴音のことだろう。まだ泉は根に持っているのだ。ずっと夜遅くまで頑張って開発していたのに、いきなり別の人にお株を取られたのだ。気持ちはわからないでもない。
「名前が売れている方がいいに決まってるけど、あまりにも露骨だよね。まぁ……いきなり仕事を受けた理由はわかるけど。」
「え?何で?」
電車のホームで二人は電車を待っていると、伊織は少しため息をついた。
「高柳鈴音って、うちの同期の兄らしいよ。」
「えぇっ?そんな有名人がお兄さんなの?」
明日菜の兄であるらしい。明日菜から、「book cafe」につとめている泉のことを聞いたのだろう。そしてその泉が倫子や伊織と同居していること。
おそらくそれがきっかけだ。
「逆恨みかなぁ。」
「かもしれない。俺も、倫子と同居していることを同期に知られて、ひいきだって言われたし。」
「でも、伊織って家で仕事しているの見たことないと思ってたけど。」
「そういわれるのがイヤだから。」
伊織にもプライドがある。そんなことで選ばれたくないと思っているのだろう。
「そっか……。偉いね。あたしなら、倫子にどんな話かって聞いちゃうな。」
泉はそういって少し笑った。少し気が晴れたのかもしれない。
「今日は、春樹さんと倫子が食事を作ってくれているらしい。」
「魚よ。島に行くって言ってたもん。」
倫子はあまり台所に立っているところを見たことがない。春樹も帰りが遅いことも多いのであまり見たことはないが、一人暮らしが長かった春樹はきっと何でも出来る。そしてその隣に倫子がいる。それだけで少しいらついてくるようだ。
「フライとかじゃなきゃいいんだけど。」
「確かに。この時間からは胃もたれするよね。」
電車がやってきて、二人はその電車に乗る。空いている車内には、カップルなんかもいるようだ。手を繋ぎ合って見つめている。きっとこのあと、部屋に戻るかホテルにでも行くのだ。どちらにしてもセックスをする。
泉たちもそう見えるのだろうか。そう思うと、泉の頬が少し赤くなる。
「あ、ねぇ。伊織。チョコレート食べない?」
「チョコ?」
「昼に食べようと思ったんだけど、食べそびれちゃって。」
夏でも溶けないタイプのチョコレートだ。かるっているリュックから、チョコレートを取り出して伊織に手渡す。するとその様子を見ていた女同士の団体が、耳打ちして少し笑う。
「何?」
「……。」
泉は男の子に見えないこともない。そして伊織も男らしさとは無縁だ。端から見るとゲイのカップルにでも見えたのだろう。それがわかって泉は少し暗い表情になる。
「気にしないで。」
伊織はそういって泉を元気づけた。
「俺、泉は誰よりも女らしいと思うよ。倫子の方が男勝りだ。」
「倫子の方がおっぱいも大きいじゃん。」
「胸の大きさなんか気になるの?」
「当たり前じゃん。」
口を尖らせて、泉はチョコレートを一粒口に入れた。
「無いよりはあった方がいいでしょ?」
「そうかな。俺はあまり気にしないけど。っていうか、泉が女らしいってのは外見の話じゃないよ。」
「え?」
「貞淑だと思う。そっちの方が俺にとっては重要だな。」
その言葉に泉は少しうつむいた。そして窓の向こうの流れる景色を見ながら言う。
「お母さんがね。」
「うん?」
「女の子は、結婚するまで簡単に手を出されるものじゃないって言っていたの。」
「……そうだね。そういう考えもある。」
食事のために体を売る人が多かった伊織にとっては、それは宗教上の制限だろうかということくらいしかわからない。
「でもお母さんは、不倫してたの。お母さんが言い出したことなのにね。」
「……許せない?」
「許せる、許せないってことじゃないの。もういないから。」
そのとき泉の携帯電話にメッセージが届いた。それを見て、泉は少し笑う。
「どうしたの?」
「倫子から。食事は用意してあるから、食べてって。」
「どこかへ行ってるの?」
「えぇ。またどっかふらって出掛けたんだと思うわ。」
すると今度は、泉の携帯電話にメッセージが入った。そこには春樹からのメッセージだった。
「こっちは春樹さんからだ。」
「どうしたの?」
「担当作家のところへ行ってくるから、帰っても誰もいないかもって。」
二人は別々に行動している。なのにそれが計算の上での行動と思えて仕方がない。
「二人とも忙しいね。春樹さんなんて、昨日までずっと寝てなかったみたいなのに。」
泉は何も感じていないのだろうか。または、こういうことがあっても見て見ぬ振りをしているのだろうか。
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