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逢引
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病院からでると、春樹はその洗濯物を駅のコインロッカーに入れる。そして携帯電話を取り出すと、倫子に連絡を入れた。まだ太陽が高い時間だし、会社は休み。今日もでている人はいるが、ほとんどが休んでいる。なので、誰に会うかわからないのだ。用事もないのに、作家と編集者が外で会っているなど言われたら、痛い目に遭うかもしれない。
それを危惧して、わざと通話にしなかった。すると倫子からのメッセージはすぐにくる。
「泉のところにいる。すぐに駅へ行く。」
簡潔で絵文字も顔文字もない倫子のメッセージは、泉や伊織とは対照的だ。
喫煙所で倫子を待ちながら、携帯電話に入れた電子書籍を読んでいた。本を持ち歩くよりも手軽だが、あまり冊数は入らない。いっそ、専用の電子書籍リーダーを買うべきかと思う。電気屋で見かけたことはあるが、結構冊数もはいるらしい。ブックストアの中には、倫子のものもあるはずだ。人気があるらしいのは、そういう媒体を利用していることもある。
しばらくすると、喫煙所の中に一人の女性が入ってきた。白い長袖パーカーとスキニータイプのジーンズ。それに黒い鍔のある帽子。普通の女性が、喫煙することに少し意外に思った。だがその女性をよく見るとそれはいつもと様子の違う倫子の姿で、春樹は驚いて携帯電話をしまう。
「驚いた。そんな格好をしているなんて。」
「田舎ですから。入れ墨が目立つだろうと。それに……。」
倫子は隣に来るといつも持っているバッグではなくリュックから煙草を取り出した。
「何?」
「廃村ですよ。この季節ですし、虫も蛇も多いだろうと。」
倫子は田舎の出身だった。そういうことには慣れているのだろう。
「そうでしたか。」
「必要最低限のものだけをもってきました。藤枝さんもそうした方がいいですよ。」
春樹ではなく、藤枝さんと呼ぶ。春樹もそれに習って今は小泉さんと呼んだ方がいいだろう。誰が見ているかわからないのだから。
喫煙所を出ると、時計をみる。普段倫子たちが利用する電車はラッシュ時になれば数分に一本の割合で本数があるが、今から行くところはそんなに本数がない。その上乗り換えもしないといけないし、乗り換えるのにも時間がかかるかもしれないのだ。
「十時三十五分ですね。そこから○×駅で乗り換えて……。」
そのとき、春樹の元へ近寄ってくる人がいた。
「藤枝編集長。」
春樹は声をかけられて、ふとそちらをみる。そこには、サングラスをかけた端整な顔立ちの男がいた。その声に倫子もそちらをみる。そしてさっと視線をそらせた。倫子があまりテレビなどを見なくても知っている。それは荒田夕だった。
「荒田先生。お久しぶりです。」
「どこかへお出かけですか?」
「えぇ。取材にね。」
その言葉に、夕は隣にいる人も作家なのかと少し視線を送る。だが、すぐにその人が誰なのかわかったように笑顔になった。
「小泉倫子先生ですか。」
「えぇ。」
「普段と格好が違うから気がつきませんでしたよ。」
「取材へ行くので。」
倫子は夕に一別するだけだ。あまり深く話したくないということだろう。
「取材?仕事の?」
「えぇ。」
小説のネタは飯の種だ。それをべらべらと同業者に話したくないだろう。
「今度対談してくださるそうで、そのときは宜しくお願いします。」
「えぇ。宜しくお願いします。」
倫子はそういってその場を離れようとした。だが夕がそれに食いついてくる。
「何の仕事ですか?また殺人事件の話を?」
その言い方はまずい。倫子の仕事に難癖を付けているようだ。
「えぇ。」
だが倫子の表情は変わらない。だが夕と視線は合わせていない。おそらく受けた仕事だから対談をするだろうが、それ以降はつながりを持ちたくないと思っているのだろう。
「そういう話を作家同士で話すのはいかがですか。今度、本宮先生や我孫子先生と飲もうと……。」
「えぇ。また。」
普段の倫子なら、なんだかんだ言って誘われたくないと直接言うだろう。だがそれもしないまま、倫子は改札口の方へ向かう。
「じゃあ、荒田先生、また連絡をします。」
その後ろを春樹がいく。その二人を見て、夕は首を傾げた。作家と編集者が取材をしに行くのは結構あることだが、倫子はどちらかというと変装しているように見えるし、春樹はそれについて行くように見える。
担当している男に聞けば、春樹は既婚者だという。もしかして、取材と言いながらも二人がデートをするのではないかとも思えてきた。だとしたら、いいネタができた。
こういう作家の世界も足の引っ張り合いで、倫子にスキャンダルがあればその名声が地に落ちる。正直、倫子は目の上のたんこぶなのだ。
芸能人のようにコメンテーターやCMに出ることもある。だが本業は作家なのだ。自分の作品に自信がないわけではない。倫子にはない感情の部分で読者を涙させる。だがどこかで倫子のように、狂った人間を書きたいとも思っていた。
そのためには倫子が邪魔だ。もし倫子が不倫をしていたなら……。思わず、改札口をくぐる二人の姿を携帯電話のカメラで収めた。
夕方よりは少し早い時間に再び二人は駅へ降りて自分たちの最寄り駅へ向かう電車に乗っていた。まだラッシュには早い時間で、電車の車内もすいている。それに空調が利いていて心地いい。
いい取材ができたと思う。倫子はそう思いながら、デジタルカメラに収められている画像を家に帰って掘り起こしながら、またプロットを立て直そうと思っていた。
だが春樹は少し倫子に振り回されたと、心の中でため息をついていた。デートというのは色気がなく、二人で来る意味はあったのかと思っていた。確かに取材に行くと誘われたが、本当に何もなかったからだ。手をつなぐことも、キスをすることもなくただ淡々と写真を撮ったり、廃校になった学校を見て回っていただけだったから。
倫子は元々こういう人だ。わかっている。だが少し不満だった。
「藤枝さん。この後どうしますか。」
「え?」
倫子は隣に座っていた春樹を見上げる。どうすると言っても、デートらしいデートではなかったのだ。本当なら、どこかへ行きたいと思う。
「いつも二人に任せっきりだし、今日は食事を用意しませんか。」
「良いですね。魚の一夜干しが、美味しいと聞いてますし。」
やはり何もなく帰るつもりなのだ。春樹は少しため息をつく。やはり一緒に住んでいたりしたら、手は出せないのが当たり前なのだ。
しかしこのままでは伊織に手を出されてしまう。焦る自分が、戸惑いを生む。
それを危惧して、わざと通話にしなかった。すると倫子からのメッセージはすぐにくる。
「泉のところにいる。すぐに駅へ行く。」
簡潔で絵文字も顔文字もない倫子のメッセージは、泉や伊織とは対照的だ。
喫煙所で倫子を待ちながら、携帯電話に入れた電子書籍を読んでいた。本を持ち歩くよりも手軽だが、あまり冊数は入らない。いっそ、専用の電子書籍リーダーを買うべきかと思う。電気屋で見かけたことはあるが、結構冊数もはいるらしい。ブックストアの中には、倫子のものもあるはずだ。人気があるらしいのは、そういう媒体を利用していることもある。
しばらくすると、喫煙所の中に一人の女性が入ってきた。白い長袖パーカーとスキニータイプのジーンズ。それに黒い鍔のある帽子。普通の女性が、喫煙することに少し意外に思った。だがその女性をよく見るとそれはいつもと様子の違う倫子の姿で、春樹は驚いて携帯電話をしまう。
「驚いた。そんな格好をしているなんて。」
「田舎ですから。入れ墨が目立つだろうと。それに……。」
倫子は隣に来るといつも持っているバッグではなくリュックから煙草を取り出した。
「何?」
「廃村ですよ。この季節ですし、虫も蛇も多いだろうと。」
倫子は田舎の出身だった。そういうことには慣れているのだろう。
「そうでしたか。」
「必要最低限のものだけをもってきました。藤枝さんもそうした方がいいですよ。」
春樹ではなく、藤枝さんと呼ぶ。春樹もそれに習って今は小泉さんと呼んだ方がいいだろう。誰が見ているかわからないのだから。
喫煙所を出ると、時計をみる。普段倫子たちが利用する電車はラッシュ時になれば数分に一本の割合で本数があるが、今から行くところはそんなに本数がない。その上乗り換えもしないといけないし、乗り換えるのにも時間がかかるかもしれないのだ。
「十時三十五分ですね。そこから○×駅で乗り換えて……。」
そのとき、春樹の元へ近寄ってくる人がいた。
「藤枝編集長。」
春樹は声をかけられて、ふとそちらをみる。そこには、サングラスをかけた端整な顔立ちの男がいた。その声に倫子もそちらをみる。そしてさっと視線をそらせた。倫子があまりテレビなどを見なくても知っている。それは荒田夕だった。
「荒田先生。お久しぶりです。」
「どこかへお出かけですか?」
「えぇ。取材にね。」
その言葉に、夕は隣にいる人も作家なのかと少し視線を送る。だが、すぐにその人が誰なのかわかったように笑顔になった。
「小泉倫子先生ですか。」
「えぇ。」
「普段と格好が違うから気がつきませんでしたよ。」
「取材へ行くので。」
倫子は夕に一別するだけだ。あまり深く話したくないということだろう。
「取材?仕事の?」
「えぇ。」
小説のネタは飯の種だ。それをべらべらと同業者に話したくないだろう。
「今度対談してくださるそうで、そのときは宜しくお願いします。」
「えぇ。宜しくお願いします。」
倫子はそういってその場を離れようとした。だが夕がそれに食いついてくる。
「何の仕事ですか?また殺人事件の話を?」
その言い方はまずい。倫子の仕事に難癖を付けているようだ。
「えぇ。」
だが倫子の表情は変わらない。だが夕と視線は合わせていない。おそらく受けた仕事だから対談をするだろうが、それ以降はつながりを持ちたくないと思っているのだろう。
「そういう話を作家同士で話すのはいかがですか。今度、本宮先生や我孫子先生と飲もうと……。」
「えぇ。また。」
普段の倫子なら、なんだかんだ言って誘われたくないと直接言うだろう。だがそれもしないまま、倫子は改札口の方へ向かう。
「じゃあ、荒田先生、また連絡をします。」
その後ろを春樹がいく。その二人を見て、夕は首を傾げた。作家と編集者が取材をしに行くのは結構あることだが、倫子はどちらかというと変装しているように見えるし、春樹はそれについて行くように見える。
担当している男に聞けば、春樹は既婚者だという。もしかして、取材と言いながらも二人がデートをするのではないかとも思えてきた。だとしたら、いいネタができた。
こういう作家の世界も足の引っ張り合いで、倫子にスキャンダルがあればその名声が地に落ちる。正直、倫子は目の上のたんこぶなのだ。
芸能人のようにコメンテーターやCMに出ることもある。だが本業は作家なのだ。自分の作品に自信がないわけではない。倫子にはない感情の部分で読者を涙させる。だがどこかで倫子のように、狂った人間を書きたいとも思っていた。
そのためには倫子が邪魔だ。もし倫子が不倫をしていたなら……。思わず、改札口をくぐる二人の姿を携帯電話のカメラで収めた。
夕方よりは少し早い時間に再び二人は駅へ降りて自分たちの最寄り駅へ向かう電車に乗っていた。まだラッシュには早い時間で、電車の車内もすいている。それに空調が利いていて心地いい。
いい取材ができたと思う。倫子はそう思いながら、デジタルカメラに収められている画像を家に帰って掘り起こしながら、またプロットを立て直そうと思っていた。
だが春樹は少し倫子に振り回されたと、心の中でため息をついていた。デートというのは色気がなく、二人で来る意味はあったのかと思っていた。確かに取材に行くと誘われたが、本当に何もなかったからだ。手をつなぐことも、キスをすることもなくただ淡々と写真を撮ったり、廃校になった学校を見て回っていただけだったから。
倫子は元々こういう人だ。わかっている。だが少し不満だった。
「藤枝さん。この後どうしますか。」
「え?」
倫子は隣に座っていた春樹を見上げる。どうすると言っても、デートらしいデートではなかったのだ。本当なら、どこかへ行きたいと思う。
「いつも二人に任せっきりだし、今日は食事を用意しませんか。」
「良いですね。魚の一夜干しが、美味しいと聞いてますし。」
やはり何もなく帰るつもりなのだ。春樹は少しため息をつく。やはり一緒に住んでいたりしたら、手は出せないのが当たり前なのだ。
しかしこのままでは伊織に手を出されてしまう。焦る自分が、戸惑いを生む。
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