54 / 384
同居
54
しおりを挟む
伊織は湯船に浸かりながら、昔のことを思い出していた。払拭させるように顔を洗うと、その湯船をでる。そして体を拭いて下着を身につけると、部屋着に着替えた。泉が後かたづけをしていたはずなので、台所へ向かう。すると泉は明日の朝の米をといでいた。
「風呂、あがったよ。」
「あー。倫子はまだ資料整理終わらないんでしょ?私先にはいるわ。」
炊飯器に米をセットすると、予約のスイッチを押す。
「春樹さんは帰ってこれるのかな。」
「校了の時は、食事をして帰るみたいだからいらないんじゃない?」
考えてみればそうだったか。そう思いながら、伊織はコップを取り出して麦茶を注ぐ。
「高柳鈴音ってさ。」
「ん?」
泉はエプロンを取ると、伊織の方を見る。
「男だろ?」
「そう。有名なパティシエでしょ?ほら、テレビとかにも出てるし。すごい男前。だけど腹が立つわ。」
泉はそういって不機嫌そうにエプロンを壁に掛ける。
「気分屋だもんね。倫子と良い勝負だ。」
「……さっきも思ったけど、知り合い?」
「うん。まぁね。俺の同期の兄だし。」
伊織は昔のことがあって、女にあまりがつがつしていなかった。それが大学の時も、就職してからも噂になることがあったことがある。
「入社して間もなくだったかな。高柳鈴音の店が新規オープンするからって、そのホームページのデザインの仕事があったんだ。」
ウェブ関係はあまり詳しくなかったが、それでも何とか形になった。これは採用されないだろうと思っていたのに、なぜか伊織のものは最終選考まであがったのだ。
「すごいじゃない。」
「身内が落とされて、何で俺が受かったんだろうってみんな不信がるのが先だったな。」
すごい見栄えがするわけでもないのにどうして残ったのか、伊織もそれが不思議だった。だから、噂を立てられたのだ。
「高柳鈴音ってね、ゲイの噂があるんだ。」
「ゲイ?」
「あれだけ男前なのに、女の噂の一つもたたないからだと思うけどね。だから、俺が体で仕事を取ったんじゃないかって。」
「……マジ?」
確かに伊織と住みだして少し時がたったが、女の影すらない。それは泉も少し思っていたことだった。
「俺は女が好きだよ。そんなこと真に受けないでくれよ。」
「そう?別にゲイだろうとバイだろうと、そんなのどうでもいいんだけど。」
結局伊織の案は最終選考で落ちた。だがその噂はいつまで立ってもつきまとっている。だから明日菜が伊織を目の敵にしているのも理由の一つだった。
「たとえそうだとしても体で仕事なんか取らないよ。」
「その後どうしたの?」
「んー。合コンに行って、彼女を作った。それでゲイの噂は消えたけどね。」
「その彼女ともうまく行かなかったの?」
「まぁ……俺、今は結構余裕がある方だけど、昔は仕事をしてたら連絡一つとるの面倒だったし。」
たまに倫子と伊織が重なるときがある。それはそういうところなのだろう。倫子も恋人がいるときがあるが、連絡を取るのをめんどくさいと思っていたのだ。
そのとき台所に倫子がやってきた。手にはコップが握られている。
「あー。目がチカチカする。」
そういって目頭を押さえた。
「パソコンばかり見てるからでしょ?たまには違うものをみた方がいいよ。」
「うん。だから明日は、取材。」
「島に行くって言ってたね。」
「うん。孤島よ。いろんな資料が集められそう。」
孤島に何を求めているのだろう。伊織はそう思いながら、飲み終わったコップをシンクにおく。
「一人で行くの?」
「そのつもりだけど。」
春樹と行くことは言っていない。きっと伊織は嫌がるだろうから。
「俺も行ってみたかったな。」
「伊織も?」
「明日急病で休もうかな。」
「そんなにぴんぴんしてるのに急病はないわ。」
泉はそういって笑いながら台所を出て行く。風呂にはいるつもりなのだろう。
「伊織。」
コップにお茶を注ぎながら、倫子は伊織の方を向く。
「何?」
「泉っていい子でしょう?」
「……。」
何が言いたいのだろう。伊織は少し倫子の方を見ながら、ため息をついた。
「そうだね。」
「でも、泉に手を出さないでね。」
「え?」
くっつけたいのかと思っていた。だからその言葉は意外だと思う。
「泉は処女だから。」
「あのさ……倫子。俺が前に行ったこと覚えてる?」
「……宿の招待券。」
その言葉に、伊織は顔色を変えた。やはり倫子は部屋にあったあの招待券を見ていたのだ。
「泉を誘いたいのかもしれないけれど、泉はずっと恋なんかしていないのよ。」
「違う。俺は……。」
「私は駄目よ。」
汚れているのだ。自分は、妻がいる人と寝てしまったのだ。作品のためといいわけをしながら、心がこんなに動いている。
「泉も駄目だから。」
もし泉が知ったら、泉は出て行く。不倫を一番嫌がっているのは泉なのだから。
「他の人を見て。ほら……いつか会ったわね。同期のあの人。きっと伊織に……。」
その言葉に、伊織は倫子の手を握って自分に引き寄せた。ぎゅっと抱きしめて、その温もりを確認する。愛しいなんて、ずっと忘れていた。
「倫子。」
名前を呼ぶ度に胸が張り裂けそうなくらい切ない。ずっとこうしていたかった。
だがその名前を呼ぶ声に倫子は伊織の体を引き離す。
「や……。」
そのとき玄関の方で音がした。春樹が帰ってきたのだろう。倫子は転がったコップを手にして、濡れた床を拭き始めた。
「ただいま。」
春樹が顔をのぞかせる。すると伊織はいつもの表情に変わった。
「あぁ……お帰り。今日は早かったんだね。」
「校了がやっと終わって、印刷所に納品してきた。あぁ、疲れたなぁ。部内の子はみんなご飯を食べに行ったけど、俺、昨日も寝てなくてね。」
「あぁ、そうだったんだ。何か用意しようか?今日がパオライスだったからちょっと刺激が強いかな。」
「そうだね。」
床を吹き終わった倫子は立ち上がるとその雑巾をおいて手を洗う。そして冷蔵庫を見ていた。
「雑炊でも作ろうか?」
「倫子さんがしてくれるの?」
「伊織は、さっきお風呂入ったばかりでしょ?髪でも乾かしたら?」
そういって倫子は、冷凍してあったご飯を手にする。その間、伊織を見ようともしなかった。
「風呂、あがったよ。」
「あー。倫子はまだ資料整理終わらないんでしょ?私先にはいるわ。」
炊飯器に米をセットすると、予約のスイッチを押す。
「春樹さんは帰ってこれるのかな。」
「校了の時は、食事をして帰るみたいだからいらないんじゃない?」
考えてみればそうだったか。そう思いながら、伊織はコップを取り出して麦茶を注ぐ。
「高柳鈴音ってさ。」
「ん?」
泉はエプロンを取ると、伊織の方を見る。
「男だろ?」
「そう。有名なパティシエでしょ?ほら、テレビとかにも出てるし。すごい男前。だけど腹が立つわ。」
泉はそういって不機嫌そうにエプロンを壁に掛ける。
「気分屋だもんね。倫子と良い勝負だ。」
「……さっきも思ったけど、知り合い?」
「うん。まぁね。俺の同期の兄だし。」
伊織は昔のことがあって、女にあまりがつがつしていなかった。それが大学の時も、就職してからも噂になることがあったことがある。
「入社して間もなくだったかな。高柳鈴音の店が新規オープンするからって、そのホームページのデザインの仕事があったんだ。」
ウェブ関係はあまり詳しくなかったが、それでも何とか形になった。これは採用されないだろうと思っていたのに、なぜか伊織のものは最終選考まであがったのだ。
「すごいじゃない。」
「身内が落とされて、何で俺が受かったんだろうってみんな不信がるのが先だったな。」
すごい見栄えがするわけでもないのにどうして残ったのか、伊織もそれが不思議だった。だから、噂を立てられたのだ。
「高柳鈴音ってね、ゲイの噂があるんだ。」
「ゲイ?」
「あれだけ男前なのに、女の噂の一つもたたないからだと思うけどね。だから、俺が体で仕事を取ったんじゃないかって。」
「……マジ?」
確かに伊織と住みだして少し時がたったが、女の影すらない。それは泉も少し思っていたことだった。
「俺は女が好きだよ。そんなこと真に受けないでくれよ。」
「そう?別にゲイだろうとバイだろうと、そんなのどうでもいいんだけど。」
結局伊織の案は最終選考で落ちた。だがその噂はいつまで立ってもつきまとっている。だから明日菜が伊織を目の敵にしているのも理由の一つだった。
「たとえそうだとしても体で仕事なんか取らないよ。」
「その後どうしたの?」
「んー。合コンに行って、彼女を作った。それでゲイの噂は消えたけどね。」
「その彼女ともうまく行かなかったの?」
「まぁ……俺、今は結構余裕がある方だけど、昔は仕事をしてたら連絡一つとるの面倒だったし。」
たまに倫子と伊織が重なるときがある。それはそういうところなのだろう。倫子も恋人がいるときがあるが、連絡を取るのをめんどくさいと思っていたのだ。
そのとき台所に倫子がやってきた。手にはコップが握られている。
「あー。目がチカチカする。」
そういって目頭を押さえた。
「パソコンばかり見てるからでしょ?たまには違うものをみた方がいいよ。」
「うん。だから明日は、取材。」
「島に行くって言ってたね。」
「うん。孤島よ。いろんな資料が集められそう。」
孤島に何を求めているのだろう。伊織はそう思いながら、飲み終わったコップをシンクにおく。
「一人で行くの?」
「そのつもりだけど。」
春樹と行くことは言っていない。きっと伊織は嫌がるだろうから。
「俺も行ってみたかったな。」
「伊織も?」
「明日急病で休もうかな。」
「そんなにぴんぴんしてるのに急病はないわ。」
泉はそういって笑いながら台所を出て行く。風呂にはいるつもりなのだろう。
「伊織。」
コップにお茶を注ぎながら、倫子は伊織の方を向く。
「何?」
「泉っていい子でしょう?」
「……。」
何が言いたいのだろう。伊織は少し倫子の方を見ながら、ため息をついた。
「そうだね。」
「でも、泉に手を出さないでね。」
「え?」
くっつけたいのかと思っていた。だからその言葉は意外だと思う。
「泉は処女だから。」
「あのさ……倫子。俺が前に行ったこと覚えてる?」
「……宿の招待券。」
その言葉に、伊織は顔色を変えた。やはり倫子は部屋にあったあの招待券を見ていたのだ。
「泉を誘いたいのかもしれないけれど、泉はずっと恋なんかしていないのよ。」
「違う。俺は……。」
「私は駄目よ。」
汚れているのだ。自分は、妻がいる人と寝てしまったのだ。作品のためといいわけをしながら、心がこんなに動いている。
「泉も駄目だから。」
もし泉が知ったら、泉は出て行く。不倫を一番嫌がっているのは泉なのだから。
「他の人を見て。ほら……いつか会ったわね。同期のあの人。きっと伊織に……。」
その言葉に、伊織は倫子の手を握って自分に引き寄せた。ぎゅっと抱きしめて、その温もりを確認する。愛しいなんて、ずっと忘れていた。
「倫子。」
名前を呼ぶ度に胸が張り裂けそうなくらい切ない。ずっとこうしていたかった。
だがその名前を呼ぶ声に倫子は伊織の体を引き離す。
「や……。」
そのとき玄関の方で音がした。春樹が帰ってきたのだろう。倫子は転がったコップを手にして、濡れた床を拭き始めた。
「ただいま。」
春樹が顔をのぞかせる。すると伊織はいつもの表情に変わった。
「あぁ……お帰り。今日は早かったんだね。」
「校了がやっと終わって、印刷所に納品してきた。あぁ、疲れたなぁ。部内の子はみんなご飯を食べに行ったけど、俺、昨日も寝てなくてね。」
「あぁ、そうだったんだ。何か用意しようか?今日がパオライスだったからちょっと刺激が強いかな。」
「そうだね。」
床を吹き終わった倫子は立ち上がるとその雑巾をおいて手を洗う。そして冷蔵庫を見ていた。
「雑炊でも作ろうか?」
「倫子さんがしてくれるの?」
「伊織は、さっきお風呂入ったばかりでしょ?髪でも乾かしたら?」
そういって倫子は、冷凍してあったご飯を手にする。その間、伊織を見ようともしなかった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。



とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる