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同居
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伊織の部屋に入ろうとドアを開ける。どうせエロ本とかが置いてあるのだろうと思っていた。だがそこには普段の伊織の部屋があるだけだった。よく整理整頓されたとは言い難いが、洗濯しているものくらいはタンスに入れておいた方がいいと思う。
「何もないじゃない。」
「下着なんか見られたくないよ。」
そう言って伊織は畳に置いてあった下着を手にして、タンスに入れる。
「下着くらい。」
「俺はイヤだよ。エロ本見られるよりイヤだね。」
別に特徴があるわけではないような下着だ。下着より中身の方が気になるものではないのだろうか。そう思いながら倫子は廊下へ出ようとした。
「食事、手伝おうか?」
「珍しいね。資料整理しなくてもいい?」
「食べてするわ。あまり急いでいないから。」
その後ろ姿に伊織はほっとした。下着に目がいっているだけで、特に机の上にあったものには興味がなさそうだった。
部屋に入り電気をつけると伊織は、パソコンの前にあったその封筒を手にする。
「富岡さんのおかげで、インターネットでの予約が多くなったんですよ。ありがとうございます。」
二、三日前に、ホームページのデザインをした温泉宿の主人が伊織に礼をしにわざわざやってきたのだ。当初、奇抜すぎるそのデザインに難癖を付けていたようだが、今ではそれを見てやってくる人も多くなってきたらしい。
「今度、恋人と来てくださいよ。」
そう言って期限はなかったが、宿泊券を二枚置いていったのだ。倫子の誕生日は十二月。それに併せて渡そうと思っていた。もちろん二人で行きたい。だからそれまでに気づかれないようにしないといけない。もちろん春樹にも。
伊織のガパオライスは、本場のものだ。ライムや香草の独特な香りと唐辛子の辛さが癖になりそうだ。
「美味しい。」
「だろ?向こうの大使館の料理人から習ったんだ。」
あの国にいた頃は、伊織はもうすでに大人になりかけていた。だから伊織がキッチンに入っても、お着きの料理人は何も言わなかったし、むしろ現地の料理を二つ三つ教えてくれたのだ。
「夏ももう終わるし、一回くらい食べておきたいと思って。」
「レストランとかでも食べれない?」
「微妙に違うんだよな。こっちの人の好みにしているのかもしれないけど。」
目玉焼きは半熟で、その黄身を潰すとさらに味が変わる。
「こっちの人はどうしても醤油とか味噌とか好きよね。」
倫子はその潰した卵の黄身を混ぜながら、少し思いを巡らせていた。
「どうしたの?」
「んー。やっぱり今度、外国へ行ってみようと思って。」
「外国?」
「まぁ……春樹さんのところで出す本に書き下ろした話を載せたんだけど、それが思った以上に評判がいいみたいなのよね。」
「発売前に?」
「電子書籍で、二、三ページ試し読みをこの間公開したの。」
電子書籍は倫子の望むところではない。本は紙が一番だと思っていたのが理由だが、今の時代そんなことは言っていられないだろう。
「アジアの方の話だったよね。」
「あなたの話を元に書いたけれど、やっぱり自分の目で見たいと思って。」
倫子らしいと思う。時代物を書くときはその資料だけではなく実際に現地へ向かって取材したり、雪山が舞台ならスキー場へ足を運ぶこともあるらしい。自分で思い、感じたことを文字にしたいと思っていたのだ。
「……あまり行くものじゃないよ。」
「どうして?」
「俺は表面的なことしか伝えてないんだ。俺の周りにはいい人しかいなかったし、実際はそんなに綺麗なところじゃないよ。」
「でも……。」
「一人で行くところじゃない。独身の女性が一人でふらふらしていれば、すぐに売られるんだ。そういうところだよ。」
倫子の言葉を遮るように、伊織は言う。行ってほしくなかったからだ。
「だったら、伊織がついてきてくれる?」
「俺?」
その言葉にスプーンを落としそうになった。あわててそれを拾う。
「馴染みはあるんでしょう?知っている人がいた方がいいわ。」
「倫子。君さ……。」
何を考えているんだ。少し前に、倫子が好きだと告白したばかりだろう。倫子はそれくらいどうでもいいことだったのか。それとも男として全く見ていないのか。
「冗談よ。もっとよく調べてから行くことにする。行くとしても来年くらいね。私、パスポートは失効しているし。」
「海外へ行ったことがあるの?」
「昔ね。」
それ以上は言わなかった。どこの国へ何をしに行ったのかも倫子は口にしなかった。
「ただいまぁ。」
そのとき泉の声がした。居間に泉がやってくると、泉は目を丸くして二人が食べているものを見る。
「焼きめし?」
「違う。ガパオライスだって。」
「辛いんでしょ?でもちょうどいいかも。」
「用意するよ。今日、泉早かったね。」
すると泉は口をとがらせて言う。
「倫子。聞いてよ。」
「どうしたの?」
倫子が話を聞いている間、伊織は台所へ行って食事の用意をした。冷蔵庫に入っている皿を手にすると、レンジで温める。今日、春樹は戻ってくるのかわからない。
食事を手にして居間に戻ってくると、倫子も怒っているようにスプーンを握りしめていた。
「何それ?馬鹿にしてんの?」
「でしょ?」
「どうしたの?」
泉はずっとクリスマスに向けたデザートの試作をしていた。そしてそれは、やっと昨日完成して本社にそのレシピと写真を送ったのだ。
すると帰ってきた返答は、今回は社員の作ったものは採用なしというものだったのだ。
「どうして?出来が悪いってわけじゃないんでしょう?」
「なんか、有名なパティシエがずっと作らないって言ってたのに、急に作るって言いだしたらしいわ。腹立つ。」
最初から目玉焼きの黄身を潰して、それを混ぜていた。そして口にそれを運ぶと、「辛い」といってまた水を飲んでいた。
「それだと、結局また作らないって言い出しかねないね。」
「有名人だからじゃない?あーもう。ここ何日かが水の泡だよ。」
泉はずっとあぁでもない。こうでもないと案を練っていた。そして見た目も良いようにと、伊織にアドバイスももらっていたりした。なのにそれを一瞬で壊す輩がいるのだ。
「本当、腹立つね。誰?そのパティシエ。」
倫子は食事を終えると、水を飲んだ。そして泉の方を見る。
「高柳鈴音っていう人。」
その名前に、伊織が今度は水を噴きそうになった。
「何もないじゃない。」
「下着なんか見られたくないよ。」
そう言って伊織は畳に置いてあった下着を手にして、タンスに入れる。
「下着くらい。」
「俺はイヤだよ。エロ本見られるよりイヤだね。」
別に特徴があるわけではないような下着だ。下着より中身の方が気になるものではないのだろうか。そう思いながら倫子は廊下へ出ようとした。
「食事、手伝おうか?」
「珍しいね。資料整理しなくてもいい?」
「食べてするわ。あまり急いでいないから。」
その後ろ姿に伊織はほっとした。下着に目がいっているだけで、特に机の上にあったものには興味がなさそうだった。
部屋に入り電気をつけると伊織は、パソコンの前にあったその封筒を手にする。
「富岡さんのおかげで、インターネットでの予約が多くなったんですよ。ありがとうございます。」
二、三日前に、ホームページのデザインをした温泉宿の主人が伊織に礼をしにわざわざやってきたのだ。当初、奇抜すぎるそのデザインに難癖を付けていたようだが、今ではそれを見てやってくる人も多くなってきたらしい。
「今度、恋人と来てくださいよ。」
そう言って期限はなかったが、宿泊券を二枚置いていったのだ。倫子の誕生日は十二月。それに併せて渡そうと思っていた。もちろん二人で行きたい。だからそれまでに気づかれないようにしないといけない。もちろん春樹にも。
伊織のガパオライスは、本場のものだ。ライムや香草の独特な香りと唐辛子の辛さが癖になりそうだ。
「美味しい。」
「だろ?向こうの大使館の料理人から習ったんだ。」
あの国にいた頃は、伊織はもうすでに大人になりかけていた。だから伊織がキッチンに入っても、お着きの料理人は何も言わなかったし、むしろ現地の料理を二つ三つ教えてくれたのだ。
「夏ももう終わるし、一回くらい食べておきたいと思って。」
「レストランとかでも食べれない?」
「微妙に違うんだよな。こっちの人の好みにしているのかもしれないけど。」
目玉焼きは半熟で、その黄身を潰すとさらに味が変わる。
「こっちの人はどうしても醤油とか味噌とか好きよね。」
倫子はその潰した卵の黄身を混ぜながら、少し思いを巡らせていた。
「どうしたの?」
「んー。やっぱり今度、外国へ行ってみようと思って。」
「外国?」
「まぁ……春樹さんのところで出す本に書き下ろした話を載せたんだけど、それが思った以上に評判がいいみたいなのよね。」
「発売前に?」
「電子書籍で、二、三ページ試し読みをこの間公開したの。」
電子書籍は倫子の望むところではない。本は紙が一番だと思っていたのが理由だが、今の時代そんなことは言っていられないだろう。
「アジアの方の話だったよね。」
「あなたの話を元に書いたけれど、やっぱり自分の目で見たいと思って。」
倫子らしいと思う。時代物を書くときはその資料だけではなく実際に現地へ向かって取材したり、雪山が舞台ならスキー場へ足を運ぶこともあるらしい。自分で思い、感じたことを文字にしたいと思っていたのだ。
「……あまり行くものじゃないよ。」
「どうして?」
「俺は表面的なことしか伝えてないんだ。俺の周りにはいい人しかいなかったし、実際はそんなに綺麗なところじゃないよ。」
「でも……。」
「一人で行くところじゃない。独身の女性が一人でふらふらしていれば、すぐに売られるんだ。そういうところだよ。」
倫子の言葉を遮るように、伊織は言う。行ってほしくなかったからだ。
「だったら、伊織がついてきてくれる?」
「俺?」
その言葉にスプーンを落としそうになった。あわててそれを拾う。
「馴染みはあるんでしょう?知っている人がいた方がいいわ。」
「倫子。君さ……。」
何を考えているんだ。少し前に、倫子が好きだと告白したばかりだろう。倫子はそれくらいどうでもいいことだったのか。それとも男として全く見ていないのか。
「冗談よ。もっとよく調べてから行くことにする。行くとしても来年くらいね。私、パスポートは失効しているし。」
「海外へ行ったことがあるの?」
「昔ね。」
それ以上は言わなかった。どこの国へ何をしに行ったのかも倫子は口にしなかった。
「ただいまぁ。」
そのとき泉の声がした。居間に泉がやってくると、泉は目を丸くして二人が食べているものを見る。
「焼きめし?」
「違う。ガパオライスだって。」
「辛いんでしょ?でもちょうどいいかも。」
「用意するよ。今日、泉早かったね。」
すると泉は口をとがらせて言う。
「倫子。聞いてよ。」
「どうしたの?」
倫子が話を聞いている間、伊織は台所へ行って食事の用意をした。冷蔵庫に入っている皿を手にすると、レンジで温める。今日、春樹は戻ってくるのかわからない。
食事を手にして居間に戻ってくると、倫子も怒っているようにスプーンを握りしめていた。
「何それ?馬鹿にしてんの?」
「でしょ?」
「どうしたの?」
泉はずっとクリスマスに向けたデザートの試作をしていた。そしてそれは、やっと昨日完成して本社にそのレシピと写真を送ったのだ。
すると帰ってきた返答は、今回は社員の作ったものは採用なしというものだったのだ。
「どうして?出来が悪いってわけじゃないんでしょう?」
「なんか、有名なパティシエがずっと作らないって言ってたのに、急に作るって言いだしたらしいわ。腹立つ。」
最初から目玉焼きの黄身を潰して、それを混ぜていた。そして口にそれを運ぶと、「辛い」といってまた水を飲んでいた。
「それだと、結局また作らないって言い出しかねないね。」
「有名人だからじゃない?あーもう。ここ何日かが水の泡だよ。」
泉はずっとあぁでもない。こうでもないと案を練っていた。そして見た目も良いようにと、伊織にアドバイスももらっていたりした。なのにそれを一瞬で壊す輩がいるのだ。
「本当、腹立つね。誰?そのパティシエ。」
倫子は食事を終えると、水を飲んだ。そして泉の方を見る。
「高柳鈴音っていう人。」
その名前に、伊織が今度は水を噴きそうになった。
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