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燃焼
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泊まることが前提なのだ。春樹は一度自宅に帰ると、一泊分の荷物をまとめた。その間にも作家からの連絡が来る。
「あぁ。そうですか。そういうときはですね、あまり無理して書くことはないですよ。美味しいものでも食べて、ゆっくり風呂にでも浸かって、書くこと以外のことをしていれば自然に書きたくなりますから。」
そういって担当をしていた作家に話をする。この作家はずっと担当をしていたが、編集長になって担当を降りた。若い編集者に任せたが、どうもこの作家を生かし切れていない。だからたまに春樹のところに連絡が来るのだ。
もしかしたら別の編集部から声がかかれば、そっちに流れるかもしれない。倫子はフリーでしているため、他の編集部から声がかかれば断らないで書いているようだ。だが相変わらず恋愛ものはだめだと思っているらしく、書いてもリジェクトされていることが多いらしい。倫子の望む、官能のものだと尚更だ。
ふと本棚を見ると、倫子の小説がある。それは自分が手がけたものではなく、別の出版社からのものだ。ジャンルは、ミステリーではなくファンタジーになるのだろう。これはシリーズ化されているらしく、こちらの本も評判は上々だ。
架空の帝国の城での殺人事件。そこから話は始まる。キャラクターをたてるのは苦手だと言っていたが、そこに出てくる士官が人気があるらしい。絵師をたてて、漫画雑誌にも連載している。
「戸崎出版」での作品は、現代物が多い。いずれこういう世界も買いてもらいたいとは思うが、倫子の気が乗らなければ書かないだろう。だから今度のは百歩譲って、歴史物を書いて欲しいといったのだ。
ぎしっ……。
妙な音がした。思わず本を棚にしまって音の出た方を見る。特に何もないようだが、この建物は相当古い。雨漏りもすることがあるのでよく管理会社に連絡することがあるが、そのたびに「新しい物件があるんですが、そちらに越しませんか」と言われるのだ。ようは出ていって欲しいと思っているのだろう。
大学生ばかりのこの近辺の建物は、確かに新しいものも多い。だがここには十年以上は住んでいるのだ。愛着もあるし、本を運び出すのも面倒だと思う。
築年数からすると、もう住めるのもぎりぎりかもしれない。そう思いながら、春樹はそのまま荷物を持つと部屋を出ていった。
泉はくたくたになりながら電車に乗りそのまま駅を降りると、雨が降っていた。
「あー。もう。」
合羽などは持ってない。濡れながら帰らないといけないのかと思っていたときだった。
「泉。」
声をかけられてそちらを見ると、そこには倫子の姿があった。
「倫子。迎えに来てくれたの?」
「傘を持ってなかったって思って。」
倫子の手には傘がある。こういうところが倫子は優しいのだ。
「自転車は置いていく?」
「パクられるのやだから、押して帰るよ。」
「そうね。明日も使うでしょう?」
「んー。そうだね。でも明日使うかなぁ。」
「どうして?」
「明日大雨だって。台風ならお店も閉めるだろうけど、大雨くらいなら営業するだろうし。」
片手でハンドルを握り、片手には傘を差した。リュックを背負っていると、こういうところが便利だ。
「夜は何か食べるの?」
「お楽しみがあるから。」
「え?」
「今日は仕事できないなぁ。」
倫子はそういって少し笑う。だが、通り過ぎた男が倫子の姿を見て高い口笛を鳴らす。
「おねぇちゃん。俺らと遊ばない?」
「やめとく。」
細い手足を惜しげもなく出した格好。隠すようにカーディガンを羽織っているが、入れ墨はそこからでものぞいてどう見てもヤクザの情婦か風俗嬢だ。
「バーカ。男連れじゃん。」
その言葉に泉は落ち込んだように首をもたげた。すると倫子は少し笑っていう。
「見た目でしか評価できないほうがバカなのよ。泉は誰よりも女らしいと思うから。」
「そう?」
「感謝してる。」
その言葉が一番嬉しかった。それだけでしっかり地に足を着けて歩ける気がする。
「ねぇ。お楽しみって何?」
「何かしらねぇ。」
誤魔化しながら、家に帰り着く。自転車を停めると、玄関を開けた。すると玄関先でもいい匂いがする。
「え?なんかすごいいい匂いがするね。」
「何かしらね。」
「カレー?」
家の中に入り居間へ行くと、そこには伊織と春樹がいた。
「お帰り。」
「え?藤枝さんも来てたんですか?」
「カレーに惹かれてね。本場のグリーンカレーだっていうから。」
伊織が作ったのだろう。昔本場のところに住んでいたのだ。レシピは体に染み着いているのだろう。
「そろそろ良いはずだ。倫子。肉はどうかな。」
「寝かせてるけど、そろそろ良いはずよ。泉、荷物を置いてきて。」
荷物を部屋に置いて、居間に戻る。するとテーブルにはカレーやサラダ、ローストビーフなんかが並んでいる。
「すごい。ご馳走。」
「あぁ。俺からはこれね。」
春樹はそういって台所にはいると、ワインのボトルを二本取り出した。
「ワイン?」
「一つはジュースだよ。昔、ブドウが有名な土地の出身の作家が、おみやげに置いていったのが美味しくてね。アンテナショップがあったからそこで買ってみた。阿川さん。味を見てよ。もう一つはワインだから、小泉先生用かな。」
「倫子。まだ飲む?」
「ワインは別腹でしょ?」
「腹が出るぞ。」
アルコールが駄目なこと。仕事の関係でイベントなんかに出れないこと。ご馳走なんかに縁がないこと。それを倫子は知っていて、用意してくれたのだ。
「嬉しい。」
そういって泉は笑いながら泣いていた。その様子に、倫子は呆れたように言う。
「ほら。主役が何を言ってるの。ケーキだってあるんだから。せっかくの誕生日でしょ?」
倫子はそういう優しさがある。情がわいた人には、尽くすのだから。
「祝ってくれるの店長だけかと思った。」
「何かくれたの?」
「コーヒー豆。」
「川村さんらしいね。そうだ。牧緒と亜美からも預かってたのよ。あとで持ってくるわ。」
泉を座らせると、倫子はワイングラスを取りに台所へ向かった。泉の誕生日を祝うために。
「あぁ。そうですか。そういうときはですね、あまり無理して書くことはないですよ。美味しいものでも食べて、ゆっくり風呂にでも浸かって、書くこと以外のことをしていれば自然に書きたくなりますから。」
そういって担当をしていた作家に話をする。この作家はずっと担当をしていたが、編集長になって担当を降りた。若い編集者に任せたが、どうもこの作家を生かし切れていない。だからたまに春樹のところに連絡が来るのだ。
もしかしたら別の編集部から声がかかれば、そっちに流れるかもしれない。倫子はフリーでしているため、他の編集部から声がかかれば断らないで書いているようだ。だが相変わらず恋愛ものはだめだと思っているらしく、書いてもリジェクトされていることが多いらしい。倫子の望む、官能のものだと尚更だ。
ふと本棚を見ると、倫子の小説がある。それは自分が手がけたものではなく、別の出版社からのものだ。ジャンルは、ミステリーではなくファンタジーになるのだろう。これはシリーズ化されているらしく、こちらの本も評判は上々だ。
架空の帝国の城での殺人事件。そこから話は始まる。キャラクターをたてるのは苦手だと言っていたが、そこに出てくる士官が人気があるらしい。絵師をたてて、漫画雑誌にも連載している。
「戸崎出版」での作品は、現代物が多い。いずれこういう世界も買いてもらいたいとは思うが、倫子の気が乗らなければ書かないだろう。だから今度のは百歩譲って、歴史物を書いて欲しいといったのだ。
ぎしっ……。
妙な音がした。思わず本を棚にしまって音の出た方を見る。特に何もないようだが、この建物は相当古い。雨漏りもすることがあるのでよく管理会社に連絡することがあるが、そのたびに「新しい物件があるんですが、そちらに越しませんか」と言われるのだ。ようは出ていって欲しいと思っているのだろう。
大学生ばかりのこの近辺の建物は、確かに新しいものも多い。だがここには十年以上は住んでいるのだ。愛着もあるし、本を運び出すのも面倒だと思う。
築年数からすると、もう住めるのもぎりぎりかもしれない。そう思いながら、春樹はそのまま荷物を持つと部屋を出ていった。
泉はくたくたになりながら電車に乗りそのまま駅を降りると、雨が降っていた。
「あー。もう。」
合羽などは持ってない。濡れながら帰らないといけないのかと思っていたときだった。
「泉。」
声をかけられてそちらを見ると、そこには倫子の姿があった。
「倫子。迎えに来てくれたの?」
「傘を持ってなかったって思って。」
倫子の手には傘がある。こういうところが倫子は優しいのだ。
「自転車は置いていく?」
「パクられるのやだから、押して帰るよ。」
「そうね。明日も使うでしょう?」
「んー。そうだね。でも明日使うかなぁ。」
「どうして?」
「明日大雨だって。台風ならお店も閉めるだろうけど、大雨くらいなら営業するだろうし。」
片手でハンドルを握り、片手には傘を差した。リュックを背負っていると、こういうところが便利だ。
「夜は何か食べるの?」
「お楽しみがあるから。」
「え?」
「今日は仕事できないなぁ。」
倫子はそういって少し笑う。だが、通り過ぎた男が倫子の姿を見て高い口笛を鳴らす。
「おねぇちゃん。俺らと遊ばない?」
「やめとく。」
細い手足を惜しげもなく出した格好。隠すようにカーディガンを羽織っているが、入れ墨はそこからでものぞいてどう見てもヤクザの情婦か風俗嬢だ。
「バーカ。男連れじゃん。」
その言葉に泉は落ち込んだように首をもたげた。すると倫子は少し笑っていう。
「見た目でしか評価できないほうがバカなのよ。泉は誰よりも女らしいと思うから。」
「そう?」
「感謝してる。」
その言葉が一番嬉しかった。それだけでしっかり地に足を着けて歩ける気がする。
「ねぇ。お楽しみって何?」
「何かしらねぇ。」
誤魔化しながら、家に帰り着く。自転車を停めると、玄関を開けた。すると玄関先でもいい匂いがする。
「え?なんかすごいいい匂いがするね。」
「何かしらね。」
「カレー?」
家の中に入り居間へ行くと、そこには伊織と春樹がいた。
「お帰り。」
「え?藤枝さんも来てたんですか?」
「カレーに惹かれてね。本場のグリーンカレーだっていうから。」
伊織が作ったのだろう。昔本場のところに住んでいたのだ。レシピは体に染み着いているのだろう。
「そろそろ良いはずだ。倫子。肉はどうかな。」
「寝かせてるけど、そろそろ良いはずよ。泉、荷物を置いてきて。」
荷物を部屋に置いて、居間に戻る。するとテーブルにはカレーやサラダ、ローストビーフなんかが並んでいる。
「すごい。ご馳走。」
「あぁ。俺からはこれね。」
春樹はそういって台所にはいると、ワインのボトルを二本取り出した。
「ワイン?」
「一つはジュースだよ。昔、ブドウが有名な土地の出身の作家が、おみやげに置いていったのが美味しくてね。アンテナショップがあったからそこで買ってみた。阿川さん。味を見てよ。もう一つはワインだから、小泉先生用かな。」
「倫子。まだ飲む?」
「ワインは別腹でしょ?」
「腹が出るぞ。」
アルコールが駄目なこと。仕事の関係でイベントなんかに出れないこと。ご馳走なんかに縁がないこと。それを倫子は知っていて、用意してくれたのだ。
「嬉しい。」
そういって泉は笑いながら泣いていた。その様子に、倫子は呆れたように言う。
「ほら。主役が何を言ってるの。ケーキだってあるんだから。せっかくの誕生日でしょ?」
倫子はそういう優しさがある。情がわいた人には、尽くすのだから。
「祝ってくれるの店長だけかと思った。」
「何かくれたの?」
「コーヒー豆。」
「川村さんらしいね。そうだ。牧緒と亜美からも預かってたのよ。あとで持ってくるわ。」
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