守るべきモノ

神崎

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進展

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 居酒屋というよりもおしゃれなダイニングバーみたいな店で、黒い壁やしきりに使っている薄い布がひらひらとエアコンの風で舞っている。それを見ながら、倫子はこんな店も知っているのかと少し感心した。おそらく作家と飲みにきたり、編集長ともなれば付き合いがあるのだろう。だからこういう店も知っておかなければいけないのだ。
「何を飲みます?」
 タブレット型のメニューには、いろんな飲み物があった。ビールも地ビールなんていうものもある。何が違うのかは倫子にはよくわからない。
「生で。」
「倫子。お前も生だろ?生三つと……盛り合わせ頼んでいい?」
「どうぞ。」
 忍は手際よくタブレットを扱いながら、適当につまみを選んでいく。こういうところは昔から変わらない。
「忍さんは、小泉先生とおいくつ違うんですか。」
「二つです。倫子の下にあともう一人いますよ。」
「栄輝はどう?」
「彼女出来たって言ってたな。お前、先を越されるぞ。」
「大学生じゃない。遊びに決まってるわ。」
 なるほど、大学生の弟がいるのか。春樹はそう思いながら、水を口に入れる。
「あぁ。小泉先生。昼間にいただいた原稿なんですけど、修正をさっき送ったんです。」
「わかりました。直して明日にでも送りますから。」
「しかし、こっちも面白かったですね。アジアの方の話でしたが、あちらの方へ行ったことが?」
「いいえ。ただ、伊織にいろいろ聞きました。実際行ってみるとまた違った感じに仕上がるのかもしれませんが。いずれは行ってみたいですね。」
 その会話に忍はまた首を傾げた。
「本が出るのか?」
「えぇ。この間終えた連載を本にするんです。文字数が少ないから、短編の話を追加で書き下ろしてもらいました。」
「あぁ。読んだよ。アレ。面白かった。お前、文章力がだんだん付いてくるな。」
「国語の先生から言われると、自信になるわね。」
「最初のは読めたもんじゃねぇけどな。」
 倫子以上に毒舌な男だ。しかし倫子も気を使っていないらしく、店員が運んできてくれた生ビールを三人に手渡す。
「で、兄さん何の用事なの?こんなところで話すことがあったんでしょ?他に聞かれたらいけないこと?」
「まぁ……な。実は、コレ。」
 忍はポケットから携帯電話を取り出す。そして倫子に画像を写して見せた。それを横から春樹も見る。そこにはがっちりとしたつんつんの紙を立たせて、濃いグレーのスーツを着た男が写っていた。がっちりした体格らしく、スーツがきつそうに思えた。
「何?この人。」
「「ますや」って知ってるか?」
「あぁ。温泉旅館でしょ?」
「そこの若旦那。奥さんが出ていって五年になるらしい。」
「で?」
「嫁にもらいたいんだとよ。お前を。」
 その言葉に春樹は思わずビールを噴きかけた。つまり見合いなのだろう。だが倫子は冷静にその画面を閉じると、忍にそれを返した。
「やめてよ。そんなの。うち家があるのよ。それを捨てて結婚なんて出来る訳ないじゃない。」
「売れば、ローンは一気に返せるだろ?それに、あっちは女将の業務とかしなくても仲居が代わりをしてくれる。お前の仕事ってのは別にどこでも出来るんだろ?」
 その言葉に春樹は少し笑った。あぁ、何もわかっていない素人の考えなのだと。
「海外にいて作家活動をしている人ってのもいるみたいだし、やろうと思えば……。」
「兄さん。それは違うわ。」
「何?」
「人気商売だもの。居間はそんなことをしなくても良いけれど、売り上げが落ちないように定期的に作品を書いている。それでも落ちるときは、私が営業に出ることもあるのよ。」
「営業?」
「インタビューを受けたり、誰かわからない人と対談をしたり、サイン会をしてファンとの交流もするわ。最初の本が出たときは、何かわからないイベントなんかにも出たことがある。」
「そんなことをしていたのか。」
「もし、その人と結婚しても、私がその家にずっと引きこもるようなことはないわ。それって妻って言えるの?」
「それは……。」
「兄さんは奥さんがずっと家にいなかったりしたら、やっぱり気分が悪いでしょう?」
「まぁな。うちは子供が産まれたばかりだし。」
 産休を取っているから、家にずっといるだけだ。忍の性格上、今までの仕事をやめてパート勤めをするようにし向けるだろう。男は稼いで、女は家を守るのが仕事だと信じている人だから。
「だから家なんか買うなって言ってたのに。ぼろいんだろ?お前の家。」
「古民家。」
「築何年だよ。」
「さぁ。戦前に建ってるって言ってたけれど。」
「そんな家を良く買うよ。」
 そんなに前に建っていたのか。だから至る所が古くさいのだ。
「女が家を買うと結婚できないとはよく言ったものだよな。」
 運ばれたサラダを倫子を受け取ると、手際よくそれを三人分に分けた。おそらくこう言うところを仕込まれているのだ。
 焼き肉を食べたときも思ったことだった。倫子はこういうところが染み着いていて離れない。だから書く作品も、どちらかというと女性が弱いところが多い。
「結婚なんかしないから。」
「倫子。女が子供を産まなくてどうするんだ。女が男並に働けるわけがないだろ。せめて子供くらい作っておけよ。」
「嫌よ。子供は嫌い。」
「生意気だな。お前。」
「今に始まったことじゃない。兄さんこそ、その男尊女卑辞めて。高校の先生がそんなのだったら、生徒に嫌われるわよ。」
 一発触発のような空気だった。その中に空気を読まない店員が、焼きなすを手にやってきた。
「焼きなすと揚げ出しです。」
「美味しそうですよ。」
 焼きなすを皿に入れると、春樹はそれを口にする。生姜醤油と鰹節が鰺を濃くしている。
「藤枝さん。」
「はい?」
 驚いて忍の方をみる。
「藤枝さんは結婚されてますよね。」
「はい。そうですが。」
「子供さんか誰かが入院されてるとか?」
「妻です。」
 春樹は箸を置いて、忍に言った。コレを言うのは倫子にも初めてだったかもしれない。
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