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意識
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「上岡古書店」を出た倫子と春樹は、駅の方へ向かっていた。もうすでに終電はでている時間なので、駅の方へ行けばタクシーが捕まると思っていたのだ。
「駅はまだ開いているんですね。」
駅はまだシャッターが閉まっていない。まだ動いている路線があるからだろう。そしてその駅からほど近くに、病院がある。この病院に春樹の妻である未来が眠っているのだ。
会社の近くの病院に転院をしてもらったのは、春樹がほとんど会社にいるからだろう。時期によっては、家にいる時間の方が少ないから、ここの病院の方が都合がいい。
「タクシーが無いですね。」
平日なのだからすぐに捕まるだろうと思っていたタクシーが、今日に限って一台もない。どういうことなんだろう。倫子はそう思いながら、行き交う人たちを見ていた。いつもの街とは様相が違う。派手に破れたジーパンを着た男。ミニスカートに網タイツの女。仮装行列のような格好だ。
「コスプレイベントでもあったんでしょうか。」
「コスプレにしては、アニメのキャラがいないですね。おそらく、音楽のイベントでしょう。」
「音楽……。」
倫子にはあまり縁がない。様相からしてパンクロッカーに間違えられることもあるが、この格好はただの趣味だし音楽と繋がりはない。
「どっちにしてもタクシーは捕まりにくいですかね。あきらめてネットカフェに行く人もいるみたいですよ。」
または朝まで飲み明かすのだろうか。倫子も一人ならそうしていたかもしれないが、今は春樹と一緒だ。春樹は明日仕事だし、そんなことに付き合わせてはいられない。
「タクシーの会社に問い合わせてみましょうか。どれくらいで来れるかとか……。」
携帯電話を取り出して、倫子はその番号を調べようとした。そのとき、その手を春樹が止める。
「何……。」
「今夜は一緒にいませんか。」
春樹はそういうと、熱っぽい視線で倫子を見下ろす。すると倫子は首を横に振った。やはり何か勘違いをしているようだ。
「嫌です。」
「倫子。」
「……あの建物、病院なんですよね。」
そういったあの建物というのは、駅からでも見える大きな病院だった。そこに春樹の妻である未来が眠っている。
「そうだけど……。」
「奥様が眠っている街で、他の女を抱けるほど無神経ですか。」
その言葉に春樹は頭をかいた。そう来ると思っていなかったからだ。
「小説の幅を広げたいのでしょう?」
今度は倫子が黙ってしまった。確かにここで夕方に会った、夏川英吾の言葉が頭を駆けめぐっている。官能小説にも愛はあるのだ。その愛を知らなければ、倫子は一皮剥けることは出来ない。
しかしその相手は春樹ではない。妻が居て、その妻のために毎日奔走しているのだ。一日も欠かすことなく妻の所へ行き、妻の容態が悪いと聞けば、仕事を放ってでも妻の所へ行くのだから。それだけ愛しているのだ。春樹の左手の薬指にはめられた指輪がそれを物語っている。
「小説の幅は広げたいです。でもその相手はあなたじゃない。」
「だったら誰?さっきの古書店の男?あのバーの店員?それとも一緒に住んでいる富岡君?」
「人を尻軽のように言わないで。」
「一通り経験していると言っていた。その相手とも何も感じなかったの?」
すると倫子は少し考えた。確かに経験はした。どうやら倫子はとても感じやすいらしく、普段の顔と全く違うらしい。それが男をかき立てるのだ。だが体は感じても、心までは征服されない。そう思っていた。だから、一度した相手と二度はない。
「何も。」
「え?」
「ぐったりするけれど……それ以上は何も。」
セックスにすら希望を持っていないのだろう。だから官能小説にリアリティがないと英吾から言われるのだ。
「だったら……。」
「自信があるの?」
そう聞かれて、今度は春樹が黙ってしまった。結婚前は付き合っていた女も居たし、それなりに遊んだこともある。だが威張って言えるほど経験が豊富なわけではない。
「倫子。」
「コレ以上は無駄でしょ?大人しく帰ることにしましょう。」
「そう思わない。担当として、あいつに言われたことも悔しいから。」
「自分のエゴのために、作家を利用しないで。」
「違う。」
「だったら何?私が奥さんがいる人と寝るメリットがわからない。」
「君のためだ。」
その言葉に倫子も黙ってしまった。そう来ると思ってなかったからだ。
「作家のためだったら、うちの奥さんだって何も言わない。」
「そんなに出来た人なの?」
「君は、うちの奥さんが見つけたんだ。」
まだ元気だった頃。同じ編集者だった未来は、選外になっていた倫子の小説をたまたま見つけたのだ。
「こんな文章を埋もれさせるなんて、どうかしてるわ。選考委員は、何考えてるの?」
形だけは選考委員で作家である高橋あずみが強く押したようになったが、本当は未来が見つけたのだ。とんとん拍子に本になり、人気がでて、映像化になった。
だからその意志を次ぎたいと思う。もし妻が目を覚まして、倫子が一人前の作家になっているのを一番喜ぶのはきっと妻だから。
「君に成長して欲しいと思う。」
愛を知って欲しいと思う。そのためなら、嘘でも演技でもして倫子を受け入れる。そういいわけをしないとすべてが崩れそうだ。
「……作品のために?」
倫子はやっとそれを理解したようにうなづいた。金で買える愛もあるだろう。だが無償でそれをするというのだ。妻がいるのには確かに引っかかるが、仕方ないのかもしれない。そう倫子も心の中でいいわけをした。
「わかった……。そうするわ。」
倫子はそういって携帯電話をしまう。
「始発は何時かな。」
「……この街で?」
駅の裏にラブホテルが数件ある。そこへ行こうと思っていたのだ。
「駄目かな。」
「たぶんこの様子だと一杯ね。待ってでもタクシーの方が良いわ。」
「俺の家に来る?」
「そっちの方が着替えられるでしょ?それにしてもどうして、そんな格好なの?」
いつもはポロシャツとスラックスみたいな格好なのに、今日はスーツを着ていた。
「会議があってね。」
「編集長になると大変だわ。」
倫子はそういってまた携帯電話を取り出す。タクシーは三十分後に来るようだ。
「三十分待つって……。」
少し離れて話をしていたのに、もう春樹は居なかった。どこへ行ったのだろう。
「駅はまだ開いているんですね。」
駅はまだシャッターが閉まっていない。まだ動いている路線があるからだろう。そしてその駅からほど近くに、病院がある。この病院に春樹の妻である未来が眠っているのだ。
会社の近くの病院に転院をしてもらったのは、春樹がほとんど会社にいるからだろう。時期によっては、家にいる時間の方が少ないから、ここの病院の方が都合がいい。
「タクシーが無いですね。」
平日なのだからすぐに捕まるだろうと思っていたタクシーが、今日に限って一台もない。どういうことなんだろう。倫子はそう思いながら、行き交う人たちを見ていた。いつもの街とは様相が違う。派手に破れたジーパンを着た男。ミニスカートに網タイツの女。仮装行列のような格好だ。
「コスプレイベントでもあったんでしょうか。」
「コスプレにしては、アニメのキャラがいないですね。おそらく、音楽のイベントでしょう。」
「音楽……。」
倫子にはあまり縁がない。様相からしてパンクロッカーに間違えられることもあるが、この格好はただの趣味だし音楽と繋がりはない。
「どっちにしてもタクシーは捕まりにくいですかね。あきらめてネットカフェに行く人もいるみたいですよ。」
または朝まで飲み明かすのだろうか。倫子も一人ならそうしていたかもしれないが、今は春樹と一緒だ。春樹は明日仕事だし、そんなことに付き合わせてはいられない。
「タクシーの会社に問い合わせてみましょうか。どれくらいで来れるかとか……。」
携帯電話を取り出して、倫子はその番号を調べようとした。そのとき、その手を春樹が止める。
「何……。」
「今夜は一緒にいませんか。」
春樹はそういうと、熱っぽい視線で倫子を見下ろす。すると倫子は首を横に振った。やはり何か勘違いをしているようだ。
「嫌です。」
「倫子。」
「……あの建物、病院なんですよね。」
そういったあの建物というのは、駅からでも見える大きな病院だった。そこに春樹の妻である未来が眠っている。
「そうだけど……。」
「奥様が眠っている街で、他の女を抱けるほど無神経ですか。」
その言葉に春樹は頭をかいた。そう来ると思っていなかったからだ。
「小説の幅を広げたいのでしょう?」
今度は倫子が黙ってしまった。確かにここで夕方に会った、夏川英吾の言葉が頭を駆けめぐっている。官能小説にも愛はあるのだ。その愛を知らなければ、倫子は一皮剥けることは出来ない。
しかしその相手は春樹ではない。妻が居て、その妻のために毎日奔走しているのだ。一日も欠かすことなく妻の所へ行き、妻の容態が悪いと聞けば、仕事を放ってでも妻の所へ行くのだから。それだけ愛しているのだ。春樹の左手の薬指にはめられた指輪がそれを物語っている。
「小説の幅は広げたいです。でもその相手はあなたじゃない。」
「だったら誰?さっきの古書店の男?あのバーの店員?それとも一緒に住んでいる富岡君?」
「人を尻軽のように言わないで。」
「一通り経験していると言っていた。その相手とも何も感じなかったの?」
すると倫子は少し考えた。確かに経験はした。どうやら倫子はとても感じやすいらしく、普段の顔と全く違うらしい。それが男をかき立てるのだ。だが体は感じても、心までは征服されない。そう思っていた。だから、一度した相手と二度はない。
「何も。」
「え?」
「ぐったりするけれど……それ以上は何も。」
セックスにすら希望を持っていないのだろう。だから官能小説にリアリティがないと英吾から言われるのだ。
「だったら……。」
「自信があるの?」
そう聞かれて、今度は春樹が黙ってしまった。結婚前は付き合っていた女も居たし、それなりに遊んだこともある。だが威張って言えるほど経験が豊富なわけではない。
「倫子。」
「コレ以上は無駄でしょ?大人しく帰ることにしましょう。」
「そう思わない。担当として、あいつに言われたことも悔しいから。」
「自分のエゴのために、作家を利用しないで。」
「違う。」
「だったら何?私が奥さんがいる人と寝るメリットがわからない。」
「君のためだ。」
その言葉に倫子も黙ってしまった。そう来ると思ってなかったからだ。
「作家のためだったら、うちの奥さんだって何も言わない。」
「そんなに出来た人なの?」
「君は、うちの奥さんが見つけたんだ。」
まだ元気だった頃。同じ編集者だった未来は、選外になっていた倫子の小説をたまたま見つけたのだ。
「こんな文章を埋もれさせるなんて、どうかしてるわ。選考委員は、何考えてるの?」
形だけは選考委員で作家である高橋あずみが強く押したようになったが、本当は未来が見つけたのだ。とんとん拍子に本になり、人気がでて、映像化になった。
だからその意志を次ぎたいと思う。もし妻が目を覚まして、倫子が一人前の作家になっているのを一番喜ぶのはきっと妻だから。
「君に成長して欲しいと思う。」
愛を知って欲しいと思う。そのためなら、嘘でも演技でもして倫子を受け入れる。そういいわけをしないとすべてが崩れそうだ。
「……作品のために?」
倫子はやっとそれを理解したようにうなづいた。金で買える愛もあるだろう。だが無償でそれをするというのだ。妻がいるのには確かに引っかかるが、仕方ないのかもしれない。そう倫子も心の中でいいわけをした。
「わかった……。そうするわ。」
倫子はそういって携帯電話をしまう。
「始発は何時かな。」
「……この街で?」
駅の裏にラブホテルが数件ある。そこへ行こうと思っていたのだ。
「駄目かな。」
「たぶんこの様子だと一杯ね。待ってでもタクシーの方が良いわ。」
「俺の家に来る?」
「そっちの方が着替えられるでしょ?それにしてもどうして、そんな格好なの?」
いつもはポロシャツとスラックスみたいな格好なのに、今日はスーツを着ていた。
「会議があってね。」
「編集長になると大変だわ。」
倫子はそういってまた携帯電話を取り出す。タクシーは三十分後に来るようだ。
「三十分待つって……。」
少し離れて話をしていたのに、もう春樹は居なかった。どこへ行ったのだろう。
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