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意識
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ぎりぎり終電に乗り込んで、泉と伊織はほっとしていた。三つくらいの駅とは言ってもタクシーはバカにならないだろうから。
「それにしても込んでるね。」
伊織はそう言ってドア側にいる泉の前に立つ。いくら男の子に見えると言っても、体の小さな女の子なのだ。酔って痴漢をする人もいるだろう。それを守るために伊織が前に立つ。電車の中は込んでいて、かなり密着しないといけない。だが伊織なのだ。男としてみていない泉にとっては、とくに気にすることではない。もしこれが春樹なら、顔も直視できないだろう。
「ライブがあったみたい。」
「ライブ?」
「有名なアーティストじゃないしインディーズだけど、人気があるバンドはあるのよ。」
「何てバンドかな。」
「何だったかしら。あまり覚えてない。でもこれだけ人気なら、すぐにメジャーデビューできそうね。」
「掃いて捨てるほどいるから、メジャーになるともっと厳しいよ。」
「詳しいわね。」
「芸大卒だよ。一応ね。」
芸術大学は音楽をしている人も多かった中で、メジャーデビューをしたい人も多かった。だが現実は厳しいことは、卒業してわかる。オーケストラの一員になっても生活は厳しく、結局音楽教室の教師をしながらという人はまだいい方だろう。大学をでて、また資格を取り直しに専門学校へ行ったり、教師の道を選ぶ人も、全く違う仕事に就く人も多いのだ。
「この先、少し揺れますのでお気をつけ下さい。」
駅について、車内放送が流れる。電車が進み始めると、その言葉の通り電車がガタンと音を立てて少し揺れた。
「きゃっ。」
車内で女性の声が響く。泉も体勢を崩しかけて、伊織の方へ倒れそうになった。だがそこは踏ん張って体勢を整える。だが伊織は思わず掴んでいた棒を離して、泉の後ろの壁に手を置いた。さっきよりも近い。
「……。」
おそるおそる伊織の方を見上げる。細いシャープな顎が見えて、その顎には薄く髭の剃り跡があった。普段、高校生のように若々しい伊織だが、その剃り跡を見て男だと思った。
「悪い。」
揺れが収まって、伊織は体勢を整え直す。そしてまた近くにある棒に捕まった。
「謝らなくても良いよ。別に。」
泉はそういって伊織から視線を逸らした。
「いつもこんなに揺れないのにな。」
「時間が違うからじゃない?」
そういうのが精一杯だった。
倫子が伊織を一緒に住まわせたいと言った時のことを思い出す。泉は何も考えずに、倫子が住まわせたいならそれでかまわないと言ったはずだった。家主は倫子なのだから文句なんか言えない。文句があるなら出て行く選択肢だってあったのだから。
それに伊織には、男であるとか女であるとかという感覚が一切無い。人間として親しくなれると思っていた。しかしやはり男なのだ。そう思うとまともに伊織の顔が見れない。
「そろそろ着くね。」
次の駅が最寄り駅だ。駅に着くのにスピードが落ちて、電車が停まる。ドアが開くと、泉は真っ先に電車から降りていった。その様子を見て、伊織も全く泉が男に慣れていないのを感じたのだろう。その後ろを歩いていく。
駅の前にはコンビニやスーパーがある。スーパーはもうこの時間になればやっていないが、少し離れたところにあるスーパーは二十四時間営業をしている。こちらの方が少し割高だ。
「今日のご飯は明日に回そうか。」
「何か用意していたの?」
「鰯の梅煮。」
「鰯は好きよ。」
「小骨が多いから苦手な人が多いのに。」
「骨くらい食べた方が良いわ。倫子も鰯は好きだもの。」
その言葉に伊織は少し笑った。倫子はあまり食事の好き嫌いはないが、和食が好きなのだという。泉もあまり好き嫌いはないが、生のものは昔から食べるべきではないと言われていた。だから今日も、半生で食べられるという塩タンには手を付けなかったのだ。
「鰯は足が早いからね。なるべく明日中に作りたいな。」
「伊織の方が早く帰れそう?」
「今はあまり忙しい時期じゃないから。」
「あれだったら、私朝仕込んでも良いよ。私の方が遅く出るし、倫子だって火くらいは止めるでしょう?」
「そうだね。」
泉はそういって自転車を引く。もう意識しない。せっかく良い友達になれると思っていたのだから。こんなことで男だ、女だと意識したくない。
「倫子は、タクシーで帰るのかな。」
「そうじゃないの?もしかしたら、私たちより早く帰ってくるかもね。」
「帰ってくるのかな。」
その言葉に泉は不思議そうに伊織をみる。そしてやっと理解したように伊織に言った。
「藤枝さんって既婚者でしょ?何もないわよ。」
「わかんないよ。俺も人づてで聞いただけだけど、藤枝さんの奥さんって新婚旅行の帰りのタクシーで事故に巻き込まれて、それから意識不明が五年も続いているらしいからね。」
「五年も?」
その話は初めて聞いた。驚いたように泉は伊織の方をみる。
「さっきもあんな話をしてたし、誘われたら行くんじゃないの?」
「それでも既婚者じゃない。」
ムキになって泉はそういう。その様子に、伊織は少し不思議に思った。
「何かあったの?」
「え?」
「既婚者ってずいぶんムキになるなって思って。」
すると泉は手を振っていった。
「別に特別なことじゃないわ。倫子がそんなに節操ないと思えないから。」
「出張ホストに手を出そうとしてたのに?」
「それは小説のためでしょう?」
小説のためなら、何でもしそうだ。もし不倫ものをかけといわれたら不倫でも何でもしそうだと思う。
「小説のために何でもするんなら、人殺しでもするかな。」
「それとこれとは別でしょ?伊織、倫子を何だと思ってるの?」
「……俺の最初からのイメージは変わらないよ。」
火傷を隠すために入れ墨を入れた。それからは肌を露出させるような格好をしている。それを見て近づこうとする男を見ている。女が倫子を噂しているのを、冷ややかな目で観察をしている。それは全部、小説のネタになっていた。
倫子の小説は共通して言えるのは、「普通の人が一番怖い」ということだと思う。それは伊織が一番わかっていることだった。
涼しい顔をして人を踏みつぶす人が、本当にこの世の中にいるのだから。
「それにしても込んでるね。」
伊織はそう言ってドア側にいる泉の前に立つ。いくら男の子に見えると言っても、体の小さな女の子なのだ。酔って痴漢をする人もいるだろう。それを守るために伊織が前に立つ。電車の中は込んでいて、かなり密着しないといけない。だが伊織なのだ。男としてみていない泉にとっては、とくに気にすることではない。もしこれが春樹なら、顔も直視できないだろう。
「ライブがあったみたい。」
「ライブ?」
「有名なアーティストじゃないしインディーズだけど、人気があるバンドはあるのよ。」
「何てバンドかな。」
「何だったかしら。あまり覚えてない。でもこれだけ人気なら、すぐにメジャーデビューできそうね。」
「掃いて捨てるほどいるから、メジャーになるともっと厳しいよ。」
「詳しいわね。」
「芸大卒だよ。一応ね。」
芸術大学は音楽をしている人も多かった中で、メジャーデビューをしたい人も多かった。だが現実は厳しいことは、卒業してわかる。オーケストラの一員になっても生活は厳しく、結局音楽教室の教師をしながらという人はまだいい方だろう。大学をでて、また資格を取り直しに専門学校へ行ったり、教師の道を選ぶ人も、全く違う仕事に就く人も多いのだ。
「この先、少し揺れますのでお気をつけ下さい。」
駅について、車内放送が流れる。電車が進み始めると、その言葉の通り電車がガタンと音を立てて少し揺れた。
「きゃっ。」
車内で女性の声が響く。泉も体勢を崩しかけて、伊織の方へ倒れそうになった。だがそこは踏ん張って体勢を整える。だが伊織は思わず掴んでいた棒を離して、泉の後ろの壁に手を置いた。さっきよりも近い。
「……。」
おそるおそる伊織の方を見上げる。細いシャープな顎が見えて、その顎には薄く髭の剃り跡があった。普段、高校生のように若々しい伊織だが、その剃り跡を見て男だと思った。
「悪い。」
揺れが収まって、伊織は体勢を整え直す。そしてまた近くにある棒に捕まった。
「謝らなくても良いよ。別に。」
泉はそういって伊織から視線を逸らした。
「いつもこんなに揺れないのにな。」
「時間が違うからじゃない?」
そういうのが精一杯だった。
倫子が伊織を一緒に住まわせたいと言った時のことを思い出す。泉は何も考えずに、倫子が住まわせたいならそれでかまわないと言ったはずだった。家主は倫子なのだから文句なんか言えない。文句があるなら出て行く選択肢だってあったのだから。
それに伊織には、男であるとか女であるとかという感覚が一切無い。人間として親しくなれると思っていた。しかしやはり男なのだ。そう思うとまともに伊織の顔が見れない。
「そろそろ着くね。」
次の駅が最寄り駅だ。駅に着くのにスピードが落ちて、電車が停まる。ドアが開くと、泉は真っ先に電車から降りていった。その様子を見て、伊織も全く泉が男に慣れていないのを感じたのだろう。その後ろを歩いていく。
駅の前にはコンビニやスーパーがある。スーパーはもうこの時間になればやっていないが、少し離れたところにあるスーパーは二十四時間営業をしている。こちらの方が少し割高だ。
「今日のご飯は明日に回そうか。」
「何か用意していたの?」
「鰯の梅煮。」
「鰯は好きよ。」
「小骨が多いから苦手な人が多いのに。」
「骨くらい食べた方が良いわ。倫子も鰯は好きだもの。」
その言葉に伊織は少し笑った。倫子はあまり食事の好き嫌いはないが、和食が好きなのだという。泉もあまり好き嫌いはないが、生のものは昔から食べるべきではないと言われていた。だから今日も、半生で食べられるという塩タンには手を付けなかったのだ。
「鰯は足が早いからね。なるべく明日中に作りたいな。」
「伊織の方が早く帰れそう?」
「今はあまり忙しい時期じゃないから。」
「あれだったら、私朝仕込んでも良いよ。私の方が遅く出るし、倫子だって火くらいは止めるでしょう?」
「そうだね。」
泉はそういって自転車を引く。もう意識しない。せっかく良い友達になれると思っていたのだから。こんなことで男だ、女だと意識したくない。
「倫子は、タクシーで帰るのかな。」
「そうじゃないの?もしかしたら、私たちより早く帰ってくるかもね。」
「帰ってくるのかな。」
その言葉に泉は不思議そうに伊織をみる。そしてやっと理解したように伊織に言った。
「藤枝さんって既婚者でしょ?何もないわよ。」
「わかんないよ。俺も人づてで聞いただけだけど、藤枝さんの奥さんって新婚旅行の帰りのタクシーで事故に巻き込まれて、それから意識不明が五年も続いているらしいからね。」
「五年も?」
その話は初めて聞いた。驚いたように泉は伊織の方をみる。
「さっきもあんな話をしてたし、誘われたら行くんじゃないの?」
「それでも既婚者じゃない。」
ムキになって泉はそういう。その様子に、伊織は少し不思議に思った。
「何かあったの?」
「え?」
「既婚者ってずいぶんムキになるなって思って。」
すると泉は手を振っていった。
「別に特別なことじゃないわ。倫子がそんなに節操ないと思えないから。」
「出張ホストに手を出そうとしてたのに?」
「それは小説のためでしょう?」
小説のためなら、何でもしそうだ。もし不倫ものをかけといわれたら不倫でも何でもしそうだと思う。
「小説のために何でもするんなら、人殺しでもするかな。」
「それとこれとは別でしょ?伊織、倫子を何だと思ってるの?」
「……俺の最初からのイメージは変わらないよ。」
火傷を隠すために入れ墨を入れた。それからは肌を露出させるような格好をしている。それを見て近づこうとする男を見ている。女が倫子を噂しているのを、冷ややかな目で観察をしている。それは全部、小説のネタになっていた。
倫子の小説は共通して言えるのは、「普通の人が一番怖い」ということだと思う。それは伊織が一番わかっていることだった。
涼しい顔をして人を踏みつぶす人が、本当にこの世の中にいるのだから。
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