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和室
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倫子の部屋にやってきたのは、春樹だけではなかった。その後ろには見覚えのある人がいる。そうだ。デザイン事務所の男だ。何の用事だろうと、倫子は思いながら台所でお茶を入れた。
「どうぞ。」
今に通されている二人は、きちんと正座をしてこちらを見ている。まるで親子のようにも思えた。
「すいませんね。お茶までもらうつもりはなかったんですけど。」
「いいえ。助けてくれたし。」
「助けた?」
春樹には全く倫子を助けたという自覚はなかったのだ。ただ、仕事のためにここに来ただけだろう。
「いいえ。何でも。」
「昼間はお世話になりました。確かに軽く熱中症になってたようで、あのドリンクを飲んだら一気に気分が良くなりましたよ。」
「それは良かった。」
湯飲みを伊織の前にも置く。伊織はその手を見て少し違和感を覚えた。派手とは言い難いが、黒一色の蛇の柄の入れ墨だ。なのにこんなに丁寧にお茶を入れる女性だったらしい。見た目にはよらない。
「お礼をしたくて。これを。」
そう言って春樹は箱に入った菓子を差し出した。
「そんな滅多なことをしたわけでは……。」
「でもあのままだったら倒れていたと。」
「今日は暑かったですからね。」
伊織はそう言ってお茶を口に入れる。温かいお茶はペットボトルのお茶ではなく、入れ立ての香りがして気持ちいい。
「それにしても……家出?富岡さん。」
伊織の後ろにあるのはキャリーバッグだった。赤いキャリーバッグは、一週間くらいの海外へ行く人用のもののように見える。
「あー家出じゃなくて、実は家を探してて。」
「家?」
「今まで在宅勤務していたんですよ。母方の祖母が一人暮らしをしてたから、面倒を見るからって。けど、正月に祖母が死んだんです。」
「老衰で?」
「えぇ。まぁ……九十近かったし。」
老衰なら仕方がないだろう。倫子はそう思ってお茶を口に入れる。
「家も畑もあったんですけど、俺、孫だから別に権利があるわけでもないし。」
「それでも居ようと思えば居れるわよね。追い出されたの?」
「じゃなくて、会社が……在宅をする理由はないのだから、ちゃんと出社して欲しいと。」
「それで家を探してたわけだ。」
納得して、倫子は灰皿を引き寄せる。そして煙草に火をつけた。
「最悪ウィークリーでも良いかと思って。」
「ふーん。ここ広いから別に間借りしても良いけど、残念ながらここ女しかいないのよね。」
「女性?」
「あと一人、大学の時の友達。」
同じくらいの歳だろうか。いくつなのか知らないが、似たような人だろう。春樹は気が付いていなかったが、先ほどの倫子は襲われかけていた。家の中とはいえタンクトップ一枚とショートパンツだけだったら、誰でも誘われていると思うだろう。
こんな中で暮らしていたら、どうにかなりそうだ。もちろん別の意味でも。
「藤枝さん。やっぱ、駄目ですよ。無理ゲーです。」
春樹が伊織をここに連れて来たのは本だけが理由ではない。いつか倫子から間借りをさせれるような人がいたら紹介して欲しいと相談があったのを思い出して、伊織を連れて来たのだ。
「そんな若い子ぶっても、二十七だろ?君。」
その言葉に倫子は驚いて、伊織をみる。
「年上?」
灰を落として伊織を見ると、確かに年上と言われれば年上に見えないこともない。
「え?年下?」
「二十五だけど。あー二十六に今年なるんだっけ。」
「それにしてはしっかりしてないよね。富岡さんって言うよりも伊織君って言われる方が多いんじゃない?」
「その通りですけど……。」
あんたには言われたくない。そう思いながら伊織はまたお茶に口を付ける。
「年上なら自制が効くかしら。」
「そりゃ……。」
「まぁ同居している子にも聞かないといけないし、今すぐにどうぞとは言えないけど。」
「そう言えば、阿川さんはどこかへ行っているんですか?」
「大学の時の友達と飲みに行ってますよ。明日彼女は休みなんです。」
「若いですね。俺なんてもうこの歳になると、十二時過ぎると眠くなってしまって。」
きっと泉がここにいたら、喜んでいただろう。何せ憧れの春樹が居るのだから。
「一晩だけでも泊まる?部屋空いてるし。布団はこの間干したばかりだし。お風呂はさっき入ったし。」
「良いんですか?」
「どうせ、ネットカフェとかそういうところに泊まろうとしてたんでしょ?ご飯は?余り物で良ければ出せるけど。」
「ありがとうございます。」
「作ったの私じゃないし。」
そういって倫子は煙草を消すと、台所へ向かった。
「いい人ですね。」
「人によるんだよ。小泉先生は。君は結構気に入られている方だ。」
その言葉に少し伊織の頬が赤くなった。こんなところまで初なのだろう。
「藤枝さんはどうなさいますか。」
「あ、俺も食べてなくてですね。」
「ご飯が足りないな。冷凍ご飯で良いか。」
ついでに鰺フライも足りそうにない。仕方ない、軽く何か一品作るかと、冷蔵庫をみる。すると春樹がキッチンの中に入ってくる。
「手伝いますよ。」
「良いですよ。お客さんだし。」
「食べさせてくれるからですね。何がありますか?」
「キャベツとなすで味噌いため。」
「良いですねぇ。なすは好きですよ。」
「それは良かった。なす乱切りにしてもらえます?」
「はいはい。」
春樹はなすを受け取ると、包丁とまな板を取り出す。その間、倫子はガスの前でスープを温め始めた。その姿に妻をなぜか重ねてしまう。
一緒に住んでいた時期はない。だが、妻の部屋へ行った時に妻が料理をしてくれた。それを思い出す。
「野菜好きだよね。春樹さんは。でも肉も魚も食べないといけないわよ。」
その言葉が耳から離れない。そしてもう二度と言われることはない。妻が目を覚ます確率は五パーセントに満たないというのだ。
「小泉先生。」
「何?」
台所に立っている二人に、伊織が近づいてきた。
「何かすることないかって思って。」
「台所に二人行ると邪魔。自分が寝る部屋の換気をしてくれば?廊下を出て玄関と逆の方向へいって、一つ目の隣の部屋使って良いから。押入には布団が入ってる。」
「どうぞ。」
今に通されている二人は、きちんと正座をしてこちらを見ている。まるで親子のようにも思えた。
「すいませんね。お茶までもらうつもりはなかったんですけど。」
「いいえ。助けてくれたし。」
「助けた?」
春樹には全く倫子を助けたという自覚はなかったのだ。ただ、仕事のためにここに来ただけだろう。
「いいえ。何でも。」
「昼間はお世話になりました。確かに軽く熱中症になってたようで、あのドリンクを飲んだら一気に気分が良くなりましたよ。」
「それは良かった。」
湯飲みを伊織の前にも置く。伊織はその手を見て少し違和感を覚えた。派手とは言い難いが、黒一色の蛇の柄の入れ墨だ。なのにこんなに丁寧にお茶を入れる女性だったらしい。見た目にはよらない。
「お礼をしたくて。これを。」
そう言って春樹は箱に入った菓子を差し出した。
「そんな滅多なことをしたわけでは……。」
「でもあのままだったら倒れていたと。」
「今日は暑かったですからね。」
伊織はそう言ってお茶を口に入れる。温かいお茶はペットボトルのお茶ではなく、入れ立ての香りがして気持ちいい。
「それにしても……家出?富岡さん。」
伊織の後ろにあるのはキャリーバッグだった。赤いキャリーバッグは、一週間くらいの海外へ行く人用のもののように見える。
「あー家出じゃなくて、実は家を探してて。」
「家?」
「今まで在宅勤務していたんですよ。母方の祖母が一人暮らしをしてたから、面倒を見るからって。けど、正月に祖母が死んだんです。」
「老衰で?」
「えぇ。まぁ……九十近かったし。」
老衰なら仕方がないだろう。倫子はそう思ってお茶を口に入れる。
「家も畑もあったんですけど、俺、孫だから別に権利があるわけでもないし。」
「それでも居ようと思えば居れるわよね。追い出されたの?」
「じゃなくて、会社が……在宅をする理由はないのだから、ちゃんと出社して欲しいと。」
「それで家を探してたわけだ。」
納得して、倫子は灰皿を引き寄せる。そして煙草に火をつけた。
「最悪ウィークリーでも良いかと思って。」
「ふーん。ここ広いから別に間借りしても良いけど、残念ながらここ女しかいないのよね。」
「女性?」
「あと一人、大学の時の友達。」
同じくらいの歳だろうか。いくつなのか知らないが、似たような人だろう。春樹は気が付いていなかったが、先ほどの倫子は襲われかけていた。家の中とはいえタンクトップ一枚とショートパンツだけだったら、誰でも誘われていると思うだろう。
こんな中で暮らしていたら、どうにかなりそうだ。もちろん別の意味でも。
「藤枝さん。やっぱ、駄目ですよ。無理ゲーです。」
春樹が伊織をここに連れて来たのは本だけが理由ではない。いつか倫子から間借りをさせれるような人がいたら紹介して欲しいと相談があったのを思い出して、伊織を連れて来たのだ。
「そんな若い子ぶっても、二十七だろ?君。」
その言葉に倫子は驚いて、伊織をみる。
「年上?」
灰を落として伊織を見ると、確かに年上と言われれば年上に見えないこともない。
「え?年下?」
「二十五だけど。あー二十六に今年なるんだっけ。」
「それにしてはしっかりしてないよね。富岡さんって言うよりも伊織君って言われる方が多いんじゃない?」
「その通りですけど……。」
あんたには言われたくない。そう思いながら伊織はまたお茶に口を付ける。
「年上なら自制が効くかしら。」
「そりゃ……。」
「まぁ同居している子にも聞かないといけないし、今すぐにどうぞとは言えないけど。」
「そう言えば、阿川さんはどこかへ行っているんですか?」
「大学の時の友達と飲みに行ってますよ。明日彼女は休みなんです。」
「若いですね。俺なんてもうこの歳になると、十二時過ぎると眠くなってしまって。」
きっと泉がここにいたら、喜んでいただろう。何せ憧れの春樹が居るのだから。
「一晩だけでも泊まる?部屋空いてるし。布団はこの間干したばかりだし。お風呂はさっき入ったし。」
「良いんですか?」
「どうせ、ネットカフェとかそういうところに泊まろうとしてたんでしょ?ご飯は?余り物で良ければ出せるけど。」
「ありがとうございます。」
「作ったの私じゃないし。」
そういって倫子は煙草を消すと、台所へ向かった。
「いい人ですね。」
「人によるんだよ。小泉先生は。君は結構気に入られている方だ。」
その言葉に少し伊織の頬が赤くなった。こんなところまで初なのだろう。
「藤枝さんはどうなさいますか。」
「あ、俺も食べてなくてですね。」
「ご飯が足りないな。冷凍ご飯で良いか。」
ついでに鰺フライも足りそうにない。仕方ない、軽く何か一品作るかと、冷蔵庫をみる。すると春樹がキッチンの中に入ってくる。
「手伝いますよ。」
「良いですよ。お客さんだし。」
「食べさせてくれるからですね。何がありますか?」
「キャベツとなすで味噌いため。」
「良いですねぇ。なすは好きですよ。」
「それは良かった。なす乱切りにしてもらえます?」
「はいはい。」
春樹はなすを受け取ると、包丁とまな板を取り出す。その間、倫子はガスの前でスープを温め始めた。その姿に妻をなぜか重ねてしまう。
一緒に住んでいた時期はない。だが、妻の部屋へ行った時に妻が料理をしてくれた。それを思い出す。
「野菜好きだよね。春樹さんは。でも肉も魚も食べないといけないわよ。」
その言葉が耳から離れない。そしてもう二度と言われることはない。妻が目を覚ます確率は五パーセントに満たないというのだ。
「小泉先生。」
「何?」
台所に立っている二人に、伊織が近づいてきた。
「何かすることないかって思って。」
「台所に二人行ると邪魔。自分が寝る部屋の換気をしてくれば?廊下を出て玄関と逆の方向へいって、一つ目の隣の部屋使って良いから。押入には布団が入ってる。」
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