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和室
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会社に帰ってきた春樹は、デスクの上のパソコンをまた立ち上げた。さっきまで会っていた女性の原稿をチェックする。トリックはよくありがちだが、この女性の場合の文章はどちらかというと推理と言うよりは人間関係をよく書いていると思っていた。人間の綺麗な部分と汚い部分がよく出ている。
思えば倫子のものを読んだとき、思わず次はどうなるのだろうと次々に原稿を読んでいたことを思い出す。それくらいトリックも人間関係も巧妙だったのだ。
「編集長。」
隣の席の加藤絵里子が、春樹に声をかけてきた。
「どうした?」
「最新号の増刷が決まりましたよ。」
「そう。良かった。」
今回出したのは、倫子の小説のクライマックスだったのだ。インターネットの世界では誰が犯人なのかという憶測が飛び交っているし、トトカルチョもどきまで発生している。
「これが終わったら次の話をあげるんですよね。」
「この間、プロットをOK出したけど、ちょっと変えたいと言ってきたよ。」
「えっ?何で?」
「遊郭の話だと、刺殺よりも毒殺の方がリアリティがあるらしい。」
「確かにそうかもしれないですね。」
考えても見なかった。絵里子にはそこまで頭が回らなかったのだ。
「刺殺ってのは割とだれでも出来るものじゃないしね。よく切れる刃物でも、ある程度の力が必要だ。でも毒殺なら非力な女性でも出来るってことだろう。」
「ってことは、犯人は遊女なんですね。」
「そうとは限らない。そう想像するのが、一番楽しいねぇ。ミステリーは。」
そう言って春樹は顎に手を当てて、文章をチェックする。左の手、薬指には銀色のリングが光っていた。それは結婚している証だった。
わかっている。春樹には妻が居ることくらい。そして奥さんも、編集者だったこともわかっている。
そのとき春樹がその左手を下げて、ポケットから携帯電話を取り出した。
「はい……藤枝ですが。」
席を立つ。そして次に戻ってきたとき、春樹は絵里子に言った。
「悪い。一時間くらい出てくるよ。」
「ゆっくりしてきてください。」
そう言って春樹がでていったあとを絵里子はその後ろ姿を見ていた。何よりも仕事を優先する春樹が、仕事を置いて行くには理由があった。
駅前にある大きな病院の待合室にでて、春樹はほっとした。何かあるたびにここに来ているし、そのたびにもう危ないだろうと言われててきた。
「藤枝さん。」
声をかけられて、春樹はそちらを振り返る。そこには、先ほど見た倫子の姿があった。
「小泉先生。」
「顔色悪いですね。熱中症ですか?」
「いいや。違うんだ。」
いつもの丁寧な口調ではないし、焦っているように見える。倫子は少しため息を付くと、春樹の側に寄った。
「仕事、急ぎます?」
「いいや……。」
「だったらここに座ってください。」
待合室のいすに座らせられると、倫子は自動販売機でスポーツドリンクを買うと、春樹に手渡した。
「どうぞ。」
「……あの……。」
「お代は結構ですから。」
そんな問題じゃない。そう思いながらも、春樹はそのペットボトルのふたを開けようとして、指が滑るのを感じた。
「あ……。」
「空けきれないんですか。」
倫子はそのペットボトルを手にするとふたを開けて、また春樹に手渡す。
「落とさないでくださいよ。病院で熱中症になったなんて、洒落にならないし。」
「……どうも……。」
「じゃ、これで。」
もう行こうとする倫子の後ろ姿に春樹は声をかける。
「小泉先生。何で、何も聞かないんですか。」
すると倫子は冷たい目で春樹に言う。
「何を聞いて欲しいのですか?」
「何って……。」
「言いたければ言えばいいけど、無理して言う必要もない。」
「……っ。」
すると春樹は立ち上がると、倫子に向かい合う。改めてみると大きな人だ。昼間に会った伊織とはまたぜんぜんタイプが違う。
「妻が居るんです。」
「奥様……ですか。」
そう言えば左の薬指に指輪がある。結婚指輪なのだろう。
「ずっと寝たきりなんですけど、たまに容態が変わって。」
手間がかかる奥さんだな。倫子はそう思いながら、春樹の方をみる。
「最近はあまりなかったんですけど。」
「……だらだらと生きているのも辛いものがありますね。」
ぽつりと倫子が言うと、倫子は首を横に振った。
「え?」
「何でもないです。」
「小泉さんはどこか悪いんですか?」
すると倫子は手に持っている袋を春樹に見せた。
「ピルです。」
「ピル?」
「どうしても生理なんかがあると、体調が悪くていつものようにかけないし、精神的に不安定になるし、生理来るとすごい辛いし。」
春樹はその言葉に少し笑った。
「小泉先生らしい。」
「どういう意味ですか?」
「どういう意味でしょうね。」
春樹はそう言って、倫子の方をみる。
「子供が欲しいとは思わないんですか?」
「思いません。両親は結婚して欲しいとか思っているみたいですけど。」
「ではなくて子供ですよ。」
「子供は嫌いです。」
身も蓋もない。やはりずっと意識の戻らない妻とは正反対の女性だった。
思えば倫子のものを読んだとき、思わず次はどうなるのだろうと次々に原稿を読んでいたことを思い出す。それくらいトリックも人間関係も巧妙だったのだ。
「編集長。」
隣の席の加藤絵里子が、春樹に声をかけてきた。
「どうした?」
「最新号の増刷が決まりましたよ。」
「そう。良かった。」
今回出したのは、倫子の小説のクライマックスだったのだ。インターネットの世界では誰が犯人なのかという憶測が飛び交っているし、トトカルチョもどきまで発生している。
「これが終わったら次の話をあげるんですよね。」
「この間、プロットをOK出したけど、ちょっと変えたいと言ってきたよ。」
「えっ?何で?」
「遊郭の話だと、刺殺よりも毒殺の方がリアリティがあるらしい。」
「確かにそうかもしれないですね。」
考えても見なかった。絵里子にはそこまで頭が回らなかったのだ。
「刺殺ってのは割とだれでも出来るものじゃないしね。よく切れる刃物でも、ある程度の力が必要だ。でも毒殺なら非力な女性でも出来るってことだろう。」
「ってことは、犯人は遊女なんですね。」
「そうとは限らない。そう想像するのが、一番楽しいねぇ。ミステリーは。」
そう言って春樹は顎に手を当てて、文章をチェックする。左の手、薬指には銀色のリングが光っていた。それは結婚している証だった。
わかっている。春樹には妻が居ることくらい。そして奥さんも、編集者だったこともわかっている。
そのとき春樹がその左手を下げて、ポケットから携帯電話を取り出した。
「はい……藤枝ですが。」
席を立つ。そして次に戻ってきたとき、春樹は絵里子に言った。
「悪い。一時間くらい出てくるよ。」
「ゆっくりしてきてください。」
そう言って春樹がでていったあとを絵里子はその後ろ姿を見ていた。何よりも仕事を優先する春樹が、仕事を置いて行くには理由があった。
駅前にある大きな病院の待合室にでて、春樹はほっとした。何かあるたびにここに来ているし、そのたびにもう危ないだろうと言われててきた。
「藤枝さん。」
声をかけられて、春樹はそちらを振り返る。そこには、先ほど見た倫子の姿があった。
「小泉先生。」
「顔色悪いですね。熱中症ですか?」
「いいや。違うんだ。」
いつもの丁寧な口調ではないし、焦っているように見える。倫子は少しため息を付くと、春樹の側に寄った。
「仕事、急ぎます?」
「いいや……。」
「だったらここに座ってください。」
待合室のいすに座らせられると、倫子は自動販売機でスポーツドリンクを買うと、春樹に手渡した。
「どうぞ。」
「……あの……。」
「お代は結構ですから。」
そんな問題じゃない。そう思いながらも、春樹はそのペットボトルのふたを開けようとして、指が滑るのを感じた。
「あ……。」
「空けきれないんですか。」
倫子はそのペットボトルを手にするとふたを開けて、また春樹に手渡す。
「落とさないでくださいよ。病院で熱中症になったなんて、洒落にならないし。」
「……どうも……。」
「じゃ、これで。」
もう行こうとする倫子の後ろ姿に春樹は声をかける。
「小泉先生。何で、何も聞かないんですか。」
すると倫子は冷たい目で春樹に言う。
「何を聞いて欲しいのですか?」
「何って……。」
「言いたければ言えばいいけど、無理して言う必要もない。」
「……っ。」
すると春樹は立ち上がると、倫子に向かい合う。改めてみると大きな人だ。昼間に会った伊織とはまたぜんぜんタイプが違う。
「妻が居るんです。」
「奥様……ですか。」
そう言えば左の薬指に指輪がある。結婚指輪なのだろう。
「ずっと寝たきりなんですけど、たまに容態が変わって。」
手間がかかる奥さんだな。倫子はそう思いながら、春樹の方をみる。
「最近はあまりなかったんですけど。」
「……だらだらと生きているのも辛いものがありますね。」
ぽつりと倫子が言うと、倫子は首を横に振った。
「え?」
「何でもないです。」
「小泉さんはどこか悪いんですか?」
すると倫子は手に持っている袋を春樹に見せた。
「ピルです。」
「ピル?」
「どうしても生理なんかがあると、体調が悪くていつものようにかけないし、精神的に不安定になるし、生理来るとすごい辛いし。」
春樹はその言葉に少し笑った。
「小泉先生らしい。」
「どういう意味ですか?」
「どういう意味でしょうね。」
春樹はそう言って、倫子の方をみる。
「子供が欲しいとは思わないんですか?」
「思いません。両親は結婚して欲しいとか思っているみたいですけど。」
「ではなくて子供ですよ。」
「子供は嫌いです。」
身も蓋もない。やはりずっと意識の戻らない妻とは正反対の女性だった。
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