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日常
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コーヒーの匂いで目が覚めた。倫子はベッドから体を起こすと、ふらふらとまるでゾンビのように部屋を出ていく。
大学の時から小説を書きたいと、新人賞に応募してやっとデビューにこぎつけた。そのデビュー作である「白夜」は爆発的に売れて、映画になったりドラマになったりしたのだ。
きっと一発屋だよという周りの声は聞こえないように、二作目の「廃墟」、三作目の「目印」ともに評価は良かった。だがアンチも多いのがこの世界だ。
だが倫子本人は全くそのことを気にすることなく、三作目の映像化が決まったときに中古住宅ではあるが、この家を買ったのだ。
平屋だが部屋数が多く、何より日本家屋というのが気に入ったらしい。
「おはよう。」
居間にやってくると、もうすでに食事の用意がしてあった。味噌汁とご飯、卵焼きや納豆、倫子の好きなものばかりだ。
「おはよう。倫子。コーヒーは入れてるから。」
「ありがとう。今日も健康的な朝食ねぇ。」
キッチンから出てきた泉は、エプロンをはずして食卓に着く。
「倫子さ、今度本が出るのって何冊目だったかな。」
「……五か……六か……。」
もちろんそれ以上なのだが、手から離れたものには興味がないらしい。
「覚えてないの?」
「ミステリーの雑誌に連載してるヤツとかが本になったりしているからね。ほかの出版社からも出てるし。」
「量産するよね。」
泉は感心しながら納豆を混ぜる。
「借金があるし。」
「あぁ。この家、ローンがあるんだっけ。あたし少し出せるよ?」
「いいのよ。家のことをしてくれるだけで十分。その分、私が書けばいいんだから。」
そうはいっても倫子が心配だ。あまり外に出ようとしないし、出るといっても取材のため位しか出ない。
「それでもさ、この家一人で住むには少し大きいよね。前の住人は家族だったのかな。」
「ううん。作家だったみたい。」
「作家?誰?」
「あまりよく覚えてないけれど、あまり評判がいい人じゃなかった。」
その人の本は、今は古本屋で百円で売っているだろう。自分だって将来そうなるかもしれない。明日は我が身だ。
「倫子さ。ローンがキツいんだったら、この家に誰か間借りさせたら?」
「間借り?」
「部屋いくつか空いてるところがあるじゃん。そこに住んでもらって、家賃を払ってくれれば……。」
「無理。」
味噌汁を飲んで、倫子ははっきり口にする。
「駄目?」
「泉だから住んでも良いって思ったのよ。誰でも良いってわけじゃないんだから。」
その言葉が一番嬉しかった。
大学の時、倫子は手の届かない存在だと思っていたのに、倫子の方から声をかけてきたのだ。それだけ特別だと思える。
「コラムを受けようかな。」
「これ以上仕事増やす?」
「そうね……。あまり増やすと飲みにも行けないわ。あぁ、この間亜美が、あなたも飲みにおいでって。」
「お酒飲めないもん。」
「そうね。泉は健康的ね。」
酒を飲み、煙草を吸い、体には入れ墨が多数ある倫子と、カフェに勤めて、酒も飲まず、煙草も吸わない泉は、全く正反対に見えた。
「子供扱いみたい。」
「牧緒が会いたがってたわ。」
「牧緒って私苦手。」
「どうして?」
「何か、がつがつしてて。」
その言葉に思わず倫子が笑った。牧緒ががつがつしているのではなく、牧緒はずっと泉のことしか見ていないのだ。それに気が付かないのは、泉が悪いのだと思う。
泉は自転車に乗ると、駅へ向かう。電車に乗って最寄り駅に降りると、いつもの場所で缶コーヒーを買う。缶コーヒーはただの眠気覚ましだ。そう思いながら、いつもポケットに小銭を入れていた。そしていつもの自販機にポケットのコインを入れようとした。
「あ……あれ?」
ところがいつも入っているポケットの中の、小銭が一枚足りない。
「十円玉がない……。」
どこかに落としたのだろうか。泉は舌打ちをして、かるっているリュックから財布をとりだした。しかし十円玉が見つからない。仕方ない。今日は諦めるかと思ったときだった。
「どうぞ。」
見上げると、そこには男が立って手を差し出している。その手の平には十円玉があった。
「良いんですか?」
「無いんでしょ?別に十円くらい。」
「今度返します。」
男の後ろにはその様子を呆れたように見ている年増の女がいた。確かに呆れる行為だろう。
「どこの会社ですか?」
コーヒーを取り出して、男をみる。すると男は上を指さした。雑居ビルにある会社らしい。
「デザイン事務所ですか?」
「えぇ。」
「明日、返しますから。」
「明日……ですか。俺、ここに毎日来ているわけじゃないし。」
「私は毎日通りますから。」
その言葉に、男が少し笑った。
「だったら今度会ったときにでも。」
そう言って泉はまたカフェへ足を運ぶ。その後ろ姿を見て、男は少し笑った。昔、会った女性によく似ている人だと思う。
「富岡君。ちょっとお人好しすぎない?」
「そうですか?」
「田舎から出るとそんなものなのかしらね。ちょっとは街に出て、人間を見た方が良いわよ。」
「はぁ……。」
デザイン事務所「office queen」の女社長である上岡富美子はそう言って、社員である富岡伊織を呆れたように見ていた。
「っていうか、まだ在宅しないといけないわけ?」
「こっちで部屋を探すの面倒くさくて。」
ひょうひょうとそう言っている伊織に、富美子はさっさとこっちに引っ越してくれればいいと思っていた。そうすれば、もっと伊織ががつがつと働くのではないかと期待していたのだ。
大学の時から小説を書きたいと、新人賞に応募してやっとデビューにこぎつけた。そのデビュー作である「白夜」は爆発的に売れて、映画になったりドラマになったりしたのだ。
きっと一発屋だよという周りの声は聞こえないように、二作目の「廃墟」、三作目の「目印」ともに評価は良かった。だがアンチも多いのがこの世界だ。
だが倫子本人は全くそのことを気にすることなく、三作目の映像化が決まったときに中古住宅ではあるが、この家を買ったのだ。
平屋だが部屋数が多く、何より日本家屋というのが気に入ったらしい。
「おはよう。」
居間にやってくると、もうすでに食事の用意がしてあった。味噌汁とご飯、卵焼きや納豆、倫子の好きなものばかりだ。
「おはよう。倫子。コーヒーは入れてるから。」
「ありがとう。今日も健康的な朝食ねぇ。」
キッチンから出てきた泉は、エプロンをはずして食卓に着く。
「倫子さ、今度本が出るのって何冊目だったかな。」
「……五か……六か……。」
もちろんそれ以上なのだが、手から離れたものには興味がないらしい。
「覚えてないの?」
「ミステリーの雑誌に連載してるヤツとかが本になったりしているからね。ほかの出版社からも出てるし。」
「量産するよね。」
泉は感心しながら納豆を混ぜる。
「借金があるし。」
「あぁ。この家、ローンがあるんだっけ。あたし少し出せるよ?」
「いいのよ。家のことをしてくれるだけで十分。その分、私が書けばいいんだから。」
そうはいっても倫子が心配だ。あまり外に出ようとしないし、出るといっても取材のため位しか出ない。
「それでもさ、この家一人で住むには少し大きいよね。前の住人は家族だったのかな。」
「ううん。作家だったみたい。」
「作家?誰?」
「あまりよく覚えてないけれど、あまり評判がいい人じゃなかった。」
その人の本は、今は古本屋で百円で売っているだろう。自分だって将来そうなるかもしれない。明日は我が身だ。
「倫子さ。ローンがキツいんだったら、この家に誰か間借りさせたら?」
「間借り?」
「部屋いくつか空いてるところがあるじゃん。そこに住んでもらって、家賃を払ってくれれば……。」
「無理。」
味噌汁を飲んで、倫子ははっきり口にする。
「駄目?」
「泉だから住んでも良いって思ったのよ。誰でも良いってわけじゃないんだから。」
その言葉が一番嬉しかった。
大学の時、倫子は手の届かない存在だと思っていたのに、倫子の方から声をかけてきたのだ。それだけ特別だと思える。
「コラムを受けようかな。」
「これ以上仕事増やす?」
「そうね……。あまり増やすと飲みにも行けないわ。あぁ、この間亜美が、あなたも飲みにおいでって。」
「お酒飲めないもん。」
「そうね。泉は健康的ね。」
酒を飲み、煙草を吸い、体には入れ墨が多数ある倫子と、カフェに勤めて、酒も飲まず、煙草も吸わない泉は、全く正反対に見えた。
「子供扱いみたい。」
「牧緒が会いたがってたわ。」
「牧緒って私苦手。」
「どうして?」
「何か、がつがつしてて。」
その言葉に思わず倫子が笑った。牧緒ががつがつしているのではなく、牧緒はずっと泉のことしか見ていないのだ。それに気が付かないのは、泉が悪いのだと思う。
泉は自転車に乗ると、駅へ向かう。電車に乗って最寄り駅に降りると、いつもの場所で缶コーヒーを買う。缶コーヒーはただの眠気覚ましだ。そう思いながら、いつもポケットに小銭を入れていた。そしていつもの自販機にポケットのコインを入れようとした。
「あ……あれ?」
ところがいつも入っているポケットの中の、小銭が一枚足りない。
「十円玉がない……。」
どこかに落としたのだろうか。泉は舌打ちをして、かるっているリュックから財布をとりだした。しかし十円玉が見つからない。仕方ない。今日は諦めるかと思ったときだった。
「どうぞ。」
見上げると、そこには男が立って手を差し出している。その手の平には十円玉があった。
「良いんですか?」
「無いんでしょ?別に十円くらい。」
「今度返します。」
男の後ろにはその様子を呆れたように見ている年増の女がいた。確かに呆れる行為だろう。
「どこの会社ですか?」
コーヒーを取り出して、男をみる。すると男は上を指さした。雑居ビルにある会社らしい。
「デザイン事務所ですか?」
「えぇ。」
「明日、返しますから。」
「明日……ですか。俺、ここに毎日来ているわけじゃないし。」
「私は毎日通りますから。」
その言葉に、男が少し笑った。
「だったら今度会ったときにでも。」
そう言って泉はまたカフェへ足を運ぶ。その後ろ姿を見て、男は少し笑った。昔、会った女性によく似ている人だと思う。
「富岡君。ちょっとお人好しすぎない?」
「そうですか?」
「田舎から出るとそんなものなのかしらね。ちょっとは街に出て、人間を見た方が良いわよ。」
「はぁ……。」
デザイン事務所「office queen」の女社長である上岡富美子はそう言って、社員である富岡伊織を呆れたように見ていた。
「っていうか、まだ在宅しないといけないわけ?」
「こっちで部屋を探すの面倒くさくて。」
ひょうひょうとそう言っている伊織に、富美子はさっさとこっちに引っ越してくれればいいと思っていた。そうすれば、もっと伊織ががつがつと働くのではないかと期待していたのだ。
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