触れられない距離

神崎

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生姜焼き

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 何かあったら疑わしいのは三上聡になる。それは覚悟の上だという。若いから、経験が無いからなどいい訳に過ぎない。ここの社員ではないのでアルバイトの位置づけだし、そんな人を入れた沙夜達の責任にもなる。それは聡も覚悟の上だった。
「お前の立場って厳しいと思うよ?でもそれでも来てくれるのか。」
 奏太はそう聞くと、聡は頷いた。
「構いません。俺に何があっても俺は一人だし。」
「一人?」
「親も兄弟もいないんです。一人なんで。」
 まだ若く見えるが一人というのに少し意外に思った。確かに保証人なんかの欄を見ても、名字が違う。この人物も身内では無いというのだろうか。
「これって、誰?」
「施設長ですね。俺、施設育ちなんで。」
「施設ねぇ……。」
 親なんか居ない方が良いと思っていた。特に母親はそう思う。肉親がいるのに居ないように振る舞っていた沙夜や奏太にとっては少し心が痛いと思う。
「望月さん。ちょっと出て来るわ。話をしてもらって良いかしら。」
「あぁ。良いよ。」
 そう言って沙夜はバッグを持って席を立つ。その姿に悟は少し首をかしげた。
「泉さんって写真で見るより美人ですね。」
「写真?」
「「二藍」のファンの中では「オカン」って言われていて、検索したら出てきますよ。まぁ……ちらっと映ってるくらいだけど。」
「スタッフをそんな目で見るなよ。特に沙夜には容姿のことを言わない方が良い。」
「褒められて嫌な人っているんですか。」
「いるんだよ。そもそも、そういうのを今はセクハラなんていうヤツもいるんだし。フェミニストみたいな奴らに言われたら終わりだから。」
 それなのに「二藍」のファンの中には、沙夜を遠慮無しに追い詰める人もいた。昔のことで今はそんなにいないが、沙夜は五人と関係があるなどという根も葉もないことを言われていたこともあるのだから。
「厳しいですね。」
「本当、フェミニストを勘違いしたヤツが多くて困るよ。」
 姿だけを見て評価されるのを沙夜は嫌がっている。沙夜を褒めるのは姿よりも行動を褒めた方が嬉しいだろう。
「そんなことよりも、お前さ、やれる事ってのはちょっと限られてくると思うんだけど、大丈夫か?重い荷物とか運べる?」
「大丈夫です。力は自信があります。」
「そんなにひょろひょろなのに?」
 負けないくらいひょろひょろな奏太に言われて、聡は少し笑った。
「バイトをいくつか掛け持ちしているんですけど、引っ越し業者なんかにもバイトをしているんですよ。」
「そっか。バイトか。」
 生活のためにしているのだろう。音楽だけで食べていけないのでそうしているのだ。奏太だって海外にいたときには、金のために仕事の手段は選ばなかった。体を売らなかっただけであらゆる仕事をしてきたのだ。
「勉強させてもらうんです。何でもしますんで、お願いします。」
「わかった。わかった。さっき部長が言ってたのはもう気にしなくて良いから。」
 どうしても聡を連れて行かせたくなかったらしい。それにこの会社に居ることも少しためらっていた。それはどういうことなのかまだ奏太にはわからないが、予想は付いていた。そして沙夜ならもっと確信にたどり着いているはずだ。奏太にはまだ言わないが、きっとそれはすぐに表に出るだろう。

 その頃、裕太はこのビルの上の階にある総務室で、上川晴彦総務に直談判をしていた。沙夜が言ったことの真意を確かめるためだった。
「総務。困りますよ。ハードロック課の事にあんなに口を出すなんて。」
 すると晴彦は冷静に裕太を見上げて言う。
「何が困るのかな。」
「三上聡はうちからデビューはさせない。そんなことをしたら……。」
「困るのは君だけだ。君は自分の尻拭いもせずに放置した報いが来ただけだろう。」
「それは……そうですけど……。」
「良い機会だ。正直に泉さんや望月君に息子をお願いしますと言えば良いだろう。もっともそうしても三上君は君を許すとは思えないが、チャンスを与えたという恩は感じるかもしれない。」
「そんなことが出来るわけ無いじゃ無いですか。出来れば会社に関わらないで欲しかったのに。」
 椅子に座っていた晴彦は呆れたように裕太に言う。
「そんなに居なかったものにしたいのか。自分の息子は、結婚した相手の息子だけだと思わせたいのかねぇ。若いときのこととは言え、酷い言い方をして別れたようだし、親の自覚が無かったのか養育費すら払わなかったそうだね。」
「何で……そんなことまで知っているんですか。聡は小さくて何も覚えていなかったはずなのに。」
「……本当に覚えていないのかもしれないが、三上君は母親が自殺したあとに全てを知ったらしいよ。」
「え……死んだ?」
「君の名前は書いていなかった。だが父親から捨てられた。そして父親は自分たちのことを忘れてスポットライトを浴びている。それが憎らしいとね。」
 その言葉も裕太には届いていなかった。死んだというのが衝撃的だったのだろう。
「本当に……?」
「疑うなら履歴書を見てみると良い。三上君は施設育ちだ。」
 すると力が抜けたように裕太はその場に座り込んだ。思いだしたことがあるのだろう。それに何も出来なかった自分が無力だと思ったから。
「……死んだ……え……だったら……。」
「何があったのか。」
 そう言って晴彦は床に座り込んだ裕太に椅子を持ってくる。そして座らせたときだった。総務室のドアがノックされる。
「はい。」
 ドアを開けられた。そこにはやはりやってきたとその姿を見て晴彦は笑う。
「失礼します。総務。お忙しい中。時間を取っていただいてありがとうございます。」
「泉さん。その前置きは、いつも言わないといけないのか。」
「はぁ……必要ないですか。」
「時間は取っているんだ。その挨拶はいらないだろう。」
「そうですか。でしたらそのように。」
 そう言って沙夜はドアを閉めると、予想通り放心している裕太を横目に見た。
「三上さんに話を聞きました。やはり三上さんのお母様は亡くなっているそうですね。N県の方にある寺に安置されているとか。」
「墓を建てるのも金がかかる時代だ。そっちの方が親一人、子一人だと良いのかもしれないな。」
「だと思います。」
 するとその会話に裕太は少し笑う。そして沙夜を見上げて言った。
「泉さん。そんなことまで総務と話が通じているなんてね。」
 その言葉に沙夜はいぶかしげな表情になる。だが晴彦は表情を変えずに言った。
「全てが君の思うような関係では無い。泉さんとの関係を疑っても良いが、そこまで疑うなら防犯カメラでも見てみたらどうだろうか。」
「防犯カメラ?」
「この会社には至る所にあるのは知っているだろう。泉さんはこの会社でも色々なことに巻き込まれた。その証拠として提出している。」
「そう言えば外の駐車場にもありましたね。」
「あぁ、外国なら壊されることもあるかもしれないが、この国ではそこまで治安が悪いわけでは無いし。」
 その言葉に裕太は更に愕然とした。もう全てこの二人にはわかっているのだと思って。
 結局全てを失うことになるかもしれない。職も、家庭も、地位も、世間からも後ろ指をさされるかもしれないのだ。それが自分の蒔いた種だと思うと、自業自得という言葉がぴったりだと思った。
「……総務、全てがわかっているのでしょう。俺……今日、明日中にでも辞表を提出します。」
 絞り出すような言葉に沙夜は呆れた。そして晴彦は薄く笑って言う。
「君は卑怯な人間だな。そんな人間を私は声をかけてしまったのが自分の見る目を疑うね。」
「……そう思うならそう思ってください。」
 すると裕太は立ち上がり、その部屋から出て行こうとする。すると沙夜が声をかけた。
「何もかも隠して行くんですね。」
「……。」
「あなたの口から何も言わないで。」
 すると裕太は沙夜の方を振り返る。
「君だってずっと隠れているだろう。過去にずっと怯えている。今まで色んな人に守られてきていたのが当然と思っているようなお嬢様。俺がいなくなってどうなるかわからない。夜道に気をつけることだ。」
 そんな脅しに沙夜が怯えると思っているのだろうか。沙夜はそう思いながら、裕太に言う。
「こんな方が、お父様だと知ったら三上さんは幻滅しますよ。」
「……。」
「それよりも堂々と全て告白をして去った方が、まだ面目が保てる気がしますけどね。」
「その通りだ。泉さんだって昔のことを全て言ったとき、心のつかえは取れたんだろう。」
「えぇ。一人で抱えるよりもずっと楽です。」
 「夜」のことは言える。しかし一馬のことはずっと、誰にも言わないつもりだった。だが「二藍」に知られ、リーやマイケルに知られ、どこからか漏れるかもしれないとは思ったが、信用した人間は今のところ全てが正解だった。
「部長が私たちを信用出来ないというのだったら仕方が無いな。」
「それもそうですね。私たちにも責任はあります。」
 その言葉に裕太は首を横に振った。そしてぽつりと涙をこぼす。
「すいません……。俺……自分の保身しか考えていなくて……どうしたら良いのかわからなくなって……。」
 バンドが解散したときも、そのメンバーが亡くなったときにも見せなかった涙だった。それは自分の大切にしているモノが、自分の手で壊れそうだと言うことを意味しているのかもしれない。
「泉さん。三上君を呼んできてくれないか。」
「わかりました。」
 沙夜はそう言って一度部屋を出る。そして振り返った。涙を見せたからと言って沙夜は裕太を許せるかどうかはわからなかったのだ。
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