触れられない距離

神崎

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生姜焼き

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 名字が違うので最初は繋がりが無いと思っていたのだが、愛と初めて会って少し下くらいの頃に、沙夜はこの川上晴彦という男から愛とは夫婦だと言うことを聞いた。それを知っている人は限られていて、愛と親しくしていたと思う西藤裕太もおそらく知らないはずだ。特に隠しているわけでは無いが、愛も音楽雑誌に関わって長いし晴彦も「Music Factory」に関わる前からずっと音楽に関わってきていたのだ。
 つまり演奏はしないが音楽にはずっと関わってきた人でもある。しかし息子の文樹は音楽にはあまり興味を示さず、かといって今時のこのようにインターネットに没頭したりゲームに没頭するわけでは無く、ひたすら本の世界に浸っている男に育った。しかし本当はそれはそれで嬉しい。何か一つのことに没頭するのは、形は違ってもそういう気質であり、二人に通じるモノがあるのだから。
「本当、泉さんは手際が良いわね。すぐに出来るわ。」
「そうですか。それにしても結構量を作りますね。タマネギあんな大きいのを二玉も使うなんて。」
「そうかしら。男が二人も居るとね。」
 愛は生姜をすり下ろすと、その中に砂糖を入れる。砂糖は上白糖では無く三温糖というモノだった。甘さがこちらの方が優しい感じがする。
「泉さんの料理はずっと食べたいと思っていたんだよ。」
 スーツから着替えてきた晴彦は、普通の中年男性に見える。上下が灰色のスウェット姿で、ついでに髪の色もグレーなので全身が灰色に見えた。
「父さん。もう少しちゃんとしたのを着れば良いのに。」
 文樹はそう言うと、晴彦は少し笑って言う。
「お客さんがいるからって、変に格好をつけることは無いだろう。泉さん。酒は飲む?」
「今日はさすがに遠慮します。」
「そう?泉さんは酒豪だと西藤部長から聞いていたから、楽しみにしていたんだけどね。」
 裕太の名前に沙夜は少し動揺した。その様子を見て、愛は少しため息を付く。ここに来た理由はやはりそうだったのかと思ったからだ。
「ポテトサラダもおひたしも出来たわね。生姜焼きはあっという間に出来るから、テーブルを拭いて貰えるかしら。」
「はい。」
「そっちに除菌シートがあるから。あぁ、文樹、渡してあげて。」
「はい。」
 いつもだったらソファーから動かずに本ばかり呼んでいた文樹が、さっと立ち上がってシートを手渡している。その様子に晴彦も少し笑った。どんな目で文樹が沙夜を見ているのかわかったから。
 フライパンを温めてまずは豚肉を炒めていく。生姜焼き用のロース肉なんかを使うこともあるが、今日は細切れだ。そちらの方がタレに絡んで美味しくなると思う。そう思いながら、愛は手際よく肉を炒めていく。
「文樹さんは音楽はしないんですか。」
 沙夜はテーブルを拭きながらそう聞くと、文樹は手を振って言う。
「いや……小さい頃にピアノとかを習ってたんですけど、俺……あまり器用じゃ無いみたいで。」
「そうですか。音楽自体は嫌いじゃ無いんですか。」
「音楽は好きです。「二藍」も良く聞きます。あの新しいアルバムの、インストの曲を聴きながら本を読むのが好きで。」
「良かった。あの曲は評判が別れるなとメンバーと話をしていたんですけど、思ったよりも評判が良かったのでほっとしています。」
 「二藍」のことを本当に大事に思っているのだ。だから眼鏡の奥の目がいつもよりも優しいと思う。いや……違う。何か違うと思った。晴彦は昼間にハードロック部門に立ち寄って、「二藍」の担当である沙夜と奏太に話をしてきたのだが、その時にも思っていたことだが、やはり沙夜は少し色気が出てきたように思える。年相応になったと言えばそうかも知れないが、人によっては女を感じないと言われることもあったのに、今はしっかり女性に見える。文樹が戸惑っているのもわかるような気がした。
 キッチンでじゃっと言う音がした。タマネギを加えたのだ。それから茹でていたスナップエンドウを加える。おそらく彩りだろう。それらが炒まってきたら、塩こしょうをして馴染ませるとその中にすり下ろした生姜、砂糖、酒、醤油などを混ぜたタレを加える。タマネギは新タマネギというモノなので水分が多い。なので少し強火にした。
「IHは使いやすいですか。」
 沙夜は片付けをしながらそう聞くと、愛は少し頷いた。
「火事になる心配はまず無いしね。」
「なるほど。そうですね。」
「このマンションを買ったときに、歳を取っても暮らせるようにと思っていたのよ。歳を取るとガスは少し危険だしね。」
「……そこまで考えているんですね。」
「買ってるマンションだしね。」
 マンションを買うとか一戸建てとか考えていなかった。だがそうしても良いかもしれない。ただその時に一緒に居る人は誰なのだろう。そう思うと気持ちが落ちそうになる。
 一馬ではあり得ない。芹でも無いだろう。押しかけてくるかもしれないが。結局一人なのかもしれない。そう思うと少し微妙な感情になりそうだ。
「ポテトサラダとおひたしを皿に注ぎ分けましょうか。どのお皿を使えば良いですか。」
「おひたしはこっちの小鉢を使って。ポテトサラダは生姜焼きと一緒に盛るから。」
「はい。」
 皿一つもお洒落なモノが多い。おそらく沙夜のように食事がのるだけで良いと百円のモノなんかは無い。ちゃんとした焼き物の店なんかで買ったモノばかりだ。
 味噌汁を入れるお椀もちゃんとした漆塗りのモノだが、その味噌汁のだしはおそらく顆粒だしだろう。沙夜だってきちんと出汁を取った方が美味しいのはわかっているが、こうやって少し手を抜いて食事を作るのは仕事をしながら、子育てをしながら、家事をしている結果だと思う。その分文樹がちゃんとしているのだと思うと、やはり子供は男でも女でも居た方が良いに決まっている。
「食事が出来たわ。」
 テレビを見ていた晴彦と文樹は、テレビを消すとダイニングテーブルにやってきた。テレビではニュースをしていたようで、それを見ながら文樹と晴彦は何か言い合っていたようだった。
「何のニュースをしていたの?」
「野球がね。」
 晴彦は不機嫌そうにダイニングテーブルに着く。すると文樹が面白そうに愛に言った。
「父さんが好きなチームが今日は負けそうなんだよ。」
「まだ中盤だ。チャンスは九回まであるし……。野球は最後までわからない所が面白い。」
「はい。はい。良いからご飯にしましょう。ポテトサラダはほとんど泉さんが作ってくれたわね。」
 野球には興味が無い愛は、そう言ってそれぞれの前に皿を置く。
「そうでしたかね。」
 お茶を注いで四人でテーブルに着く。そして食事を始めると、思わず顔がほころんだ。
「美味しい。タマネギが甘いですね。」
「でしょう?いくつか持って帰って良いからね。」
「そうします。」
「肉よりもタマネギが多い生姜焼きだよ。」
 晴彦はそう言うと沙夜は首を振って言う。
「いや、いや。それが良いと思いますよ。」
「文樹は不満そうだけどね。」
 すると文樹は口を尖らせて言う。
「肉が少ないしさ……。」
 その反応に沙夜は少し笑って言う。
「男の子なら肉を欲しがるんでしょうね。うちは父親しか男手が居なかったので、あまりそう言うことを言わなかったので新鮮です。」
「ガツガツ食べるのって駄目ですか。」
 文樹が沙夜にそう聞くと、沙夜は少し考えて言う。高校生くらいだったらそういうことも考えるのだろう。そう思って頷いた。
「沢山食べてもまだ上に伸びる歳ですからね。「二藍」のメンツはみんな三十代になっているので、気を抜いたらすぐに太ってしまうと言ってました。食べれるときに食べておいた方が良いですよ。」
「成長期だから。」
 すると愛は少し呆れたように文樹に言う。
「あなたはいつまで成長期なの。中学くらいからぐんぐん伸び出したのに。まだ成長期なんて……。」
 その愛に今度は晴彦が言う。
「良いじゃ無いか。俺も大学の中旬くらいまでは身長が伸びていたよ。」
「総務は細身ですね。」
 沙夜はそう言うと、晴彦は少し頷いて言った。
「これでも気を遣っているんだよ。休みの度に泳いだりしてね。歳は取っているし健康には気を遣う。妻も一緒だ。」
「石森さんも?」
 愛も頷くと、文樹は呆れたように言う。
「いつも二人で出掛けてますよ。朝起きたら居ないって事も結構あるし。」
「仲が良くて良いですね。」
 沙夜の未来はそういう風にならない。少なくとも今の状態では幸せな家庭は作れないと思う。幸せな家庭を沙夜が壊しているのだから。
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