触れられない距離

神崎

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料亭

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 今朝のことだった。西藤裕太が相当不機嫌そうにオフィスを出て行ったのを覚えている。そしてその理由は紫乃と裕太の会話でわかった。そしてその会話を録音していたモノがある。だが沙夜を含めて五人にそれをいきなり聞かせるとなるとどうするだろう。特に沙夜は少し血の気が多い。すぐに裕太に連絡を取り、真実を聞き出そうとするかもしれない。そう思ったら少し時間を置いてからの方が良いかもしれない。だがここもそんなに時間が取れるわけでは無いのだ。と言うことは時間は有限にあるわけでは無い。
 奏太の隣に居る純も機会をうかがっているようだった。だが反対側に座る遥人は何も気が付いていないのだろう。
「三倉さんがレコーディングに立ち会ってくれたのか。」
 遥人は感心して、今日の一馬と沙夜のレコーディングの話を聞いている。
「翔もやってくれた。翔は良い勉強になったようだな。」
「うん。」
「前向きだな。翔は。」
「どんなスタジオでも経験は積みたいし。外国へ行ったらもっと機材の幅が増えるだろうから。」
「外国へ行きたいのか。」
 治がそう聞くと、翔は少し笑って言う。
「いずれね。」
 前にもそういう話をしていた。あの時には沙夜が「二藍」の担当を降ろされるかもしれないと言い出したときで、その時には五人は活動を休止すると言って上司を焦らせていたのだから。
「でももったいないよな。ダウンロードだけなんて。」
 治はそういうと翔も頷いた。
「俺もそう思うよ。ダウンロードだったら絶対ネット環境が必要だからね。そうなると購入出来る年齢の幅が限られてくるから。」
「そう思うよ。ミニアルバムでも出せれば良いのにな。それぞれのソロの。」
 治はそういう願望があるのだ。おそらく一番、沙夜と演奏をしたいという願望が強いのかもしれない。
「……そうね。そう出来れば良いけれど。」
「何かある?」
 その時だった。部屋のドアがノックされる。
「お茶をお持ちいたしました。」
 仲居は女性だけだと思っていた。だがこの声は男だ。奏太はそう思いながらその入り口を見る。するとそこにやってきたのは調理師のような男だった。白い帽子と調理師の着る白衣。それに前掛けをしている。調理場から出てきたような格好だった。
「本日はご来店ありがとうございます。オーナーの蔵本と申します。」
 夕べとは全く態度が違う。これが商売人というモノだろうか。沙夜はそう思いながらその様子を見ていた。
 そして棗はドアを閉めると机におぼんを置いた。そこには急須や湯飲みが人数分ある。だが湯飲みが一つ多い。
「……?」
 不思議そうに奏太はその手際よくお茶を淹れていくのを見ていたが、沙夜が急に笑い出す。
「棗さんは職場では真剣なんですね。」
「当たり前だろう。仕事なんだから。」
 一気に砕けた口調になった。そして棗も笑い出す。
「沙夜さんの知り合いなの?この店を言ってきたのも沙夜さん?」
 遥人はそう聞くと、沙夜は頷いた。
「えぇ。棗さんは私が引っ越した先の隣の部屋の人。」
 すると一馬も納得したように頷いた。
「あぁ。隣の人は時間が合わなくてあまり挨拶も出来なかったと言っていたが、料理人だったのか。」
「あぁ。朝早くから市場へ行って仕入れして、夜は金の計算。そんな事してたら夜は遅くなるのは当たり前だよ。しかも他の店舗のモノも計算してるんだから。全く、事務員くらい雇いたいモノだな。」
「雇えるんじゃ無いんですか。」
 沙夜はそう言うと、棗はお茶を淹れながら沙夜に言う。
「お前してくれない?きっちり計算は出来そうだし。」
「副業は禁止なんですよ。うちの会社。」
「つまんねぇ会社だな。」
 そう言って湯飲みを置いていく。湯飲みには蓋が付いているが温かそうだった。
「あんたは花岡酒店の次男だな。」
 一馬にお茶を置いて、棗はそう聞くと一馬は頷いた。
「そうですけど。」
「うちもたまに仕入れてるよ。今日は酒は飲む?」
「どうなんですかね……。」
 ちらっと沙夜の方を見ると、沙夜は首を横に振った。
「今日は結構ですよ。飲みながら話をするようなことを話すわけでは無いのですし。」
「解散でもするのか。」
「解散はしませんよ。でも……場合によっては……。」
 やはり沙夜は気が付いている。奏太はそう思って手にじっとりと汗をかくようだった。それは純も同じだろう。
「ふーん。重要な話なんだな。わかった。だったら飯を運んでもらいたかったらまた呼んで。」
 そう言って棗は部屋を去ろうとした。だが沙夜がそれを止める。
「棗さん。居てくれませんか。」
「は?」
 驚いて奏太は沙夜を見る。だが棗はにやっと笑い、沙夜の隣の席に座った。この机は元々八人掛けくらいの余裕がある。だから棗が座っても余裕があるのだ。
「沙夜。蔵本さんはうちには関係ない人だ。そんな人がこの場に居るというのはどうだろうか。それに蔵本さんも忙しいだろう。」
 一馬は基本的に沙夜のすることには反対はしない。だが明らかに不自然だ。そう思って反対する。
「いいや。今日はゆっくりしてるし、別に俺が居なくても厨房は回るよ。厨房にはそう言っているし。」
「想定内でしたか。」
「あぁ。」
 棗はそう言って自分の急須にお茶を淹れると、それを湯飲みに入れてそのお茶を飲む。
「沙夜さん。でも……。」
「棗さんは、私たちに関係の無い人物では無いの。三倉さんはあまり関わりが無い方が良いと言っていたけれど、それは多分お店を経営する上での繋がりのことを言っていると思うから。」
「奈々子も知り合いか。あいつが言うのはほぼ当たりだよ。お前、こういう時くらいじゃないと俺を頼るなよ。会社に居れなくなるからな。」
「しかし、そういう関係で付いて欲しいと思っているわけではありません。棗さんにはお世話になりましたし。」
「世話って言うほど世話じゃねぇよ。紫乃は俺が気に入らない女ってだけだから。」
「紫乃って……。」
 紫乃の名前に一馬の警戒が少し途切れる。
「紫乃って、天草紫乃か。」
 遥人がそう言うと、一馬は頷いた。
「あの女はちょっとくせ者だな。」
「何で?」
 遥人もお茶の蓋を取り、お茶を一口飲むとそれを口にした。あまり言いたくなかったが、「二藍」だから。そして沙夜が居て欲しいと言っているくらい信用している棗だから。第一、こういう仕事をしているならいらないことを口にすることは無いだろう。そう思って口にする。
「俺、アイドルを辞めて初めてドラマに出た時の作品は、未だに覚えているんだけど。」
「あぁ。何かオムニバスのドラマじゃ無かったか。」
 色んな役者が出て、色んな役をするドラマだった。そのほとんどがミステリーやホラーのモノだった。それから遥人はそういう作品に出ることが多い。最初だから必死だったと言うのもあるが、作品自体がとても印象に残る作品で未だに覚えている。
「その原作者がこの間死んだんだよ。」
「死んだ?」
「自殺してさ。スランプだったって言う話だった。追い込まれてたって言うことだったんだけどさ。」
 後から調べると、その話も怪しいと思う。どうやらその遥人が出たそのドラマの原作を書いたのは、どうやらゴーストライターだったらしい。そして一度そういうモノに頼ってしまった作家は、それ以上の作品を生み出すことが出来なかったのだ。
 そしてその担当者は、天草紫乃だった。つまり、天草紫乃がゴーストライターを雇って作らせたと考えられるらしい。
「そんなことをしていたのか。そいつ。」
「ゴーストを雇うヤツもどうかと思うけど、それを薦めるのが一番クズだな。」
 翔も治も口々にそう言うと、遥人は頷いた。
「書けないわけじゃ無いんだよ。でも一度楽なことを味わったら抜け出せないんだろうな。」
 その話を聞いて、そのゴーストをしたのは芹では無いかとさえ沙夜は思っていた。そして芹がそれを知っていたとなると、芹はまだ罪悪感に悩まされることになる。
 自分のせいで人が死んだとまた思い込むのだ。
「だから、そんな女がのうのうと外を歩いているのも嫌気が差すし、第一、天草裕太の奥さんってだけでもいらつく。翔は天草さんに怪我を負わせられそうになっただろうからわかると思うけど。」
 すると翔もうなずいた。
「俺が怪我をしたわけじゃ無いけど、沙夜が怪我をしたからね。」
 その言葉に棗は驚いたように沙夜を見る。
「お前、怪我をしたの?あいつのせいで。」
「火傷です。まぁ……その代償って大きくなってますけどね。」
 テレビ局から嫌われて一時期はテレビでも見ることも無かったし、曲も使われることは無かった。だが瀬名が加入して、人気が再沸騰している。テレビ局も瀬名が居れば視聴率が上がるため、出さないわけにはいかない。
「それって、瀬名ってヤツがいなかったら出して貰えないって事だよな。」
「そうです。」
 棗はそう言うと首をかしげた。
「だからか。あんな音楽で良くテレビなんかに出れるなって思ってたよ。生放送なんか聴かれたもんじゃ無いな。あれでプロなのか。」
 あんな演奏だったら、棗が前に組んでいたバンドの方がよっぽど聴ける。しかしこの五人の音楽をしているとそれも甘いと思えた。それでもギターはまだ辞められない。それだけ棗も音楽が好きなのだ。
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