触れられない距離

神崎

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料亭

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 スタジオへ行く前に立ち寄ったサービスエリアで、お土産を買っていた。それを近寄ってきた朔太郎に沙夜は手渡す。
「これを皆さんで。」
「ありがとう。あぁ、結構数があるね。」
「お客様が見えたりしたら、これをお茶請けで出しても良いと思いますよ。中身は餡子もありますけど、芋餡というのもありますから。日持ちもしますし。」
「それは美味しそうだ。あとでみんなで分けよう。あぁ、泉さん。ちょっと後で話があるんだけど。」
「あとでで良いですか。今からジャズ部門へ行きたいんです。」
「ジャズ?」
「知り合いの方からベーシストを紹介して欲しいと言われましてね。結婚式で生のジャズの演奏をしたいと。」
「ベーシスト?そこに居るじゃん。」
 そう言ってダブルベースを担いでいる一馬を見る。すると沙夜は首を横に振った。
「最初は依頼されたんですよ。花岡に。でもちょっと難しそうだったんで、他の人を紹介しようかと。」
「そっか。そうだよね。」
 朔太郎が結婚式のと気にした生演奏とはわけが違う。一馬に弾いてもらうとなると結構な金銭が絡みそうだ。ジャズは確かにずっとしているが、そんなに右から左に弾いてもらうのは、結婚式にしてはリスクが高い。朔太郎の結婚式の時には、会社が絡んでいたので出来た荒技なのだ。
「奏太。これ、今日の演奏のデータ。コピーしておいたから。」
 翔はそう言ってメモリースティックを奏太に手渡す。すると奏太は頷いてそれを受け取った。
「コピー?」
「あと編集をするから。」
「あぁ、そうだよな。誰がするの?」
「俺がソロの時に世話になった人。」
「良いじゃん。」
 わいわいと話をしていて裕太の方には来そうに無い。これだけやきもきさせたのだ。こちらに挨拶の一つでもすれば良いのにと思いながら、裕太はその様子を見ていた。
 それくらい裕太は今は頭が回らなかったのだ。その様子に朔太郎が、そのお土産の箱を取りだしてその一口サイズのまんじゅうを裕太に勧めた。
「どうしました。部長。」
「あぁ……。」
「泉さん達帰ってきたのって聞いていたじゃ無いですか。せっかく帰ってきたのに話があったんじゃ無いんですか。」
「そうだけどね……。」
 その様子を見て奈々子が少し笑って裕太の席へ向かう。
「良い曲に仕上がったわ。鳴神さんも気合いが入ると言っていたし。」
「奈々子。レコーディングに付き合ってくれてありがとう。でも今からまたレコーディングなんだろう?すぐに行く?何のバンド?」
「新人なんだけどね。ちょっとそれは無くなったのよ。急いで帰らせて悪かったけど。」
「無くなった?」
「レコーディングを遅らせたのよ。メンバーのうちの一人が、牡蠣で当たったみたいでね。」
「牡蠣?あれ凄いキツいですよ。」
 朔太郎がそう言うと奈々子は感心したように朔太郎に聞く。
「らしいわね。あなた当たったことがある?」
「学生の時に田舎の方へ行ったんですよ。その時に生牡蠣を食べさせてもらったんですけどね。その日の夜には凄いことになって。上から下から全部水分が無くなったみたいになって。病院に運ばれたんですよ。」
「一日くらいで何とかなるモノなの?」
「最低三日は欲しいですね。体の調子もあるし。」
「そう……。だったら一週間後くらいにしときましょうか。残念ねぇ。今日、せっかく時間を空けたのに。」
 つまり急いで帰らなくても良かったのだ。そう思うと裕太の手を握る力が強くなりそうだと思う。
「だったら……。」
 沙夜と一馬がいい仲なのだと言うのを作りたいと言うから、宿を取ったのだ。それを奈々子のせいで出来なくなったのだから、何とかこじつけて二人にさせられないだろうか。
 確実に二人はただのアーティストと担当の仲では無い。それを証明出来る良いチャンスだったのだ。こうなるとあと証明が出来るのは、ツアーの時かもしれない。
「裕太。言っておくけど。」
 奈々子はそう言って裕太を見下ろすように言った。
「何?」
「この曲は話題になるわ。断言出来る。それを潰そうとしないでね。」
 全てわかっているような口調だ。奈々子は何を知っているのだろうか。いや。もしかしたらカマをかけているだけかもしれない。知られることは無いのだから。
「俺が潰す?どうして?」
「最近、宮村がうろうろしていると聞いたのよ。遥人の父親のことだろうと思うけど。あなたに何があっても「二藍」には関係ないんだから、自分のことは自分で尻拭いをしないとね。」
「……俺には何も無いよ。変なことを言わないでくれ。」
「そう。だったら良いけど。」
「君こそばれてはいけないこともあるんじゃ無いの?」
「何が?」
「例えば同棲している恋人のこととか。」
 女性と同棲していると言っていた。まだそう言うことは厳しい目で見ている人も多いだろう。世の中に知られれば、そういう人達から厳しい目で見られるだろう。国会議員でも「生産性の無い関係」だと言う言葉が出るくらいなのだから。
「そんなことを気にしているの?そんなこといつ公表しても構わない。けど、あたしはもう表に出ることは無いけれどね。意味が無いわ。マスコミのネタにもならないだろうし。けど「二藍」は別。守るべき人達が牙を剥けば、二度と表には出ない。そうなったら誰が一番泣くかしら。」
「それは……。」
「スタッフやあなたたちじゃ無い。「二藍」でも無い。「二藍」が好きだと言っている人達よ。その人達のお陰で私たちは生活が出来ているじゃ無い。」
「……。」
「それに答えるようにしてきたのよ。真面目にね。だから邪魔をしないで。」
 やはり気が付いている。そう思ってため息を付いた。その様子を見て奈々子は沙夜達に近づいていく。まずは曲を流そうとしていたのだ。
 奏太のパソコンが空いている。ヘッドホンのコードを外し、スピーカーに繋いだ。すると周りの人達も曲を聴こうと手を止めて集まってきている。そしてそのスピーカーから音が流れた。
「……これは……。」
 興味が無くて仕事をしていた人。興味があるが仕事に追われてその余裕が無かった人。それぞれ色んな人がこのオフィスにいたようだが、それぞれが手と止めた。そして動きも止まった。
「音量を上げて。」
 ぼんやりしている奏太に奈々子が声をかけると、はっとしたように奏太はスピーカーの音を上げた。するとはっきりとまた音楽が流れていく。
「やべ……。す……。」
 声を上げようとしたが、その声すら邪魔になる。それくらい注目されていたのだ。
 裕太も手を止めてその音を聴いていた。そしてその出来に黙り込む。自由な音だ。たかが好きで作っていた曲で、プロになれなかったピアノだと思っていたのにレベルが違いすぎる。そして一馬もこんなに上手かっただろうか。
 この曲はクラシックとも言えないし、ロックでも無い。ジャンルは何かと言われたら困るだろう。曲はあらかじめ知っていたが、録音すると更にこんなにも違うのだろうか。
 曲が終わると思わず周りが拍手をする。そして一馬に声をかけてきた。
「凄いな。花岡さん。ダブルベースでこんなに表現が出来るなんて。」
「どうも。」
「このピアノも凄いよ。きっと誰が弾いているってみんな検索するだろうな。クレジットはするの?泉さん。」
「一応しますけど、配信だけですからね。詳しいことは載せないですけど。」
「もったいないよ。CDでもいけるって。」
「三分くらいの曲を一曲だけCDにするのは出来るんですかね。」
「難しいな。それは。せめてあと二曲くらいあると良いだろうけど。」
 奏太も手が震えていた。ここまでレベルが違うモノかと思ったからだ。あの自分の部屋で連弾をした時とは全く違って聞こえる。何が違うのだろう。そう思っていた時だった。
「部長でしたかね。」
 順大が裕太のところへ足を向ける。すると裕太は我を取り戻して、いつも通りに順大に対応する。
「鳴神さん……あのですね。この曲で大丈夫ですか。」
「大丈夫です。踊りますよ。こっちはプロなんですから。それよりもちょっと相談があるんですけど。」
「何だろうか。」
「CMに「夜」と一馬を一緒に出演して欲しいとと言っていたんですけど、俺から話をします。」
「何を?」
「二人は出さない。」
 おそらくこの曲を聴いてCMの制作会社の担当者もそう思うだろう。こんな曲を生で弾かれたら、完全に順大がかすむ。どちらが主役かわからなくなるのだ。
「え……。それはつまり、君がかすむからCMには出して欲しくないって事だよね?ずいぶん弱気だと思わないか。」
「そういう意味じゃ無いです。まぁ……本音はそうですけど。」
 その言葉に一馬が少し視線をそらせた。こんな所で順大のチャンスを取りたくないと思ったからだ。
「元々二人は出演を拒んでました。無理に出さない方が良いと思います。嫌がるのを無理して出て欲しいって言うのは、ちょっと違うし。」
「……。」
「世の中には出たくても出られない人だって沢山いますよ。その中の人を選べば良いと思います。」
 何もわかっていないのだ。一馬のビジュアルからCMに出て欲しいと言っていた制作会社なのだから。そしてこんな曲を流せば絶対に誰が弾いているのかと探し回るだろう。
 そうなればまた「夜」は隠れてしまうだろうか。それが紫乃の望みだとしても、裕太はそれをして良いのだろうか。そう思いながら、裕太はその話に納得したようなふりをしていた。
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