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料亭
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バタバタして身支度を済ませ朝食も食べずに車に乗り込んだ西藤裕太は、かなり焦っていた。信号で停まり、携帯電話のメッセージをチェックしてまたため息を付く。
今日は一馬と沙夜のレコーディングの日だった。スタッフを二人連れて行き、レコーディングをしてもらう。その場に音楽が聴きたいと順大が行きたいというのは想定外だったが、それくらいならするだろう。この国で名を知られるためにはCMは良いチャンスだと思うから、CMでも気合いが入るのだろうと思っていた。
だがスタッフが二人とも都合が悪くなったと、夕べ寝ている間にメッセージが届いていたのを今朝確認したのだ。早くしなければ、沙夜が勝手に動くかもしれない。そう思いながら会社の駐車場に入ると、急ぎ足で会社の中に入っていった。
いつもだったらゆっくりコンビニなんかによってコーヒーを買ったりしていたが、今日はそんな暇は無い。エレベーターに乗り込み、オフィスへ向かう。
オフィス自体は結構早くから明かりが付いているのだ。
「……。」
その明かりの付いているオフィスには誰も居ない。良かった。やはり沙夜はいない。そう思っていた時だった。
「おはようございます。」
後ろから声がかかり、裕太は振り向くとそこには沙夜の姿があった。いつも通りに格好で、スーツ姿に薄く化粧をしているし眼鏡もいつも通りだ。
「おはよう。あのさ。メッセージみた?」
「はい。虫垂炎だと言っていましたね。今日緊急手術だそうで。」
「夕べからだったみたいだね。」
「虫垂炎は、全く想定外のことですし、予防で何とかなるというモノではないので仕方ないでしょう。もう一方の方は、奥様だったようで手術に付いていないといけないとか。」
「身内だからね。で……。レコーディングはどうするの?遅らせる?」
「遅らせるわけには行かないので、こちらで都合をつけました。」
「って事は……新しいスタッフを?」
「えぇ。部長の許可無しで悪いとは思いましたが、今日しか無かったので。」
そう言って沙夜は自分のデスクにやってくると、資料を手にした。その都合を上司に言っていたのだ。
「誰を呼んだの?」
「翔です。」
「千草君?でも千草君は今日……。」
「翔の予定はずらすことが出来ました。翔も乗り気だったので。自分のスタジオにしているスタジオ以外での仕事をしたいと言っていました。」
講師なんかもしているのだ。それだと、翔も場数を踏みたいと思っているのだろう。しかし裕太にとっては都合が悪い。
「千草君一人では無理が無いかな。しかも扱ったことが無いかもしれないのに……。」
「だからもう一人呼んだんです。都合が付いて良かった。」
「え?誰を?」
「三倉さんです。」
「奈々子を?」
益々都合が悪い。裕太は心の中で舌打ちをした。確かにずっと「二藍」に関わっていたのだ。「二藍」の初期の頃から関わっていた奈々子なら、沙夜からでも頼みやすかったのだろう。
「三倉さんも今日だったら大丈夫だと言ってました。しかし、翔も明日には別件の仕事があるし、三倉さんも夜には帰らないといけないらしいので、今日帰ってきます。」
「今日帰る?帰るって事は宿は?」
「今日帰るのでキャンセルを。」
「しかし……。」
「天気も悪そうでは無かったので、無理では無いと思います。良い宿のようでしたが、残念ですね。」
旅行雑誌にも載るような宿だった。雪の中に露天の温泉があるようなところで、部屋によっては内風呂も露天の温泉が付いているようだったし、食事も美味しそうだった。だが裕太の身内がしているのだから、そのぶん格安で泊めてくれる予定にしていたのだろう。
その時沙夜のデスクの上にある電話が鳴った。それに沙夜が出ると、車の用意が出来たと連絡くる。
「はい……わかりました。ではこれから向かいます。」
受話器を置き、沙夜は掛けているコートに袖を通した。
「車は予定よりも大きめのモノを用意してくれました。五人乗りますし、ダブルベースも乗るので。」
「あぁ……わかった。」
「今日のことは望月さんに任せています。」
「録音が出来たらこちらに送ってくれるかな。」
「わかりました。では、行って来ます。」
そう言って沙夜は荷物を手にすると出ていった。その姿に裕太はため息を付く。都合の悪い人に声をかけたし、宿も取らなかった。これではこちらの用意したモノは全て拒否されたことになる。
しかしまだスタジオがある。用意したのは裕太だった。そのスタジオで何が起こっているのか、こちらには全部筒抜けなのだ。
奈々子がいるのだったら行動はしないかもしれないし、順大が居るなら不用意なことは言わないかもしれない。だが心が通じ合っている人と達というのは、端々で出てくるのだ。それはどうとでもこじつけが出来るだろう。そう思いながら、奏太は携帯電話にメッセージを打ち込んだ。
まずは一馬を迎えに行った。一馬の家が会社からは一番遠い。それでも電車で通勤が出来るくらいだ。ダブルベースを載せて居る時、響子が出てきた。今日は響子は休みなのだろう。
それから順大を迎えに行き、翔を迎えに行く。どちらも自宅だ。翔の所へ行った時、芹が出てくるかと思っていた。だが芹は出てこなかったし、沙菜も出てこなかった。
「二人は居ないの?」
翔が車に乗ると、翔は頷いた。
「芹は何か取材って言ってたな。沙菜は慎吾のところに行ってもらってる。」
「慎吾さんは退院のめどは立った?」
「もう少しかな。」
すると順大は不思議そうに隣に座っている翔を見る。
「慎吾というのは身内か。」
「そう。弟。それから沙菜と芹というのは同居人でね。」
「だから一戸建てだったんだな。親のモノか。」
「そう。一人で住むには広すぎる家だから、ルームシェアをしているんだ。」
「ルームシェアねぇ……。」
順大はそう言うと一馬は順大に聞く。
「お前はそう言うことはしなかったのか。」
「あちらの国へ行っていた時には寮にいたが、ルームシェアというのは……あったか。」
「へぇ。人と暮らすのなんかって感じがするのに。」
翔はそう言うと、順大は苦々しい顔で言う。
「その通りだ。二度としたくない。」
「嫌なことがあったんだな。」
「ルームシェアというか、同棲じゃ無いのか。俺らの歳だったら。」
すると順大は手を振って言う。
「いや。いや。そんなんじゃ無い。金が無かった頃に色んなところのヤツと一緒に住んでいてな。それこそ男や女は関係なく。」
「ふーん……。だったら痴情のもつれかな。」
翔がそう言うと、順大は頷いた。
「それもあったが、まぁ……破綻した理由は金だな。」
「金?」
「盗った盗らないで警察が来るまでだったから。」
「血が流れたとか?」
「あぁ。刺されたよ。俺はさすがに傍観者だったけど、止めなかったって相当責められてさ。」
「止めないな。そういう事は。」
一馬にはわかる。そんなことを止めて、痛い目に遭うのは自分なのだと言うこと。もしかしたら止めた人が、刺されるかもしれないのだから。
「それはともかくさ。沙夜。」
運転している沙夜に翔が聞いた。
「何?」
信号で停まり、沙夜は少し振り返る。みんな後部座席に座っているのだ。
「三倉さんが来るって言っていたけど、三倉さんには……。」
「ここに居る人にはもうみんな言って良いこと。でも……ちょっと待ってくれる?」
「待つ?」
「三倉さんと合流してからね。」
そして車を走らせ、奈々子との待ち合わせの場所へ向かう。奈々子は、奈々子が住んでいるマンションの近くにあるコンビニの駐車場で待っていた。
「三倉さん。お世話になります。」
沙夜は運転席を降りると、奈々子に挨拶をした。
「良いのよ。それよりも、ちょっとみんな降りてくれない?」
「そうでしたね。降りるように言います。」
そう言って沙夜は後部座席の三人に声をかける。すると三人は不思議そうな表情で車を降りた。すると奈々子は、そのままその車に乗り込んだ。手には小さなトランシーバーのような黒いモノが握られている。それを一馬も翔も見たことがあった。
だから沙夜はこの場で不用意なことを言わなかったのだ。会社すら信じていないのだから。
今日は一馬と沙夜のレコーディングの日だった。スタッフを二人連れて行き、レコーディングをしてもらう。その場に音楽が聴きたいと順大が行きたいというのは想定外だったが、それくらいならするだろう。この国で名を知られるためにはCMは良いチャンスだと思うから、CMでも気合いが入るのだろうと思っていた。
だがスタッフが二人とも都合が悪くなったと、夕べ寝ている間にメッセージが届いていたのを今朝確認したのだ。早くしなければ、沙夜が勝手に動くかもしれない。そう思いながら会社の駐車場に入ると、急ぎ足で会社の中に入っていった。
いつもだったらゆっくりコンビニなんかによってコーヒーを買ったりしていたが、今日はそんな暇は無い。エレベーターに乗り込み、オフィスへ向かう。
オフィス自体は結構早くから明かりが付いているのだ。
「……。」
その明かりの付いているオフィスには誰も居ない。良かった。やはり沙夜はいない。そう思っていた時だった。
「おはようございます。」
後ろから声がかかり、裕太は振り向くとそこには沙夜の姿があった。いつも通りに格好で、スーツ姿に薄く化粧をしているし眼鏡もいつも通りだ。
「おはよう。あのさ。メッセージみた?」
「はい。虫垂炎だと言っていましたね。今日緊急手術だそうで。」
「夕べからだったみたいだね。」
「虫垂炎は、全く想定外のことですし、予防で何とかなるというモノではないので仕方ないでしょう。もう一方の方は、奥様だったようで手術に付いていないといけないとか。」
「身内だからね。で……。レコーディングはどうするの?遅らせる?」
「遅らせるわけには行かないので、こちらで都合をつけました。」
「って事は……新しいスタッフを?」
「えぇ。部長の許可無しで悪いとは思いましたが、今日しか無かったので。」
そう言って沙夜は自分のデスクにやってくると、資料を手にした。その都合を上司に言っていたのだ。
「誰を呼んだの?」
「翔です。」
「千草君?でも千草君は今日……。」
「翔の予定はずらすことが出来ました。翔も乗り気だったので。自分のスタジオにしているスタジオ以外での仕事をしたいと言っていました。」
講師なんかもしているのだ。それだと、翔も場数を踏みたいと思っているのだろう。しかし裕太にとっては都合が悪い。
「千草君一人では無理が無いかな。しかも扱ったことが無いかもしれないのに……。」
「だからもう一人呼んだんです。都合が付いて良かった。」
「え?誰を?」
「三倉さんです。」
「奈々子を?」
益々都合が悪い。裕太は心の中で舌打ちをした。確かにずっと「二藍」に関わっていたのだ。「二藍」の初期の頃から関わっていた奈々子なら、沙夜からでも頼みやすかったのだろう。
「三倉さんも今日だったら大丈夫だと言ってました。しかし、翔も明日には別件の仕事があるし、三倉さんも夜には帰らないといけないらしいので、今日帰ってきます。」
「今日帰る?帰るって事は宿は?」
「今日帰るのでキャンセルを。」
「しかし……。」
「天気も悪そうでは無かったので、無理では無いと思います。良い宿のようでしたが、残念ですね。」
旅行雑誌にも載るような宿だった。雪の中に露天の温泉があるようなところで、部屋によっては内風呂も露天の温泉が付いているようだったし、食事も美味しそうだった。だが裕太の身内がしているのだから、そのぶん格安で泊めてくれる予定にしていたのだろう。
その時沙夜のデスクの上にある電話が鳴った。それに沙夜が出ると、車の用意が出来たと連絡くる。
「はい……わかりました。ではこれから向かいます。」
受話器を置き、沙夜は掛けているコートに袖を通した。
「車は予定よりも大きめのモノを用意してくれました。五人乗りますし、ダブルベースも乗るので。」
「あぁ……わかった。」
「今日のことは望月さんに任せています。」
「録音が出来たらこちらに送ってくれるかな。」
「わかりました。では、行って来ます。」
そう言って沙夜は荷物を手にすると出ていった。その姿に裕太はため息を付く。都合の悪い人に声をかけたし、宿も取らなかった。これではこちらの用意したモノは全て拒否されたことになる。
しかしまだスタジオがある。用意したのは裕太だった。そのスタジオで何が起こっているのか、こちらには全部筒抜けなのだ。
奈々子がいるのだったら行動はしないかもしれないし、順大が居るなら不用意なことは言わないかもしれない。だが心が通じ合っている人と達というのは、端々で出てくるのだ。それはどうとでもこじつけが出来るだろう。そう思いながら、奏太は携帯電話にメッセージを打ち込んだ。
まずは一馬を迎えに行った。一馬の家が会社からは一番遠い。それでも電車で通勤が出来るくらいだ。ダブルベースを載せて居る時、響子が出てきた。今日は響子は休みなのだろう。
それから順大を迎えに行き、翔を迎えに行く。どちらも自宅だ。翔の所へ行った時、芹が出てくるかと思っていた。だが芹は出てこなかったし、沙菜も出てこなかった。
「二人は居ないの?」
翔が車に乗ると、翔は頷いた。
「芹は何か取材って言ってたな。沙菜は慎吾のところに行ってもらってる。」
「慎吾さんは退院のめどは立った?」
「もう少しかな。」
すると順大は不思議そうに隣に座っている翔を見る。
「慎吾というのは身内か。」
「そう。弟。それから沙菜と芹というのは同居人でね。」
「だから一戸建てだったんだな。親のモノか。」
「そう。一人で住むには広すぎる家だから、ルームシェアをしているんだ。」
「ルームシェアねぇ……。」
順大はそう言うと一馬は順大に聞く。
「お前はそう言うことはしなかったのか。」
「あちらの国へ行っていた時には寮にいたが、ルームシェアというのは……あったか。」
「へぇ。人と暮らすのなんかって感じがするのに。」
翔はそう言うと、順大は苦々しい顔で言う。
「その通りだ。二度としたくない。」
「嫌なことがあったんだな。」
「ルームシェアというか、同棲じゃ無いのか。俺らの歳だったら。」
すると順大は手を振って言う。
「いや。いや。そんなんじゃ無い。金が無かった頃に色んなところのヤツと一緒に住んでいてな。それこそ男や女は関係なく。」
「ふーん……。だったら痴情のもつれかな。」
翔がそう言うと、順大は頷いた。
「それもあったが、まぁ……破綻した理由は金だな。」
「金?」
「盗った盗らないで警察が来るまでだったから。」
「血が流れたとか?」
「あぁ。刺されたよ。俺はさすがに傍観者だったけど、止めなかったって相当責められてさ。」
「止めないな。そういう事は。」
一馬にはわかる。そんなことを止めて、痛い目に遭うのは自分なのだと言うこと。もしかしたら止めた人が、刺されるかもしれないのだから。
「それはともかくさ。沙夜。」
運転している沙夜に翔が聞いた。
「何?」
信号で停まり、沙夜は少し振り返る。みんな後部座席に座っているのだ。
「三倉さんが来るって言っていたけど、三倉さんには……。」
「ここに居る人にはもうみんな言って良いこと。でも……ちょっと待ってくれる?」
「待つ?」
「三倉さんと合流してからね。」
そして車を走らせ、奈々子との待ち合わせの場所へ向かう。奈々子は、奈々子が住んでいるマンションの近くにあるコンビニの駐車場で待っていた。
「三倉さん。お世話になります。」
沙夜は運転席を降りると、奈々子に挨拶をした。
「良いのよ。それよりも、ちょっとみんな降りてくれない?」
「そうでしたね。降りるように言います。」
そう言って沙夜は後部座席の三人に声をかける。すると三人は不思議そうな表情で車を降りた。すると奈々子は、そのままその車に乗り込んだ。手には小さなトランシーバーのような黒いモノが握られている。それを一馬も翔も見たことがあった。
だから沙夜はこの場で不用意なことを言わなかったのだ。会社すら信じていないのだから。
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