触れられない距離

神崎

文字の大きさ
上 下
617 / 719
年末

617

しおりを挟む
 楽屋の前に立ち、ドアをノックする。するとドアが開いて出てきたのは、一馬だった。珍しいこともあると思って沙夜は首をかしげる。
「支度は終わった?もう行く時間なんだけど……。」
 すると一馬は首を横に振ってその奥を見る。沙夜とマイケルは不思議そうにその中を覗いた。するとそこには、見たことがある女性と遥人の父親が居る。もうあと何時間も無くて遥人の父親の本番があるのにまだ着物に着替えていない。
「何かあったの?というか……栗山さん、こんな所に居る時間は……。」
 すると遥人の父親は沙夜を無視して、遥人に言う。
「だから、大した祭りでは無いのだろう。そっちはキャンセル出来るはずだ。」
「出来ないって。何ヶ月も前から決まってるヤツなんだし、観客は金を払って会場にいるんだよ。テレビとは違うんだから。」
「国営放送で金がかかっていないわけじゃ無いんだぞ。」
「へりくつ言うなって。次の仕事があるんだよ。さっさと移動させてくれないか。」
 本番前は遥人は喉に気を遣ってマスクをするだけでは無く、極端に口数が少なくなる。喉に負担をかけたくないからだ。なのに今はマスク越しでもあるが父親と言い合いをしている。そしてその奥にはその他のメンツがいる。何の話をしているのだろうと沙夜がその場へ向かった。
「栗山さん。「二藍」がどうかしましたか。」
 遥人の父親の側に居た女性はマネージャーだった。沙夜の姿を見て笑顔で近づいてくる。
「泉さん。今日はこれからフェスへ行く予定だとか。」
「そうです。もう出ないといけないんですけど。」
 立ち話をしている暇は無い。そう遠回しに言っていたのは通じなかったようだ。
「そのフェスってどうしても出ないといけませんか。」
「はい。出ないと穴が空いてしまって先方に迷惑がかかります。」
「他のバンドなんかも出るのでしょう?カバー出来ませんか。」
「出来ません。演歌の祭典なんかでも一人が都合が付かなくなってキャンセルをしないといけない状況になったとき、一緒に出る人達がカバーする事があるのかもしれませんか、このフェスではそれはやってないんですよ。」
「でも……。」
 フェスの広告には「二藍」の名前が載っている。それを目当てにやってくる観客もいるのだ。
 だが演歌の場合は都合が付かなくなったとき、その場合代役を探す。目当ての一月号が付かなくなると言うことは結構あることなのだから。そして遥人の父親が言う。
「だったらうちの事務所から送り込めば良い。うちだって演歌だけでは無くロックやジャズをしている人だって居るのだから。」
「……はぁ……。しかし、それは「二藍」目当てで来ているお客様を裏切る形になりますね。」
 沙夜はそう言うと、父親は少し笑って言う。
「裏切る?たかがロックバンドのファンなどミーハーなファンが多い。飽きればすぐに次に飛びつくだろう。」
 その言葉にマイケルがカチンとしたように言う。
「「二藍」の音楽が好きなファンには侮辱されたような気になるだろうな。」
「マイケル。」
 沙夜がそれを止めると、マイケルは肩をすくませる。
「父さん。無理を言わないでくれ。そのワンフレーズのために、翔が残るってのは無理があるから。」
「翔が?」
 マイケルは驚いて翔の方を見る。すると翔はプリントアウトされた紙を持って困ったように立ち尽くしていた。その紙はおそらく譜面なのだろう。
「そうだ。あの演奏を聴いてピンときた。このピアノの音であの曲を歌えばもっと盛り上がる。トリを務めるにはそれくらいしないと。」
 つまり「二藍」の演奏を聴いて、その演奏を自分に取り入れたいと思ったのだろう。だがその中には「二藍」に対する敬意などは見えない気がした。だから遥人も断っている。第一、フェスのこともある。沙夜が言うようにフェスに穴を開けられない。ただでさえこの音楽番組のために時間をずらしてもらっているのだから。
「千草君だけ残れないというのだったら全員で残っても良いんだ。遥人はコーラスをしてもらえば良いし。」
「やだよ。だからフェスが……。」
「何がフェスだ。お祭り騒ぎだろう。こっちは真剣にしているんだ。」
 駄目だ。何か勘違いをしている。マイケルはいい加減にしろとと怒鳴りたかったが、沙夜はもっと冷静だったのかもしれない。
「栗山さん。そこまで言うのだったら会社を通してもらえませんか。」
 沙夜は遥人の父親にそう言うと、虚を突かれたように父親が言う。
「は?芸能事務所に籍はないだろう?個人で受けていることだと聞いているが。」
「音楽のことに関してはレコード会社の範疇ですから。私もそうですし、私の上にも話を通さなければ勝手に行動をすることは出来ないんですよ。栗山さんだけは芸能事務所にも籍があるので、そちらにも話を通してもらわないと。」
「あとからどうにでもなるだろう。」
「あとからどうにかするのはこちらですから。こちらに出演をしたとして、その出演料とフェスで穴を開けた賠償と、どちらの額が大きくなりますかね。その場合、その補填は栗山さんの事務所がしていただけるんですか。そうでしたらちゃんと書面にして提出してください。」
 その言葉にマネージャーと父親は顔を見合わせた。おそらくそこまでは考えていなかったのだろう。ただあれだけの演奏が出来て、未だに「二藍」は凄いという声が聞こえているのだ。このままだとトリを務めるというのに、全く目立たなくなってしまう。それが父親を焦らせたのだ。
「元々ピアニストはいらっしゃるんですよね。」
 するとマネージャーの女性が頷いた。
「えぇ。いつか遥人さんと……他の男性の歌手ですかね。三人で演奏をしていました。その方がしてくれます。」
「悪いピアニストではありませんよ。聴く耳を持っている方です。」
「でもインパクトがなくて……。」
「だからといって「二藍」が残る理由はありませんよ。それを選んだのはそちらですし、大体、「二藍」に演奏をして欲しいならもっと早く言えたはずですよね?栗山さん。息子さんの音楽は聴いていなかったんですか。」
 すると父親は舌打ちをした。正直うるさい音楽だと思っていた体。ギターの音が耳に触るし、必要以上に低音が効いている。それに遥人の声の高音が耳に触ると思っていたのだ。だがバラードは違う。
「父さん。俺、今更演歌なんか歌えないよ。」
 遥人はそう言うと父親が首を横に振った。
「お前は節回しが抜けていない。それはハードロックと言えるのか?」
「もうハードロックなんかにこだわってないから良いんだよ。」
「は?」
 すると遥人はずっと思っていたことを告げる。
「純粋にハードロックだったら、俺らは埋もれる。だけど純粋なハードロックじゃ無いから生き残れたんだ。これからもそうするつもりだから。」
 その言葉に沙夜はほっと胸をなで下ろす。この五人はそういう結論を出したのだ。
 ずっと悩んでいたことだった。だからこの答えは嬉しかっただろう。そして沙夜も心から嬉しいと思った。
「そろそろ時間です。もう行かないと。忘れ物は無いかしら。」
「大丈夫。行こう。」
 荷物を持っていこうとした七人に、父親は苦し紛れのことを告げる。
「この国にいるのだったら遥人。あんな演奏をしておいて生き残れると思うなよ。テレビに嫌われてつまはじきにされるのがオチなんだからな。」
 すると遥人は足を止めて父親に言う。
「テレビがいつまでもメディアの中心と思ったら大間違いだ。」
 やはり遥人は鋭いところがある。沙夜はそう思いながら荷物を持った。そして残されたのは遥人の父親とマネージャーだけだった。
 こんなことがあっても、おそらく遥人の父親は立派にトリを務めるのだろう。そして「二藍」もフェスの会場で音楽を奏でるのだ。
 パスを返して駐車場へ向かう。エントランスにいたタレント達はもう撤収していて、エントランスは閑散としていた。そして地下の駐車場へやってくると黒いバンの中に楽器や荷物を入れて、七人はその車に乗り込む。運転は沙夜がする。マイケルはここの国では車の運転が出来ないからだ。
 そして助手席には遥人が乗り込んだ。どうしても後ろの席にいると話をしてしまうから。本番前にいらないことを話しすぎたと思ったからだろう。しっかりと喉を休める必要がある。
 だが沙夜には話をしておかないといけない。そう思って遥人はポケットに入れている指輪を握りしめた。
「沙夜さん。」
「……どうしたの?」
 エンジンをかけると、「二藍」音が流れている。今日演奏する曲を入れているのだ。それでみんながおさらいをする。だがその音楽を聴きながら、マイケルは隣に座っている治にこの近くのことを話していた。近くにマーケットのような所があり、正月では無ければ競りなんかをしていてとても賑やかだと話をしていた。こちらのことはあまり興味が無さそうでほっとする。
「父親にあれだけ言ったんだ。これからテレビは厳しくなるかもしれない。」
「テレビにあなたは出たいと思っている?」
「いや。でも……役者として映画やドラマってのはまだテレビ局が管轄しているところもあるし、それを取られると厳しいとは思うけど。」
「強引すぎたわね。栗山さんらしくなかったし。」
「……。」
 徐々に沙夜も「二藍」のメンツもわかって来ていた。この国では制約が厳しすぎること。古い体勢にうんざりしている人は、おそらく「二藍」だけでは無いのかもしれないがまだそれぞれが声を上げることは出来ない。
 何の後ろ盾も無ければ潰されるだけ。それならいっそこの国を見捨てることも選択肢の一つなのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...