触れられない距離

神崎

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チゲ鍋

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 風呂に海斗と入り、そのあと一馬はビーフシチューと作り置きしているポテトサラダを出した。ビーフシチューは温めて、ポテトサラダはそのまま食べられる。そして海斗はソファーに座って絵本を開いていた。
「海斗。そろそろ眠らないのか。」
 すると海斗は首を横に振る。
「母ちゃんが帰ってくるまで起きてる。」
「母ちゃんは遅くなるぞ。夕べも遅かったけど……。」
「昨日は起きれなかったから。今日は起きてるもん。」
 こうなれば海斗は意地でもベッドへ行こうとしない。もう言うのも諦めてしまった。だが一馬が食事を終わらせる頃になると、海斗はソファに座ったまま眠ってしまっている。無理も無い時間だ。そう思って一馬は食器を洗うと、海斗をベッドまで運ぼうとした。その時だった。玄関のドアが開く音がする。そしてリビングへやってきたのは響子だった。
「お帰り。」
「ただいま。あら?海斗はそんなところで眠っているの?」
「お前が帰ってくるまで頑張って起きると言っていたんだがな。」
「そうだったの。遅くなって悪かったわ。」
「忙しかったんだろう。仕方が無い。食事はどうした。」
「差し入れが合ったからそれを食べてきたわ。」
「そうか。」
 ローテーブルの上に一馬のブレスレットが置いている。響子は見ることは無かったが、クリスマスイブの時にはこれをいつも付けてくれているのだ。指輪は忘れることがあるが、このブレスレットは欠かすことは無い。だが響子は職業上付けることは出来ないが、この職場と家の往復だけでも付けておきたかった。
「風呂が沸いている。冷めないうちに入ってきたらどうだ。」
「そうね。」
 コートを脱いでハンガーに掛ける。そして風呂場へ行こうとしたときだった。玄関のチャイムが鳴る。響子がそのチャイムに反応していこうとしたが、先に一馬が反応して玄関へ向かった。
「え……。」
 ドアスコープから向こうを見ると、そこには見覚えのある人がいる。その人に一馬は少し戸惑いながらドアを開けた。
「どうしたんだ。真二郎さん。」
 真二郎がそこに居たのだ。チャコールグレーのコートと、クリーム色のマフラーで仕事場から直接やってきたのはわかっている。
「響子は帰った?」
「帰っていて、今、風呂に入っているが。」
「あぁ。一馬さんも普段と違うと思ったら髪を下ろしているからかな。外国の人に見えるね。」
「良く言われるが……どうしたんだ。明日も仕事だろう。こんな所へ来て大丈夫なのか。」
 少し嫌味のように取られただろうか。それでも真二郎の表情は変わらない。
「響子に渡したいモノがあったんだ。店で渡せば良かったんだけど、今日は忙しくて忘れていたからさ。」
 そう言って真二郎は手に持っている箱を一馬に手渡す。それはおそらくケーキなのだ。海斗の好きなチョコレートケーキで、三人ほどで食べられるほどの大きさにしている。おそらく真二郎が特別に作ったのだろう。
「アルコールが入っているのか。」
「入ってないよ。特別に作ったんだ。」
「それは悪かったな。わざわざ届けてくれて。」
 すると真二郎が首を横に振った。そしてバッグの中からもう一つの袋を取り出す。そしてそれを一馬に手渡した。
「これは響子に渡しておいてくれないか。」
「響子に?」
 クリスマスらしい緑と赤のラッピングされた紙袋で、リボンが付いている。おそらくどこかで買ったクリスマスプレゼントなのだろう。
「あぁ。深い意味は無いよ。響子が前から欲しがっていたモノだから。」
 その一言一言が一馬のかんに障る。一馬よりも響子のことをよく知っていると言われているようで、正直腹が立つのだ。だが響子が一番信頼している相手でもある。あまり無碍には出来ない。
「わかった。」
 そう言って、一馬はその袋も受け取ると真二郎は少し笑って言った。
「俺も響子から貰っているモノがあるし、お互い様だと思うんだよ。こういう事は。一馬さんは何か用意しているの?」
「一応な。」
 こういう事に疎い男だと思っていたのに、しっかり用意しているというのが少しわざとらしい。
「毎年用意していないと聞いていたけどさ。」
「今年は用意が出来たし、タイミングも良かったから。」
 すると真二郎は少し意味ありげに笑う。
「そういう事でもしないと、誤魔化せないの?」
「誤魔化す?」
「髪を下ろしている姿を俺は、見たことがあるよ。姿を誤魔化したいのかと思ってさ。」
 脅しているつもりなのか。だが一馬にはそんなことは通用しない。
「俺の仕事でまだ公になっていないこともあるのはわかっているのか。」
「仕事?」
「まだはっきりとはしない仕事だ。だから響子にもまだ言えない。俺がこそこそと動き回っているのが怪しいと思っているのかもしれないが、こちらにはこちらの事情がある。妻にも言えないことがあるんだ。」
「……奥さんにも言えないこと?」
「そういう契約になっている。そのために変装をすることもあるだろう。」
「……。」
「今からあんたは売り出す新製品を身内だからと言ってレシピを告げることがあるのか。」
「無い……な……。」
 レシピを知ったからと言って同じモノが作れるわけが無いのだが、その辺はプライドがあるのだ。レシピどころかどんなメニューを作るのかと言うことも言いたくは無い。
「そういう事だ。やっていることで怪しいと思っているのかもしれないが、こっちはあいにく守れるモノは自分自身しか無いしな。」
 違う。守ってもらう人はいるだろう。あの髪の長い女。響子によく似たあの女。何も無いわけがない。
「わかったよ。野暮なことを聞いた。じゃ、それ響子に渡しておいてよ。」
「わかった。」
「お休み。」
「ゆっくり休んでくれ。」
 そう言って真二郎はドアを閉める。だが真二郎は少し笑っていた。きっと一馬は今日、出て行くに違いない。そのあとにまたここへ真二郎が来れば良いのだ。響子はきっとまた真二郎の手を求めてくるのだから。
 あとで電話をしてみよう。そう思いながらアパートを出る。すると見覚えのある人が通り過ぎた。誰だっただろう。そう思っていたが、ふと思い出した。
 あれは翔だ。響子と海斗が一時期間借りをしていた家主。そして一馬のバンドのメンバー。家も最寄り駅も違うはずなのに、どうしてこんな所にいるのだろう。そう思ったときだった。アパートから足音がする。どうやら誰かが降りてきたようだ。そう思って真二郎は身を隠す。
 そして出てきたのは一馬だった。そして周りを見渡すと、先程の翔の所へ足を運んだ。何を話しているのだろう。だがその一つ一つを真二郎が聞くことは出来ない。
 そして一馬はそのままアパートを離れ、翔はアパートの中に入っていく。どういうことなのだろう。真二郎はわけがわからなくなっていた。
 一馬が響子以外の女を作っているのはわかっている。だが響子も他に男がいると言うことなのだろうか。そう思って頭を抱える。その時だった。
「やはりそうだったか。」
 声がして振り返ると、そこには一馬の姿があった。
「え……何で……。と言うかどこから……。向こうへ行ったよな?」
「……建物の周りを一周しただけだ。真二郎さん。あんた、何を考えているんだ。」
「……それは……。」
「響子と俺を別れさせようと思っているのか。それで自分の方に戻ってくれば良いと思っているのか。」
 その通りだった。そう思って真二郎は言葉を詰まらせる。
「……響子はあんたの所へは戻ってこない。響子はあんたとの関係は同じ従業員同士という感覚しか無いから。」
「そんなわけ……。」
「第一、あんたは響子と一緒にはなれないだろう。」
 そう言われて真二郎は言葉に詰まらせた。その通りだったからだ。
「そうだよ。実家が……邪魔をするから。」
 有名な歌舞伎役者の父と、外国人の母の間に産まれた真二郎は、その母が幼い頃に亡くなり、姉と共に孤児になったのだ。そしてある程度の年齢になったとき、真二郎は姉と共に「遠藤」の名前を名乗れるようになったのには理由がある。
 その歌舞伎役者と正妻の間には子供が生まれなかったのだ。そこで養子に出していた真二郎を家に帰らせるつもりだったらしい。だが真二郎はゲイで女に興味が無かったと家には思われていたのだ。
 そこで白羽の矢が立ったのは、真二郎の姉だった。キャリア組としてバリバリ仕事をしていた姉だが、何よりも真二郎のためと家に帰り婿養子をもらったのだ。
 所がその間に出来た子供も女しか生まれなかった。年齢的にももう子供を産むにはギリギリの年齢なのだから、早く男の子が欲しいと思ったのだろう。
 その家もギリギリの状態で、もし真二郎がゲイでは無くノーマルだということがわかったら。嫌でも真二郎は響子と離れることになる。
 だから真二郎はずっと響子と一緒になれなかったのだ。
「その状況は可愛そうだと思う。だが……俺はあんたに響子を渡す気は無い。海斗も渡す気は無いし。」
「浮気をしているんだろう。」
 すると一馬は首を横に振った。
「その証拠があるのか。たとえそうだとしてもこんな往来の場で言うことでは無いとはわかっていないのか。あんたは頭のいい人だと思っていたのだが。」
 そう言われて真二郎は少し俯いた。そしてやはり一馬には何も勝たないのだと実感し、そして自然と涙が溢れていた。
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