触れられない距離

神崎

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チゲ鍋

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 伝えるだけ伝えておくと言って沙夜はそのまま雅を玄関のエントランスまで送っていく。ずっと誤魔化していたが、もう奏太が「二藍」に関わっていることは雅にはわかっていた。だが水川有佐と繋がっていたとなるとあまり諸手を挙げて伝えるべきでは無かったかもしれない。
「それにしてもガンねぇ。」
 一馬も翔も両親は外国に居る。もし何かあればおそらく両親の元へ行かないといけない。二人とも世話になっているし、特に一馬は血の繋がりが無くても分け隔て無く育ててくれたのだ。恩義もあるのだから。
「ガンって言ってもそこまで今は怖い病気ではないよ。」
 治がそう言うと、遥人は不思議そうに治に聞く。
「何で?」
「義理の妹が漫画家をしているんだけどさ。その担当者はガンだったんだよ。奏太の父親のようにステージ四だったって。」
 気が付かなかったのが不思議だった。ちゃんとした会社勤めをしていて、会社が定める健康診断も受けていたのに見つからなかったのだから。
「腹膜播種って言ってさ。ガンが色んな所に出来るまでだったし、余命は二年って言われてたけど、まだ生きているよ。あれから四年経つのにさ。会社勤めをしながら抗がん剤治療を受けた結果みたいだ。」
「会社勤めで出来るんだ。」
 純が驚いてそう聞くと、治は頷いた。
「出来ないことは無いよ。だから大きな会社だからって事だろう。それから金の問題もあるし。」
「金か。」
 純にとって子供が居ない、結婚もしていないというのは結局頼りになるのは金なのだろう。純だってずっと健康で過ごせるわけでは無いのだから。
「こっちの国には高額医療制度なんてモノがあるからかなり軽減されるけど、それでも抗がん剤の治療をするときには体力も体調も相当悪くなる。会社も何日か休んで続けないといけない。当然収入もガクンと減るからさ。」
 それでも生きようと思った。まだやる事があるのだとその担当は必死だったのだから。
「そうなると奏太が顔を見せるって言うのは、その父親本人の気力にも繋がるかもしれないな。」
 雅が必死だったのはそういう所なのだろう。父親にもっと生きて欲しいと思ったからなのだ。それは子供がいくつになっても願うことなのだろう。奏太はそう思っているのかはわからないが。

 エントランスで雅は沙夜にむき直した。先程まで居た音楽番組の観客の集団はすでに案内されたのだろう。人だかりはもう無くなっている。
「すいません。忙しいときにご迷惑をかけて。」
「いいえ。こちらこそ誤魔化すようなことを言って申し訳ありませんでした。」
 沙夜が素直にそう言うと雅は少し笑う。先程までの表情が無いものとは一変していた。
「先程まではあなたもピリピリしていたようだ。レコード会社の担当というのはそこまで尽くすモノなんですね。」
「人によると思います。「二藍」は本来だったら芸能事務所なんかに籍を置くべきなんですよ。ここまで名前も大きくなったわけですし。でもそれをしていないわけですから、守らないといけないのはこちらになります。自衛が出来ることは限られていますから。」
「なるほど。」
 こんなに大きな名前になってしまったのだ。当然仕事量も一人ではままならないだろう。だから奏太の力が必要なのだ。奏太が役に立っている。それだけで雅はほっとするようだった。
「奏太は口で損をすることもあるでしょう。」
「正直な方ですから。」
「モノは良いようだな。だから長い目で見てやってくれないだろうか。悪い人では無いと。弟だからひいき目があるのかもしれないが。」
「望月さんの耳は確かです。だから私も任せられるところがあるんですよ。」
 音響の善し悪しというのは沙夜には良くわからない。だから奏太に任せていたのだ。その交渉も奏太に任せている。その辺が頼りになるところだ。そうやって一つ一つ奏太を頼りに出来るところが増えれば良いと思う。
「……先程から騒がしいな。」
 もう行こうとした雅が気になって足を止める。それに沙夜も気になってそちらを見た。すると受付の女性に食ってかかるような女性がいる。受付の女性は困ったように女性をなだめていた。その向こうには上司らしいスーツ姿の男がいるが、その男にも女性は何か叫んでいる。
「あぁいう人は珍しくないんですよ。」
 どこから聞いたのかタレントなんかがこのテレビ局に居る時間を狙って、会わせて欲しいという強烈なファンがいる。特に今日は音楽番組があるのだ。アーティストの熱狂的なファンというのはどこでも居るのだろう。
「お義母さん。」
 雅はそう呟いてその受付の方へ足を運ぶ。あのモスグリーンのコートを着た若作りの女が奏太の母だというのだろうか。
「え?」
 あの受付でクレーマーのように脅すような口調で何かをいっている女性が、奏太の母親だというのだろうか。そう思いながら沙夜もそちらに足を運んだ。
「だから、「二藍」の担当を出せって言っているのよ。その人は私の息子なんだから。」
「「二藍」は本番前で離れられません。息子さんであれば個人的に連絡を取ってください。」
「それが出来ないからこちらに言っているのよ。良いから出しなさい。」
 人が集まってきている。それが気になったのだろう。雅は義母の方へ近づくと、義母を止めるように言う。
「お義母さん。迷惑がかかっていますよ。」
「雅さん。「二藍」の担当には会えたの?やはり奏太だったの?」
「いいえ。奏太はここには居ません。帰りましょう。」
「だったらどこに居るの。」
「どこかはわかりません。」
「使えない人ね。まぁ良いわ。本当に「二藍」の担当だったらレコード会社に行けば良いことだもの。」
 こんな人が来たらまた大騒ぎになるだろうな。沙夜はそう思いながら冷えた目でその様子を見ていた。
「全く……こんな音楽のどこが良いのか。大したレコード会社じゃ無いわ。奏太がどうせ口添えをして売れたんでしょうけどね。」
 その言葉が聞こえてむっとした。言い返してやろうかと思ったが、そんなことをしてまた喧嘩になって問題になれば、馬鹿を見るのはこちらの方だ。そう思って我慢した。
「そうじゃ無いですよ。奏太が担当になったのは最近だそうですから。」
 雅が沙夜と「二藍」をフォローするように言うが、義母は全く耳を貸さない。
「それまではどこかのバンドの音楽をパクっているっていう噂じゃ無い。」
 その言葉に沙夜は驚いて母親を見た。すると雅は首を振って言う。
「そんなことは無いですよ。お義母さん。もうあまりあの人の言うことは真に受けない方が良い。」
「そんなこと無いわ。天草さんって立派な出版社の方で、テレビにも出ている方よ。信用も出来るわ。その人が言うんだから間違いないんだから。」
 沙夜の前を通り過ぎたとき、雅が僅かに首を横に振った。それはどういう意味なのか沙夜でもわかる。そして沙夜は二人が行ってしまったあと、携帯電話を取り出すと連絡をする。相手は西藤裕太だった。
「もしもし……。はい。少し耳にしたんですけど……。」
 SNSなんかで「二藍」の噂が無いかと確認したのだ。パクりなんかという話などだ。すると裕太はそれを否定する。
 模倣の噂というのはアーティストが誰でも抱えることだった。音楽の細かいところを付いて、このフレーズがこの曲と似ているなどと言って難癖を付けることもあるのだから。
 「二藍」がこれまでそう言う噂が立たなかったのは、純粋にハードロックというわけでは無いからだった。純が作る曲は、確かにゴリゴリのハードロックのように聞こえるが、遥人の歌い方でそれが少し和テイストになっている。
 そして翔の作るモノはクラシックがベースになっていて、ハードロックのテイストは入っているがそこまでゴリゴリというわけでは無い。特にバラードなんかは、翔が作るモノは評判がいい。そして一馬も最近はアレンジをするようになった。
 どう聞いてもオリジナルにしか聞こえないのだが、模倣などという人というのは本当に細かいところを付いてくるのだ。沙夜はそれを心配していた。
 だが裕太はそれを否定する。
「そうですが……。はい……。」
 心配することは無い。そういうモノはどのアーティストでも噂をされることなのだ。しかしそれを言いだしたのが紫乃だとしたら、その後ろには宮村雅也の姿がある。宮村であれば、それをどんな形にしても記事にするかもしれない。それは注意しておいた方が良いというのが、裕太の見解だった。
「わかりました。すいません。お忙しいときに。」
 そう言いながら沙夜はエレベーターホールへ向かった。そして携帯電話の通話を終わらせると、ぽんと肩に手の感触が伝わってくる。
「誰……。」
 そこには天草裕太の姿があった。その姿に沙夜は顔を引きつらせる。
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