触れられない距離

神崎

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チゲ鍋

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 楽屋のドアを閉めて、沙夜は雅を中に案内する。雅は戸惑っているようだった。テレビやインターネットなんかの評判とは全く違う「二藍」の様子なのだから。テレビではツンとした感じがあるが、今の「二藍」はとても和気藹々としている。だがその中でふと雅は奥でベースを淡々とおさらいしている一馬に目を向けた。一馬は何度も話をしたことがあるし、響子との関係も知っているだろう。
「一馬さん。」
 すると一馬はベースを弾く手を止めてそちらを見る。そして軽く頭を下げるとまた演奏をする曲のおさらいをしていた。関わりたくないというのが本音なのだろう。
「橋倉さん。望月さんのお兄さんよ。」
 さすがにあまりにも雅が空気だとまずい。そう思って沙夜はまず治に雅を紹介する。すると治は愛想笑いをして雅に近づいた。
「「二藍」のリーダーをしてます。橋倉と言います。」
「敬語は結構だ。弟がお世話になっているようだし。」
「まぁ……それは……。」
 そう言われて治は少し戸惑った。先程まで奏太を隠していたが、奏太が世話をしたというのはもうばれている。しかし確かに基礎の部分ではしっかり見直しがそれぞれに出来たと思う。だがリー・ブラウンの所へ行けば、そんなモノはあまり役に立たなかったのだから。
「警察官をされているそうで、望月さんに会えるかと思ってやってきたみたいなんだけどね。」
「奏太って今日は何してるの?」
「ツアーのための音響をメーカーの所へ行って聞いてくると言っていたわね。翔はやりとりが進んでるかしら。」
 すると翔は頷いた。
「運が良かったよ。良いスピーカーがレンタル出来そうだ。ミキシングしてくれる比嘉さんとも連携してそれにしようかって話が進んでるよ。」
「良かったわ。」
 本当に奏太はここに居ないのだ。そう思って雅はため息を付く。すると一馬がベースから手を離し、雅の方を見た。
「そういう事です。雅さん。本番前でナーバスになってますのでお引き取りを。」
「一馬さん。」
 ライブ前の一馬という人を見たことが無かったが、ここまでツンとしているモノなのだろうか。そう思いながら雅は一馬の方へ寄っていこうとした。するとそれを遥人が止める。
「警察官だから全て許されるわけじゃ無い。俺らはこれで飯を食べているんだ。邪魔するなら帰ってくれ。」
 遥人が言いたいことを全て言ってくれたな。そう思って沙夜はほっとしたように胸をなで下ろした。すると雅は首を横に振る。そして翔の方を見た。
「あなたは今、奏太と連絡を取っていると言っていたな。連絡を取れるなら取って欲しいことがある。」
「え?嫌ですよ。」
 雅の言葉に翔はすぐに拒否をした。しかし雅は引き下がらない。
「あなたからなら連絡が付くんだろう。そうでは無ければ奏太は……。」
「何の事情があるのか知らないけど、あなたは忘れているみたいだ。」
「何を……。」
 治は滅多なことでは怒らないし、基本は穏やかな人だ。翔も同じようにあまり怒ったりしないし、どちらかというと人の良いところを見てそれをプラスに捉えられる人なのだ。だが翔もまた雅を拒否しているのは、外国でのことがあったからだろう。
 沙夜は雅に告げる。
「水川さんと繋がりがあったんですよね。」
 水川有佐の名前に、雅は首を横に振った。
「響子さんの事件の犯人を突き止めるためだ。」
「でもそれでこちらは相当迷惑がかかったんですよ。新しいアルバムは外国でレコーディングをしたんですけど、そこでも水川さんのことで問題がありレコーディングの時間も短縮されましたから。」
「それで中途半端な出来になったのか。」
「いいえ。そんな真似はしませんが、もっと時間があったらもっと良いモノになったかもしれないのに。」
 その言葉に一馬が首を横に振って沙夜に言う。
「沙夜。それは違う。」
「え?」
「時間が無かった。邪魔をされたと言って中途半端な出来になったとは俺は思わない。他のメンツもそうだろう。」
 すると治も純も頷いた。悪い出来では無かったし、沙夜も出来上がったアルバムを聴いて「二藍」至上一番良い出来だと思ったのだから。
「それは……。」
「まさか沙夜がそんなことを思っていたとはこちらも思ってなかったが。」
「……そんなこと?」
「もっと良いモノが出来たんじゃ無いかってのは、今の状態があまり出来が良くないとも聞こえるからさ。」
 遥人の言葉に沙夜は首を横に振った。
「そんなことは無いんだけど……。ただ……。」
「沙夜はこだわりすぎるんだよ。翔よりもこだわっているように見えるよ。」
「え……。」
 翔の名前に沙夜は少し戸惑いながら翔を見る。すると翔も少し笑って言った。
「そうだね。決めたら変えないっていう純とは違うようだ。」
「翔まで……。」
 ここまで責められると沙夜も観念したように頭を下げる。
「すいません。望月さん。少し言いすぎました。」
「いいや。こちらも聞きたいことがあったわけだし、いきなり来て連れて来てもらったのに失礼すぎた。」
 謝ることは出来るのか。その辺は奏太とは兄弟とはいえ、歳が離れているしずいぶん年上なので折れることも出来る人なのだ。
「それで……何かあったんですか。」
 沙夜はやっと本題に切り込む。すると雅はため息を付いて言った。
「奏太に連絡が取りたいというのは、実は家のことでね。」
「家?」
「父が病魔に冒されてね。手術と入院をすることになった。」
「病魔というのは?」
「ガンだ。ステージ四。」
 ステージ四というのは、おそらく転移をしている可能性が出てきた。現代の医療は発達しているとはいえ、抗がん剤の治療も楽では無いだろう。そしてこの雅の父親であれば、年配の部類に入るだろうから体力も期待は出来ない。
「ステージ四ねぇ……。」
 遥人がそう言って首を横に振った。すると治が不思議そうに遥人に聞く。
「遥人はわかるんだ。」
「父親の方の叔父が五十の時にガンになったんだよ。気が付いたときには色んな所に転移しててさ。発見して半年後には死んだから。」
「半年って短くないか。」
「わかりにくいところだったんだよ。胃とかさ、肺とかさ、わかりやすいところだったらもっと初期で手を打てたんだろうけど。」
 父親のことや母親のことを一番理解してくれていた人だった。だから父親の気が沈んでいたのもわかっていたし、それを母親が何とか支えようとしていたのを遥人は幼い頃に見ていたのだ。その時だけ、二人が夫婦に見えた。普段は全くそんな風に見えなかったのに。
「ステージ四なら手術してもガンを全部取り除けるかって言うと、微妙だよな。」
 翔もそう言うと、雅は頷いた。
「最後かもしれない。そう思うと、やはり奏太に来て欲しいと思うから。」
 雅は遅く結婚をした。おそらく雅の奥さんは奏太の方が歳が近いような奥さんだったが、すぐに子供は出来た。男の子が出来て、その子の成長をいつも父親は楽しみに見ていたと思う。だが雅に当たる義母は、その子を今度こそピアニストにしようと思っていたらしい。その態度が雅の奥さんと子供を、実家から遠ざけてしまった。
 それでも父親が最後かもしれないとわかれば、子供を連れて見舞いにも行くことがある。そして母親も何とかして奏太を見つけようとしているらしいのだ。
「それで最近、お母様からの連絡が酷いと言っていたのかしら。」
「どこから知ったんだ。その番号とか勤務先の会社とか。」
 雅が全て世話をしたという。だから知ったとすれば雅が手を尽くしたと考えられるが、この男がそんな馬鹿なことをするだろうか。そう思ったが可能性はある。なんせ水川有佐に口八丁で騙されていたのだから。
「私は話をしていない。義母には知らないと言っていたのだから。」
「だとしたら……やはり紫乃か。」
 一馬がぽつりと言って沙夜は頷いた。
「それはともかくとして、奏太に話をした方が良いかもしれないな。でも病院へ行ったらその母親って人に会うかもしれないと思うと、気が引けるかもしれないけれど。」
「あとは本人次第じゃ無いかしら。行きたいと思えば行くだろうし、母親の影にまだ怯えているんだったら行かないだろうし。ただ、その場合とても無慈悲だなぁとは思うけど。」
「沙夜がそれ言う?」
 翔がそう言うと沙夜は頬を膨らませた。沙夜もまた意地で母親に会わないと言っているのだから。
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