触れられない距離

神崎

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イワシの梅煮

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 食事を終えると沙夜は髪をほどいて、眼鏡を外す。そして一馬も髪をほどいて、二人で一馬のスタジオへ移動した。沙夜を今日返したくなかったので、響子に連絡を入れておく。すると響子はすでに家に海斗を連れて帰ってきているようだった。帰ってこれるかわからないとメッセージを送ると、響子は大丈夫と言ってくれた。もう慣れたモノだろう。海斗も一馬がいなくても元気に育っている。側に真二郎がいてくれれば海斗も安心するのだから。
 それでも帰ってきたときに「父ちゃん」と言ってくれるのは、少し心が痛むようだ。響子以外の人と一緒に居て、側に寄り添っているのだから。
 事情を聞けば沙夜の側にいたいと思う。沙夜を今日は家に帰したくなかった。
「そう言えば今のところを引っ越すと言っていたな。何かあったのか。」
 すると沙夜は首を横に振って言う。
「何も無いわ。ただ、あの部屋は開くまでウィークリーでホテルの延長線上にあるようなところだし、もっと腰を落ち着けて住めるような所があると良いのにと思っただけ。」
「翔の所を出るんだろう。あのことが理由か?」
 芹と沙菜と顔を合わせたくないのだ。それも主な理由なのだろう。
「そうね。それもあるけれど、主な理由は翔の弟ね。」
「翔の弟?不倫をしていた役者の?」
「そう。ずっと目が悪かったんですって。」
 沙夜の思ったとおりだったのだ。慎吾は徐々に目が見えなくなってきている。今は台本すら読めないようで、女に読んでもらったりしているようだったから。
「目が?」
「ライリーが目が悪かったわね。その主治医にカルテを送って、こちらの専門医に診てもらった。すると手術次第で目が回復する可能性が出てきたようなのよ。もう駄目だと思っていたんだけど。」
「喜ばしいことなのか。」
「栗山さんが言っていたわ。役者としては相当良い位置にあるみたいだけど、やはりどうしても目の影響もあって芽が出なかったみたいだから。それに……私生活もね。」
「ろくでもない男に見えたが。」
「目が治れば事務所を離れることも考えているみたいね。あの人は画面に映るような役者はあまりやりたくなかったみたいだし。」
「画面に?」
「舞台俳優を目指していたみたいなのよ。目が悪かったからそれも出来なかったみたいなんだけど。」
 舞台というのは撮り直しが聞かない。失敗したらそのままなのだ。なので目が悪いというのは、どうしても怪訝されるだろう。
「手術をすると言うことは、担任しても一人では生活が出来ないな。だから家に戻ると言うことか。」
「そう。なんだかんだで高校生まではあの家に居たみたいだし。慣れているところの方が良いと思うから……。」
 やはり沙夜は無理をしている。そう言い聞かせているだけに感じた。思わず肩を抱きたいと思うが、まだ公の場だ。周りは酔っ払った人しかいないようだが、何を言われるかわからない。何のために離れて生活をしているのかと考えたら、不用意なことは出来ないのだ。
 だがスタジオにたどり着いて、鍵を開ける。そして二人でその中に入った途端、電気を付ける間もなく一馬は沙夜を引き寄せた。すると沙夜も一馬の体に体を寄せる。そして一馬はその大きな手で沙夜の頭を撫でると、沙夜はずっと我慢をしていた感情を一気に吐露するように泣き出した。声を抑えていたが一馬を抱きしめるその腕の力はいつもよりも強い。
「今日は……辞めておくか。一緒に居るだけで良い。一晩中抱きしめるから。」
 すると沙夜は首を横に振る。
「何のために来たのかわからないでしょう?いくら響子さんでもそんなことを許す蓮は無いわ。」
「無理をするな。」
「音楽を奏でたいの。」
「そんな状態で音楽を奏でても、音楽に失礼だ。この音楽はお前のストレス発散の場では無いのだから。」
「……。」
「ストレスを発散させたいなら、別のことが良い。少なくともここで俺たちが弾くモノは、仕事ですることだ。聴いて貰うモノなのだから尚更だろう。」
 その言葉に沙夜は頷いた。そうだ。それを忘れていたように思える。
 音楽にストレスの発散を求めるなど最低だ。そう思って沙夜は一馬の体を少し離す。そして沙夜の方から一馬の唇に軽くキスをした。
「そうだったわね。ありがとう。気が付かせてくれて。」
 こういうところが好きなのだ。沙夜は我が儘だというのかもしれないが、本当に我が儘な人は自分を通すだろう。無理にでも楽器を弾きたいというのかもしれない。一人なら沙夜もそうしていたのだ。
 インターネットの誹謗中傷に逃げたのも、やはり音楽だった。しかしその音楽でまた誹謗中傷は大きくなる。すると今度は音楽を奏でるのも怖くなるのだ。
 今はそれよりも沙夜をこうして抱きしめていたい。セックスをしなくても良い。ただ抱きしめてやりたいと思った。沙夜の苦しみが溶けるまで。
「でも一馬。」
「うん?どうした?」
「これからのことは話をしたいの。あなたにも思うことがあるのでしょうから。」
 沙夜には適わないな。そう思って一馬は沙夜の体を離す。そして電気をまず付けてエアコンを付けた。
「沙夜。少し座ってくれないか。」
 ベッドに腰掛けると、沙夜もその隣に座る。そして一馬は携帯電話を取りだして、写真を呼び出す。
「これを知らないか。」
 すると沙夜はその画面に映っていた青い石を見て少し戸惑った。
「似てるわね。」
 そう言って沙夜は体を屈ませると、足首に付けていたアンクレットを外した。そしてその先にある石に触れた。アンクレット事態は芹が送ってくれたモノだったが、その石は一馬が送ってくれたモノで、これから芹と別れを選択するのであればそのアンクレットは処分しないといけないだろう。だがその石は捨てきれない。
「これはいつの間にか家にあったモノだ。外国から帰ってきたときにはすでにあって、棚に置いていたんだが、次に見たときにはもう無かった。」
「真二郎さんが忘れていったのかしら。」
「真二郎さんは装飾品が苦手だ。元々パティシエをしているし、普段は付けられない。」
「……って事は、誰が……。」
「響子が持っていると考える。それが一番自然だ。そしてこれを響子に送ったのが。」
「真二郎さんなのかしら。この青は、真二郎さんの目の色によく似ているし。」
 しかし一馬は首を横に振る。真二郎がこういうモノを送るとは思えなかったからだ。装飾品を身につけるのも送るのも苦手なのだ。それに装飾品を贈るなら、真二郎ならもっと早く送っていただろう。
「だとしたら……あなたの知らない人と言うことになるのかしら。」
 響子の周りの人達など知らない。一馬の交友関係だって響子が全て把握しているとは思えなかった。
「俺はこれを贈った人に心当たりがある。響子に急速に近づいている男だ。」
「……急速に?」
 と言うことは一馬と離れて暮らしていたときからか、それより前からと言うことだろう。その時沙夜の顔色が悪くなる。
「一馬……あの……言わないといけないことがあって……。」
 一馬がこんな話をしているという事は一馬自身も気が付いているのかもしれない。そう思って沙夜はぐっと手を握ると、それを口にした。
「どうした。」
「……朝までここに居た初めての時、覚えてる?」
 一馬が誤魔化してくれていたが、沙夜はあの時相当焦っていた。それを思いだして少し笑いそうになった。だが今は笑うときでは無い。沙夜が勇気を持ってそれを話そうとしてくれているのだから。
「あぁ。始発で帰ったときか。」
「うん。あの時ね……。」
 響子と海斗はいつもリビングで眠っていた。他の部屋が空いていなかったし、響子もずっといるわけではないのだからと言ってそこで眠っていたのだ。
 沙夜はあの時もそうしていると思って気を遣って静かにリビングのドアを開いたのだ。その時、沙夜はとんでもないモノを見る。
「響子さんと海斗君だけだと思っていたら、隣に翔もいて。」
 その言葉に一馬はため息を付いた。確信は無かったが、やはりこの石を送ったのは翔なのだろう。そして翔は響子に気があるのだ。認めたくなかったが、ここまで来ればそれを認めないわけにはいかないだろう。
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