触れられない距離

神崎

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パニーニ

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 冷静に打ち合わせを終えて、真二郎はオーナーと従業員と共に家路に付こうとしていた。オーナーの友人であるホテルマンのつてで、屋上にあるチャペルで式を挙げ、そのままガーデンパーティーのようなモノをするらしい。堅苦しいモノでは無く、食事はホテルで用意されたモノもあるがほとんどは真二郎や授業員が作ったり、飲み物は響子が用意する。式場を借りるモノと食事の費用をそうやって抑えているのだ。オーナーもその相手の女性も事情を知っていてそこまで費用をかけられないし、公にも出来ないのだから。
 オーナーの相手というのは響子の妹であるAV女優。これを機にAVの表舞台は引退して、裏方に付くらしい。つまり、AVに出演する側から作る側になるのだ。年齢を考えるとそれも良いのかもしれない。
「じゃあ、ここでな。また明日。お疲れ。」
「お疲れ様。」
 二人は同じ方向へ帰っていく。と言っても、そこまで離れているわけでは無い。真二郎も分かれ道で分かれるといっただけなのだ。
 そしてオーナーも結婚を機に引っ越すといっていた。今住んでいるマンションは単身者には広い物件のように感じたが、そのマンションもオーナーの実家が関与している。つまり、そこに居るといつまで経っても実家から逃れられていないと思うというのだ。その辺がしっかりしていると思う。
 真二郎は家に帰ろうとしたが、ふと、響子のことを思う。響子はこのまま片付けをして、風呂にでも入ってそのまま息子である海斗の側で眠るのだろう。一馬は帰ってこないのだ。おそらくスタジオに籠もって音楽を作っている。それは響子も結婚前から覚悟していたことだ。
 だが一馬は響子のことを本当に思っていない感じが、ずっと真二郎の中でしていた。仕事といってスタジオに籠もり、仕事といって海外へずっと行っていたり、ツアーだと言って何日も帰らないこともざらだ。もちろん、仕事が無いときには家に居たり、海斗の相手をしたり、三人で出掛けることもあるのだが、基本、響子は一人だった。その距離感が響子は楽だという。だが真二郎にはそう思えない。
 響子の心の中のつかえが取れたというのに、まだ響子は眠っているときにうなされるから。それを一馬は時が解決するだの、一人で乗り越えないこともあるだの、いつまでも過去に囚われているのも良いが未来を見ろだの、あまり響子のことを考えているとは思えないような言葉を言うのだ。やはり響子の側には自分が居ないといけない。一馬でも翔でも無く、一番側に居たのは真二郎なのだから。その自信があった。
 やはり響子の家へ戻ろう。そう思って真二郎は引き返して今日この家へ向かう。そしてアパートの前に付いたときだった。見覚えのある男がそのアパートへ入っていこうとしているのを見た。その姿に真二郎は思わず声をかける。
「こんばんは。」
 男は振り返る。それは翔の姿だった。
「あぁ、こんばんは。真二郎さんでしたかね。」
「こんな所でどうしたんですか。ここって、響子の住んでいるアパートですけど。」
「えぇ。俺、物件を一緒に見に行ったし、ギリギリまで荷物を運んだりしていたんで知ってます。あの時は一馬が手伝えなかったから。」
「それを知ってて、どうしてここに?」
「さぁ……。俺も呼び出されただけなんで。」
 響子がこの男を呼んだというのだろうか。何のために?一馬と同じバンドのメンバーで響子や海斗と同居をしていたこともあったが、どうしてここに呼び出したのだろう。そう思って不思議そうに翔を見る。だが翔は本当に何も知らないようだ。不思議そうに首をかしげている。
「一馬さんは居ませんけどね。」
「えぇ。少し大きな仕事を言われたみたいですね。一馬にとって初めてのことだし、気を負うのもわかりますよ。」
「大きな?」
「いずれわかることです。一馬から聞くと思いますよ。仲が良いんでしょう?」
 その言葉は少し嫌味なように思えた。だがこれくらいだったら、真二郎も聞き逃すくらいのことでいちいち目くじらは立てない。大体ウリセンを真二郎はしていたこともあるのだ。ウリセンを利用するような客は、もっと横柄な人も居る。それに比べるとこんな嫌味は普通だ。
「響子の夫ですしね。」
 だが真二郎だって少しぐらいは言い返さないと気が済まない。この男が何を勘違いしているのかわからないのだから。
「ただの幼なじみと言ってましたね。近くに住んでいたとか。」
「えぇ。」
「俺にはそういう人が居ないから、羨ましいですよ。大人になってもそういう関係を続けられるというのは、本当に仲が良いんですね。俺なんか兄弟でもまだいざこざしていて。両親からはいい加減にしろと言われて呆れられてますから。」
 嫌味なのかそれとも天然なのかわからない言葉だ。そう言えば響子からこの男の印象を聞いたことがある。ポジティブで人の良いところしか見ない男だと。そんな神様みたいな人がいるわけが無い。一馬だって最初はそう思っていたのに、やがてそれは虚勢だとわかったのだ。だから一馬に響子は任せられないと思っていて、そのあとには自分しか居ないと真二郎は確信していた。
「兄弟仲が良くないんですか?」
「あまり良好とは言えませんね。家を見ればわかりますけど、弟とは一緒に住んでませんから。代わりに他人が住んでます。それだけで良好では無いことはわかるでしょう?」
 確かにそうだ。本来ならば血の繋がりのある弟と一緒に済んでもらった方が、両親だって安心するだろうにそれをしていないというのは何かあったのだろう。
「へぇ……。」
「幼なじみを大事にしているみたいですけど、兄弟は居ないんですか?」
「姉が居ますよ。」
「姉?」
「実家の方で婿をもらったとか。」
 産みの母親は真二郎を産んで産後の肥立ちが悪く、そのまま亡くなってしまった。そして姉と共に施設に入ることになり、実家とは縁遠かったはずなのに後継者問題から姉は家に入ることになったのだ。苦労してキャリア組と同じくらい働いていたはずなのに、実家からそれを捨ててまで家に帰ることを強制されたのだ。それに性癖に合わなくても男と結婚して子供を産まないといけない。姉は自信にいつも満ちあふれていたように思えたのに、今は暗い影を落とすようでこのまま消えて無くなりそうだと真二郎は思っていた。
 そしてそんな目に遭わせたくないと、瀬名に関しては実家に伝えない形でこちらの会社と契約をしたのだ。実家が関わるとろくでもないことになるから。
「一人だけ?」
「まぁ……一馬さんか響子から聞いていると思いますけど、俺は多分知らない腹違いの兄弟は何人か居ると思いますよ。把握していないだけで。姉は同じ母親なんでずっと付き合いがありましたけど。」
「ということは……瀬名君は腹違いの兄弟って事ですか?」
 瀬名のこともわかっていたのか。知っていて黙っていたとなると、やはり食えない男だと思った。
「そうです。」
「瀬名君か……。そうだ。真二郎さん。良かったらうちの弟と一緒に病院へ一緒に行きませんかと伝えてくれませんか。」
「病院?」
「瀬名君って目が悪いんじゃ無いんですか?」
 この天然さは、わざとなのだろうか。それとも狙いがあってのことなのかわからない。ただ真二郎は翔の笑顔の目の奥が何か冷たいモノがあると思っていた。それは勘違いかもしれない。しかし瀬名の目のことなんかをどうして知っているのかと思うと、思わず手をぎゅっと握ってしまう。
「目が?何か聞きました?」
「何を?」
「誰かから瀬名の目のことを。」
「別に誰にも聞いてませんけど、「Harem」の音を聴いたときに思いました。北の方でのイベントですかね。その時に、僅かに周りの音とギターの音にズレが聞こえたんですよ。多分、「二藍」のメンツも沙夜もわかっていたと思うんですけど。おそらく周りが見えていない人の演奏だと思ってですね。緊張で見えていないのかと思ったけれど、それがずっと続いていると言うことはリズムを耳で聞いているからなんですよ。乗り切れていないというか。」
 音楽家の言い分のように感じた。何も気が付いていないようでほっとする。だが瀬名の目のことは、どんなところから漏れるかわからないのだ。事務所との契約の時に目のことを黙っている代わりに、治療をしてくれると契約をしている。それを裏切って違うところで治療など出来ない。
「確かに瀬名は目が悪いですけど、だからといって翔さんに面倒を見てもらうわけには……。」
 すると翔は首を横に振る。
「今の状態だったら、悪化するだけですよ。弟と一緒にカルテを向こうの国に送っても良いでしょうし。こちらの国で治療を出来るんだったらそれが良いと思いますけどね。真二郎さん。響子さんよりも弟である瀬名さんを優先するべきじゃ無いんですか?響子さんはもう一馬と結婚しているわけだし。」
 おそらく翔は一番それが言いたかったのだろう。すると真二郎はぐっと手を握った。翔の言うことが正論だからだ。
「じゃ、俺、なんか響子さんに呼ばれて居るみたいだし、あまり遅くなると終電が無くなるからもう行きますね。」
「……はい。」
 アパートの中に入っていく後ろ姿を見て、真二郎は心の中で舌打ちをした。音楽家というのは、本当にやっかいだ。真二郎から響子をいつも奪っていくのだから。
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