触れられない距離

神崎

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パニーニ

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 何度か一馬と二人で順大に会いに行き、クラシックの曲を聴かせた。一馬とも話をして曲を選定しているが、順大の反応はいまいちといったところで少し難航している。順大が主役のモノだ。なので順大の意向を汲みたいと思うが、順大はクラシックの知識こそ無いように思えるが、感受性は人一倍あるのだろう。それが沙夜も一馬もつかめないでいる。
 それに沙夜はそれだけに構っていられないところもあった。新しいアルバムのこと、そのあとのツアーのこと。今回のツアーは去年より本数が多いし、曲も新しいアルバムが中心になるがこれまでの既存の曲も織り交ぜていかないといけない。それもアレンジすると言っていたし、やることは沢山ある。
 地方のホールの回答がメッセージでやってきて、カレンダーと照らし合わせる。今回はツアーに行くのに何泊かしないといけないだろう。そのホテルも予約していないといけない。地方都市には同じようなビジネスホテルもあるので、その中のモノでもチェーン化されたホテルを選んだ。そちらの方が安心出来るのもあるし、セキュリティーがしっかりしている。粗悪なところは「あそこに「二藍」が泊まっている」と噂が立ってホテル側に迷惑がかかるのは、北の地の経験からだった。
「あ……。」
 パソコンの画面に表示されている時計を見て、沙夜はパソコンを閉じる。きりが良かったので、作業は帰ってきてからまたやることにするのだ。
 その時オフィスに奏太が戻ってきた。手には資料がいくつか握られている。
「お疲れ。どう?ホテル取れた?」
「大丈夫。年が明けてからのことだし、まだ余裕はあった。望月さん。あなたはこれから外に出る用事はあるかしら。」
「無いな。俺、もう気楽なモノだし。次どうするのかはまだ決まっていないんだろうから。」
 奏太は「二藍」から離れ、今度再デビューをするというバンドの担当になっていたのだが、そのバンドメンバーから嫌われて担当を外されたらしい。その受け渡しをしていたようで、その資料が手にあるのだろう。
「だったらこのホールから連絡があるかも知れない。日付をチェックしておいてもらって良いかしら。」
「わかった。って……お前、どっか行くの?」
「えぇ。鳴神さんと待ち合わせをしているから。」
「あれだよな。その男、音楽の知識は無いんだろ?そんなふわっとした感じで言われても困るよな。ベースの曲なんてあまり無いわけだし。」
「まぁ……そうね。」
 目線を変えて、ベースでソロを出している人の曲でも出してみようかと思う。ただこの曲調はロックなので、クラシックとはイメージが違うかも知れないし、第一踊りにくいかも知れないのだ。こういう曲が良いと言われても期待は出来ないだろう。
「そのさ……鳴神ってヤツ、普段は外国にいるんだろ?」
「えぇ。」
「だったら別にそれ……言っても良いんじゃ無いの?何より一馬の友達なんだろ?」
 「夜」のことだと思い、沙夜は首を横に振る。
「それは出来ない。」
「何で?」
「まだどんな人なのかわからないから。」
 つまり人間性がわからないと言うことだろう。それにどこで誰が繋がっているのかわからない。もしも順大が紫乃や宮村雅也と繋がっていたらと思うと恐怖だ。その可能性は無いわけでは無い。順大は急激に有名になったところがあるのだ。それは嫌でも沙夜達を疑わせる。有名になったというのは、マスコミなんかの力を得たと言うことも考えられるから。
「紫乃がさ。」
 あまり言いたくなかったが、紫乃と繋がりは無いと思わせたい。それが芹の信用を得るための手段なのだ。
「何?」
「やっぱり親に連絡を取っていたみたいだ。」
「連絡があったの?」
「兄から連絡があったよ。この町に居るんじゃ無いかって、しらみつぶしに探しているみたいだ。他社のレコード会社にも声をかけて居るみたいだし。」
 「Music Factory」は社員の個人情報などをいくら身内だと言っても漏らさないだろう。それくらいの常識はある会社なのだ。それでも何とかして情報を得ようとしているのかも知れない。
「そんなに嫌なの?」
「そりゃ、嫌だよ。」
 奏太を監視するような親だ。そして自分の思い通りにしたいと思っている。その辺が沙夜と被っていて、沙夜もそれは同情が出来ることだった。
「私が言えることではないし、私も同じような理由で両親には会いたくないし、連絡を取りたくないわ。用事があるときには沙菜越しにしている。」
「……。」
「でも私は、親の死に目くらいは会わないといけないと思う。産んでくれたのよ。一人でも死ぬ思いをするというのに、二人も同時に。でも一人で良かったのにと、ずっと言われていたらどうにかなりそうだったけどね。」
 すると奏太はため息を付いて言う。
「俺は、親の死に目にも会いたくない。」
「それは、根が深いわね。」
 もっと違う人生があったと思っていた。ピアノしかなく、しかもこんなにひねくれてしまったのは、親の責任だと思っているから。
「今時の親ってのはのびのび育ててるよな。一馬は本当は自分の子供に自分の仕事を見せて、音楽に携わって欲しいと思っているだろうに強制してまではさせてないんだから。」
「その代わり、自由にさせすぎたと思っているところがあるわ。」
「え?」
 音楽では無くパティシエになるかも知れない。ずっと側に居なかったツケが回ってきて、親である一馬よりも側に居る真二郎を見ていたのだから。
「そっか……。あいつもキツいところがあるんだな。」
「一馬にはそれがずっと複雑だった。もちろん、健康ですくすく育って欲しいとは思っているかも知れないけれど、親なんだもの。多少は自分のことも見て欲しいとは思っているわ。」
 その話を聞いたとき、少しだけ母親の気持ちがわかったような気がする。だからといって母親の思い通り、知らない男と見合いなどはしたくなかった。結婚よりも仕事がしたい。
「それはともかくとして、親が俺を探しているのは兄に言わせると、これからでも俺がピアニストになれるんじゃないかって言っていた。レコード会社に居るかもしれないとわかって来たみたいだし、そこからデビュー出来るんじゃ無いのかって。無理だよな。もう今更ピアニストの器じゃ無いのはわかってる。」
 沙夜にも翔にも適わない。心が無いピアニストは、機械よりもたちが悪いと思うから。
「だったらアレンジャーになったら、黙るんじゃ無いの?」
「俺はそんな器じゃ無いし。」
「なれると思うけど。」
 センスは悪くないし、何より技術があるのだ。沙夜は言葉にしなかったが、やはり同じピアノを扱う人間同士なのだから、一緒に弾いて気持ち良かったというのは嘘では無い。沙夜が美味く会わせていたところもあるが、一緒に演奏をするというのはとても気持ちが良いモノだ。
「……あなたは指導者には向いていないのかも知れないけれど、プレイヤーとしてはとても優れているんじゃ無いのかしら。」
「でも俺、外国では通用しなかった。お前はリー・ブラウンに受け入れられたんだろう?」
「まぁ……。」
「お前みたいな柔軟性は俺には無いからさ。」
「だったらもっと色んな音楽を聴いてみれば良いのに。手を叩くだけでも音楽になるんでしょう?」
「そうだけどさ。」
「否定ばかりしない。ピアノを弾くだけが努力じゃ無いんだから。」
 沙夜がセンスだけでのし上がったわけではないと言いたいのだ。沙夜だってクラシックしか知らなかったのに、この部署に来て初めてハードロックと触れ合ったのは沙夜の自己努力からなのを奏太は勘違いしている。一時は暇があれば曲を聴き、その曲の良いところを見つけようとしていた。そして何曲も聴き、次第にどんなジャンルの曲も良さがわかるようになった。
 おそらく奏太と沙夜の違いは、否定から入らないことなのだろう。沙夜は良いところから見ようとするのだ。そしてそれがもっと優れているのが翔なのかも知れない。翔は人に対しては良い所を見ようとする天才なのだから。
 おそらく育ちが良いのだろう。それは翔の両親を見てもわかる。年に数回しか帰ってこない翔の両親は、会う度に沙夜だけでは無く芹にも沙菜にも礼を言ってくるのだ。本当だったら間借りをしているような人は立場は下のはずなのに。それに翔よりもみんな若いのだ。若造などと言わないところも好意的に思える。沙夜の両親には全くないところだ。
「さてと。本当に行かないと。」
「どこで待ち合わせをしているんだ。」
「クラシック部門。今度鳴神さんの出ているバレエの舞台がソフト化されるみたいでね。そのPRに呼ばれて居るみたいなのよ。そのついでに打ち合わせをしようかと思って。」
「そっか。わかった。で、ホールからの連絡だっけ?」
「そう。お願いね。」
 沙夜はそう言ってバッグを持つと、オフィスを出て行った。そして奏太はぐっと手を握って思う。
 やはり沙夜は、一馬の影響が大きくなっている気がする。沙夜はあんな説教じみたことを言う人では無かった。なのにそういう事を口にするのは、おそらく一馬の影響が大きい。まだ一馬とは切れていないのだ。そう思うと悔しさが溢れそうになる。
 それでも少し嬉しいことはあった。沙夜は認めてくれているところがあるのかもしれないと。
 携帯電話のメッセージを見ると、純から送られているバンドと動画のURLがの添えられてあった。純はそうやってあまりクラシック以外の音楽の知識が無い奏太におすすめのバンドを教えてくれているのだ。
 まだ「二藍」は奏太を見放していない。そう思うとまだ希望が持てる気がした。
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