触れられない距離

神崎

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白菜の重ね蒸し

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 あの日、沙夜と一馬が演奏した曲は三曲。一つは昔からのクラシックの曲。あとの二つは有名映画のサウンドトラックと、クラシックにしては少し新しめのクラシックの曲だった。著作権が切れているのは最初の曲だけ。あとの二曲はまだ作曲者は生存している。つまり著作権があるのだ。
「このライブバーで録音や録画が禁止されているのは、聴いている人達がチャージ料と酒代や食事代しかもらっていないところにある。」
 順大はその話を聞いて、不思議そうな顔になる。
「それが何で違法になるんだ。」
 すると沙夜は首を横に振って言う。
「金銭が絡んでいると、著作権の切れていない音楽を演奏をしたときその中から何パーセントかを著作権協会に払わないといけないんです。」
「……それってこの国の法律?」
「そうだ。お前は演者だからわからなかったのかも知れないが、おそらくお前が踊っているのも古典バレエではなければそう言うところへ払ってると思うが。」
「それが何で録音とか録画をするといけないことになるのかわからないな。」
 順大はそう言うと置いているプレーヤーを手にする。すると沙夜はため息を付いて言った。
「花岡さんがそれを演奏していた。この曲を弾いていたピアニストは著名人ではありませんが、花岡さんが演奏をしていたと言うだけで価値が上がる可能性があります。つまり、転売される可能性があると言うことですね。」
「転売?」
「転売ではなくてもネットにあげることもあり得るな。」
「そんなせこいことをするか。」
 順大はそう言うと、そのプレーヤーを置いた。しかし沙夜は首を横に振る。
「あなたはそうかも知れませんが、CMの制作会社はわかりませんね。」
「……。」
「ネットにあげた場合、その広告収入なんかがあげた人に入る。そうなってくると違法になるんです。特に……CMの制作会社であれば、その可能性は高くなりますね。私はこれからその会社に警告をします。少し待っていただいても良いですか。鳴神さんはその音源を消去してください。」
 そう言って沙夜は携帯電話を手にするとスタジオの外へ出て行った。すると順大はため息を付く。
「あの女なんだよ。なんか……凄い偉そうって言うか……。」
「そういう人だ。でも順大。わかっただろう。その音源を消してくれないか。まぁ……俺らも少し軽率なことをしたと思ってる。公の場で演奏なんかをするべきじゃ無かった。」
 K街に居るなら、スタジオを借りれたかも知れない。だがあの時間では無理だっただろう。スタジオで尚且つピアノを置いているような所は、限られているのだから。遥人が練習をしていたスタジオだって、もう閉まっていた時間なのだ。
「一つ聞いて良いか?」
「何だ。」
「この演奏でピアノを弾いていたのは、そのCMで今度弾く人ってわけじゃないのか。表に出たくないって言うんだったら、この人は表に出て弾いているから違うんだろうし。」
「あぁ。別人だ。」
「だったらこの人を呼んでくれよ。そしたら正式にこの曲をカバーしてさ。それを曲に使えば……。」
「この人は演奏はしない。」
「え?」
「あくまで裏方の人だ。」
 裏方という言葉に順大は少し違和感を持った。そしてその裏方というのは沙夜なのでは無いかと思う。
「もしかして、泉さんが弾いているのか。」
「そうだ。でも……泉さんは二度と表に出て弾かない。こうやって盗撮なんかをされていたら尚更だろう。」
「それってちょっと過敏すぎないか。」
 沙夜が順大に音源を消せと言ったのは、万が一この音源が表に出たときに、順大が苦しい立場になるからだと思っていた。だが順大にはそれだけでは無い感じがして一馬に聞く。
「そのCMの制作会社は俺のことを何と説明していた?お前はこの国の音楽をあまり聴いていないんだろう。」
「うーん……。この国で人気があって勢いの一番あるバンドのベーシストだって。音楽も確かで、元々クラシック畑の人だから俺の望むような音楽を作ってくれるだろうと。」
「……おそらくそれだけではないな。」
 一馬に気を遣って言わなかったことがある。だがこれを正直に言えば一馬がどんなに温厚でも気を悪くするだろう。そう思って気を遣ったのだが、一馬は全てをわかっているらしい。
「その通りだよ。「二藍」って言ったら勢いはあるけど、一馬はその中でも地味な方であまり愛想も良くないけど、人は悪い人じゃないからって。でもお前が愛想がないのは今に始まったことじゃないだろ?」
「でもお前は俺がここに来るまで俺が来るとは思ってなかった。CMの制作会社がそういうマイナスなイメージを伝えれば、マイナスに思うんじゃ無いのか。」
「……相変わらず探偵みたいな事をするんだな。」
 一馬は小さい頃からこういう議論をしては、納得させていた。それは同級生や先輩だけではなく、教師すら言い負かされていたのだからそういうところは変わっていない。
「昔ジャズバンドをしていたって言ってたな。そこで女に手が早くて、しかもあっちが相当強いとかって言ってた。だから俺は名前が同じでも別人だと思っていたんだ。お前、そんなに強いのか?まさかまだ独身か?」
「いや。結婚はしてる。子供も居るし。」
「へぇ……そんな風に見えなかったな。」
 どちらかというと一緒にここへ来た沙夜が恋人のような感じに見えた。だがその一馬の口調では別に奥さんが居ると言うことだろう。
「そういう所だ。ありもしない噂を立てられて、苦しい立場になったことがある。泉さんは特に女性で、「二藍」は五人とも男ばかりだ。「二藍」が有名になればなるほど、泉さんがファンからの標的に合いやすい。今はそうでも無いが、五人と関係があると言うことも言われたことがあった。」
「だったら担当なんか辞めれば良いんだよ。そういうのって泉さんじゃ無いと出来ないのか。」
「出来ない。」
 一馬がはっきりそう言うのを見て、順大はため息を付いた。
「芸能事務所じゃないんだろ?レコード会社だって言ってたし、そこまで関わることはないんだろうしさ。誰でも出来るんじゃ無いのか。」
「無理だ。何より俺らが泉さんを信頼している。泉さん以上に信頼出来る人間というのはそうそう居ないだろうし。」
「信頼ねぇ……。」
 便利な言葉だと思った。どう考えても一馬は沙夜に惚れているような口調なのに、それを表に出さず隠しているような感じに見えるから。
「だったら尚更、音楽でも力になれていると泉さん自身をアピールするチャンスじゃないのか。」
「泉さん自身がそんなことを望んでいない。出る杭は打たれる。それを誰よりも知っているから。順大だってそうだろう。東洋人で主役級の役を貰えるというのは、バレエの世界でも厳しかったはずだ。」
 そう言われて順大も思わず黙り込んだ。確かにその通りだったから。順大はスポンサーと寝て役を取ったとか、大きなスポンサーの愛人になっているとか根も葉もないことを言われ続け、今でもその噂が消えることはない。だからこの国へ帰ってきたとき正直ほっとした部分もあったのだ。
「そうだけどさ……。」
「人にはそれぞれ事情がある。そして泉さんは表に出たくない事情があるんだ。」
「だったら何でライブバーなんかで演奏していたのか。それが不思議だよ。」
「……それは……泉さんが話してくれるなら聞いてみると良い。ただ俺は、ただ泉さんの気を晴らす方法をこういう手しか使えなかったと言うだけなんだ。」
 あの時はそうだった。だが今は別の方法を使うことも出来る。音楽ではなくても話をすることも出来るし、セックスをするときだってあるのだ。何も考えずに自分だけを感じて欲しい。そして一馬自身も沙夜だけを感じたいのだ。
「でもそのピアニストを雇うよりもさ。やっぱ泉さんに……。」
 すると沙夜がスタジオに戻ってきた。そしてため息を付く。
「やっと削除して貰えました。鳴神さんもしてくれましたか?」
「……今するよ。でも本当にこれ以上のモノを作ってくれるんだよな?」
「それは約束出来ます。あなたが納得されるまで何曲でも作りますから。」
 沙夜が演奏をするわけでは無い。そう伝えているのだが、まるで沙夜も自分が演奏するような感じになっている。一馬はそう思ったが、沙夜はどうやら相当いらついているようだ。どうやらそのCMの制作会社も沙夜の怒りを買ってしまったのだろう。ここの制作会社とはもう二度目の仕事はしないかも知れない。一馬はそう思いながら、沙夜の様子を見ていた。
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