触れられない距離

神崎

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一人飯

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 大根と水菜のサラダ。大根葉とじゃこのおにぎり。それから魚の干物をテーブルに並べる。すると忍が表にいる一馬と辰雄に声をかけた。
「ご飯出来たよ。」
 大根も里芋も大分仕分けが終わっているようだ。そのほかに白ネギや白菜、ゴボウなんかもある。一馬達にわけるためだろう。
 二人は長靴を脱いで、居間にやってくると辰雄が驚いたように言う。
「ちょっと多すぎないか。夜の分まで作ったのか?」
 特におにぎりが多いようだ。すると忍は焼けた魚をテーブルに並べながら、辰雄に言う。
「これは昭人が好きじゃ無い。帰ってきたらおにぎり、おにぎりうるさいし。」
「まぁな。」
 すると沙夜はお茶をだしながら少し笑う。
「余ると良いわね。」
「へ?」
 すると一馬はそれを見て少し笑う。
「人の家に来てそんなに食うか。」
「どうかしら。体を動かしたから糖分が欲しいなんて言うんでしょうし。」
「糖分は欲しいのはそうだが、さすがに初めて来た家だ。遠慮はするだろう。だがこれは焼いても美味そうだ。」
「当たり。一馬さん。そんなに遠慮はしなくて良いよ。おにぎりだって一,二個余れば良いんだから。」
 忍は笑って一馬に言うと、箸を備えた。そしてテーブルに並ぶと、みんなで食事を始める。おにぎりはきっちりと三角形で几帳面な沙夜の性格がでているように感じた。忍ではこうはいかない。手が不自由で、どうしてもおにぎりは不格好になるのだから。昭人はそれを保育園へ持って行って、何も言われないだろうかと思っていた。
「金は出ないし、収穫した野菜や肉や卵を持たせるだけなんだ。飯くらいケチケチしないで食わせるよ。美味いから。このおにぎり。」
 辰雄はそう言って手を合わせると早速おにぎりに手を伸ばす。すると一馬もおにぎりに手を伸ばした。人によっては素手でおにぎりを握るのに抵抗があるという人も居るだろうが、一馬はあまり気にしたことは無かった。
「うん。美味い。大根葉も良いがこのじゃこもなかなか。」
「だろ?この魚を作っているヤツが作ってるんだ。」
 沙夜は先に大根のサラダに手を伸ばす。翔の家に住んでいたときには、みんな帰ってくる時間がバラバラだった。だから一人分と器に注いでいたが、ここはそんなことをしない。大皿に料理を載せているのだ。
「美味しい。サラダも良いわね。」
「採れたては辛くないのよね。大根って。サラダにするとシャキシャキして美味しいし。」
 すると辰雄も大根のサラダに手を伸ばす。そしてそのサラダを見て少し笑った。
「これ、うちのばーさんが好きでさ。」
「お祖母さん?」
 仏壇にあった写真の人だろう。一馬はそう思いながらそのサラダを小皿に載せる。
「あたしお会いしたこと無いのよね。って言うか、この家って親戚とか集まらないし。」
「みんな忙しいみたいだな。たまにうちの従兄弟が来るくらいで。でもあいつ絶対肉とか卵目当てに来るだけなんだから。」
「料理人をしてたわね。自分で料亭を何軒も持っているような。」
 そんな人がいるのだ。沙夜は少し驚いたように辰雄を見る。そしてその人というのに少し違和感を感じた。料亭をいくつも持っていて鳥料理が美味しいところ。心当たりはある。外国へ行って帰ってきたときに、四人で行こうと言っていた料亭だった。だが沙夜はショックなことを目の当たりにして、そこへは結局行かなかったのだ。
「もう二つ目か。早いな。お前。」
 おにぎりをまた手にするとまた口にする。
「美味しい。じゃこが美味いな。これは物産館とかに行ったら買えるか?」
「あぁ。買えるよ。じゃこは冷凍出来るし。」
「良いことを聞いた。帰りに買って帰ろう。」
「沙夜は来る度に買って帰るな。」
 すると沙夜も頷いた。
「今日は塩も買って帰りたい。こう……普通に茹でたりするときには普通の塩なんかで良いんだけど、サラダとかにするときにはこちらの塩が良いみたいだから。」
「忍が来たばかりの時も同じ事を言っていたな。」
 そんなことを言う女を辰雄は初めて見たのだ。前の奥さんは料理に全くこだわりが無かったし、料理自体も好きでは無かったようなのだ。だから辰雄が料理をすると、嫌味の一つでも言うような女で早いうちからうんざりしていたのだ。
「来たばかりの時ねぇ……。」
 忍はそう言うと辰雄は焦ったように忍に言う。
「いらないことを言うなよ。忍。」
「いらない事かしら。後ろ暗いんじゃ無いの?」
「……。」
 その様子に沙夜は不思議そうに忍に聞く。
「辰雄さんに女でも居たの?」
 すると辰雄は首を横に振った。
「俺は忍と一緒になってからは何も無いからな。」
「へぇ……。」
 必死で言い訳をしているように見えた。辰雄もホストをしていたのだ。女性関係が派手であっても不思議は無いと思う。
「忍さんはここへ弟子入りのように住み込んだんでしょう?」
「最初はね。」
 最初、辰雄は忍を激しく拒絶していたのだ。卵と鶏肉の味に感動して弟子入りさせて欲しいと言った忍だったが、どう考えても訳ありの女だったからだ。
 美味く動かない手や、無理に笑っている明るい顔。こんな女が側に居れば何か問題があるのは目に見えていた。
 だが一日目に追い返して、二日目にも追い返し、それが一週間続いてやっと辰雄は話を聞く体勢になったのだ。
「一週間も通わせたのか。」
「当たり前だろ?」
「それで話を聞く体勢にはなったけれど、納得しなければ追い返すでしょうね。」
「二度と来るなって言われたわ。」
 忍はバイオリニストを目指していた。だが病気にかかって二度とバイオリンは弾けなくなったのだ。それに細かい文字はまだ読めない。徐々にその辺は回復するだろうが、手の方はバイオリンを弾けるほど回復はしないらしい。
「で、納得したのか。」
 一馬はそう聞くと、またおにぎりを手にした。これで三つめだ。
「それから一週間置いてやるって言ったんだ。不自由を感じたらすぐに追い出すって。」
 しかしその一週間の間に予想外のことが起きた。ここに辰雄の元奥さんが乗り込んできたのだ。
 辰雄はその頃もうすでに鶏の卸をしていて、卵と鶏肉は評判がずいぶん良かったのだ。それを聞いてその元奥さんがよりを戻そうと思ったのだろう。しかし辰雄にはその気は無い。
「くそみたいな女だったのか?」
 正直に一馬が聞くと、辰雄は手を振ってそれを否定する。
「結婚しようって思うくらいだ。悪い女じゃ無かったよ。ただ、金にがめつかったんだ。」
 辰雄が前の奥さんと別れたのも、辰雄では無く金を見ていたと思ったからだった。どちらにしてもホストという仕事は、長く続けられない。オーナーになればそれは違ってくるのだろうが。田舎で鶏舎をしているというのは、どう考えても田舎暮らしを強いられるし不自由だろうと別れたのだ。辰雄はその見返りとして住んでいたマンションを全て奥さんに渡したのだが。
「で、ここへその元奥様が来たのはよりを戻したいと思ったから?でもその奥様って田舎暮らしなんて出来るの?」
「出来ない。だからせめてこの家を建て替えたいとか、ネットで売るのを一手に引き受けるとかそんな夢みたいな事ばかり言っていたな。けど、俺も元奥さんって言うのもあったし、無碍にいや無理とは言えなくてさ。」
 その時だった。忍が帰ってきてそのゴタゴタを見たのだろう。初めて辰雄の腕に手を絡ませてきたのだ。すると元奥さんはそれを見て、若いだけが取り柄のような忍に悪態を付いて行ってしまったのだ。それ以降、その元奥さんという人を見たことは無い。つまり強引に忍を奥さんだと思わせたのだ。
「凄い。そんなことをしてたなんて、忍さんは情熱的ね。」
「そんなこと無いよ。自然とそうしていたって言うか……。」
 全てが後手後手だったのだ。恋人のように夫婦のように演じていたのは事情があったから。自分たちは自覚が無かったのに周りがもう夫婦としてみていたのだから。だから「好きだ」と伝えるのも、手を出すのも遅かった。辰雄は娘のような年齢差がある女だと思っていたし、忍だってずいぶん年上の男だと思っていたのだから。
 だがしっかり忍は女だったし、辰雄は男だった。そして子供は作らないと思っていたのに、もう二人も出来た。それが何より嬉しかったのだ。
「一馬だってそう思っていたんだろ?」
 すると一馬は頷いた。だが箸を置いて、それを口にする。それは一馬の裏切りと、響子の裏切りだった。
 それに辰雄も忍も絶句していた。一馬がここまで言うと思っていなかった沙夜は、驚いたように一馬を見る。だが一馬はこの二人が沙夜が一番信用しているのだと思い、正直に告げたのだ。自分がピエロだったこと。種馬だったかも知れないこと。そして響子に一番必要な人間では無かった事実を告げ、それを沙夜は黙って聞いていた。こうして話をすると、一馬も救われるような気がするから。
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