触れられない距離

神崎

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一人飯

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 山の中にあるような大きな古い家といった感じだった。それが母屋なのだろう。そしてその家の前にはガサガサという音、それから鶏のような声が聞こえる。おそらくこれが鶏舎なのだろう。母屋ほどでは無いが結構大きな鶏舎だと思う。その脇には作業小屋があり、そこで鳥を絞めたり卵をパック詰めにしているようだ。
 そして向こうにはトラクターやコンバインがある。ここは農作業の道具が置かれているらしい。だが昔はここは馬や牛が居たようだ。農作業をする手助けとして使われていたらしく、数は多くなかったらしい。
「一馬。着替えて来いよ。」
 そう言って辰雄はツナギを一馬に手渡す。赤いツナギは、少し派手だと思ったがこれをわざわざ用意してくれたのだ。それにジーパンで作業は出来ないだろう。沙夜も着替えを終えたようで、いつもの沙夜の感じでは無く、農作業をするおばさんのように見えた。
「あぁ。ありがとう。」
 そう言って一馬も家の中に入る。すると子供特有の乳臭い匂いや、炭の香りがした。おそらく暖房器具なんかは、限られたときにしか使っていない。掘りごたつは炭を使っているし、火鉢も見える。それで普段は十分なのだろう。
「あ、一馬さん。そっちで着替えて良いよ。」
 忍は明菜のおむつを替えながらそっちと言われた方を指さす。小さな部屋があるようでそこで着替えろと言うことだろう。そう思って一馬はその部屋に入る。するとそこは少し薄暗く、古いタンスなんかや化粧台なんかがあった。ここは辰雄と忍しかいないと思っていたのに、誰か住んでいたような感じに思える。そう思いながら服を脱ぎ、ツナギに着替えた。綿が入っているようで割と温かい。それに動きやすいようだ。おそらく誰かが着ていたモノなのだろう。
 そう思いながら部屋を出る。そしてふと向こうの方に黒いモノが見えてそちらへ行くと、そこには仏壇があった。初めて来るところだし、一応手を合わせておこうと思いその仏壇へ足を運ぶ。
 ろうそくに火を点し線香に火を付ける。そして手を合わせると、仏壇に置いている写真に目を移した。一人はおそらく辰雄の祖父母なのだろう。男の方は若いときの写真でおそらく戦争で兵隊に行ったのだ。女性の方はそれなりに歳を取っている。一馬が着替えた部屋はこの人の部屋だったのだろう。
 そしてもう一つ写真がある。それは若い女性のようだった。とても綺麗な女性に見える。髪が長く黒々していて、笑顔が印象的だと思った。少し沙夜に似ているような気がする。この女性は何なのだろう。そう思っていたときだった。
「一馬。畑に行くぞ。」
 辰雄の声が聞こえ、一馬はろうそくの火を消した。そして玄関の方へ向かう。すると辰雄は指さして言う。
「あっちに長靴用意しているんだよ。そっちで履き替えてくれないか。ん……。ツナギはサイズぴったりだな。」
「借りたのか?」
「俺のツナギじゃ手も足も出るし、動きにくいだろうなって思ってさ。そこで乳牛を育てているヤツに借りたんだよ。」
「あぁ。だから……。」
 はっきりした色を動物は好むのだ。だから目にも鮮やかな赤色なのだろう。
「辰雄さん。鶏を少し離しておくわ。」
「おう。順番通りにやってくれ。」
「はい。はい。」
 縁側に子供を寝かせている。そしてその縁側から鶏舎が見えるのだが、そこで忍は作業をするらしい。つまり畑よりは鳥の世話をしながら子供を見ているのだろう。そこまで無理をさせてまで鶏舎をしないといけなかったのだろうか。
「さてと。今日は人手もあるし、里芋と大根は一気にいけるかもなぁ。」
「そうね。」
 沙夜も止めようとはしない。いそいそと忍は囲いを作ると、鶏小屋の中に入っていく。
「一人でさせるのか。」
 一馬はそう聞くと、辰雄は笑いながら言う。
「あいつがしたいって言うんだからやらせてるんだよ。子供を産むってのは女にとって相当負担になることはわかってる。だからゆっくり休めば良いって言ったのにな。あいつ、産んだあとの入院すら退屈だって言って聞かなかったんだよ。元々動き回るのが好きだからな。」
「そうだったのか。」
 活発なのだろう。そしてそれは一馬にとって響子も同じように思えた。響子も海斗を産んだ直後はやはりぐったりとしていたが、入院して数日経ったら退屈だと言って聞かなかったのだから。早く仕事に復帰したいと言っていたのだが、それを止めたのはやはり真二郎だった。
 最初からそこまで無理をすることは無いのだという。そして最初からそんなに張り切っていたらあとまで持たないと思っていたのだ。
 その通り、やはり響子は最初は少し張り切りすぎていたのだろう。疲れてぐったりしているときもやはりあったのだから。それを出来る限り一馬は手助けをした。その頃は仕事の量もセーブしていたのだから、割と自由がきいていた。しかし程なくしてさっさと仕事へ行って欲しいと響子の方から言ってきた。そこには色んな事情があるが、一馬はあの時少しでも響子や海斗の事を気遣っていた。
 その気持ちを忘れていたのだろうか。
「じゃあ、一馬は里芋を収穫してもらうか。ほら。これ手袋な。」
「あぁ。軍手とかじゃ無いんだ。」
「軍手だと虫に刺されたときに大変なことになるからな。こっちの方が刺されることは無いと思うし。」
 沙夜も同じような手袋をしていた。そして畑を見渡して、辰雄に言う。
「ゴボウも収穫する?」
「もう少しかな。ゴボウは。でも欲しいなら抜いても良いけど。」
「催促したみたい。」
「いつも通りじゃん。」
 そう言って辰雄は鎌を手にした。そして里芋の葉なんかを切っていくのだ。
 大根の葉は味噌汁なんかに入れると美味しい。にんじんもここのモノは甘くて美味しくて、砂糖代わりにパンケーキに練り込んだりすることもあるのだ。
 そうやってここに来たあとは収穫したモノを料理していた。それを口にして美味しいといつも言ってくれる。沙菜の顔や芹の顔、そして翔の顔が浮かんだ。
 だが今は一人なのだ。そう思いながら沙夜は大根を収穫していく。一人だと食べられる量が限られてくるが、あの場に「二藍」のメンツが来ることもあるだろう。一馬に至っては食事へ来ることもあると言っていた。
 しかし基本は一人なのだ。それに対して芹は何も思わないのだろうか。今日は芹からの連絡は無い。N県の方へ行っているのだ。忙しいのかも知れないが、メッセージの一つでも送ってくれれば良いのに。沙夜はそう思いながら、軟らかくなっている土から大根を抜いていった。

 しばらく作業をしていると、一馬は辛そうに中腰から背を伸ばして腰をトントンと叩いた。同じ体勢で収穫をしているのだ。あらかじめ里芋の葉は落としているし、土も掘り起こしている。なので収穫自体は全く問題は無いのだ。だが同じ体勢というのは結構辛いモノがある。
「どうした。もうへたばったか。」
 里芋の葉は大分収穫され、辰雄は少し離れたところで白菜とキャベツを収穫していたのだ。そして一馬が大分参っているのを見て意地悪そうに笑った。
「体力には自信があったんだがな。」
「それってジムとかで鍛える体力だろ?アスリートだからってそんな体力があるわけじゃ無いしな。」
 沙夜はいつもしているのだろう。一度も立ち上がったりしていない。沙夜は体力がある方だと思うが、こんな所でジムに行かなくても鍛えられているのだろう。
「……そんなモノなのだな。」
「お前、たまに来れば良いよ。今度は春野菜の植え付けをするつもりだし。」
 植え付けの前にやることは山のようにあるが、そんなことを沙夜も一馬もしないだろう。そう思って言わないでおいた。
「休憩しない?」
 母屋の方から声がかかった。それは忍の声だった。すると辰雄は声を上げる。
「おー。わかった。すぐ行くよ。沙夜。休憩しよう。」
 すると沙夜は中腰の状態から立ち上がり、やはり腰を叩いた。一度も立ち上がっていないのかも知れないが、やはり負担になっていたのだ。
「辰雄さん。ちょっと来て。」
「ん?何だよ。」
 そう言って辰雄はすぐに母屋の方へ、足を向ける。すると沙夜が一馬の方へ近づいて声をかける。
「腰に来てる?」
「あぁ。結構痛いな。」
「でしょうね。ジムとはまた違って鍛えられそうでしょう?」
 すると一馬は頷いた。ここまで通用しないと思わなかったから。
「たまに来ても良いだろうか。」
「良いんじゃ無いのかしら。辰雄さんからはまた来いって言われているんでしょう?」
「リップサービスじゃ無いのか。」
「もうそんなことは辰雄さんはしないわ。本当に来て欲しいと思っているから言っているのよ。」
 それが嬉しかった。まだ必要とされていると思ったからだ。そう思いながら二人も母屋の方へ足を運んだ。
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