触れられない距離

神崎

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一人飯

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 海岸沿いは割とスーパーがあったりコンビニがあったり、銀行や郵便局、そして宅配所の営業所なんかもあった。住むのにはあまり不自由は無さそうに見える。
 そしてその町外れの方の丘の方へ行ったところに総合病院があった。個人病院もあるようだが、手術などをするときには大体この病院へ来るらしい。個人病院では入院施設がないのだ。こんな山の方に病院があるのは、駐車場や救急外来のために広い土地が必要だったからだろう。だがここへ来る道はあまり広い道では無い。救急があれば離合が難しい道だった。
 一馬と沙夜を置いて、辰雄はその病院の中に入っていく。忍と娘を連れてくるためだった。一馬のトレードマークである長い髪を一つに縛っているのを、今日は下ろしているようで一見、一馬に気が付かないだろうが、念には念を入れて病院の中には入らなかったのだ。こんな所で大騒ぎになっても困るのだから。
「響子さんには何て言って来たの?」
 沙夜は後部座席から一馬にそう聞くと、一馬は下ろしている髪を結びながら沙夜に言う。
「知り合いの所に農作業をしに行くと言った。少し意外そうな顔をしていたが、前にもサツマイモをもらってきていたし、いずれ俺も行きたいと言っていたから別に不自然には思わなかったようだ。」
「サツマイモのサラダを作っていたわね。」
 サツマイモと言えば天ぷらとか、そのまま蒸して食べるとか、そういう使いようしかなかったと思っていたのに、ポテトサラダとはまた違った角切りにしてキュウリやにんじんの角切りとマヨネーズやブラックペッパーで味を付けたモノ。これはおそらく子供も嬉しいモノだろう。
「お前も作ったのか。」
「えぇ。沙菜が好きみたいだったわね。普段はマヨネーズを使うとカロリーがとか行っていたけれど、サツマイモは食物繊維も多いし気に入ったみたい。」
 だがしばらくは沙菜にも芹にもそして翔にも食事を作ることは無い。一人の食事は、味気が無いかもしれないのだ。
「今日採れるのは何だと言っていたか。」
「里芋と大根なんかじゃ無かったかしら。あとは刃物がもう美味しいと言っていたし。」
「持って帰るのか?」
「思いモノは郵送してくれていたけれど……。」
 一人ではあまり多くても消費が出来ない。持って帰れる分だけになりそうだ。その分、一馬の所に送れば良い。響子なら虫が付いていようと何だろうと喜んでくれるだろうから。
「一人には一人の良さがあるだろう。普段みんなが食べれないものを作ると良い。お前の好きなモノだ。」
「そうね。」
 一人、一人と暗くなっていたようだ。だが一人だからこそ作れるモノもあるし、気ままに作ることも出来る。例えば沙菜は刺激物が苦手だ。だから食事に唐辛子などを使ったモノは入れないし、辛子和えなんかも作らない。
 だが一人鍋としてチゲ鍋を作るのも悪くないかも知れない。そう思うと少し前向きになりそうだ。
「今日は俺は仕事が無いが、明日からはまたレコーディングがあったりライブの練習に行ったりする。レコーディングはスタジオでしようと思っているんだ。沙夜。そちらへ行って食事を食べても良いか。」
 その言葉に沙夜は少し笑って言う。
「食事だけ?」
「言わせるな。」
 一馬も恥ずかしいのだ。夕べ、何度も求めて今朝まで一緒に居たのだから。沙夜を見るとその表情を思い出すようで、それが少しむずがゆいような感情になる。
 その時後部座席のドアが開いた。そこには白いお包みに包まれた赤ちゃんを抱いている忍がいる。そして沙夜を見て少し笑った。
「沙夜さん。久しぶりね。」
「あぁ。そうね。前の時には居なかったから。その子?」
「えぇ。明菜って言うの。」
 お包みの中には薄いピンク色の産着を着た赤ちゃんが居た。どうやら起きているらしく、ふにゃふにゃとぐずっているように見える。
「初めまして。明菜ちゃん。」
 首が据わっていないような赤ちゃんでも車に乗せるときにはチャイルドシートに載せないといけない。気をつけながらそのチャイルドシートに明菜を乗せると、ベルトを締めた。すると助手席に乗っている一馬を見て忍は声をかける。
「初めましてね。辰雄さんの妻の忍と言います。」
 すると一馬も後ろの方を見て挨拶をした。
「花岡です。」
「一馬さんで良いのかしら。」
「結構ですよ。」
 すると助手席のドアを開けて乗り込んだ辰雄が、一馬に言う。
「忍はお前よりも年下だぞ。敬語なんか使うなって。」
「わかった。」
 やはり固い男なのだ。辰雄も知らない顔では無いのだろうに、いきなり敬語を使ってきたのだから。そしてそれは沙夜も同じように思える。沙夜もずっと敬語が採れなくてその間に壁があるように感じていたのだ。
 敬語が採れたときやっと沙夜との間に壁が無くなったような気がしたのだから。
「ずいぶん時間がかかったのね。何かあったの?」
 すると忍は首を横に振った。
「何も無いわ。昭人ほどミルクは飲まないって思ったんだけど、女の子ってそんなモノみたいね。体重も標準以内だし。あたしの方が少し問題はあるけど。」
「忍さんの方が?」
 驚いて沙夜はそう聞くと、忍は少し笑って言う。
「母乳が凄い出るの。明菜が飲みきれないくらい。乳腺炎になるって言われてね。」
「あぁ。あれはキツいみたいだな。」
 一馬はそう言うと、忍は驚いたように一馬に聞く。
「あれ?子供さんが居るんだっけ?」
「あぁ。四歳になる男の子がいてな。」
「そうだったの。奥様はそう言うことは無かった?」
「息子は相当飲む方でな。それが今は食欲にも繋がっているようだ。」
「って事は結構食うのか。」
「妻が呆れるくらいな。もう大人分くらいは軽く食べると思う。なのに体重は標準並みでな。多分、相当動いているからだろう。」
「その辺は一馬譲りね。」
 沙夜はそう言うと、一馬も笑う。その顔に忍は少し安心したように見ていた。
 一馬は「二藍」の中でも、若干異質なところがある。テレビや雑誌で見る限りだと、笑わない、喋らない、ただ「二藍」の中で黙々と演奏をしている人という感じがしたのだが、実際は普通の男だと思った。一方で子煩悩で家族思いだというイメージもある。それはその通りに思えた。
 それだけにどうして沙夜と不倫をしているのだろう。それだけが不思議だと思えた。確かに夫婦でいて不満が一つも無いという人はそう居ないと思う。忍だって辰雄に不満が無いわけでは無いのだ。
 だからといって不倫をして良いと言うことは無い。お互いの相手を裏切ってまでどうして沙夜を選んだのかわからない。沙夜だって芹を裏切っているというのは少し違和感になる。
「山の方へ行くのか。」
 辰雄の住んでいるところは海沿いでは無く山になる。海沿いにはアパートがあったりひときわ大きなマンションなんかがあることもあるが、山の方にはぽつりぽつりと家があるだけで、そのそれぞれが何かしらの作物を育てていたり家畜を育てたりしているのだ。
「慣れるとそうでも無いけど、道が狭いんだよな。台風が来る前に土砂崩れしないようにしてくれないといけないんだけど。」
 辰雄がそういうと沙夜は面白そうに辰雄にいう。
「でも辰雄さんなら、何も無くても作れそうだけどね。」
「ははっ。まぁな。でも電気が無いのは困るよ。」
「太陽光で何とかならないの?」
「さすがにこの時期は太陽光は厳しいな。それに鶏小屋も温めないといけないしさ。」
「頼れるところは頼らないとね。自給自足しているわけじゃ無いんだし。」
「それを目指していたんじゃ無いの?」
 沙夜はそう聞くと、辰雄は首を横に振った。
「自給自足はやっぱ出来ない。家族が居れば尚更だな。不自由な生活は出来ないし。子供達もある程度の社会性も必要なんだよ。」
 子供が居るとそんな風に変わってしまうのだろうか。沙夜はそう思っていたが、忍は首を横に振る。
「全部頼るわけじゃ無いわ。出来るとこは自分たちでするのよ。明菜のおむつだって本当は布おむつが良いけれどどうしても手が離せないときとか、今日みたいに出掛けるときには紙おむつにしてる。私の実家に帰るときには尚更ね。」
「そう……。」
 辰雄だって忍だって一人で生きていない。そう言われているようだった。そして子供が出来る度にそれをまた自覚するのだろう。
 芹とそんな関係になれるのだろうか。一馬との関係を隠したまま、平気な顔で芹に会えるか。それが一番の不安だった。
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