触れられない距離

神崎

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一人飯

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 毎日こんなことをするわけでは無い。沙夜はシャワーを浴びながらそう思っていた。一馬には仕事で戻れないこともあるし、第一家庭があるのだ。スタジオへ来ると言っても限度があるだろう。
 それに一馬は家庭があるのだ。そう思いながらシャワーをの蛇口をひねる。そして体を拭いてシャツを着た。そのシャツは黒い無地のシャツで、一馬のモノだった。行くら沙夜が女性にしては大きい方だと言っても一馬のシャツはちょっとしたワンピースのようになってしまう。それくらい体格の差があるのだ。
 そしてそれ一枚だけを羽織ると、部屋に戻ってきた。すると一馬は椅子に腰掛けてまた譜面を読みながらベースを鳴らしていた。アンプにも繋げていない楽器は、ただ指をさらっているだけだろう。
 そして沙夜が戻ってきたのを見て、そのベースをスタンドに立てかけた。
「携帯が鳴っていたな。」
「私の?」
 そう言って沙夜はテーブルに置かれていた自分の携帯電話を手にする。そこには西川辰雄からのメッセージが届いていた。
「……。」
 辰雄は、一馬のことはあまりよく知らない。テレビで見るくらいの存在だったのだろうが、改めて一馬のことを調べてみたらしい。
 それから一馬とこういう関係になっていることは、辰雄には伝えている。沙夜から言いだしたことだが、一緒に辰雄の所へ行くというのは辰雄はいい顔をしないかも知れないと思っていた。なんだかんだと事情はあっても結局不倫なのだから。
「来ても良いって言っているわね。」
「え?西川さんの所か?」
 それが意外だと思った。一馬も沙夜から西川がいい顔をしないかも知れないとは聞いている。だからきっと来るなと言われるだろうと思っていたのだが、来て欲しいと言われて少し驚いていた。
「里芋とか大根とかの冬野菜が結構採れているみたいなのよ。だから人手は多い方が助かるって。」
「芹さんじゃ無いのは何とも言わないのか。」
 すると沙夜は少し頷いた。
「あなたの話をしていたわ。奥さんの前では気を抜けないんじゃ無いのかって。理解をしてくれているような感じに見えた。」
「さすがに元ホストだけあって、人の心を敏感に感じているようだな。」
「そんなモノなのかしら。」
「……西川辰雄と言えば、ホストクラブの中でも一,二を争うくらいの大手の店でのナンバーワンだった男だろう。」
「そうみたいね。」
「K街でも有名だったからな。」
 K街で育っているのだ。そういう人のことはよく知っているのだろう。ただ接点は無かった。
「見たことがあるの?」
「あぁ。いつだったか……。高校生の時だったか。部活の朝練へ行くときにホストクラブから出てくるのを見たことがある。」
 ギラギラした男が多い中で、辰雄は絵に描いたようなホストだった。最近のホストというのは綺麗な男が多くて、どちらかというとビジュアル系のような感じが多い。だが辰雄は少し前のホストといった感じで、浅黒い肌と白いスーツがいかにもという感じに見えた。だがそれ以上にオーラのようなモノが半端ないと思っていた。遠くから見ても辰雄だというのがわかる。
 高校へ朝練へ行くときに、辰雄の店は客を見送っていたのだ。一馬が出掛けるその時間まで女の客に夢を与えていたのだろうと感心していた。
「あなたはホストになれそうだと言っていたわね。」
「冗談だろう。そもそも俺は接客に向いていない。」
 必要以外笑顔にもなれない男なのだ。そんな一馬が笑顔になるのは、家族と沙夜の前だけだった。
「私もそれだけは出来なかったわね。部長からそれだけは損をしている。私が少しでも愛想が良ければ、もっと「二藍」を取り扱おうという会社も増えるのだろうにと言われたわ。」
「そんな真似をしてまで媚びを売らなくてもいい。さて……。俺もシャワーを浴びてくる。少し待っていろ。」
 そう言って一馬は立ち上がると、ベッドサイドにある引き出しからコンドームを取り出した。そしてその跡に下着なんかを手にすると、そのまま風呂場へ向かう。
 シャワーを浴びたら少なくとも期待するのだ。沙夜はそう思いながら、携帯電話をまた手にする。すると着信が入った。それに沙夜は応える。
「もしもし。えぇ。まだ起きていたわ。」
 西川辰雄からだった。直接話をしたいと思っていたのだろうか。そう思いながら沙夜はそれに応える。
「……芹のことは……まだ……。」
 他の男とこちらに来ても大丈夫なのかと言うことだった。もしかして芹ともう別れてしまったのだろうかと心配したらしい。
「ごめんなさい。まだ何も進展していないの。それよりも会うことも少なくて……。連絡も無いわ。」
 そう言われれば芹はこちらに帰ってきたときに連絡を入れたが、それ以降の連絡は無い。今はN県へ行く用事があると言っていたのだが、それでも沙夜が外国へ行っていたときの方がまだ連絡をしていたように思える。
 それを聞いた辰雄はズバッと沙夜に言う。きっと芹は別れたいのだろうと。
「……そうかも知れない。でも……。」
 心のどこかにまだ芹がいる。そして一馬の心の中にもまだ奥さんと子供が居るのだ。こんな関係が長く続くわけが無いのはわかっている。しかし続けたいという自分の気持ちがまだ覗かせていた。
「……そう……わかった……。」
 忍には全てを話していないし、昭人もまた何もわかっていないのだ。だから人手が欲しくて沙夜と一馬を呼ぶのだが、二人にはただのバンドのメンバーと担当という立場を崩さないで欲しい。そう忠告された。
「わかってる。えぇ……。」
 一馬には家庭があることも考えて、収穫した野菜なんかは持たせても良いが詳しいことを奥さんには言わない方が良い。一馬の奥さんの事件というのは辰雄の耳にも入っている。その事件を考えると余計なストレスを与えない方が良いというのだ。
 辰雄は本当にそういう事に慣れている。色んな客を見て来たからだろうか。そう思っていたときだった。風呂場のドアが開く。一馬はジーパンを履いただけだった。上半身は裸の状態なのを見て、沙夜はさっと目をそらせる。お互いに何度も見たモノだが、いつになっても恥ずかしいモノだと思うから。
「明日の朝の便に乗ってそちらへ行くわ。えぇ。着いたらまた連絡をする。」
 沙夜はそう言って電話を切ると、一馬の方を見た。
「西川さんか。」
「えぇ。明日はレコード会社の担当とそのバンドのメンバーという立場出来て欲しいと。あちらには奥様と子供さんがいるのだから、余計なことを言わない方がいいと言っていたわね。」
「そうか。だったらそのつもりで行こう。」
 ここから外に出ればそういう仮面を被る。だがこの中では恋人のように過ごしたいと思う。外では手も繋ぐことは出来ないが、今はそうしていたいのだ。
「明日はジーパンで行って良いのか。」
「泥だらけになるわ。私も一度着替えてから行くつもりだし。」
「わかった。だったら俺も一度家に帰らないといけないな。」
 理想はこのスタジオから直接行くことだろう。だがそういうわけにはいかないらしい。だから今日は思いっきり抱きたいと思う。だが沙夜の表情は先程よりも浮かない感じがした。西川辰雄に何か言われたのだろうか。
「どうした。」
 沙夜の様子がわかって一馬は沙夜の肩に手を置いて沙夜に聞く。
「そういえば、芹からの連絡って無かったと思って。」
「芹さんから?」
「こちらに帰国したときに、無事にたどり着いたとメッセージを送ったわ。その時、明日、芹はN県へ行くと言っていたの。それから連絡は無くて。」
「純が服を取りに行ったと言っていたが。」
「その時には芹は家に居た。沙菜もいたから沙菜に服を選んで貰ったと言っていたけれど。」
 その時にワンピースがあるのに気が付いたのだろう。沙夜はいつもパンツスタイルが多いのだが、そういった女性らしいチュニックやワンピースというのは沙菜のお下がりしか無いと思っていた。だが沙菜も首をかしげるようなワンピースだっただろう。そしてそれを荷物の中に入れてくれた。おそらく意味もわからないまま入れてくれたのだろう。沙夜がこういう格好をしたらきっと似合うとか、そういう意味で入れてくれたのだ。深い意味は無いだろう。
「忙しいのか……それとも……。」
 やはり芹は沙夜と一馬の関係に気が付いているのかもしれない。そして身を引こうと思っているのだろう。結婚したいと言っていたが、さっと冷めてしまったように思えた。
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