触れられない距離

神崎

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バーベキュー

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 紅茶の入ったカップを置いて、芹はポケットから携帯電話を取り出す。するとメッセージを呼び出した。その中には仕事関係のモノの中に沙夜からのモノもある。夕べレコーディングが終わったことはそれで芹も知っていた。音を聴いたわけでは無いが、沙夜はとても良いモノが出来たと満足しているらしい。
 だが裕太に見せたいモノはそれでは無い。
「西藤さん。ついでにちょっと聞きたいことがあるんですよ。」
「何かな。」
 「Glow」のことはあらかた聞いたので、今度こそ本題へ移りたいと思う。そう思いながら芹はその画像の貼り付けられたメッセージを開いた。
「これ。聞いてます?」
 そう言って芹はその画像を裕太に見せた。すると裕太は少し表情を変える。まさか芹がこんな画像を持っているとは思っていなかったからだ。
「これは……。」
 一馬と沙夜の写真で、二人はまるで結婚式をするような格好をしている。ウェディングドレスとタキシード姿で、沙夜がイヤリングを付けようとしているのを一馬が手鏡を持ってあげていた。まるで本当に今から結婚式をするような感じに見える。
 裕太が知っている画像は、おそらくこのあとのことだ。二人が並んで写真に写っているがその表情には笑顔が無い。だがこちらの写真の方がとても自然に見えた。
「何でこんな写真を持っているのかって不思議ですか。俺も不思議ですよ。俺は沙夜と結婚したいと思ってたのに、沙夜は別の男……しかも妻帯者とこんな格好をして写っているんですから。」
「それは……事情があってね。」
 どう誤魔化そうかと思った。だが芹は薄く笑みを浮かべて言う。
「沙夜から事情は聞きましたから別にそれを責めるつもりは無いんです。素直に綺麗だと思ったし、もし自分が沙夜と結婚するときには沙夜にこういう格好をさせれば良いのかって参考になったし。俺……あまりこういうファッション関係って知らなかったし。」
「……。」
 知っていたなら別に誤魔化すことは無かったかもしれない。だが芹は良い気分はしないだろう。こんな写真を見せて聞いてきたのだから。
「本当に似合ってる。隣に居るのも一馬さんで、一馬さんとは体格的にもぴったりだったと思いますよ。絵になるでしょうね。」
「だと思うよ。だかラリー・ブラウンの奥さんである世界的に有名なブライダル専門のファッションデザイナーであるソフィア・ブラウンが最初に泉さんを見たときからドレスを着て欲しいと思っていたみたいでね。」
「最初から目を付けていたんですか。」
「スタジオも完備しているリーの別宅に、他人が入り込むんだ。だから最初だけは奥さん……ソフィアもどんな人達なのか見るだけだと思っていたのに、思ったよりも泉さんが気に入ったんだろうね。磨けば光る原石だと思っていたらしい。だからドレスを着て欲しいというのを口実に全てプロデュースしたかったようだ。」
 案外クリエーターというのはこういう人が多いのかもしれない。我が儘で人の言うことなど聞いていないのだ。それがどれだけ迷惑になっているのかなんてお構い無しに。その結果が、芹だけでは無く響子まで暗い気持ちにさせている。
「本人達もいやいやしている感じなんですよね。」
「もちろんだ。泉さんは特にモデルをするのは本当に嫌がっていたんだけどね。」
「……だったら良いんです。」
 会社にもそう伝わっているならそれが事実なのだろう。沙菜も進んで沙夜がモデルなどするわけが無いと言っていたのだ。小さい頃とはいえモデルは、良い思い出では無かったから。
「疑ったのか。」
「ってわけじゃ無いんですけどね。」
「一馬君が進んで泉さんとこんな格好をするとは思えない。愛妻家だろう。」
「そう思ってたんですけどね。」
「けど?」
 この国を離れる前。一馬はほとんど奥さんにも子供にも会っていなかったのだ。代わりに食事を運んでいたのは沙夜。そして沙夜は一度一馬の所へ行けば、スタジオから戻ってくるのは遅くなっていた。音楽を聴いていたというのは沙夜らしいと思っていたが、沙夜がいくら気になるからと言ってそんなことをするだろうか。
「この写真は翔が送ってきたんです。」
「翔君が?」
「何を言いたかったんだろう。愛妻家で、子煩悩で、でもそれは本当は作られたモノだとしたら。そう思うと少しやきもきしますよ。」
「わからないでも無いけど、今は何も出来ないだろう。」
「えぇ。だから……。」
「旅行?」
「何でそれを……。」
 タブレットを取り出したときに気が付いていた。熱心に見ていたのは旅行雑誌だ。沙夜が帰ってきたら二,三日の休暇になる。公休を消化するのだ。その期間に旅行へ連れて行こうと思っていたのだろうか。
「沙夜は作られたエンターテイメントは嫌いなんです。だから温泉でも連れて行こうと思って。」
「危険だね。」
 そう言って裕太は紅茶を口に入れた。芹はその応えにムキになったように裕太に聞く。
「どうしてですか。」
「愛から聞いているよ。君、宮村雅也に会ったんだろう。」
「……あ……。」
 沙菜と一緒に居酒屋居のレジのところで紫乃と鉢合わせてしまった。その時に一緒に居た男が宮村雅也だと名乗り、名刺を押しつけてきたのだ。気になってその男のことを調べてみたがやはり予感は的中して、愛の言うとおりしばらくは沙夜とは出歩かない方が良いと思っていたのだ。だが想像も付かないような田舎の温泉場だったら行けないことも無いと思う。だが裕太は反対なのだ。
「宮村さんと関わってろくな事にあるわけが無い。」
 愛も同じようなことを言っていた。出版社だけでは無く、レコード会社からも鼻つまみ者なのだろう。
「君のように隙だらけの男は、付け込まれやすい。何よりフリーみたいなモノなんだろう。愛のところとは契約をしているけれど。」
「そうですけど……。」
「君が思うよりも怖い男だよ。紫乃は良く付き合っているなと思っているけど。」
「……。」
 おそらくあの居酒屋にいたのだ。沙菜が言うのにあそこはお忍びで行くような所なのだから、そのあとに沙菜とホテルに消えたように紫乃もそうしていたに違いない。
「悪いことは言わない。今は二人で居ない方が良い。」
「でも……。」
「泉さんのことを思うならそうしてくれ。泉さんの妹はAV女優だったか。」
「そうですけど。」
「そちらと付き合っているようにしておいた方が良い。そちらのメーカーの方がもっと本人を守ってくれるだろうし。俺も会社も宮村さんには関わりたくないんだ。」
「それは……沙夜を守ることになるんですか。」
「そうだ。」
 結婚どころか付き合っていることも公に出来ない。デートも出来ないとなると、本当に何も出来ないのだ。悔しそうに芹は手を握る。
「あの人と関わってしまっただけでリスクはあるんだ。」
「そんなに……やばい人なんですか。」
 すると裕太は咳払いをすると、声を落として言う。
「渡先生は、一馬の奥さんの事件を知っているね。」
「えぇ。拉致されて監禁されたヤツですか。」
「……でもメディアに出たときには、奥さんが進んで車に乗って乱交騒ぎを起こしたとなっている。それはどうしてだと思う?」
 確かに不自然だと思った。事実では無いことが前に出て、やっと今になって奥さんの言ったことが事実だと証明され、犯人は逮捕されたのだから。
「奥さんの言うことでは、親族がそういう風に言ったとか。」
 それも「かもしれない」と言うことをいかにも「そうだ」と伝えられたのだ。そしてその親族は金を積まれてそう証言したといっていた。
「そう。事実をひっくり返される男なんだよ。ただでさえ泉さんは五人を手玉に取っているという噂だってあるんだ。」
「だったら尚更結婚でもした方が……。」
「君が結婚して面白くない人がいる。」
 それは紫乃だ。芹が表に出て来て、きっとまた芹に近づこうとするだろう。そして沙夜にも危害を加えられる可能性だってあるのだ。それがわかり芹はため息を付いた。どうしてあの時沙菜を誘ったのだろう。そう思っていたが、後悔することはまだ他にもある。
 もし旅行へ行ったとして、二人で宿に泊まりセックスをすることになったとき沙菜の名前を呼ぶかもしれないという恐怖があるのだ。
 だが裕太の言うことはそれ以前に沙夜と出掛けるのも止した方が良いということなのだ。芹はため息を付いた。するとその様子に裕太が少し笑う。
「結婚はしばらくすれば出来るというだけだ。子供が欲しいというわけでは無いんだろう?」
「子供?」
 考えたことも無かった。沙夜との子供が出来るということ。
「子供が欲しいと思っていても結構歳になっても子供は出来るんだ。俺がそうだったしね。」
「ずいぶん子供が出来なかったって聞きましたけど。」
「色々治療したり検査をしたけれどね。人工授精までしても着床までしなかったこともある。もう無理かなと思ったら出来た子供だよ。そんなモノだ。子供なんて。今は四十代でも初産という人も居るしね。」
 沙夜が子供を望んでいるのかはわからない。だがそれ以前にさっさと結婚しておけば良かったと思っていた。そうすれば、自分も沙菜とこんな関係になら無かっただろうと思うから。
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