触れられない距離

神崎

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飴細工

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 マーケットの入り口は一つしか無い。今は大道芸の祭りの方へみんな言っているので、あまり人の出入りは無いようだ。そもそもあまりここは観光客が来るような所では無い。外国人に見えても英語を流暢に話す人ばかりで、反対にこちらの言葉はわからない人がほとんどだろう。そんな仲で沙夜と一馬は明らかに浮いている。男と女でも二人ならあまり安全とは言えない。沙夜達の国では体の大きいと言われている一馬ですら、この国では普通くらいに見えるのだ。
「ずっと気になっていたが、ここは海が近いのか。」
「えぇ。そこは海だから。」
 マイケルと海を見た。港にあるマイケルのお気に入りの場所だと言っていたようだが、そこへ歩いて行くには少し距離がある。だが落ち着いて話が出来るような所があるだろうか。沙夜はそう思っていたときだった。
「海か……あまり進んでいこうとは思わないな。」
「だったら違うところにしましょう。少し待ってくれる?」
 そう言って沙夜は一度マーケットに戻る。そしてすぐに出てくると、手には鍵が握られていた。
「車の中なら話が出来るわ。行きましょう。」
 運転手をしていた男から鍵を借りたのだろう。社用車にも盗聴器が仕掛けられているかもしれないとは思ったが、会社の社用車はきちんとメンテナンスがされている。当然、盗聴器や盗撮器などが取り付けられていたらすぐにわかるのだ。いたずら防止のドライブレコーダーは確かに電源が入っているが、それはあくまで外であり中までは撮されていないという。
 駐車場へやってきて、バンの入り口を開ける。そして沙夜達は後部座席に乗り込むと一馬はベースを自分の隣に置き、沙夜の隣に座った。
 こうしてみるとカメラがあるのはわかる。電源が入っているのかどうかはわからないが、車のエンジンをかけると赤く光っているというのは気が付いていたので、今はおそらく電源も入っていないだろう。しかし音声まではわからないので不用意な言葉は言えないのには変わりは無いが。
「さっき……今更って言っていたわね。マイケルのお父様と何かあったの?」
 すると一馬はため息を付いて革の財布を取り出す。一馬が長く使っているモノで、良くなめされた革で出来ているようだ。色合いも深い色になっている。
 その際譜の小銭入れを探ると、一つの指輪が出て来た。
「指輪?」
 女性用のようで細い指輪だったしリングも女性用なのか小さいモノだった。
「これは……俺の産みの母親が持たせたモノだ。」
「産みの……と言うと実母ね。」
「あぁ……。」
 沙夜の手にその指輪を渡す。それをよく見るとモチーフが刻まれていた。どうやら十字架のようだ。石などはないと言うことは、結婚指輪では無いのだろう。
「お母様は亡くなったと言っていたわね。」
「俺を花岡の家に置き去りにしたあと、海で水死体になって出て来たようだ。それを聞いて俺の父親は子供まで巻き込みたくなかったんだろうと言っていたか。」
「自殺をするくらい追い込まれていたのかしらね。」
「それはわからない。ただ……母親は俺を産んで後悔していたようだ。」
 一馬は三歳ほどで花岡の家に引き取られた。それより前のことは、あまり話したく無さそうだったので聞かなかったが、ここでぽつりぽつりと話を始めたのはこの指輪がきっかけだったのだろうか。
「どうして後悔したのかしら。だったら作らなければ良かったのに。」
 すると一馬は首を横に振る。
「俺は……あの部屋から出るなと言われていてな。」
 母親は化粧や香水の匂いと共に、いつも酒の匂いがした。今考えれば胸が広く開いた派手なワンピースなんかをいつも着ていたところをみると、おそらく水商売の女だったのだろう。
「部屋から?二,三歳くらいだったら普通公園なんかで遊んだりしないかしらね。」
「子供が居ることを悟られたくなかったらしい。若かったからな。」
 行動制限をされ、人に会うこともあまり無かった。だから一馬は人並みに成長したが言葉を覚えるのも遅かったと思う。それなのに大きく育ち力が強くなっていっている一馬が母親にとって想像以上にイライラする存在だったのだ。
「その母親が海に身を投げて死んだって事?」
「あぁ……何があったのかはわからなかったし、そんな子供の頃のことだ。花岡の家が居心地が良かったのもあって、どうでも良いと思っていた。」
「だったらどうして指輪を持っていたの?」
「それは……育ての父が持っていたらもしかしたら本当の父親の手がかりになるかもしれないと思って。」
「……本当の父親?」
「母親は俺が話をしたことで身元がわかって、探し当てたと思ったら水死体になっていた。だからせめて父親だけでも探してやりたいと思ったんだろうな。だが……現実は残酷だな。」
 一馬は手を前の方で組むと、ため息を付いた。沙夜もその指輪を見ると首をかしげる。
「この指輪にあるモチーフはどこかで見たことがあるわ。」
「……あぁ……。」
 十字架のモチーフだ。そしてそれが何なのか、沙夜は思い出す。
「……マイケルのお父様の胸元にあったネックレスのモチーフね。」
「覚えていたか。」
「手を使う仕事だから指輪は出来ないんだろうと、結婚指輪でも出来ない人も居るし、そういう人なんだろうと思っていたわ。でも結婚指輪にしてはどうして十字架なのかとは不思議に思っていたんだけど。」
「……あぁ……。」
「もう一度見てみないとわからないけれど、同じような感じだったわ。」
「これは一度詳しい人に見てもらったことがあって、手作りのものだろうと。一つとして同じモノは無いと言っていた。」
「ということは……。」
 同じモチーフの指輪。それがどういうことか沙夜でもわかる。
「……マイケルの父親は俺たちの国に居たことがあるらしい。仕事しかしていなかったと言っていたが……。」
「若い頃だったらあまり考えられないわね。」
「そう思うか。」
「それでもあなたがマイケルの父親の子供だと決めつけるのは、まだ早いんじゃ無いのかしら。」
「とはいえ、その可能性が無いわけでは無い。だから……あまり関わりたくない。」
「いざとなったら尻込みをする?」
 すると一馬は首を横に振る。そしてぽつりと言った。
「最悪な事を想像するとな。」
 どんな事情があったのかは知らない。それでもその考えが過る。
「最悪な事ってどういうこと?」
「つまり……向こうの国にいたとき、俺の母親と出会って子供を作ったがそのまま母親を捨ててこの国に帰ってきた。そして自分は祝福される結婚をして。マイケルを自分の子供として何でも無いように育ててあげる。こちらの子供……俺の事は無かったようにして。」
 それが真実なら、母親に同情する余地があるだろう。酔っ払って一馬に手を上げたと言うのも何となく理解が出来る。やるせなくて、一馬に当たるしか無かったのだ。
「でもまだはっきりしたことでは無いのよね。」
「……。」
「はっきりさせたい?」
「マイケルはそう思っている。だから俺を個人的に会わせたんだろう。」
「一馬はそういうところがあるわね。」
 沙夜はそう言うと一馬は驚いたように沙夜を見る。
「私もそうなんだけど、白黒はっきりさせなくて曖昧にしていることが多い。奥様……響子さんの件もそうだけど、はっきり犯人を見つけきれなかったから水川さんに付け込まれて大きな事件になった。洋菓子店は閉店するかもしれないくらい追い込まれたじゃ無い。」
「……少しの歪みは大きな事に繋がるかもしれないと?」
「えぇ。もしあなたが思う最悪の想像が現実であれば、マイケルも、マイケルの父親も責められないかしら。それを面白可笑しく書き立てるのがマスコミだし、想像以上のことを書かれるかもしれない。嘘やデマに踊らされるように。」
「……。」
「そのためにははっきりさせた方が良いんじゃ無いのかしら。」
「わかった……。」
 すると沙夜は一馬の手に手を重ねた。そして一馬を見上げる。
「私が付いているわ。本当は響子さんが居てくれた方が良いのかもしれないけれど。」
 重ねられた手を一馬はぎゅっと握ると、沙夜を見下ろして言う。
「お前が良い。」
 すると沙夜は少し笑った。
 本当はこのままキスをしたいと思った。だが不用意なことは出来ない。だが今夜、好きなだけ沙夜を抱きたいと思う。みんなの世話をしている沙夜が、自分だけを見てくれる時間が何よりも変えがたい時間になると思うから。
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