触れられない距離

神崎

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パエリア

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 「Music Factory」の近くにあるチェーン化されたカフェは、いつもならビジネスマンやOL、学生なんかが賑わっているようだが、今日は週末でありそれほど多くなかった。
 だが週末だろうと年末だろうと、事情があれば会社へ言ったりスタジオやライブハウスに顔を出さないといけないのは、部長職だからだろう。西藤裕太は私服ではあるが今日もそんな用事があり、今日もこれから望月奏太が担当するバンドのレコーディングの様子を見に行く。音を聴く限り期待は出来そうだ。アイドルだった外見と、音の良さがあればあとは売り込みなのだ。奏太にはそれが出来るだろうか。それが一番不安だった。
 そしてその前に取材を受けるためにこのカフェに来たのだ。話を聞くのは芹。「渡摩季」として作詞家の活動もしているが、それを誤魔化すためにしているライターとしての「草壁」の活動も最近は活発なようだった。草壁が書いたライターの記事をまとめた書籍が、今度出版されるらしい。一部のコアな人しか人気が無いのかと思ったが、そうでも無いらしい。
 その芹が聞きたいのは、昔「Glow」というハードロックのバンドを組んでいたときに、一緒のステージで対バンをしたことがあるパンクロッカーの話だった。
「悪いな。なんせこの男、あまり情報が無くてさ。」
 古いバックナンバーの雑誌の一ページに、紙をツンツンに立てた細身の男が映っている。上半身は裸で革のパンツを履いた男は、ベースを弾いている。外国にあるパンクロッカーのような容姿だった。
「構わないよ。先生の頼みだ。俺で話せることがあれば良いんだけど。」
「先生っての辞めてくれない?他でばれたくないし。」
 紫乃のことをまだ気にしているのだろう。この男は紫乃と繋がりがあったのだ。だから紫乃と関わっているという裕太もあまり良い印象は無いのだろうが、仕事だから話を聞いているのだろう。
「草壁さんで良いのかな。」
「良いよ。草壁って名前だったら。」
 作詞家としては隠したいらしい。そう思いながら裕太は目の前に置かれているコーヒーを口にした。そして芹もコーヒーに口を付ける。だがその表情は微妙だった。
「俺、あまり味とかにはこだわらないけど、コーヒーは雲泥の差だよな。」
「ん?」
「一馬さんの奥さんが淹れたコーヒー。こだわった豆を使っているわけじゃ無いけど、マシンで淹れたコーヒーなんかよりも味が全く違うんだ。」
「そうだったね。」
 一馬の奥さんと子供は、自分の親から逃げるように翔の家に身を寄せているとは裕太も聞いていた話だった。無理も無いかもしれない。こんなに大きな事件の被害者だったのだ。なのに奥さんの両親は、奥さんを責めることしかしないらしい。
「沙夜からの連絡は来てる?」
 芹はそう聞くと、裕太は少し笑って言った。
「君には連絡が無いのか。」
「あるけど、まぁ……時差もあるし、メッセージだけ。」
 画像も添え付けられたメッセージだったが、それでも嬉しかった。忘れられていないと思えたから。
「どうやらユダが居るようでね。」
「ユダ?裏切り者って事か?」
 裕太はその言葉に頷いた。
「二週間の予定で外国へ行っている。その間はホテルでは無くコテージを借りる予定だった。レストランやテイクアウトなんかの食事ではどうしても飽きてしまうし、子供も居るんだからって事でね。」
「聞いていた。沙夜が一手に面倒を見るって。」
 夏に一週間だけでもそういう生活をしていたのだ。沙夜は無理をしないかと心配したが、沙夜はそう言うことをしていた方が気が紛れるのだ。何なら弁当も作りそうな勢いで生き生きと料理をしているのが目に浮かぶ。
「そのコテージに仕掛けがしてあってね。」
「仕掛け?」
「盗聴器や盗撮器が山のように付いていたらしい。リビングや寝室はもちろん、バスルームにも仕掛けられてあったんだ。」
 バスルームなんかに仕掛けられていたら、沙夜の裸まで盗撮されていただろう。そう思うと腹が立ちそうだ。ここのところ沙夜に触れられていないのに、そんなところで他の人の目にさらされるのは嫌気が差す。
「もう平気なのか。」
「あぁ。専門の業者が見てくれた。しかし、仕掛けられた機械類には指紋が一切残っていなかったらしく、誰が仕掛けたのかはわからないらしい。コテージの管理会社やハウスクリーニングなんかには、会社で予約をしていただけで誰が使うのかまでは伝えられていなかったみたいだし。」
「そんなのは調べればすぐにわかるだろう。」
「そう思ったが、「二藍」の名前も知らないような人達ばかりだ。片隅で人気があるバンドのメンバーが泊まるといっても関心は無いようだしね。」
 そんなモノなのだろうか。自分が知らなくても有名だと言うだけで画像や映像を売ることはあるのだろうし、あっちのマスコミの方が大胆な手を使ってくることもあるのだ。それに言葉だって汚い。地域にもよるが、あまり治安の良いところでは無いのだ。手を上げることだってあるだろう。
「俺、外国へは行ったことが無いからわかんないけどさ。結構強引な手を使うんじゃ無いのか。あっちの奴らは。」
「もちろん。この男だって、あの事件ははめられたと思ってるんだ。」
 雑誌を手にして、そのベーシストを見る。元々モチーフにしていた外国のベーシストは薬の中毒者だった。酒と薬でろれつが回らなかったこともあるし、ステージで演奏をしても間違えてばかりだった。だがこの男は外見だけで、本人は真面目な男だったのが裕太の印象で、マスコミが作り上げた幻想に視聴者は踊らされていたと思っている。
「空港で薬が見つかったヤツ?」
「あぁ。一貫してこの男は「俺じゃない」って言っていたけどな。周りだってこの男が薬をしていたなんて思っていなかったと思っている。」
 だが空港の検疫で、荷物からは薬が出て来たのだ。それは事実で男は身体検査までして無実を晴らしたのだが、マスコミはそれが偽造だと騒ぎ立た。結局、その薬のことはうやむやになったのは、おそらく国際問題に発展しそうになったからだろう。
「酒が好きだったんだろ?」
「あぁ。普段からこう……ウィスキーの小瓶を持っててちびちび飲んでた。酔ってない時ってあったのかなって思うくらい。だから死んだって聞いたとき、酒に殺されたんだろうなってみんなで言ってた。」
 男はバンドを解散して三十代半ばで亡くなっている。肝臓を悪くしていたのだ。まだ薬をしていた方が長生きをしていたかも知れない。
「食うより酒の方が好きって感じかな。」
「一馬はそんな馬鹿じゃないな。」
「あの人は健康的だよ。酒も沙夜と同じくらい飲むみたいだし、飯だって相当食う。ジムに行ったり、走ったり、あの人は長生きするだろうな。」
「君も見習った方が良いよ。三十代になるとどうしても腹が出てくるし。」
「俺は結構動いてる方だよ。」
 芹はそう言って少し笑う。そして裕太はちらっと芹の隣に置いてある荷物を見る。取材だけでこんなにに持つが多いわけがない。どこか遠出をするのだろうか。
「今日はどこかへ行くの?泊まりがけか何かで?」
「うん。この男の出身へ行きたいと思ってさ。」
「出身って……この男はN県出身じゃ無かったか。そこまで行くのか。」
「当たり前だろ。ライターしてるんだよ。取材だったらどこでも行くよ。国内なら。あっちの方にライブハウスがあるんだよ。この男がいつも行ってたライブハウスのオーナーはまだ現役らしいし、それから良く行ってたバーもまだあるらしいんだ。」
 芹も真面目な男だ。天草裕太とは兄弟だという話を聞いていたが、全く似ていないようだ。何とか他人の足を引っ張ろうとする天草裕太と、自力でのし上がろうとする芹は、対極にある気がした。だから仲違いをしている。
「君は本当に天草裕太の弟なのか。」
「……あまり言われたくないけどそうなんだよ。顔は似てるだろ?」
「顔だけだな。」
「兄だって根は真面目なんだよ。高校の時にシンセサイザーの機材が欲しいとか、機材が欲しいとかでバイトをずっとしてて、それでも全然足りなくて歳を誤魔化してホストしようとしたくらいだから。」
「ホストなんかしたら人気が出そうだ。」
「かも知れないけど、それが変に自信になったからいけなかったのかなぁ。」
 だから紫乃に転んでしまったのだ。そして紫乃に良いようにされている。天草裕太もまた紫乃の被害者の一人だったのかも知れない。
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