触れられない距離

神崎

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キノコの和風パスタ

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 普段芹は仕事をしているとき、いつもコーヒーを飲んでいる。そのコーヒーにこだわりは無く、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーをサーバーごと部屋に持ち込んでそれを飲みながら仕事をしているのだ。
 しかし一馬の奥さんが丁寧に淹れたそのコーヒーは、同じ豆を使っているのに全く別物のように味も香りも違う。そして三倉奈々子が持ってきたカップケーキというのもとても美味しい。
「朝から贅沢だよな。」
 芹はそういってそのカップケーキに口を付ける。海斗もそのカップケーキを口にして嬉しそうだった。
「それは良かったわ。彼女にも伝えておく。」
「彼女?」
「同棲している恋人。」
 つまりレズビアンのカップルなのだ。歳から考えると、夫婦のようだが籍は同性では入れられない。それはゲイのカップルでもそうだろう。純と英二がそうしているように。
「珍しくは無いわね。あたしがいる世界でもゲイの男優さんも居るし、レズビアンの女優もいるわ。仕事と私生活は別物と割り切れる人ね。」
「お前も女同士のヤツ出たことがあるだろ?」
 沙菜に芹はそういうと、沙菜は少し笑う。
「えぇ。昔ね。」
 沙菜はレズビアンではないので、どうしてもそういう撮影は受け身になる。モヤモヤするモノはあったが、仕事なのだ。そう思って割り切ることにした。
「AVか何かに出ているのよね。」
「えぇ。」
「そう……。」
 奈々子はそういって少し暗い表情になった。そして奥さんの方を見る。奥さんの妹もまたAV女優で、それだけであまり関わりたくないと思っていたがあってみれば普通の女性だと思った。偏見は持ちたくないが、どうしてもAV女優というのは気が引ける。性にガツガツしていない「二藍」くらいがちょうど良かった。
「響子さん。今日はお礼を言いたくてここに来たの。」
「お礼?」
 奈々子はそういって少し笑う。そして奥さんの方を向くと頭を下げた。
「辛いことをきっと警察なんかにも証言したのでしょう。だからあの男が罪に問われた。もう二度とシャバの空気なんか吸えないでしょう。というか……檻の中から出て来て欲しくないわ。」
 そこまであの捕まったオーナーの兄を恨んでいるのに、芹は少し違和感を持った。そしてカップを降ろすと、奈々子に聞く。
「三倉さん。そこまでその男に恨みがあるのか?あんたもレイプされたとかそんな感じか?」
 すると奈々子は首を横に振った。そして芹の方を見るという。
「あなたはライターだと言っていたわね。音楽系の。」
「あぁ。」
「だとしたらあたしがプロデュース業をする前のことも知っているでしょう。」
「ガールズバンドだったよな。あの時代には珍しくは無かったけれど。売れた曲はドラマの主題歌だっけ。でも俺、あの曲よりカップリングの方が好き。」
「あら、あのカップリングはあまり評価は良くなかったのよ。」
「でも自分たちのメッセージが詰め込まれているような感じがしたよ。売れた曲は確かに聴きやすいし耳に残りやすいとは思うけどそれだけだな。」
 辛口の言葉に、どこかで聞いたような言葉だと奈々子は思った。ライターというのは偽名を使っていることが多い。この男も偽名を使っているとしたら、おそらく奈々子が想像するライターなのだろう。だが今はそんなことはどうでも良い。
「ボーカルの話は聞いたことがある?」
「あ……。」
 思い出した。芹はそう思って、顔色を青くする。すると沙菜が不思議そうに芹に聞いた。
「そのガールズバンドのボーカルって?」
「確か……死んだんだよな。山の中で首を吊ってたって。」
 一曲売れて、だがその次となるとなかなかヒットに繋がらなかった。それもそのはずで、確かにその一曲がヒットに繋がったがその後はその知名度を利用してメンバーはそれぞれの活動をしていたのだ。つまりバンド活動にはそこまで力を入れていなかったらしい。
 奈々子はその頃からプロデュース業を始めていた。同じようなガールズバンドに目を留めてアドバイスをしたり編曲に口をきいたりして過ごしていたのだ。中には奈々子が所属するバンドよりも売れて、誰もがうらやむような会場でライブを成功させたバンドも居る。だからといって奈々子はそれを嫉妬したりしなかった。
 そのほかのメンバーも洋服のアパレルブランドを立ち上げたり、海外へしょっちゅう言っている人も居た。そしてボーカルがその中でも一番目立った活動をしていたと思う。
 キャラ的に少し天然があるような女性で、それでも美味く世の中を渡っていたように思えた。それがテレビ局や他のメディアに重宝されていたのだ。
「あ……知ってる。一時期良くテレビで見かけたわ。」
 沙菜も思い出したように頷いた。順風満帆に見えたその女性が、山の中で自殺をしていたというのが少し意外だと当時は思っていたから。
「あの子、戸籍の無い子だったのよ。」
「戸籍?」
「出生届を親が出していなくてね。と言うのも、両親のうちの父親がとても暴力的な人で妊娠中なのに平気で包丁なんかを取り出して脅すような人だったって。だから臨月の時に母親が父親のところから逃げ出したって言っていたわ。それであの子が産まれたとき出生届を出そうとしたらしいんだけど、出生届を出すと身を隠している場所が父親にばれてしまうって届けを出さなかったみたい。」
 つまり戸籍が無いと言うことは、学校なんかにもまともにいっていなかったのだ。だから天然だと言われているのだが、実はそういう社会常識を学校で学んでいなかったというのが本当のところなのだろう。
「戸籍ってあとから取得することって出来るだろ?面倒だけど。」
「えぇ。事務所に所属するときにそれに気がついて、戸籍を取得したわ。その頃には父親はアル中で死んだと言っていたし、暴力に怯えることも無くなったからって。」
「仕事も順風満帆。プライベートも悪くない。だったら自殺したってのは不自然だよな。」
 芹はそういうと、奈々子は頷いた。
「あの子、輪姦されたのよ。」
「え……。」
 その言葉に沙菜は驚いたように奈々子を見る。すると奈々子はぎゅっと手を握って怒りに耐えているようだった。
「仕事帰りに車に連れ込まれてね。山の中に連れて行かされて、散々弄ばれたの。そしてそのままあの子を放置して男達はいなくなった。あの子、男の人と付き合ったことも無くてね。だから……初めてだったのに。」
 その言葉に奥さんの手がぎゅっと握られる。自分のことと被ったからだろう。それを心配そうに海斗が見上げてその手に手を重ねた。すると奥さんの表情が少し柔らかくなる。こんな子供にも気を遣わせてしまったと、落ち着きを取り戻したのだ。
「一気にそれで絶望したのか。」
 朝になっても仕事場に来ないその子に、マネージャーが自宅にまで来たらしい。だが自宅にも居ないし、連絡も付かない。無責任な子だと言っていたが、その子に限ってそんなことをするはずは無い。警察に届けを出した方が良いと言ったのは奈々子だった。
 渋々警察に届けを出したマネージャーは、周辺の聞き込みを始めやっとその子の遺体を見つけたのは数日後のことだった。真冬であったのにもかかわらず、遺体はもう変色していたり野生動物なんかに囓られているようだったが、それでも原形はギリギリとどめていた。
 遺体の確認に呼ばれたのは、母親でも無くバンドのメンバーとマネージャーだった。その時遺体と対面したメンバーは、悔しさで様々な反応をしていたという。
「ある人は泣き叫んだし、ある人は怒りを抑えきれなくて壁を殴っていたわ。手が血まみれになっても止めなかった。それだけみんな悔しかったのよ。自殺をするくらい追い込まれていたって誰も気が付かなかったんだから。」
 その時点ではその子が何かしらのストレスから山の中で首を吊ったと思っていた。だが司法解剖をしたとき、それは違うという裏付けが出て来て自体は一気に急転する。寝台対の性器、膣だけでは無く、直腸や口内から複数の男のモノである精液が出て来たのだ。
「そこで輪姦の事実に気が付いたわけだ。」
 すると奈々子は頷いた。あまり良い記憶では無い。だから口にしたくなかったし、輪姦の事実がわかってもその犯人を追おうとしなかった警察にもいらつきが隠せなかった。警察は死因は自殺であるし、そこまで追い詰められたのは不幸だが直接手を下したわけでは無いというのが警察の主張だった。
「無能すぎないか。その警察。」
「会社もあまり大事にしたくなかったのね。自分たちがタレントを守れなかったというので、責任を負うのも嫌だったみたいだし。」
 奈々子を始め、他のメンバーもその警察や事務所に怒りを隠せなかった。そしてもし自分たちがそんな目に遭っても、事務所はかばってくれたりはしないだろう。そう思った残った四人は、バンドの解散を申し出たのだ。表向きにはボーカルを新しく淹れても同じような音楽を作ることは出来ないと言って。
 そしてそれぞれに別の道を歩むことにしたのだ。
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