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弁護士
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沢村と共に弁護士事務所をあとにした。その間も沙夜は治のことを考えている。奥さんはずっと胸に秘めながら過ごしていたのだろう。生まれてきた子供が誰の子供かわからないまま子供を産んだのだ。堕胎をすることも考えたかもしれない。だが治とその頃は結婚していたし、堕胎などの選択は出来なかったと言える。
「そういえばさ。治ってあまり怒らないだろ?」
階段を降りながら翔はそう言うと、沙夜は頷いた。
「そうね。温厚なイメージがあるわ。」
「怒っても仕方が無い。自分は自分で他人には他人の考えがあるんだから、それを自分の思い通りにならないのはエゴイストだと思うからと言っていたな。」
普段怒りの沸点が低い沙夜には、身につまされる話だ。「二藍」はあまりそう言うことをいわない集団で、テレビなんかで用意された衣装が意にそぐわなくても黙って着ることもある。あまりにかけ離れていれば沙夜が直接ディレクターなんかに話をして、面倒を見ているのだろう。汚れた役は自分だけで良いと思っているのだから。
「仏みたいな人だな。」
沢村はそう言うと、翔も頷いた。
「けれど、唯一怒りを抑えられないことがあった。それは、初めて息子が産まれたときに治の実家に行ったときだって言っていた。」
あまりにも治にも奥さんにも似ていない子供だった。だから「別の男の子供では無いか。または病院で取り違えられたのでは無いか」と母親から疑われたのだという。その時治は二度と実家に帰らないとまで言ったのだ。だが素直に母親から謝罪され、今は事あるごとに帰っているし、治がいなくても奥さんと子供だけで帰省することもある。その度に孫を可愛がってくれているらしい。
「素直にその橋倉さんのお母さんは言っただけね。別に悪気があったわけじゃ無い。」
「だから帰っているんだよ。」
そうでは無ければ、本当に治は二度と実家に立ち寄らなかった。そしてこの間生まれた子供も一番になって見に来たのだという。内心治に似ているような子供で安心したのだが、そのことはもう二度と口にすることは無かった。
「刑事事件にするなら、弁護をしよう。その時には旦那は立ち会わなくても良いし。」
「でも立ち会いたいと思いますよ。」
「そうだと思う。その橋倉という男は、あまりこの世界には向いていない人だ。人が良すぎる。」
その言葉に沙夜は少し頷いた。人が良すぎて馬鹿を見そうな人だと思うから。
「遥人が一番向いているかな。」
翔はそう言うと、沙夜は肩をすくめて言う。
「そういう環境で育ったと言うだけね。栗山さんも悪い人では無いわ。」
「ハングリー精神が凄いよ。俺も見習わなきゃな。」
少しウェブなんかで「このフレーズはあの曲に似ている」とか「パクりでは無いか」と言われると落ち込むことがあるのだ。
「翔は気にしすぎね。音楽はそこまで無限じゃ無いわ。音だけで言うと限られているのよ。似たようなフレーズになっても仕方が無いところがあるわ。」
すると沢村が少し笑って言う。
「大学生の時の沙夜さんに聞かせてやりたい台詞だ。」
批判されて落ち込んでいた沙夜が、自分で気がついたことだろう。その時のことを知っているので沢村は笑ったのだ。
「私も日々成長しているつもりですけどね。」
「わかっている。君の音がたまに「二藍」の中から流れてくることもあるんだ。音楽はそこまで聴かないが、心地良いメロディだと思う。音楽も成長しているようだ。」
褒められると悪い気はしない。だが照れくさい。昔から知っている人に言われると尚更だった。
「この辺はまだ商店街が開いているんですね。」
翔はそう言って周りを見渡す。魚屋も八百屋もまだ開店しているようだ。
「居酒屋や飲み屋が急遽必要だと言われたときに対応しているんだよ。それでも十二時までかな。」
一馬の実家がある酒屋も角打ちはしているが、十二時ほどで閉めるらしい。それでも酒なのだから、そのあとでも配達をして欲しいと言われたら柔軟に対応しているのだ。
「沙夜。食事をしていこうか。」
翔はそう言って沙夜を誘う。やっとデートのようなことが出来るのだと、少し期待を込めていった。
「そうね。お腹が空いたわ。沢村さんもいかがですか。」
その言葉に沢村の方を見る。沢村は翔の真意がわかっているのだろう。さっきから嫉妬をしているような感覚だ。このまま沙夜達と食事に行くのは構わないが、翔の気持ちを考えると断っておこうと思う。
「いや。俺は止しておくよ。」
その言葉にほっとして、翔は少し笑顔になる。空気が読める男で良かったと思った。その時だった。
「沙夜?」
聞き覚えのある声がして三人は振り返る。そこには一馬の姿があった。手には紙袋が握られていて、どこかの帰りのように見える。
「一馬。」
沙夜は足を一馬の方へ向ける。その様子に沢村は少し気後れしたように感じた。まるで恋人を迎えるようだと思ったから。
「あいつは何だったか。」
翔に聞くと、翔は少し笑って言う。
「「二藍」のベーシストですよ。」
「あぁ。そうだったな。」
音楽を聴くときには姿などはあまり見ない。だから顔も一致しなかったのだろう。二人も一馬の方へ足を向ける。
「弁護士と話をすると言っていたが、どうだったんだ。」
「少し面倒なことになってね。」
「……俺が聞いても良いことか?」
「そうね……。ちょっとわからないわ。」
「そうか。落ち着いたら話を聞こう。だが、治は外国へは行けそうなのか。それだけははっきりしておかないと。」
「それも微妙で。」
「……そうか。」
事情が事情だ。簡単に口に出来ることでは無い。その言葉に、一馬も納得したようだ。
「こちらが弁護士の先生よ。沢村さん。」
「初めまして。花岡です。」
一馬はそういうと手を差しだした。すると沢村はその手を握る。
「沢村だ。そこに事務所を構えている。」
「そこ?あぁ。里村さんの所のビルですか。」
「里村とは知り合いか。」
「えぇ。うちの妻が足繁く通っていますよ。」
「子供を預けに?」
結婚しているのか。だったら沙夜が恋人のようだと思ったのは気のせいなのかもしれない。そこまで心を許せる相手なのだ。人間不信に陥りそうだったのに、ここまで心を許せる相手が出来たのは素直に嬉しいと思う。
「いいえ。うちの妻はバリスタをしてまして、子供向けのメニューを考えたときに試飲を子供達にさせているんですよ。」
「なるほど。一石二鳥だ。」
「えぇ。妻が独身の頃からの付き合いです。」
妻思いだ。家族思いで、いい男だと思う。だから沙夜が心を許せるのだ。
「一馬は何か用事があったのか?こっちに。」
翔がそう聞くと、一馬はその紙袋を持ち上げて言う。
「うちの実家から呼び出されてな。ワインの古いモノがあるから取りに来いと言われたんだ。」
「ワインの古いモノ?」
沙夜は驚いたようにその紙袋をのぞき見る。ワインのボトルが三本ほど入っているようだ。
「ワインの古いモノはそのまま飲んでも酸味が出ていたり、駄目になったりしているモノが多い。だが飲めないことは無い。それを無理して飲むのでは無く、調理に使ったり出来るから。」
「へぇ。そうだったの。どうやって使うの?」
「ワインで肉を煮込んで煮込みにしたり、シチューにしたり、ハンバーグのソースにしたりだな。煮立たせばアルコールが飛ぶから子供でも食える。」
「美味しそうね。」
「一本持って帰るか。」
そう言って一馬はその紙袋から一本ワインのボトルを取り出した。そしてそれを沙夜に手渡す。
「良いの?」
「構わない。しょっちゅうあることでは無いが、妻がたまに職場の人にあげたりもしているようだし。沙夜に一本譲ったと言えば、妻も何も言わないだろう。」
「だったらありがたく頂いておくわ。」
その会話を聞いていて、沢村はふと首をかしげた。妻が里村という夜間保育をしている男と付き合いがあり、そしてバリスタだ。もしかしたらこの男の妻は、沢村が思っている人かもしれない。
「花岡さん。あなたの妻というのは……本宮響子さんというのでは無いのだろうか。」
すると一馬は頷いた。
「旧姓は本宮ですが。」
「妹がAV女優をしている人だろうか。」
「そうです。」
「だとしたら……。」
あの事件の被害者だ。そう思うと手が震えてくる。
「何かありましたか。」
「あなたの奥さんは……昔、拉致監禁をされたことがあるだろう。」
その言葉に一馬の表情が硬くなった。そして沢村の方を見る。
「あまり掘り出したくない過去です。やっと妻も忘れかけようとしている。あまり言わないでください。」
「わかっている。だが……あの事件の首謀者はまだ特定出来ていないと世間では言われているが、俺は怪しいと思っている人が数人居る。」
「……。」
「その犯人を特定するために、奥さんと話をしたい。」
「駄目です。」
すぐに一馬はそれを断った。一馬にとってそれは曖昧にさせておきたいことであり、出来れば忘れさせてやりたいことだったからだ。
「そういえばさ。治ってあまり怒らないだろ?」
階段を降りながら翔はそう言うと、沙夜は頷いた。
「そうね。温厚なイメージがあるわ。」
「怒っても仕方が無い。自分は自分で他人には他人の考えがあるんだから、それを自分の思い通りにならないのはエゴイストだと思うからと言っていたな。」
普段怒りの沸点が低い沙夜には、身につまされる話だ。「二藍」はあまりそう言うことをいわない集団で、テレビなんかで用意された衣装が意にそぐわなくても黙って着ることもある。あまりにかけ離れていれば沙夜が直接ディレクターなんかに話をして、面倒を見ているのだろう。汚れた役は自分だけで良いと思っているのだから。
「仏みたいな人だな。」
沢村はそう言うと、翔も頷いた。
「けれど、唯一怒りを抑えられないことがあった。それは、初めて息子が産まれたときに治の実家に行ったときだって言っていた。」
あまりにも治にも奥さんにも似ていない子供だった。だから「別の男の子供では無いか。または病院で取り違えられたのでは無いか」と母親から疑われたのだという。その時治は二度と実家に帰らないとまで言ったのだ。だが素直に母親から謝罪され、今は事あるごとに帰っているし、治がいなくても奥さんと子供だけで帰省することもある。その度に孫を可愛がってくれているらしい。
「素直にその橋倉さんのお母さんは言っただけね。別に悪気があったわけじゃ無い。」
「だから帰っているんだよ。」
そうでは無ければ、本当に治は二度と実家に立ち寄らなかった。そしてこの間生まれた子供も一番になって見に来たのだという。内心治に似ているような子供で安心したのだが、そのことはもう二度と口にすることは無かった。
「刑事事件にするなら、弁護をしよう。その時には旦那は立ち会わなくても良いし。」
「でも立ち会いたいと思いますよ。」
「そうだと思う。その橋倉という男は、あまりこの世界には向いていない人だ。人が良すぎる。」
その言葉に沙夜は少し頷いた。人が良すぎて馬鹿を見そうな人だと思うから。
「遥人が一番向いているかな。」
翔はそう言うと、沙夜は肩をすくめて言う。
「そういう環境で育ったと言うだけね。栗山さんも悪い人では無いわ。」
「ハングリー精神が凄いよ。俺も見習わなきゃな。」
少しウェブなんかで「このフレーズはあの曲に似ている」とか「パクりでは無いか」と言われると落ち込むことがあるのだ。
「翔は気にしすぎね。音楽はそこまで無限じゃ無いわ。音だけで言うと限られているのよ。似たようなフレーズになっても仕方が無いところがあるわ。」
すると沢村が少し笑って言う。
「大学生の時の沙夜さんに聞かせてやりたい台詞だ。」
批判されて落ち込んでいた沙夜が、自分で気がついたことだろう。その時のことを知っているので沢村は笑ったのだ。
「私も日々成長しているつもりですけどね。」
「わかっている。君の音がたまに「二藍」の中から流れてくることもあるんだ。音楽はそこまで聴かないが、心地良いメロディだと思う。音楽も成長しているようだ。」
褒められると悪い気はしない。だが照れくさい。昔から知っている人に言われると尚更だった。
「この辺はまだ商店街が開いているんですね。」
翔はそう言って周りを見渡す。魚屋も八百屋もまだ開店しているようだ。
「居酒屋や飲み屋が急遽必要だと言われたときに対応しているんだよ。それでも十二時までかな。」
一馬の実家がある酒屋も角打ちはしているが、十二時ほどで閉めるらしい。それでも酒なのだから、そのあとでも配達をして欲しいと言われたら柔軟に対応しているのだ。
「沙夜。食事をしていこうか。」
翔はそう言って沙夜を誘う。やっとデートのようなことが出来るのだと、少し期待を込めていった。
「そうね。お腹が空いたわ。沢村さんもいかがですか。」
その言葉に沢村の方を見る。沢村は翔の真意がわかっているのだろう。さっきから嫉妬をしているような感覚だ。このまま沙夜達と食事に行くのは構わないが、翔の気持ちを考えると断っておこうと思う。
「いや。俺は止しておくよ。」
その言葉にほっとして、翔は少し笑顔になる。空気が読める男で良かったと思った。その時だった。
「沙夜?」
聞き覚えのある声がして三人は振り返る。そこには一馬の姿があった。手には紙袋が握られていて、どこかの帰りのように見える。
「一馬。」
沙夜は足を一馬の方へ向ける。その様子に沢村は少し気後れしたように感じた。まるで恋人を迎えるようだと思ったから。
「あいつは何だったか。」
翔に聞くと、翔は少し笑って言う。
「「二藍」のベーシストですよ。」
「あぁ。そうだったな。」
音楽を聴くときには姿などはあまり見ない。だから顔も一致しなかったのだろう。二人も一馬の方へ足を向ける。
「弁護士と話をすると言っていたが、どうだったんだ。」
「少し面倒なことになってね。」
「……俺が聞いても良いことか?」
「そうね……。ちょっとわからないわ。」
「そうか。落ち着いたら話を聞こう。だが、治は外国へは行けそうなのか。それだけははっきりしておかないと。」
「それも微妙で。」
「……そうか。」
事情が事情だ。簡単に口に出来ることでは無い。その言葉に、一馬も納得したようだ。
「こちらが弁護士の先生よ。沢村さん。」
「初めまして。花岡です。」
一馬はそういうと手を差しだした。すると沢村はその手を握る。
「沢村だ。そこに事務所を構えている。」
「そこ?あぁ。里村さんの所のビルですか。」
「里村とは知り合いか。」
「えぇ。うちの妻が足繁く通っていますよ。」
「子供を預けに?」
結婚しているのか。だったら沙夜が恋人のようだと思ったのは気のせいなのかもしれない。そこまで心を許せる相手なのだ。人間不信に陥りそうだったのに、ここまで心を許せる相手が出来たのは素直に嬉しいと思う。
「いいえ。うちの妻はバリスタをしてまして、子供向けのメニューを考えたときに試飲を子供達にさせているんですよ。」
「なるほど。一石二鳥だ。」
「えぇ。妻が独身の頃からの付き合いです。」
妻思いだ。家族思いで、いい男だと思う。だから沙夜が心を許せるのだ。
「一馬は何か用事があったのか?こっちに。」
翔がそう聞くと、一馬はその紙袋を持ち上げて言う。
「うちの実家から呼び出されてな。ワインの古いモノがあるから取りに来いと言われたんだ。」
「ワインの古いモノ?」
沙夜は驚いたようにその紙袋をのぞき見る。ワインのボトルが三本ほど入っているようだ。
「ワインの古いモノはそのまま飲んでも酸味が出ていたり、駄目になったりしているモノが多い。だが飲めないことは無い。それを無理して飲むのでは無く、調理に使ったり出来るから。」
「へぇ。そうだったの。どうやって使うの?」
「ワインで肉を煮込んで煮込みにしたり、シチューにしたり、ハンバーグのソースにしたりだな。煮立たせばアルコールが飛ぶから子供でも食える。」
「美味しそうね。」
「一本持って帰るか。」
そう言って一馬はその紙袋から一本ワインのボトルを取り出した。そしてそれを沙夜に手渡す。
「良いの?」
「構わない。しょっちゅうあることでは無いが、妻がたまに職場の人にあげたりもしているようだし。沙夜に一本譲ったと言えば、妻も何も言わないだろう。」
「だったらありがたく頂いておくわ。」
その会話を聞いていて、沢村はふと首をかしげた。妻が里村という夜間保育をしている男と付き合いがあり、そしてバリスタだ。もしかしたらこの男の妻は、沢村が思っている人かもしれない。
「花岡さん。あなたの妻というのは……本宮響子さんというのでは無いのだろうか。」
すると一馬は頷いた。
「旧姓は本宮ですが。」
「妹がAV女優をしている人だろうか。」
「そうです。」
「だとしたら……。」
あの事件の被害者だ。そう思うと手が震えてくる。
「何かありましたか。」
「あなたの奥さんは……昔、拉致監禁をされたことがあるだろう。」
その言葉に一馬の表情が硬くなった。そして沢村の方を見る。
「あまり掘り出したくない過去です。やっと妻も忘れかけようとしている。あまり言わないでください。」
「わかっている。だが……あの事件の首謀者はまだ特定出来ていないと世間では言われているが、俺は怪しいと思っている人が数人居る。」
「……。」
「その犯人を特定するために、奥さんと話をしたい。」
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すぐに一馬はそれを断った。一馬にとってそれは曖昧にさせておきたいことであり、出来れば忘れさせてやりたいことだったからだ。
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