触れられない距離

神崎

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弁護士

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 報告書などを書いたあと、沙夜はそのままオフィスを出て行く。事情を知っている奏太は沙夜がこれから弁護士を交えて治夫妻を話をすることは知っているが、それに付いていくことは出来ない。こっそり付いて行こうと思っていたが、それがばれれば本当に「二藍」とは関われなくなる。それは嫌だ。紫乃のこともあるが、「二藍」の音楽、それに「夜」の音楽から関われなくなるのは正直嫌だと思っていた。だったらあとから報告を聞くだけで良い。それに今は自分が担当しているバンドのデビュー曲で一杯一杯だ。それにそれぞれが私生活に問題がある。それが公に出る前に何とか手を打たないといけないだろう。そう思いながら携帯電話を手にする。紫乃からの連絡が入っていた。だがなるべく連絡は取りたくない。紫乃の思惑が見えてきたから。
 そんな奏太の気持ちを知らないまま、沙夜はエレベーターで階を降りるとエントランスへ出た。そしてふと見ると、翔の姿がある。
 行き交う人達は、翔の姿に顔を見合わせている。過去にはモデルをするような立場だった翔を羨望のまなざしで見ているのは、まだ残っているらしい。それに加えて翔は変装なんかをあまりしない。北の地へ行ったときには帽子をかぶったりしているが、基本あまりそういうことをしたくないらしい。
「翔。」
 沙夜はそう言って翔に近づくと、沙夜を見て翔は携帯電話から目を離してその携帯電話をしまう。
「弁護士さんとは何時に待ち合わせしているって言ってたかな。」
「十九時ね。」
「食事なんかはどうしたの?」
「芹に頼んだわ。沙菜がもう帰ってきているみたいだから。」
「二人分?」
「そうね。遅くなるだろうから、帰りに食べて帰りましょう。」
 そう言ってくれて良かった。二人で食事なども最近はほとんど無い。前から沙夜と行きたい店がある。沙夜も気に入ってくれるだろうし、何よりデートをしている気分になれる。今からすることを考えると、気が重いがこういう事を考えるだけで気が軽くなる。
「何て言ったっけ。弁護士さん。」
「名前?沢村さん。」
「沢村光太郎って言ってたかな。気になってさっき調べてみたんだ。」
「女性の連続強姦事件ね。」
「うん。」
 この地域で起こっていた女性が被害になった強姦事件があった。被害に遭ったのは五人。警察は近くに住む男を逮捕したのだが、その沢村という弁護士がその男の弁護をした。
 見た目がうさんくさいその男は、明らかに見た目だけで強姦をしそうだと思っていたのだが、沢村は無実をずっと主張していた男を信じ無実を証明した。そしてその強姦事件の犯人は、意外な結末を迎える。
「犯人は銀行員だった。奥さんと子供が三人。幸せそうな家族を持っているきっちりした人が、実はその犯人だったなんてね。」
「……そうね。」
 沢村はその事件のあと英雄扱いされ、マスコミの手で勝手な記事まで載せられた。それに怒った沢村は、マスコミを訴える。すると今度はマスコミは沢村を変人扱いした。そこが世の中では変わり者だと言われる原因なのだろう。
「どんな人なのかは気になっていたよ。」
「翔は気をつけた方が良いかもしれないわね。」
「え?」
「何て言うか……人の言動とか仕草とかそう言うのをじっと見て、隙を突こうとすることが多いの。仕事柄かしらね。でもそのおかげで私は助かったけれど。」
 インターネットで「夜」として活動をしていたとき、沙夜に誹謗中傷を浴びせかけた人を訴えることが出来たのはこの男のおかげだったのだ。だがその分、敵に回すと面倒な人だと思う。
 キャリアだけを見ると企業向けの弁護士をしそうな感じもあるが、個人事務所に所属する沢村の案件は小さなモノしか無いらしい。家族のゴタゴタは今となっては得意分野なのだ。そんなことをする人ではないのに。
 駅に着くと改札口の近くに居る男に沙夜は近づいていった。紺のスーツとワインレッドのネクタイをしているが、あまりきっちりと着ている感じではない。ワイシャツもアイロンが掛かっていないのか皺があるし、スーツもよれっとしている。革靴は傷があるようだ。それにボサボサの髪には白髪が交ざっている。弁護士としては有能だが変人だというのは頷ける。
「沢村さん。お待たせいたしました。」
 すると沢村は手に持っていた文庫本をしまうと、沙夜の方を見て口元だけで笑う。
「久しぶりだね。沙夜さん。」
「このたびはお世話になります。」
「いや……お世話をするかというのは微妙だな。」
 その言葉に沙夜は首をかしげた。この男が治の依頼を断るというのだろうか。断ればまた弁護士の選定をしないといけないだろう。そうなると二週間という期限に間に合わない。
「忙しいですか。」
「そこまで忙しくは無いよ。今の案件は不倫問題。沙夜さんが言って来ている案件と似たようなモノだ。」
「不倫ですか。」
 意外だと思った。大きな事件に関わっていた沢村が、そういう細々したような案件に手を出すのは、やはり個人事務所だからだろうか。経営の面を考えると、小さな案件でも引き受けた方が良いのかもしれない。
「不倫をしたのは男だというのに、男は妻と別れたくないそうだよ。全く男というのは身勝手なモノだ。」
 そう言われて沙夜の胸がチクリと痛んだ。一馬のことを思い出したからだ。そして卑怯なのは自分もそうなのかもしれない。そう思うと居たたまれなかった。
「沢村さんが忙しければ、別の弁護士を探さないといけないんですがどうですか?」
 沙夜はそう聞くと、沢村は少し笑う。
「仕事をするほどの案件ではないという意味だよ。沙夜さん。」
 その言葉に沙夜は驚いたように沢村を見る。
「え……。仕事をするほどの案件ではない?」
 思わず翔もそれを口にした。すると沢村は翔の方を見てまた笑う。
「沙夜さんの恋人かな。」
 そう言われて沙夜は後ろを振り返る。そこには翔の姿があり、沙夜は慌てて首を横に振った。
「いいえ。私が担当している「二藍」のキーボード担当の千草です。」
 すると沢村はその言葉がおかしいのだろう。今度は声を上げて笑った。
「知っているよ。言っただけだ。ゲイの噂があるようだし、沙夜さんの恋人ではないのはわかっていたよ。」
 すると今度は翔の方が慌てて手を振る。
「俺はゲイではないんですよ。」
「そうだろうね。」
 世の中の噂では翔は遥人といい仲だというのだ。ゲイカップルの噂がある。それを会社も沙夜も否定をしなかった。それもまた売りだと思っているのだから。
「ゲイではないとわかってましたか。」
 沙夜はそう聞くと、沢村は少し頷いた。
「沙夜さんは覚えているかな。昔レズビアンを売りにした外国の女性アイドルがいたのを。」
「えぇ。かなり売れましたからね。」
 若い女性二人が、ステージ上で体をまさぐり、キスをするのがパフォーマンスの一つだったように思える。だが沙夜はそれを見てストリップとあまり変わらないなと思っていたのだ。
「本当の同性愛者はそんなことをしないんだ。そして「二藍」もまたボーカルとキーボードはそういう風に見える。そういう売り方をしているんだろうと思えた。」
「はぁ……その通りです。」
 全部見透かされていた。やはり頭の切れる男だと思う。
「で……仕事になるかどうかわからない微妙な案件だと言っていましたが、どうしてですか。」
 すると沢村はちらっと周りを見る。人が多いと思ったのだ。その視線に沙夜も気がついたようで、沢村の方を見る。
「事務所にお邪魔をしても良いですか。」
「大丈夫だ。今日は助手は帰らせたし。」
「助手というと、楓さんですね。」
「いや。今は今は楓の妹がいる。楓は出産のために里帰りをしていてね。」
「え……結婚してなかったですよね。」
「頑として父親のことは口にしようとしない。シングルでも色んな事情を踏まえれば、補助金は出るしやっていけないことは無いと思う。」
 三人はそう言って改札口を抜ける。そして向かったのはいつもの路線だった。
 電車に乗り込み、治に連絡をする。そして少し弁護士と話をしたら二人の話を聞きたいというかもしれないとメッセージを送った。すると治からは期待をしないで待っておくというメッセージが届いた。治にとっては弁護士すら匙を投げそうなくらい嫌な案件だったのかもしれないと思ったのだ。
 それを沙夜は黙ったまま、携帯電話をしまい込む。
「沢村さんは沙夜とどういった関係なんですか。」
 翔がそう聞くと、沢村は少し笑って言う。
「どんな関係と言われてもね。」
 どうやらゲイでは無く、沙夜に気がある男なのだろう。そう思って少し笑った。そして沙夜は翔に全く気が無いように思える。一方通行の恋は、見ていても面白い。ストーカーになって、こちらの世話にならなければ良いのだから。
「私の知り合いと言うよりも沙菜の方が先にお世話になったのよ。」
 沙夜はそう言うと、翔は意外そうに沢村を見た。まさか元AV男優だったりするのだろうか。それくらいヨレヨレの格好でも、よく見ればいい男だと思ったからだ。この辺は芹によく似ているように思える。
「沙菜さんは元気かな。」
「えぇ。相変わらずです。」
「人の旦那を取ったりしていないだろうね。」
 その言葉に沙夜は少し動揺した。沙菜はそんな気配は無いが、今は自分がそうしているのだから。
「大丈夫だと思います。今は仕事も忙しいので、その辺の欲求が満たされないことも無いようですね。」
「あの時はあの程度の示談金で良く解決出来たと思うよ。運が良かったのはあの旦那はクズだったことだ。」
「クズ?」
「奥さんの他に四人の愛人がいた。その中の一人が沙菜さんだった。沙菜さんはピルを飲んでいたので妊娠をすることは無かったが、その中には妊娠した人もいるようだ。そちらの方が堕胎費用や示談金は多くなる。千草さんも注意しておいた方が良い。」
 翔は手を振ってそれを否定した。
「俺は不倫なんか……。」
 そう言ったが、心当たりが無いわけでは無い。まだ耳に響く「間男」の言葉。それを思い出すと沙夜の顔をまともに見れない。
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