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弁護士
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いつか連れてきた沙夜という女性は気取っていなくて、着飾っていなかったように思える。仕事ばかりしていて、それがあまり父親には好まれていなかったようだったが、今はそんな時代では無いと言うのはスーパーデパートに出ていても同僚から聞く話なのだ。沙菜ほどの若い女性がレジを打っていて、家に帰っては子供の世話や家事をずっとしているのだという。そうでは無いと生活がままならないらしい。
母親がスーパーでパートをしたのは裕太に借金があったからと言うことと、子供達の学費のためだった。それが無ければ父親の収入だけで十分やっていける。
「じゃあ、あと一年くらいでパートは辞めるのか?」
芹はそう聞くと、母親は首を横に振った。
「外に出るのが楽しいのよ。四,五時間くらいしか働かないんだけどね。近所の人だけでは無く、全く違うような人との交流が楽しいわ。」
自分の母親とは違う感じがする人だと思いながら、沙菜は話を聞いていた。母親は自分たちを売り込もうと、カメラマンや雑誌の編集者、クライアントなんかとしか話をしなくて、同じキッズモデルの母親なんかは目の敵にしていたのだ。撮影が終わってみんなは食事へ行ったりしていたのに、母親はその輪に加わらずディレクターなんかにお土産や差し入れを持って行くのが日課だったのだ。それが二人を可愛がるいい口実になったのだろう。
「あら。この高菜漬けが美味しいわね。どこで買ったの?」
「これは貰ったんだよ。沙夜がいつも行く田舎に住んでいる人から。」
「手作りなのね。作り方を知りたいわ。」
「素材が違うみたいなんだよ。同じ作り方でも味が全く違ってくるって言ってた。」
芹はここへ来て良かったと母親は思っていた。長男の裕太と外見はよく似ているが、芹はあまり人と交ざることが好きでは無かったから。裕太はいつも友人だといって家に二,三人の友達が来ていたのだが、芹はそんなことはほとんど無かったし、妹である咲良も同じような感じだった。芹は音楽ばかり聴いていて、咲良は外国のドラマや映画ばかり観ていた。それぞれの楽しさがあってそれはそれで良いのだろうと思っていたのだが、やはり人間と関わると人間としての優しさが出てくるような気がする。父親はその辺が足りていない。昔ながらの職人で、靴や鍵をずっと作っていたのだ。酒を飲むときだけは饒舌になっていたようだが、その酒で失敗も多くある。それをフォローするのはいつも自分の役割だったのだ。
「沙菜さんは、今日はお仕事は?」
「終わったんです。今日は打ち合わせだけだったので。」
「打ち合わせ?」
「あ、あたし役者をしてまして。」
「あら。そうなの。テレビなんかに出ているのかしら。」
それ以上は母親が嫌な気分になるだろう。そう思って芹は止めようとした。だが沙菜は首を横に振って言う。
「テレビはほとんど出ませんよ。深夜帯のテレビなんかに出ることもありますけど。今はインターネット番組とか。」
「あぁ。今時ねぇ。」
動画だけのタレントなんかもいるのだ。そういう仕事なのだろうと思っていたのだが、沙菜は少し笑って言う。
「本業は男の人が喜ぶようなソフトに出演してるんです。」
「男の人が?」
その言葉に母親はいぶかしげな表情になった。
「えぇ。裸になるようなソフト。」
遠回しにいってもこの母親にはわからない。そう思って沙菜は思いきってそう言ったのだ。すると母親は案の定いぶかしげな顔をする。
「あら、あら。そうだったの。」
だがいぶかしげな顔をしたのは一瞬だった。朗らかな顔をしている。
「抵抗ないんだ。」
芹がそう言うと、母親は少し笑って言う。
「昔、ほら、あなたたちにおやつを用意してあげたいってホットケーキとか、蒸しパンとか作っていたでしょう?」
「あぁ。」
美味しいとは言いがたいが、ホットケーキミックスと卵なんかを混ぜて作ったモノだった。忙しかったはずなのに、そういうモノを用意してくれる母親の偉大さが今になってわかる。
「それも用意が出来ないときには、百円玉を渡して「たまのや」へ駄菓子を買いに行かせたりして。」
「うん。覚えてる。」
百円で買えるおやつは限られているし、今考えるとそこまで美味しいとは思えなかったがそれで母親の手間が省けるならそれで良いと思う。それにそうやって金銭感覚なんかを養っていたのだろう。
「「たまのや」じゃないといけないっていったのは覚えてる?」
「そういえばそうだったな。小学校へ行ったときに、裏手にも駄菓子屋があるって言ってたけど、そこには行ったらいけないっていってたっけ。」
「えぇ。裏手にはね。スナックとかストリップとかトルコ風呂があったりしたからね。」
「そんなモノがあったのか?」
知らなかった。ただの下町だと思っていたのに、その裏手はそんな店があったとは思っても無かったのだ。
「お父さんは気にしていたから、あちらの人達が仕事の依頼をしてくるのは午前中に限りって言っていたの。あなたたちに悪影響があるんじゃないのかって。でも私は接客をしていても別に普通の人としか思えなかったわ。ただそういうところに勤める事情があっただけ。」
「事情って何ですか?」
沙菜がそう聞くと、母親は少し戸惑ったように言う。
「主な原因は借金だったわね。特に常連だった女性は、靴をいつも直していた。古い靴を何度も修理して誤魔化して履いていたから。事情を聞くと、母親が借金ばかりを繰り返していて、小さい頃からそうやってお客さんを掴まないと食事すらままならない生活だった。ストリップや風俗店に歳を誤魔化して勤めて、やっと結婚したと思ったら旦那さんもまた借金。その上浮気、暴力も日常のような環境でね。結局そういう店からは逃れられなかった。」
「……あの。あたしはそんな事情は無いんですけど。」
「わかっているわ。だから、そういう人も居るって言うことだけよ。でもその女性は普通の人だったわ。帰って銀行なんかに勤めているようなビジネスマンの方がクレーマーだったし。」
すると芹は少し笑って言う。
「そうだった。俺が小学校三年くらいの時か。怒鳴り込んできたよな。男がさ。」
「えぇ。靴底の修理をして、三日で剥がれたってね。」
修理をしてもしばらくはいつものように履かない方が良い。一週間は置いておいた方が良いと言っていた父親の言葉を無視して、その修理した靴を履いていたらしい。その上雨が降って、三日で靴底が剥がれた。それでも父親は文句一つ言わずに修理をしていたと思う。だが料金はきっちり貰っていた。元々は父親の言葉を無視したその男が悪いのだから。
「あなたはどうしてそういう世界に入ったの?お姉さんは音楽業界に居ると言っていたんだけど。」
「元々、私たちはキッズモデルだったんです。」
「あら。お母さんが熱心なのね。」
「えぇ。なんか……子供を芸能人にさせたかったみたいで。」
「そういう人も居るわね。ずいぶん初期投資がかかるらしいけれど。」
商売をしているとそういう人も居るのだろう。母親は感心したように話を聞いていた。
「姉さんは小学校に上がって辞めてピアノばかり弾いていたんですけど、あたしはそのままアイドルをしたりグラビアに出たりして。水着の仕事をしていたら、だんだん布の範囲が小さくなってきて、二十歳の時にそういう仕事を始めました。」
「あら。沙夜さんもモデルをしていたの?」
「昔ですよ。」
天使のように愛らしいと言われていたのだ。だが沙夜はすぐにその仕事をやらなくなった。はっきりした理由を沙菜は聞いたことが無いが、想像は付く。キッズモデルは使い捨てだからだ。
「もし芹と結婚するようなことがあったら、子供が可愛いでしょうね。」
すると芹はお茶を飲んだ湯飲みを置いて、母親に言う。
「結婚するかどうかはまだわからないから。」
「え?うちに一緒に来たから、そういうつもりなんだろうと思っていたんだけど。お父さんなんか、結婚式場はあそこが良いなんて先走っているのに。」
「兄さんと繋がりがあるんだったら、あっちの家にも迷惑がかかる。沙夜だって迷惑がかかるだろ。」
そう言われて母親は言葉に詰まってしまった。
母親がスーパーでパートをしたのは裕太に借金があったからと言うことと、子供達の学費のためだった。それが無ければ父親の収入だけで十分やっていける。
「じゃあ、あと一年くらいでパートは辞めるのか?」
芹はそう聞くと、母親は首を横に振った。
「外に出るのが楽しいのよ。四,五時間くらいしか働かないんだけどね。近所の人だけでは無く、全く違うような人との交流が楽しいわ。」
自分の母親とは違う感じがする人だと思いながら、沙菜は話を聞いていた。母親は自分たちを売り込もうと、カメラマンや雑誌の編集者、クライアントなんかとしか話をしなくて、同じキッズモデルの母親なんかは目の敵にしていたのだ。撮影が終わってみんなは食事へ行ったりしていたのに、母親はその輪に加わらずディレクターなんかにお土産や差し入れを持って行くのが日課だったのだ。それが二人を可愛がるいい口実になったのだろう。
「あら。この高菜漬けが美味しいわね。どこで買ったの?」
「これは貰ったんだよ。沙夜がいつも行く田舎に住んでいる人から。」
「手作りなのね。作り方を知りたいわ。」
「素材が違うみたいなんだよ。同じ作り方でも味が全く違ってくるって言ってた。」
芹はここへ来て良かったと母親は思っていた。長男の裕太と外見はよく似ているが、芹はあまり人と交ざることが好きでは無かったから。裕太はいつも友人だといって家に二,三人の友達が来ていたのだが、芹はそんなことはほとんど無かったし、妹である咲良も同じような感じだった。芹は音楽ばかり聴いていて、咲良は外国のドラマや映画ばかり観ていた。それぞれの楽しさがあってそれはそれで良いのだろうと思っていたのだが、やはり人間と関わると人間としての優しさが出てくるような気がする。父親はその辺が足りていない。昔ながらの職人で、靴や鍵をずっと作っていたのだ。酒を飲むときだけは饒舌になっていたようだが、その酒で失敗も多くある。それをフォローするのはいつも自分の役割だったのだ。
「沙菜さんは、今日はお仕事は?」
「終わったんです。今日は打ち合わせだけだったので。」
「打ち合わせ?」
「あ、あたし役者をしてまして。」
「あら。そうなの。テレビなんかに出ているのかしら。」
それ以上は母親が嫌な気分になるだろう。そう思って芹は止めようとした。だが沙菜は首を横に振って言う。
「テレビはほとんど出ませんよ。深夜帯のテレビなんかに出ることもありますけど。今はインターネット番組とか。」
「あぁ。今時ねぇ。」
動画だけのタレントなんかもいるのだ。そういう仕事なのだろうと思っていたのだが、沙菜は少し笑って言う。
「本業は男の人が喜ぶようなソフトに出演してるんです。」
「男の人が?」
その言葉に母親はいぶかしげな表情になった。
「えぇ。裸になるようなソフト。」
遠回しにいってもこの母親にはわからない。そう思って沙菜は思いきってそう言ったのだ。すると母親は案の定いぶかしげな顔をする。
「あら、あら。そうだったの。」
だがいぶかしげな顔をしたのは一瞬だった。朗らかな顔をしている。
「抵抗ないんだ。」
芹がそう言うと、母親は少し笑って言う。
「昔、ほら、あなたたちにおやつを用意してあげたいってホットケーキとか、蒸しパンとか作っていたでしょう?」
「あぁ。」
美味しいとは言いがたいが、ホットケーキミックスと卵なんかを混ぜて作ったモノだった。忙しかったはずなのに、そういうモノを用意してくれる母親の偉大さが今になってわかる。
「それも用意が出来ないときには、百円玉を渡して「たまのや」へ駄菓子を買いに行かせたりして。」
「うん。覚えてる。」
百円で買えるおやつは限られているし、今考えるとそこまで美味しいとは思えなかったがそれで母親の手間が省けるならそれで良いと思う。それにそうやって金銭感覚なんかを養っていたのだろう。
「「たまのや」じゃないといけないっていったのは覚えてる?」
「そういえばそうだったな。小学校へ行ったときに、裏手にも駄菓子屋があるって言ってたけど、そこには行ったらいけないっていってたっけ。」
「えぇ。裏手にはね。スナックとかストリップとかトルコ風呂があったりしたからね。」
「そんなモノがあったのか?」
知らなかった。ただの下町だと思っていたのに、その裏手はそんな店があったとは思っても無かったのだ。
「お父さんは気にしていたから、あちらの人達が仕事の依頼をしてくるのは午前中に限りって言っていたの。あなたたちに悪影響があるんじゃないのかって。でも私は接客をしていても別に普通の人としか思えなかったわ。ただそういうところに勤める事情があっただけ。」
「事情って何ですか?」
沙菜がそう聞くと、母親は少し戸惑ったように言う。
「主な原因は借金だったわね。特に常連だった女性は、靴をいつも直していた。古い靴を何度も修理して誤魔化して履いていたから。事情を聞くと、母親が借金ばかりを繰り返していて、小さい頃からそうやってお客さんを掴まないと食事すらままならない生活だった。ストリップや風俗店に歳を誤魔化して勤めて、やっと結婚したと思ったら旦那さんもまた借金。その上浮気、暴力も日常のような環境でね。結局そういう店からは逃れられなかった。」
「……あの。あたしはそんな事情は無いんですけど。」
「わかっているわ。だから、そういう人も居るって言うことだけよ。でもその女性は普通の人だったわ。帰って銀行なんかに勤めているようなビジネスマンの方がクレーマーだったし。」
すると芹は少し笑って言う。
「そうだった。俺が小学校三年くらいの時か。怒鳴り込んできたよな。男がさ。」
「えぇ。靴底の修理をして、三日で剥がれたってね。」
修理をしてもしばらくはいつものように履かない方が良い。一週間は置いておいた方が良いと言っていた父親の言葉を無視して、その修理した靴を履いていたらしい。その上雨が降って、三日で靴底が剥がれた。それでも父親は文句一つ言わずに修理をしていたと思う。だが料金はきっちり貰っていた。元々は父親の言葉を無視したその男が悪いのだから。
「あなたはどうしてそういう世界に入ったの?お姉さんは音楽業界に居ると言っていたんだけど。」
「元々、私たちはキッズモデルだったんです。」
「あら。お母さんが熱心なのね。」
「えぇ。なんか……子供を芸能人にさせたかったみたいで。」
「そういう人も居るわね。ずいぶん初期投資がかかるらしいけれど。」
商売をしているとそういう人も居るのだろう。母親は感心したように話を聞いていた。
「姉さんは小学校に上がって辞めてピアノばかり弾いていたんですけど、あたしはそのままアイドルをしたりグラビアに出たりして。水着の仕事をしていたら、だんだん布の範囲が小さくなってきて、二十歳の時にそういう仕事を始めました。」
「あら。沙夜さんもモデルをしていたの?」
「昔ですよ。」
天使のように愛らしいと言われていたのだ。だが沙夜はすぐにその仕事をやらなくなった。はっきりした理由を沙菜は聞いたことが無いが、想像は付く。キッズモデルは使い捨てだからだ。
「もし芹と結婚するようなことがあったら、子供が可愛いでしょうね。」
すると芹はお茶を飲んだ湯飲みを置いて、母親に言う。
「結婚するかどうかはまだわからないから。」
「え?うちに一緒に来たから、そういうつもりなんだろうと思っていたんだけど。お父さんなんか、結婚式場はあそこが良いなんて先走っているのに。」
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