触れられない距離

神崎

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弁護士

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 翔と沙夜はそのまま会社に戻ると裕太の帰りを待ち、そのまま西藤裕太と共に会議室へ向かう。他の人に聞かれて良い内容では無いのだ。だから他の人とは話が漏れるはずのないところを選んだ。
 事情を説明した裕太はいぶかしげな顔をする。自分自身もバンド活動をしていて、奥さんとの間には子供がずいぶん出来なかったのだ。外見からして遊んでいるように見えるがその辺は真面目な男で、一人の女性と付き合うと長くなるらしい。そのいずれも自立した女性だった。結婚した奥さんも子供が出来るまではずっと正社員としてデザイン会社に籍を置いていて、今はパートの勤務だが同じ仕事をしながら子育てをしている。家庭をあまり顧みない生活をしていたこともあったが、それでも奥さんは内助の功をしていた。他に男を作ったという話も無い。だから治の話は奥さんが甘いと言わざるえないだろう。
「その上の子供二人……どちらも男の子だったかな。それは本当に治の子供ではないの?」
 すると沙夜は頷いた。正式な医師からの診断書を見てきたのだ。治の子供である可能性はゼロであり、子供は高柳玲二の子供である可能性が高い。高柳玲二はもう故人であるため、過去のデータしかないがまず間違いは無いだろう。
「奥様も認めているそうです。過去に関係があったと。」
「無理矢理とかでは無いようですね。二人も居て、同じ父親だったらそれは故意に作ったとしか言い様がない。」
 翔もそう言うと、裕太は首を横に振って言う。
「何で妊娠した時点で治と別れてなかったのか。治を騙して育てているようなモノだろう。」
 裕太はここまで嫌がっているのは珍しい。それだけ治の奥さんに嫌気が差しているのだろう。
「橋倉さんはそれでも構わないと思っていたそうです。他人の子供でも自分の子供として育てていくと。他人の子供を育てている人は珍しくありませんから。」
「それは連れ子とか養子とかの話だ。産まれてくるまで自分の子供だと信じていて、いざ産まれたら他人の子供だったという地獄があるか。いっそ別れてくれれば良いのだけど。」
 すると沙夜は首を横に振った。
「別れれば橋倉さんのイメージが崩れます。今は良い父親であり、良い夫であるイメージが強すぎるので。」
「しかしそうしたのは本人達だ。」
 確かにその通りだと思う。それを認めてしまった治にも責任があるのだ。
「橋倉さん本人は別れたくないと言っています。」
「それを納得して今まで育ててきたんですよ。部長。そこまで言っているのに、別れろというのは違う気がします。他人の口を出す幕ではないんじゃないんですかね。」
 翔はそう言うと、裕太は不機嫌そうにため息を付いた。確かに家庭のことは本人達に任せているところがある。だからこれ以上は家庭のことで口出しは出来ないだろう。だが「二藍」のアルバムのことは会社にも関わることだ。
「だったら新しいアルバムのことだけど。」
「はい。」
「治抜きで外国のレコーディングをする?」
 すると沙夜は首を横に振る。それは無理な話だ。治の代わりは居ないのだから。
「発売日を遅らせないでしょうか。」
 その言葉に裕太は首を横に振る。そしてタブレットを取り出して、カレンダーを二人に見せる。
「この日が発売日。一ヶ月遅らせると望月君の担当しているバンドの再デビューの人かぶる。更に一週間遅らせると別のバンド……ジャンルは違うけれど、そのバンドの発売日とかぶる。」
「つまり、そういったバンドとはかぶらせたくないって事ですか。」
 翔がそう聞くと、奏太は頷いた。レコード会社にはレコード会社の事情があるのだろう。そして裕太は少しでも「二藍」を存続させたいと思っている。売れないバンドの曲をリリースするほどレコード会社も余裕は無いのだ。
「どちらにしてもあまり時間はありませんね。」
 沙夜はそう言ってメモ帳を取りだした。治も奥さんも治の子供ではない子供を育てている。そういう子供を作ってしまった奥さんのことを今更責めても仕方が無い。
 問題はその子供達を本当の父親の親族が手出しをしようとしていることなのだ。
 その家は南の方ではかなりの権力者で、亡くなった高柳玲二の父親はまだ健在で、未だに地元にある工場なんかの責任者をしているほか、政治家としての一面もあるようだ。だが権力者だからこそ自分たちの体裁を気にするだろう。子供達を引き取ってもおそらく玲二の子供だとは言わないだろうから。
「弁護士を立てましょう。」
 沙夜はそう言うと、メモ帳を開いた。こういう時のために弁護士事務所の番号を控えておいて良かったと思う。
「会社の?会社の弁護士を使うとなると、上にも通さないといけない。その事実は上にも言っていいのだったら、そうしなよ。」
 裕太は不機嫌を隠しきれない。イライラしているようにせわしなくペンを動かしている。
「……沙夜。個人的に頼むとなると時間がかかるんじゃないのか。」
 翔はそう言うと、沙夜の手が止まる。二週間では終わらないかもしれないのだ。
「そうだね。話を聞くのに予約を取って、あちらの両親にも話を聞いて、お互いの主張のための話し合いとなると、二週間どころか半年はかかるかもしれない。」
 裕太はそういうと沙夜は更にバッグから名刺入れを取りだした。そしてその名刺の仲から一枚の名刺を取り出す。
「個人的に連絡を取っている弁護士です。」
 「夜」として誹謗中傷を受けたとき、沙菜が紹介してくれた弁護士だった。相談だけでも気軽にしてくれるし、何より沙夜が信頼を置ける人でもある。
「……この人は……。」
 裕太は驚いてその名刺を手にする。その相手は弁護士の世界では有名な人だった。ただ相当変わり者であり、依頼主を追い出すこともあるらしい。
「沙夜。弁護士だったら高梨さんの所の息子さんもそうじゃなかったか。」
 望月旭が所属しているレコード会社の顧問弁護士であり、沙夜とは顔見知りのようだった。だからそういう人に頼んだ方が良いのかもしれない。翔はそう思って沙夜にそう言うと、沙夜は首を横に振る。
「あの人は企業向けの弁護士みたいだし、それ以前に連絡は取りたくない。」
「……この人は連絡を取れるの?」
「はい。これからでも連絡を取れますので、そうしようかと。」
「いくら何でも二週間では無理のような気がするけどね。もし、間に合わなかったら泉さん。治は今回のアルバムは降りて貰う。俺はその代わりのドラマーを探しておくよ。」
「無駄になると思いますけど。」
 沙夜はそう言うと、裕太は少し笑った。こういう沙夜の強気なところが裕太は好きなのだ。

 その弁護士に連絡をすると、近くに来ているので話を聞きたいと言っている。だが今すぐというわけではない。おそらく沙夜がオフィスで雑務をしたそのあとくらいがちょうど良いだろう。そして翔もそれに同席したいという。もう翔には関係の無い話ではないだろう。そう思って沙夜はそれを了解すると、仕事が終わったら連絡をすると言っておいた。翔も一度スタジオに帰るらしい。
 そして沙夜はパソコンに報告書を打ち込んでいたその時だった。奏太が帰ってくる。バンドの練習に付き合っていたらしい。
「お疲れ。」
「お疲れ様です。」
「治とは連絡が付いたか。」
 奏太には詳しいことは言っていない。治も奏太には知られたくないと言っている。それは奏太が、まだ紫乃と連絡を取り合っているとわかっているから。そして紫乃と連絡が付くというのは、ゴシップの記事になりやすいことでもある。今でもそのネタがどこから漏れるのかわからない。そのために早めに手を打っておかないといけないだろう。
「色々とありました。」
「色々?」
 それ以上は言いたくなかった。それを奏太も感じて何も言わない。自分の身から出た錆だが、モヤモヤするようだった。
「あぁ。そうだ。お前、妹と同居しているだろ?」
「はい。それが?」
「男がいるのか?」
 すると沙夜はため息を付いて言う。朝倉すずに言ったように、この男にも言わないといけないだろう。
「妹は奔放な方ですからね。男と言ってもどの人のことを言っているのか。」
「前に俺、会ったことがあるよ。芹って言ってたっけ。」
 その名前に沙夜の手が止まる。そして奏太の方を見た。
「何かしていたんですか。」
「うーん。」
 居酒屋で紫乃と会い、そのままホテル街の方へ消えた。そう聞いているが、芹とは付き合ってはいないのだろう。だが紫乃は付き合っているのは沙夜の方だと言っていた。もしこの話が本当であれば、沙夜は相当ダメージを受けるはずだろう。
「隠れ家みたいな居酒屋から出て来てさ。」
「あなたは異性と食事もしないんですか。」
「するけど……。」
「食事だけでそんなに騒ぎ立てることですか。前にもそうやって言われたんです。天草裕太さんからのたれ込みでした。信用は出来ません。」
 すると沙夜はそのまままたパソコンの画面を見る。その表情に、奏太は言わなければ良かったと思っていた。
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