触れられない距離

神崎

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弁護士

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 お茶請けを真奈美は出してくれた。それは高菜漬けで、少しピリ辛にしているがとても美味しいと思える。西川辰雄の所から貰った高菜漬けとは少し味が違う気がする。おそらくこちらの方が本場の高菜漬けの味なのだ。
 治の奥さんは南の方の出身だ。そちらの方がこういうモノは本場なのだろう。
「その上の子供達の本当の父親ってわかっているんですか。」
 翔が真奈美にそう聞くと、真奈美は立ち上がり棚の上にある写真立てを手にして戻る。そしてそれを見せた。
「高柳玲二さんと言います。姉も私もよく知っていて、小さい頃から近所に住んでいた人です。姉とは同級生になりますね。」
 細身の男だった。ストレートで細そうな髪が光に当たって金色っぽく光っている。元々色素が薄そうな男なのだろう。一馬はこの男が少し真二郎とかぶって見えた。
「幼なじみ?」
「そういう感じですね。仕事の都合で、こちらの方へ来ていたとか。」
「へぇ……まぁ、奥さんもこっちに来て知り合いなんかもいなかったら、自然とそういう人に頼るのかな。」
 翔はそう言うが、一馬にとってそれは心が痛い言葉だった。自分の奥さんも一馬では無く真二郎をずっと頼りにしているように思えたから。
「この人が父親なんですか。」
「そうだと思います。調べたわけでは無いんですけどね。」
 治は「二藍」に入る前から、忙しく動き回っていた。子供向けのドラム教室の講師だけでは無く、スタジオミュージシャンの顔もあり、歌手についてツアーに行くこともあった。当然、家は奥さんと子供だけになる。一人で子育てをしていた奥さんはきっと辛かっただろう。だが仕事なのだ。それは仕方が無いことだと思う。
「調べられないんですか。」
 翔はそう聞くと、真奈美は首を横に振る。写真立てに飾られていた時点で、翔も少し気がついていたようだが、確信は持てなかった。
「二年前ほどに亡くなったんです。」
 あの寒い夜。玲二は水死体で発見された。自殺だと警察は言っていたが、きっと玲二は殺されたのだ。
 借金も多くあり、女癖も悪かった。おそらく、美人局に手を出したのだろう。ヤクザがやるような方法で死んでいたのだから。
「確証は無いでしょう。あいつらは証拠を残さない。」
 一馬はそう言うと、真奈美は頷いた。そしてその死体と対面した奥さんは、この上ないほど気落ちしていたと思う。それでも二人の子供の母親なのだ。そしてその二人の子供を治と一緒に育てるのが、奥さんの役割だと奮い立たせた。そしてそれをわかっていて、治も支えてくれた。だから奥さんもまた、治に気持ちがまた戻ってきたような気がしていたと思う。
 だから三人目の子供は、治の子供を産んだ。対面して、誰よりも安堵したのは治であり、やっと自分の子供の顔を見ることが出来たと安心するはずだった。
「それが何かあったんですか。」
 沙夜はそう聞くと、真奈美は頷いた。
「姉が子供を産んで、治さんは相当ほっとしていたと思うんです。でも……一緒に行った子供達が微妙な表情をしていたと。」
 治は自分たちに似ていないが、生まれてきた子供は治に似ている。そう子供ながらに思ったのだろう。可愛いとも言わず微妙な表情を浮かべていた。それに気がついた奥さんが子供達に産まれた来た子供を更に見せようとした。だが上の子供がそれを拒絶したのだ。
「拒絶?」
「嫌って言って振り切ったんです。そのまま私の方の両親の方へ二人とも逃げてきて。おかしいと思っていたら案の定ですね。」
「……。」
 治や奥さんが知らない所で、玲二の両親が二人に近づいていたのだ。そして治は本当の父親では無いので、自分たちの所へ来ないかと言ってきたらしい。
「玲二さんは一人息子でまぁ……何というかボンボンだったんですよ。昔からの地主の家みたいな。」
「はぁ……。」
「山をいくつも持っていたり、工場なんかもいくつも持っていて跡継ぎが必要だったんだろうなと思ってたんでしょうね。こっちの子供達のことも知っていたみたいで、でも二人の子供をいきなり親から話すのは可愛そうだから、治さんの子供が生まれたら二人を引き取ろうと思っていたみたいなんです。」
「ずいぶん自分勝手な両親だな。」
 両親というのはそんな人達ばかりなのだろうか。一馬を引き取ってくれた、今は外国にいる両親や、その親である祖母は本当に人が良かっただけなのだ。沙夜の両親もそして一馬の奥さん側の両親も、毒にしかならないような人達ばかりだ。
「子供達がそれを知ってしまったのが悪いですね。それで……橋倉さんは、その後両親の所へ行っているんですか?」
「渡すつもりは無いと。すいません。何かごちゃごちゃしていて。そもそも姉が一番悪いんです。治さんが悪いわけでは……。」
「いや。どちらが加害者だとか被害者だとかという問題では無い。」
 一馬はそう言うと、お茶を口に入れる。
「一馬はそう思う?」
 翔はそう聞くと、一馬は湯飲みを置いて頷いた。
「俺は治とは子供が生まれてからの付き合いだが、治の都合で奥さんもこちらに呼んだんじゃないのか。」
「えぇ……。確か出会いは、治さんがアーティストのツアーに同行したときに、イベント会社にいた姉とで会ったのがきっかけだと。」
「その頃はまめに連絡をしていたんだろうな。でもこちらに来てからは家に帰ればいると思ってあまり気にかけていなかった。見ず知らずの土地で、不安だったんだろうに。」
 自分で言って自分の言葉が跳ね返ってきている。一馬も奥さんにそんな気持ちにさせているように思えたから。
「過ぎたことは仕方ないです。でもこれから、橋倉さんは外国へ行くことになっています。「二藍」のことなので、事情があるからと言って一人が行けないとなると困るんですが。」
「沙夜。」
 翔はそう言って沙夜をたしなめた。沙夜はそれを十分理解しているに違いない。なのに仕事の都合だけを言う。ずいぶん冷たい言い方のように感じた。
「治さんは外国へ行く前にその件を片付けようとしているんです。だから……少し様子を見て貰えませんか。」
 治と奥さんの気持ちを考えればそうしてあげたい。だが時間は刻一刻と迫っている。そして治が外国に行く前にこの件を片付けたいという気持ちもわかる。外国へ行っている間は奥さんと子供だけになる。おそらくこの妹というのも手伝ったり、治の両親も手伝うのかもしれない。それでもそこまで非常識なことを言う人達が相手なのだ。もしかしたら誘拐されたりするかもしれない。そうなれば、治は自分が決断を出せなかったことで悔やんでも悔やみきれない。
 しかしそれまでに片付けれるかと言えばそんな保証もないのだ。もし裁判となれば長引くだろう。
「その件はわかりました。事情も事情ですから。プライベートのことは本人に任せている部分もありますが、ただ、報告の義務があります。上にそれを報告しても良いでしょうか。」
 沙夜はそう聞くと、真奈美は頷いた。そしてため息を付く。
「私が……そういう話ばかり書いていたからかもしれないですね。」
「話?」
「漫画家なんです。私。」
「えぇ。聞いています。BLというジャンルだと。」
「観たことがありますか?」
「無いです。漫画や本は読むことはありますけど。」
「寝取られって言うジャンルを書くことが多くて。」
「寝取られ?」
 一馬はそう言って首をかしげる。本は読まないことは無いが、そういうジャンルはほとんど読まないのだ。
「えっと……ノンケの話ですると、恋人同士がいるとするじゃないですか。そこにまぁ……女性なり男性なりが近寄ってきて、裏切らせてセックスをするみたいな。」
「寝て取るって事だね。」
 翔はそう言うと一馬の動きが止まった。まるで自分たちのことを言われているようだったから。
「玲二さんとは本当に、友達みたいだったんです。だから治さんも気を許していたし、治さんがいないときに部屋に来て一緒にお酒を飲んでいても何も言わなかった。治さんは下戸だから全く飲めないと言っていたし。」
 酒を飲んでいる所を見たことが無い。全く飲めないのだ。本当に自分たちとかぶることだと思った一馬は、心の中でため息を付いた。
 しかし治の方がまだ人間が出来ている気がする。自分だったら。もし奥さんの子供が真二郎の子供だったら。いや、オーナーの子供だったら。一馬は有無も言わずに別れていたかもしれない。だが治は一緒に生きていく選択をしたのだ。そしてその問題が表面化したのだ。それは奥さんの罪であり、見て見ぬふりをしていた治の罪でもある。そして一番の被害者は子供達だろう。知らなくても良いことまで知ってしまったのだから。
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