触れられない距離

神崎

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弁護士

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 沙夜達が最寄り駅にしている駅を通り過ぎ、一馬が住んでいるK街の駅も通り過ぎ、スタジオも通り過ぎた。そしてたどり着いたのは、企業なんかのベッドタウンだった。大きなショッピングモールが目に付き、その横にはラーメン屋、ドラッグストアなんかもあり、コンビニも見える。そしてその向こうには団地があった。
「あっちの団地ね。」
「子供が多い町だろうな。」
 一馬はそう言って周りを見る。こういう街には馴染みがないが、平日の今日に見えるのは子供を連れた母親や年寄りばかりだ。たまに見えるのは若い人。おそらく大学生くらいだろうか。
「そうね。大きな小学校があるみたい。来年には分割するみたいだけど。」
「へぇ。俺が行った学校みたいだな。」
「翔が言った学校は人数が多かったの?」
「俺もこういうところに昔住んでいたから。一学年のクラスは十クラスくらいあったかな。」
「大きいな。確かに。」
 一馬が行っていた学校はそこまで多くなかったが、派手な人が多かったように思える。それは風俗店のシングルマザーやスナックの子供が多かったからだろう。一馬と気が合うのは決まって、居酒屋や寿司屋の息子なんかだった。同じ剣道教室に通っていたからだ。
「美味しそうなパン屋さんがあるね。帰りに買って帰ろうか。」
 翔はそう言うと、沙夜も頷いた。こういうところがイラッとする。一緒に住んでいるという優越感に浸っているようだからだ。
「えっと……B塔ってどこかしら。」
「こっちに案内がある。」
 一馬はそう言って団地の案内を沙夜に見せる。同じような建物が並んでいるので、間違わないようにしないといけない。
「こっちの方かな。」
 翔もそう言って案内板を見ていた。茶畑のように感じて懐かしく思える。茶畑は同じ風景が並んでいるのでその中にいるとどこに居るのかわからなくなるのだ。
「翔が住んでいたのもこんな所なのか。」
「こんなに巨大じゃないよ。」
 同じような建物が二つ、三つあるだけの団地だったが、ここは見渡す限りの同じような建物だった。広さはあるのだろうが、ファミリー向けの物件が多いらしい。中央には公園があるようだった。
 そう思いながら歩いていても、道行く人達が二人を見て振り返っている。「二藍」だと言うことは一馬はともかくとして、翔は目立つのだろう。
 B塔へやってきたが、建物は二つある。階は二階だが、どちらの二階だろう。沙夜はそう思っていたとき、一馬が声をかける。
「こっちのようだ。」
「そうなの?」
「車が前にある。こっちだろう。」
 治が普段乗るわけではないが、奥さんが普段通勤や子供の送り迎えに使うモノだった。黒い軽自動車はどこにでもあるようなモノだが、「二藍」のステッカーが張っているのはこれだけだった。おそらくこちらの建物だろう。違っていても仕方ないと思いながら、三人はそちらの建物へ向かう。
「二階ね。」
 そう思っていたときだった。翔が沙夜の足を止める。
「沙夜。ちょっと住所を書いたメモか何か見せてくれる?」
 すると沙夜は不思議そうにメモを見せた。すると翔は入ろうとする建物とメモを照らし合わせた。
「こっちじゃないみたいだ。ほらB塔の東側って書いている。こっちは西側って書いているから、こっちじゃないのかも。」
「あぁ。そうなんだ。ありがとう。助かったわ。」
 翔はここまで大きくは無いが、団地で育ったのだ。そうやって間違えて訪ねる人もきっと多かったのだろう。
「しかし……不思議な感じがするな。」
 一馬はそう言いながら周りを見る。ここは自治体が管理をする団地なのかもしれないが、あまりにも同じような建物が多くて、コンクリートジャングルという言葉がぴったりだと思った。一馬はこういうところに住んだことはない。それにどことなく嫌な感じがする。整然と並べられた団地の建物が、決まった枠のように感じたのだ。
「こういうところの方が良い場合もあるよ。子供にとっては学校が近かったりするし、近くに公園もある。スーパーも駅だって相当近いしね。それに……この辺は酒を飲むような所は無いみたいだ。」
 翔はそう言うと、少し表情を曇らせた。昔のことを思い出したからだ。
 団地の裏手に小さなアパートがあった。そこに通っていた時期もあって、その時のことを思い出すと心が痛い。
「東側って言うことはこっちかしら。」
「そっちはもうC塔になる。別かもしれないな。」
「うーん……こういう所って管理人はいないのかしら。」
「団地にはあまり居ないと思うよ。班長みたいなモノはあるのかもしれない気えれど。」
 その時だった。その建物の中にベビーカーを引いた女性が、入っていくのを見た。それを見て沙夜はその女性に声をかける。
「すいません。B塔の東側というのはどこになるのでしょうか。」
 話を聞いている沙夜の背中を見る。沙夜がこういうところで主婦をするような感じには見えない。仕事を辞めたとしても忙しく動き回り、畑を借りて作物を育てたり音楽を作ったりするのだろう。
「沙夜はこういうマッチ箱みたいな所には納まる感じには見ないな。」
 翔はそう言うと、一馬は少し笑う。
「そうかも知れないが、こういうところというのは人間関係が重要だろう。隣人や上下に住んでいる家族との人間関係だ。そういうモノは得意そうには見えないが。」
 沙夜はきっと敵を作りやすいだろう。あらぬ噂を立てられて、逃げてしまうかもしれない。
「一馬はやはり沙夜をよく見ているようだ。」
 その言葉に一馬は首を横に振る。
「いつまで疑うんだ。俺と沙夜は何も無いのに。」
 すると翔は一馬を見上げて自分の後ろ首の下を指さす。
「この間跡が見えたんだ。」
「跡?」
「キスマーク。芹とは違う相手だと思う。そしてそれが一馬だったら納得する。」
 しまった。そんな所に付けてしまった自分が悪いのだが、翔に見られたのは更にまずい。だがそれでも認めるわけにはいかないのだ。
「……虫でも刺されたんじゃないのか。」
 あくまでそうやって誤魔化そうとした。すると翔は首を横に振って言う。
「俺もそう言ってた時期があるんだ。隠さないといけないような状況になって、でもそういうときの方が燃える。キスマークだって無意識に付けてしまうんだ。悪いと思っているときの方が、返って感情も高ぶるし。」
「まるで不倫をしたヤツのいい訳のように感じるな。」
 すると翔は少し頷いた。
「昔ね。俺もそういう事をしてたことがあるから。」
「不倫を?」
「昔ね。」
 だから気を負わないで欲しい。そう言いたかったのだが一馬はため息を付く。
「不倫は何も産まない。今はもうしていないんだろう。」
「うん。もう結構前の話で……。」
「だったらそれは墓まで取っておけば良い。沙夜は軽蔑するかもしレないし、治は更に嫌がると思うがな。」
 治は奥さんが不倫をしていたのを見て見ぬふりをしていたのだ。昔のこととは言っても良い気分はしないだろう。
「お待たせ。」
 沙夜が戻ってきて、二人を見上げる。すると二人は先程までの会話を悟らせないように視線をそらせる。
「B塔の東側ってこの裏らしいわ。行きましょう。」
「そうか。わかった。」
 翔も不倫をしていたのだ。だから止めようとしているのかわからないが、それでも一馬は沙夜とのこの関係をまだ終わらせたくなかった。しかしいつかは終わりが来る。それは沙夜との関係なのか、奥さんとの関係なのかは一馬でもわからないのだ。
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